中川幸夫展そして白内障手術
ア−トの森のことしの特別展は二つの大きなものをやることになった。前々から学芸員の宮園君らが暖めていた企画である。その一つめが、四月二十九日からの「中川幸夫展」であった。
徳島出身の中川さんはことし八十三歳だという。不自由なお体にも拘らずその制作はすばらしい集中力の発揮によるものだという。
中川さんは生け花から始められたという。それもありきたりの生け花ではない。
ア−トの森でもあのあたりに多い「孟宗竹」の造形から始まった。
宮園学芸員がア−トの森をご案内した時、いわれた言葉が印象に残ったという。「この辺では植物がみんなニコニコしているね、、、」
折から霧島も冬の気配とお別れして、水ぬるみ、風さわやかな五月の気配だった。名物のつつじ「みやまきりしま」も競って美しい花を咲かせていた。
その美しい風景の中を中川さんは孟宗竹を探して歩いた。そして沢山の竹を展示スタジオの一部に積んですばらしい造型を作って見せた。
もう一つ書がある。中川さんの書は知らなくてもあの山田洋次監督の映画「たそがれ清兵衛」のタイトル字、あの何ともいえぬ味わいの文字は中川さんの「魂の書」といえよう。
かくして中川さんの展示は大成功のうちに始まったのだ。ホッとした。
今回も又南日本新聞社のKTS鹿児島テレビが共同主催をして下さった。
翌日の南日本の紙面に写真入りで中川幸夫展の紹介がのった。うれしいことである。ありがたいことである。
中川幸夫展の開会式を終えてすぐうちへ帰った。そして東京へでかけてお茶の水の井上眼科に入院した。
白内障の手術である。
実はこの手術を申し込んだのは一月の二十日すぎだった。驚いたことに井上眼科は患者で埋まっていた。その人たちの順番の整理をして、さて私に指示された「手術日」は何と五月二日だったのだ。ことほど左様に白内障患者が多いのだ。そして多少の危険もあったらしい手術は殆ど危険性のないものとなり、どっと患者が集中したものらしい。
人間でもず−つと使い続けているものはやはり老化する。昔は「目がかすんで、、、」と愚痴られていた白内障は今や誰でも簡単にうけられる手術になった。しかも一日の入院か人によっては日帰りで直すことが出きる。治療費だって十万以下だ。
五月二日入院して手術をうけた。
痛みなど殆どありはしない。
五月三日朝、眼帯を外してびっくりした。折りからの晴天に木々の緑が眩しかった。青い空もクリ−ンなエメラルドだった。
「五月の光の中眼帯を外しけり」
拙い一句である。