のど自慢50年史(1)

 NHKで素人ののど自慢が始まったのは、昭和21年である。敗戦の翌年の冬、早くも「のど自慢」という番組が始まっているのは、たいへん興味深い。(勿論、私のNHK入局の4年も前のことで、直接の記憶は全くない。)

 私も復員兵の一人だったから、明瞭に当時の状況は記憶に残っているが、あの敗戦のくたびれ果てた時に、素人をラジオで歌わせようとした人物は一体だれだったのか。そんな人物の存在には大きな興味が湧く。

 のど自慢創設の頃は、わりときれいに記録に残っている。

 この番組の企画者は、三枝健剛氏である。三枝さんは今をときめく音楽家、三枝成彰氏のお父さんなのだ。

 当時のことを直接ご本人から聞いたことがある。三枝さんはどちらかといえば吶々としゃべるほうで、息子さんの成彰さんと比べると、まるで違った印象の方だった。体は大きい方で肩も手足もガッチリしていた。顔は比叡山の山僧みたいで身辺を全く飾らない人だった。

 そうそう健剛なんてすごいごつい名前だな−と思ったら、やはり親のつけてくれた戸籍の名前は「嘉雄」であった。三枝さんは、何と番組を作るのに「号」を使ったのだ。

 この三枝さん、当時のことだから、内幸町の会館に半ば自炊同然で住んでいたみたいだ。生まれついての企画魔で殆ど毎日、新しい番組のアイデイアを思いつかれる。(この辺は息子さんの成彰さんがそっくり遺伝している。)そのいくつかあった番組の中でやはり屈指の番組は「のど自慢素人演芸会テスト風景」であった。

今、長々しい名前を書いたが、ラジオでスタ−トした時から相当長い間この「テスト風景」というのが使われている。

 三枝さんのアイデアは、国民にマイクを解放して、戦にうちひしがれた皆に、せめて気持よく歌ってほしい、というものだったらしい。

 当時の写真を見ると、出演者は殆んど戦闘帽姿である。足許は軍靴、地下足袋そして稀に下駄があった。

 題して「のど自慢素人音楽会テスト風景」つまり、のど自慢の素人が集ってその中からすぐれた人を選ぶ、そのテストの様子をそのままラジオでご紹介しようというのである。はじめは、演芸、浪曲、邦楽なども入っていたので、一時「のど自慢素人演芸会」としていた時期もある。

 戦にやぶれ、食うや食わずのこの時期「何が歌だ!」と怒られるくらいがオチ!と思っていた三枝さんたちは余りの様子の違いにびっくりしたという。

 皆、延々とテストを受ける為に並び、嬉々としてマイクをとって歌う。

 そうそうこの当時「カン」又は「カンカンカン」というあの「のど自慢を象徴する鐘の音は使われていない。

 初代アナウンサ−大野 太郎さんの回顧談によると「実はね−この終り方で困ったんですよ。私がハイ、ありがとうございました!とやると、合格!と感違いする人がたくさんいましてね。日本語のいい方のむつかしさにホトホト困りました。」そこで三枝プロデュ−サ−が出現する。

「合否の判定を口でいうからいけないんだ。カネでやれ。一つはダメ、二つはマアマア三つが合格のしるしだ!」

 やってみた。大変な効果があった。

 第一、全体のメリハリがつく。第二、よく分る。第三恨みが残らない。第四テンポが出る、かくして、合否の判定のカネはこの番組の基本となり「三つの鐘」「鐘一つ」といったいい方さえ出てきた。

 思わぬ効果だったわけだが、私はのちのちこの番組の実施にタッチして「のど自慢」という番組の最大のポイントは実にこの「鐘」にあった、と思う。しみじみ「思えばカネ、カネ、カネの世の中じゃのう!」という歌舞伎のセリフが身に沁みてくる。この番組の「鐘の魅力」は正に「金の魅力」よりも大きかったのである。