悲しくも美しい手紙

 中野鈴子は、兄中野重治の世話をするために郷里福井から四高のある金沢へ出ていた。

 重治の友人の窪川鶴次郎も四高の学生であった。窪川鶴次郎の下宿を訪れる鈴子は、17、8歳、ものを言わないまま、うつむいた肩付きに一途さを見せてじっと坐っている。窪川は20、か21下宿の主人にあらぬ疑いをもたれようかと気兼ねもせねばならなかった。窪川は自分の行く手もつかめぬ不安を押す程の情熱もないまま、二人とも金沢を去る時がきた。それが二人の別れでもあった。

 その後鈴子は、父親のまとめた縁談で郷里に近い町に嫁いだが僅かの日数で生家にもどっている。鈴子の窪川に寄せる思いは、その婚姻によって悲しみの色合いに滲み、一層切なさを深めたらしい。

 窪川は鈴子から来た手紙を一箱にまとめて持っていた。その手紙の中には鈴子の人の妻となった自分のどうしようもない、昼と夜のあらがいさえ書き連ねたのがあった。

 その手紙を保存していたのは窪川の、鈴子に対して抱く優しさである。その手紙の箱を佐多稲子の前に置くのは、窪川の佐多稲子に

たいする真情であった。佐多稲子は窪川鶴次郎の真情に甘えて鈴子の手紙を読んだ。そして二通、三通と読み次ぐとき、ついに泣き出したのである。  

 中野鈴子の訴えかける悲しみは、感情の流れそのままであふれ、その悲しみを自分の科ともするつつましさを見せながら、なお、今は死ぬしかない、と書き、そこに反抗にあえぐ息つかいも微妙に伝えていた。その手紙は悲しかった。悲しいと同時に文章のこまやかさ優しさで美しかった。佐多稲子はその悲しさと美しさに打たれて泣いた。この美しい手紙が束になって窪川の許に残されているということを、中野鈴子その人の美しさとして佐多は哀切に受け止めた。

 佐多稲子がその手紙を読む頃、鈴子はすでに、兄中野重治の手紙で窪川と佐多稲子との結婚を知らされていた筈である。だから鈴子から窪川へ手紙のくることはもうなかったのである。