母親の頭から簪がなくなった話
箸は二本、筆は一本と言ったことで知られる斎藤緑雨は警句を吐き、毒舌家として明治時代で知られていたが、ある時親しい馬場孤蝶にしんみりした話をした。
それは風の吹く寒い晩のことである。駒形の鰻屋「前川」で鰻を食した。二人は飲めるほうではなかったが、その日はどういう訳か、微薫で店を出た。
そして店を出て浅草寺の方に歩いている途中で、小さい頃、家が貧しかった話をした。
「ある時こんな事があった。色鉛筆がほしくて、母に色鉛筆を買って欲しいと言ったところ、母は観音様に行くついでに買ってくると出かけて行き、帰りに、みやげとして色鉛筆を買ってきてくれたのだが、見ると母がいつも頭に挿している簪がなくなっている。それは、母親の形見だからといって、母が普段から大事にしていた銀の簪であった。
それ以来、母が色鉛筆を買いに観音様へでかけた日を記念日として、毎年その日に観音様に詣でることにしているのだ、実はその日が今日なんだが、、、、」という。「これから観音堂に立寄って、母の恩に感謝してから帰ろうと思う。今夜は寒い晩だが、わるいが一緒につきあってもらえないだろうか」と言われて孤蝶も同道するのである。
明治31年の暮れのことである。