紅白歌合戦!ことしが52回!!

 ことしの冬は寒い日が多い。大晦日の今日もどうやら寒波が襲ってきたようだ。朝のうちブルブル震えながら川崎まで行ってきた。

 幸いに雨は降ってこないようだ。紅白50年、そのうち12年を現役のPD又はCPとして、2年を審査委員長として、4年を大会委員長として(優勝旗を渡す大役がある)ラストは6年間、会長として紅白に関係した。

 つまり全部で24年間も何らかの形でかかわったわけである。

 その24年間で、一番気にかかったのは天気である。私の記憶ではドシャ降りの雨の大晦日になったのはたった2回だが、大変な数の観客が集る。出演者だって1000人に近い。裏方の人数も500人は下らない。大変な運のよさでクジに当った人たち3000人の観客だから。ゆっくり集ってもよさそうなのに、皆早く集る。記録では大晦日の午前8時という人がいたという。入場は午後6時だから実に10時間も待つのである。

 その熱心な人たちをいくら本人の自由だからといっても雨の中に立たせるわけにはまいらない。

 NHK側としては少しでも雨のかからない所を見つけて、そこに誘導しなければならない。勿論観客同志が不満を訴えることもあろう。

 どこからも文句をいわせぬよう、雨に濡れて風邪ひいたりしないよう、担当者にとってのこの10時間は気を使い体を使う難しい仕事である。

 第二の心配は何か?

 やはり事故である。大変なスピ−ドで舞台を変えなければならない。衣裳の早かわり勿論大変だ。照明や音声担当も寸時も気がぬけない。無事故で終るのが当り前だが、そうするためには、いささかも気が抜けない。準備と、リハ−サルが大変だ。

 この二つのことがうまく行って初めて、紅白は成功だった!といえるのである。

 終ってからの打揚げで、私は何回も挨拶をさせられたが、その中何回も「今夜はご苦労さん、何の事故もなくてよかった!」といっている。

 それから、これはご存知の方は殆どないと思うのだが、終っての打ち揚げ、出場者は出欠自由となっている。ところが出場者のうち紅白どちらか勝った方のメンバ−が圧倒的にたくさん集まってくる。負けた方はパラパラしか出席しない。

「たかが紅白の勝ち負けですよ。どっちでもいいじゃないですか」と私が言った時、女性軍の某女史がきっぱりいった。

「いいえ、私たちは一生懸命歌ったのです。負けて宴席へのこのこ出てお酒が飲めますか!」

 なるほど紅白はいつの間にか歌い手たちも戦いの場に引きずりこんでいるのである。

 歌合戦という番組名についての番組のそもそもの企画者、近藤 積さんという先輩(既に故人になられた)がいみじくもいわれた。

「これはやはり合戦でなければいけないのです。両軍の力のありったけをぶつけることでエネルギ−が湧いてくるんです。」

 紅白もこの2001年の暮で52回になった。このエネルギ−がある限りは、まだまだ続くだろう。ただエネルギ−の低下が見られたら、さっさと幕をひいた方がいいだろう。

*ところで昭和26年(1956年)に始まった紅白は、毎年つつ゛けられたから本来なら、ことし2001年暮で51回のはずである。

 これには裏話がある。昭和26年(1951年)に始まった紅白は、はじめラジオの正月番組だった。それが極めて好評だったので、昭和28年テレビが放送を開始した年昭和28年にはラジオで第三回を1月3日にやり暮の12月31日に第4回を12月31日にラジオ、テレビ同時に放送したのである。一年に2回紅白が放送されたのだ。