お金を払っても弟子を取る話
「習ったことは、全部人に教えなさい。教えることは、あなたの勉強になります。お金を払ってもいいから弟子をとりなさい」
これは服部良一が師のロシヤ人の指揮者、エマヌエル メッテルに師事していた頃に言われていた言葉であった。
大阪から上京して、新富町のユニオンダンスホ−ルで、バンドマンとして、将来作曲家を志していた頃(昭和8年)、自宅のアパ−トで、仲間のバンドマンに請われて、リムスキ−コルサコフのハ−モニ−とソコロフのプレリュ−ドのレッスンをした。
みんはダンスホ−ルの仕事が終って、12時から朝の4時近くまで勉強会を開いていた。服部良一は、教える立場でありながら、夜食の準備をしたり、コ−ヒ−や酒を振る舞った。月謝なしである。その後、世帯を持ってからは、皆の申し出で五円の月謝を貰うようになったが、収入の少ない者は勿論無料。
この勉強会を「響友会」と命名して、5年間続いた。この中から、多くのミュ−ジュシャンが育っていった。
時には教えてみて、分らないところが出た時など、大阪にいたメッテル師のところえ、教えを乞うために行ったことも、一度や二度ではなかった。その度にメッテルは親切に教えてくれた。
服部良一が、大阪フイルハ−モニックオ−ケストラのメンバ−だった時、その熱心さを認められて、指揮者のメッテルから本気で勉強する気があるなら、一週間一回レッスンに来るように言われた。
後年、その時学んだことを仲間の連中に、教えたのはメッテルの教えを忠実に踏襲したのである。
服部良一の家に朱塗りの大きな机がある。「服部先生へ 門下生一同」と刻まれている。それは当時、独身時代で小さな机しかなかったので、門下生が贈ったもので、服部良一は家宝の一つだと生前言っていた。