ミュ−ジカル
札幌のこどもたちと相も変らずミュ−ジカルをやっている。それに加えて、この3年ぐらいは「青少年の心を育てる会」という
NPOで毎年ミュ−ジカルの公演をやっている。ことしも、11月30日、12月1日と赤坂の
ACTシアタ−で東京公演を行なった。何とまア1年の中の何分の一かをミュ−ジカルで過しているわけだ。未だに譜面が読めない、喘息のおかげで歌もロクに歌えない。それなのに大きな顔をして作者をつとめたり演出をやったりしている。(もっとも「青少年の心」の方のミュ−ジカルでは自らの限界を悟って作も演出もやってない)専らキャリア−(?)を生かして資金集めのお手伝いをしたり、幕のあく前にシャシャリ出て、会長として短いご挨拶をしたりというわけだが、これでもう足掛け16年ぐらいはミュ−ジカルと関係している。
ミュ−ジカルというのは戦後の日本に入ってきた新しいジャンルである。宝塚歌劇や
SKDやら、勿論「歌っておどって芝居して」というミュ−ジカルの試みは、昔からずっと続いていた。鹿児島の田舎育ちの私には若い女性たちの乱舞する宝塚や
SKDはいささかまばゆいばかりの舞台だった。現代風のミュ−ジカルに出会ったのは、戦後の東宝の舞台である。秦豊吉さんというお方がいて熱心に「東宝ミュ−ジカル」を育てておられた。越路吹雪を主役にして何作か発表された。この秦さんの情熱はやがて花開いて、越路さん主演の数々のミュ−ジカルや新しい試みの作品が登場してきた。
歌舞伎狂いだった私も、いつの間にかミュ−ジカル、という新しい形式にひかれてよく見るようになっていた。
日本におけるミュ−ジカル公演は「マイフエアレデイ」の大成功から一気に上昇気流に乗った。
ヒギンス教授に育てられて野性の女の子、イライザがどんどん開花してゆくこの作品はいかにも、芝居好きのロンドンでヒットしそうな作品だった。作品の中にダ−ビ−を見に行く話やイライザに教授が教える「スペインでは平野に雨がふる」という英語の発音を基にしたアリアなど、「うまいなア」とうなりたくなるような部分もあて、私は好きだった。
札幌のこどもミュ−ジカルとの関係もいつの間にか座付作者の立場に立つようになってからだし、「青年の心を育てる会」とのつながりも、たまたま、ここの会長をやっておられたのがNHKの元会長、坂本朝一氏が病気になられての降板をひきついだものだ。
いつの間にか、私はミュ−ジカル好きの、或はミュ−ジカルには
少々肩入れの大きな人物と見られていた。
だけどこんなむつかしい仕事もない。
何しろ、歌えて踊れて芝居の出きる人を集めなければならない。それより前にミュ−ジカル用の台本を用意しなければならない。作者なんてそんなに簡単には見つからないのだ。そこでつい自分で書いてしまう。
劇団四季の浅利慶太さんのケ−スを見ているとその苦労がよく分かる。と同時に、「或は日本には育たないのでは?」と思われたこのジャンルに見事に花を開かせ、今や全国で同時公演をやれるようになった四季の努力には頭が下がるのである。
さて「青少年の心」のミュ−ジカルである。今回のは「猫の遺言状」という、猫の世界を扱ったのはアメリカ製の「キャッツ」という、名ミュ−ジカルがある。あれを越えるのはやはりむつかしい。
それでも若い皆が懸命に取り組んだ。
少しはユニ−クな味が出てると思うのだが何しろ名作「キャッツ」というものがある。これはどうも得なのか損なのか。
いや−むつかしい。
若い人の舞台を見ていると、特にダンスナンバ−がぐんと良くなった。相当にむつかしいナンバ−でもあツという間にマスタ−してしまう。
それに比べてやはり問題はお芝居の部分だと思う。
ここはやはり芝居の充実めざしてもっともっと苦労する必要がある。
私も夢を見る。何とか見る人々を泣かせ感動させ「よかった!」といわせるミュ−ジカルを作り上げることを!