臆病でなければ駄目な話

 かって升田幸三は、戦争に駆出されて、戦地にあっても生きて帰って、「打倒木村名人」という執念を懐いていた。帰国して升田幸三と木村義雄が対局の場(九段戦)に臨んだとき、「ゴミにたかるハエみたいなもの」と木村を罵倒する升田に対して「それなら君はなんだ」と問い返し、「ゴミにたかるハエみたいなもの」と激しい舌戦を展開した。木村の切り札は、「えらそうなことを言うなら、名人戦に出てきたまえ!」であった。それほど木村は名人位に誇りを持ち、他の棋戦では升田に負けることがあっても名人戦では升田将棋を粉砕した。

 時移り、「近代将棋」の座談会で升田九段が、専門棋士について次のように述べている。「大山君(現名人)も非常に臆病ですから、常に警戒する。木村さん(前名人)も、これは名代のおく病だから、大胆不敵なものは絶対に天下を取れない。そんな手法では天下は取れない。考えて注意すると言っても、先天的なおく病さがなければ、細かい所をみません。ここに幽霊が出るかもしれない。何が出るかも知れないと、よくよく見るような臆病でなければならない。大胆不敵なのは、ちょっと大天才にみえるかも知れない。しかし、そんなのは中途で倒れます。だめです」

 升田幸三は、晩年はこのような心境に到達したことは、棋道のみならず人間完成の域に達したと言うべきであろう。