森繁久弥

 玄関先で守衛にとがめられて「オレは帰る!」といった方がもう一人いる。森繁久弥さんである。これは鶴田事件より4、5年あとのこと。私は番組制作局長になっていた。

 局長室に電話。出てみるとラジオの日曜名作座の担当者からだった。「森繁さんがこられて守衛が「どなたですか?ときいたんです。「キミ、ボクを知らんのかネ」「ハイ知りません」「失敬な!ワシはもうNHKには30年も来ているんだ」「お名前は?」「いう必要ない。さ、帰ろう。オレの名を知らないNHKなどに用はない」ということだったらしい。すっ飛んでゆくとシゲさんこと森繁久弥さんはツンとすねていらっしゃる。

「森繁さん、川口です」

「へ?どこの川口さん」

「番組制作局長になりました川口です。若い頃から色々お世話になりました」

「へえ−あんたが局長になったの?それじゃ私のような古い人間の顔ぐらいよく覚えておけと言って下さいよ」

「はい分りました。入ったばかりの守衛で申し訳ありません」

「でも私は許しませんよ」森繁さんはプンと横を向かれる。

 これは一寸手強い。局長管理局長と守衛長を呼ぼう。折よく二人とも席にいた。

 三人そろって最敬礼した。

「みんな私たちの教えが悪いんです。大事な森繁さんにこんな不快な思いをさせてほんとに申し分けありません。三人そろっておわびします」

 最敬礼した。

「NHKはたくさんの人を相手にしているんでしょう。一人たりとも不愉快にさせてはいけません!」

「ハハ−ツ」一同最敬礼。

 このことがあって、しばらくして森繁さんと御会いした。沢山の人の前だった。例によって皆を笑わせたあと、

「ここにいる川口さんは、今にNHK会長になります。大事にして下さいよ」

 1991年(平成3年)私は会長になったのだが、一番最初に「会長になります」といってくれたのは森繁さんだった。そうなってから挨拶に行った時、シゲさんはカンラカンラと高笑いしてこういわれた。

「ホラ、私のいった通りでしょ!」