冥土の土産に買った辞書の話
「何を買いに来た!」「「ブリタニカ」を予約に来たのだが、品物がないっていうから、「センチュリ−」にした。」
これは、丸善で「学鐙」の編集をしていた内田魯庵と尾崎紅葉の会話である。時は明治38年、紅葉の病気が重体であると新聞に報じられていた頃の丸善の昼下がりの一時である。
丸善の店員から、尾崎紅葉が来店したとの知らせを受けた魯庵は、最初狐につままれたような心地であった。「大変悪いように聞いていたが、よく出てこられたネ」というと紅葉は「顔だけ見ていると、そうでもないが、裸になると骸骨だ。ももなんか天秤棒ぐらいしかない。よく立っていられると思うよ」と大学で癌と診察された顛末を他人事のように落ち着き払って話した。そしてさらに続けて「どうせ死ぬなら羊羹でも天婦羅でも思うさま食ってやれと、捨て鉢になっても、流動食ほか通らんのだから食い意地がはるばかりでカラッキシ意気地はない」と淋しい微笑を浮かべた。
当時「ブリタニカ」と「センチュリ−」は同時に丸善で輸入販売していたのであるが、「ブリタニカ」は品切れになっていて、紅葉は「センチュリ−」にした。
魯庵は「「センチュリ−」を買ってどうする?」と瀕死の病人が高価な辞書を買ってどうする気かと不思議でならんので「それどころじゃあるまい」と言うと
「そう言えばそうだが、評判は予ねて聞いているから、どんなものだか冥土の土産に見て置きたいと思ってネ。まだ一月や二月は大丈夫生きているから、ユックリ見て行かれる」
「そんなら、「ブリタニカ」にしたらどうだ。もう二月もしたら、届くから今予約せんでも着いたら、知らせよう」と魯庵は内心では、余り豊かではないのに見す見す余命いくばくもないのが分かっていながらこんなに高価な辞書を買うでもあるまいと、それと言わずに無益の費えをさせたくないと思って言った。すると
「そうさなア」と暫く考えていたが、「二月ぐらいは大丈夫と思うが、いつ何時どうなるか解からない。二月先に本が届いた時、目が見えないでは何にもならない」
「大丈夫、大丈夫。その元気ならマダ一年や二年は大丈夫。字引はどうでもいいが、病気の方は大丈夫だよ。今からこんな弱音を吹くのは愚だ。きっと治ると思わにゃ駄目だ」
「生き延びようとは決して思わんが、欲しいと思うものは頭のはっきりしている中に自分のものとして、一日でも長く見て置かないと執念が残る。字引に執念が残ってお化けに出るなんぞは男が廃らアナ!」と力のない声でからからと笑いながら、「「センチュリ−」ならすぐ届けられるだろう」
「むむ、「センチュリ−」なら直ぐ届ける」と言うと、ようやく安心したような顔をして、「これで先ア冥土へ好い土産が出来た」と笑いながら、店員に申込書と共に百何円の現金を切れるような札で奇麗に支払った。
魯庵と紅葉は晩年暫く相乖離していたのを遺憾に思いながらも最後の会見に釈然として何もかも忘れ、笑って快く一時間余りも隔てなく話したのはせめてもの心やりであった。紅葉と笑って最後の訣別をしたことで、魯庵は紅葉を親友の一人とみていたと記している。