死んだ後まで猫のことを気にかける話
大仏次郎と言えば愛猫家でつとに有名であるが、生前多い時には10数匹も飼っていた。1973年に死去した後は酉子夫人が面倒を見ていたが、酉子夫人も7年後に亡くなった。夫人は他界する前に、長年お手伝いに来ていた女性に、「自分が死んだら猫の世話をして欲しい。」と言って、10年分の餌代をつけて後事を託した。お手伝いは郷里の山梨に猫数匹連れて帰って行った。大仏夫妻には実子がなかった事もあるが、夫妻そろってそこまで猫を可愛がるのも珍しい。
因みに大仏夫人は、新劇運動に参加していた時に、帰山教正に招かれて映画界に入った日本映画の草創期の女優、吾妻光子である。大仏次郎が東大の政治学科に在学中新劇活動に熱中していた時、新劇を通じて知り合って結婚した。結婚後は女優の仕事から、引退し内助の功に徹して、晩年は横浜の大仏次郎記念館の創設に尽力した。