悪夢の後に見たほのぼのとした光景

 時は大東亜戦争が始まって間もなくのころ、益田喜頓が一座を率いて、渋谷のジュラク座にいたころの事である。撃ちてし止まん「たたけ米英」なんて時局に迎合した芝居を懸命にやっていたが、客の入りはさっぱりで42名の座員の給料にも事欠く有様であった。

 寒い2月の上旬に舞台がハネテから、馴染みの飲み屋に借金を払いに行った。そこのホステスと意気投合して1時頃まで飲み、どういう風の吹き回しか、おくってくれると言って一緒に店を出た。

 「いやしい」感情が理性を吹き飛ばし、とある一軒の旅館に坐しビ−ルの栓を抜いた。もの10分もしないうちに、そのホステスは忘れ物をしたと言って旅館を千鳥足で出ていった。

 一人ぼっちになった喜頓は、桁くそ悪くなってビ−ルなど飲む気にならなくなってしまい、旅館の天井を仰いで彼女の帰りを待った。その間理性などどこかに吹っ飛んでしまい、良からぬ妄想に耽いっていた。

 見果てぬ夢を見ていた時に、40柄みの刑事二人に臨検で突然踏み込まれた。刑事は喜頓の顔を知っていたらしく、身元を調べ、翌朝署に出頭するように言われた。喜頓は一人で泊まっていて何故悪いのかと反論を試みた。

 すると刑事は「どうして一人なのだ。君はビ−ルを一つのコップについで交代で飲むンかネ、寝るのに枕二つ使うんか、ウン?そればかりか、宿帳に名前がのってる」

 当時は男女が密会で罰せられた。喜頓は悪酔いと怒りと慙愧で頭が割れるように痛んだ。勿論遂にホステスは姿を見せなかった。

 翌日渋谷署に行くと部長から散々油を絞られた。「日本は今戦争しているのだぞ。それなのに毎日、おしろいを塗って、風呂に入り、三度のめしを食っていられるのに、なんというざまだ。直立不動したまえ。宮城はどっちかね」と言われて、見当違いの方を指さしたので、直立不動の姿勢で三度礼をさせられた。その時、喜頓の目から何故か熱いものが込み上げて来た。

 放免されて署を出た時の心境は、まずい味噌汁にソ−スを入れて飲んだ様であり、その足取りは5キロもある鉛の靴を履いているようだったと言う。

 そんな時喜頓の目の前を一人のばあさんが、たぶんヤミ米であろう、荷を重そうに背負っていた。毛布を上からかけてキョロキョロあたりを見渡しながら歩いていた。

 すると、すぐうしろに警官が歩いていた。喜頓は自分のように胸がドキドキした。さらに驚いたことには、ばあさんの背負っているヤミ米の袋が底に小さな穴が開いているらしく、チョロチョロと白米がこぼれおちていた。

 ばあさんが警官に咎められないことを心の中で祈ったが、所詮は無理な事、警官はばあさんに追いつき、肩をたたいて意外な言葉を掛けた。

「おばあさん、赤ん坊が背中でオシッコしているよ、気を付けなさい」と言って反対側の道を去って行った。

 益田喜頓は10数時間のいやな思いを忘れた。そして足取りも軽く、楽屋に飛び込んだ。冬の風も暖かった。