競輪場に響くクラシック
2002年10月26日(土)、昨夜からの秋雨はずっと降り続いていた。スカッとした秋晴れを期待したのに、思うにまかせない。
朝早く、
NPO青少年の心を育てる会、常務理事の村山兼清さんと取手競輪場へ向かう。「競輪フアンだったという川口さん、さすがに取手まではおいでになってないでしょう!」
「いや来てますよ。2回か3回は」
「へえ!」
というわけで、小高い丘の上の競輪所へ着く。
昔はゴチャゴチャときたない競輪場だと思っていたが、さすがに30年もたつと、きれいになっている。
特に目立つのは、向う正面に立っている特別観覧席(特観席というのだそうだ)だ。
NPOの「青少年の心」から来た旨を告げてきれいな特観席に入いる。200席ほどの客席があってその向うでオ−ケストラが練習していた。「オヤ、ヴイバルデイだよ!」というと村山氏が「さすが元N響理事長ですね!」という。なアに、有名曲だけは知っているので、知らぬ曲の方が遥かに多いのだ。席に坐ってプログラムを見る。
1、ヴイバルデイ 合奏協奏曲「四季」より「春」「秋」
2、べ−ト−ヴエン 交響曲第五番ハ短調「運命」
3、野口雨情、童謡作品より
演奏 東京芸大、レボリュウション アンサンブル
指揮 田中千香士
ヴアイオリン 真部 裕
なかなかの本格的なプログラムである。
練習を見ながら、外を見る。雨脚が弱くならない!残念だ。
この催しについて説明しておこう。
主催は「取手市健康福祉まつり実行委員会」
この催しのために、日本自転車振興会から「競輪補助事業」として助成金が出る。
実は私が会長をやっている「
NPO法人、青少年の心を育てる会」のミュ−ジカルその他の事業も、この競輪補助事業として助成金が出るのである。NPOも、社会のため、青少年のために、文化事業をやっている、と自負しているのだが、折りからの経済不況、やはり資金がない。
困っているところへ、
NPOの広島支部の方から打診があった。自転車振興会が、「競輪補助事業」としてまとまったお金が出る。広島支部としては貰いたいのだが「競輪」の事業というので迷っている。どうだろうか?会長である川口の返事は一発だった。
「いいにきまっている。競輪だろうが、酒造業だろうが事業をやって得た利益の一部を公共の資金に供しようとしているのだ。堂々といただきましょう」
かくして、私たちは虎ノ門の自転車振興会に伺った。常務理事の四方(しかた)さんという方が現れた。自治省出身の方だった。きいてみると、四方さんは、自らバイオリンをひかれる。油絵も水彩も書かれる。しはらく芸術談義だ。
そして私が口をきった。
「実は私、昔からの競輪フアンでしてね。高倉登、松本勝明、高原永伍、なんてのが大活躍の時代から見ています」
「!!」
四方さんもびっくりである。
「中野の世界選手権十連勝なんか大拍手しましたよ」
私が、まだNHKの新人だった頃、局舎は内幸町(今の西新橋)にあった。局舎の前を昔の都電が走っていた。この都電に乗ると「白山上」に向うのだがその途中に後楽園があった。そこにあった競輪のメッカ、「後楽園競輪場」ここによく通った。だから、この私でも10回は通っていますよ。テレビの始まった当時、死ぬ思いの仕事に追われ続けた私、磯谷君という車好きと「行こうか」といってはサッと出かけた。
「ナルホド、川口さんはよく理解していらしゃる」四方さんはそういって「私たちも競輪を殺風景なトバク場におしこめたくないのです。音楽や美術と組み合わせて競輪の社会的意義を高めたいのです」
そして冒頭の競輪場でのクラッシック演奏会にさそってくださったのである。
演奏会は予想したよりもはるかレベルの高いものだった。芸大オ−ケストラはなかなかいい音をだす。私はその中でオ−ボ−とチェロそしてソロ、ヴアイオリンに感心した。
N響理事長の時きいた話だが、日本人のオ−ケストラは概ね弦のセクションが良く管楽器セクション、打楽器セクションは海外の一流オ−ケストラに比べておちていたそうだ。それが戦後グイグイよくなってきた。
それは唇をうまく使うことの下手だった日本人が、食生活、唇の筋肉の鍛練、こどもの頃からの管楽器への親しみ−などの結果で、どんどんよくなってきたという。
この芸大オ−ケストラでも、そのことがいえると思う。
私はしばらく競輪場にひびくクラッシックの響きをいいなアと思って聞いていた。
残念だったのは、折りからの雨でガクンと観客がへったこと!
それから折角クラシックを聞きにきたお客さんに「へえ!そうなの!なるほど!」という、解説をつけること。
そうしたらこの催しは、ぐんぐんよくなる。そして人々の心の中に浸透してゆくだろう。
競輪というギャンブル事業からいただいたお金で、文化や芸術が花開く。そういうことがいいのだ。
NPO(ノンプロフイットオ−ガニゼイション)つまり収益を目的としない事業体)の活躍の場が、そうやって広がってゆくことに私は大きな意義を見出す。