三橋美智也

 春日のことにふれたら、どうしても三橋のことを語らねばならない。春日八郎についで、キングレコ−ドの屋台骨を支えたのは三橋美智也である。

 三橋のスタ−トは民謡であり、三味線である。「とても高い声で歌謡曲もよい」ときいて二三のレコ−ドを聞いているうちにアッという間に三橋はスタ−ダムに上った。

「リンゴ村から」「古城」と次々に大ヒットを飛ばした。三橋のよさはあの高いハリのある声をフルに使ってしかもコブシを聞かせるところにある。

 コブシというのは微妙に一つの音をころがして民謡のメロデイに何ともいえない土俗的な感じを出すのだが、民謡で鍛えた三橋は実にうまくこのコブシを使っていた。

 たとえば「リンゴ村から」は「覚えているかい、故郷の村を」で始まるのだがこの故郷の村を−というところでまずコブシが使われる。以下随所にコブシが現れてくる。このコブシの表現が正に三橋の真骨頂であった。それは高音の魅力をいやが上にも情感を増してくれる絶妙な味つけであった。

 三橋は和服が多かったがステ−ジでは殆ど直立のまま歌った。だが口を開けば絶妙なコブシが満場をふるわせた。

 のちに紅白歌合戦に出た時、私は「古城」という曲のバックを児童合唱団にしてみた。「古城」のバックコ−ラスは女声合唱団である。だが彼の突っ立った直立の姿と、男の子たちの組合せはとてもうまく調和するに違いない!と思ったからである。

 結果は大成功であった。三橋との組合わせは女声合唱団をバックにするよりも児童の男声合唱にした方がはるかにフイットしたのである。

 三橋のもう一つの特技は三味線であった。津軽三味線をはげしく弾く時、まわりの空気は俄かに巻き上って三橋のまわりを囲んだ。

 のちに星野哲郎の詩に船村 徹が曲をつけて「風雪流れ旅」を発表し、これをNHKホ−ルで披露した時、NHKの演出陣は両脇からスモ−クをたき、上から猛烈な紙吹雪を降らせた。津軽三味線のあの激しい撥の音は、猛烈に降りしきる雪こそ最もふさわしいと思ったからである。舞台上目もあけられぬ雪の舞だったが画面の効果は抜群であった。(もっとも歌った北島三郎の大きな奥の鼻の穴に何枚かの紙が吸いこまれそうでこれには肝をひやした。)

 春日、三橋の二人はキングレコ−ドの全盛時代に竜虎のように並んだ存在だった。が二人のキャラクタ−もパフォ−マンスも全く違い過ぎるので、二人が一緒の時はどちらに合わせるか大分苦労したものだ。

 三橋は静、春日は動、三橋には声もかけられぬようなところがあるが、春日には「ねエ八ちゃん」などとキサクに話が出来た。

 春日とは大きな声で競馬の話が出来たが、三橋の場合は芸以外の話は何となくしづらいム−ドがあった。もっとも二人の歌はそれぞれに独特の味があって私は両方とも好きだった。

 ある時期、キングレコ−ドにはスタ−歌手が続出してある年など紅白歌合戦に25人の出演があったくらいである。恐らく春日、三橋という大スタ−をトップにして会社が一つの盛り上りを見せたせいであろう。それには春日、三橋と全く異なるキャラクタ−だったことが幸いしている。

 元気だった二人とももはやこの世にはいない。いかにも演歌だぜ−といった感じで歌う春日と民謡から入って艶歌道を極めたぞ、といった感じで歌う三橋、二人ながらやはり大歌手だったなアと思う。