のど自慢50年史(2)

 コンク−ルが始まったのは昭和24年のことである。このコンク−ルは、毎週のふだん着の「のど自慢」とは別立てで「コンク−ル」として組織された。つまり毎週定時の「のど自慢」を実施しながら一方で県予選し、地方大会、そして全国大会と実施してゆくわけである。当然、出場者は過去の「のど自慢」で合格した人たちに限られる。

 そのコンク−ルは1月から県予選−地区大会−そして優勝大会と進んでゆく。

 そしてその優勝大会は、毎年3月の春分の日ときまっていた。つまり通常のど自慢は、毎週日曜だが、コンク−ルは別格のものとして行われたのである。

 又、通常はNHKの音楽担当の課長をヘッドとして、現場の人間で審査していたが、全国大会だけは別もので、私の記憶しているだけでも、相当な知名人、音楽家が多かった。

 この全国コンク−ルからは第2回の荒井恵子さんをはじめ、数々の有名人が輩出している。全国に散在する「のど自慢」の強者どもが、一堂に集まって覇を競ったわけである。

 ただこのコンク−ルは、レコ−ド会社のオ−デションと違って、真正面からの歌唱力を評価するものだから、プロとしての一級品が輩出するわけにはまいらなかった。やはりプロになるにはプロとしてのユニ−クな個性とその発揮度が必要だったのである。そういうわけで、のど自慢の全国コンク−ルは、昭和43年に至って廃止されることになる。(それからはコンク−ル色をうんと薄くしたチャンピオンという名前で実施されている。)

 問題は、昭和24年からのど自慢の全国コンク−ルに出場して、見事日本一になった人、又は惜しくも準日本一になった人たちである。これらの人たちは、勿論きわめて高いレベルの歌唱力をもっている。だが、その実力発揮の場所がない。「年一回集まって日本一の会をやろう」という声が出るのも当然である。

 はじめ、宮田 輝アナウンサ−や三枝健剛さん、歴代ののど自慢担当者やアナウンサ−が集まって「日本一の会」というのを始めた。この会は、やはり春に行なわれ、なごやかな酒宴の終りはいつも各自の「のど」の披露に終っていた。

 だが組織力がなく、経済力のない同好の士の集まりはいつの間にか、崩れてゆく。

 私がNHK会長になった1991年(平成3年)の頃は正にその頃であった。今でも思い出すが渋谷の小さな地下のホ−ルでやっていた会に招待されて私はびっくりした。うす暗い地下室は音響設備も悪くて、空気の流通まで悪いような気がした。「のど自慢日本一の会にはとてもふさわしくない。」

 そこで、たまたま理事をしていた古賀政男音楽財団のけやきホ−ルでやってみないか、と提案した。皆賛成だった。

 かくて3月には、NHKのど自慢日本一の会の年一度の催しが、けやきホ−ルで開催されることになったのである。

 第一回のクラシックの部の優勝者岩本 正さんも参加された。つづいて第一回の(つまり荒井恵子さんの前の)歌謡曲の部の優勝者、羽鳥百合子さんも参加した。いい雰囲気だった。

 勿論、皆年をとっている。だから声の艶は年々失われゆく。だが年相応に歌を愛し、歌を大事にしていることはよく分る。

 ことしは3月10日に、けやきホ−ルで実施される。期待したい。