2002年の新春に(その1)

 21世紀に入ったと騒いでいた去年と比べて、ことしは世紀論はとんと影をひそめた。その代りにどこでも昨年9月11日、ワシントン、ニュ−ヨ−クの同時続発テロの話題が皆の口をにぎわせた。

 あのテロに私が強烈な印象をもったのは、理由がある。航空機はまるで違い、目標も国際センタ−ビルと、これまた違うのは当り前だ。だがテレビの映像で見るあの情況は、たしかに昔一度見た記憶がある。

 そうだそうだ。1941年(昭和16年)のハワイ真珠湾の日本機の空襲だ。そしてもう一つ戦況不利になった1944年頃、相次いで爆弾を抱えて敵艦に体当りした神風特別攻撃隊である。

 昔の日本軍の特攻作戦と、イスラム人が航空機をハイジャックして貿易ビルやペンタゴンに突っ込んで行ったあの光景。

 この二つは、相似形だ。56年を経て同じことがこの世で起った。慄然とした。

 くり返して映像を見ていると、あのニュ−ヨ−クやワシントンで目標に突っ込んでゆくイスラムの若者たちと、真珠湾やミッドウエ−で自らを爆弾として敵艦に体当りする日本兵たちとはちっとも変りがない。

 私も実は、徴兵年齢の引下げによる現役入隊で昭和20年4月、鹿児島連隊に入っている。だからあの頃の若者がどういう考え方で、自爆に至ったのかその心理的過程はよく分る。

 時は移り、土地も全く変ったけれども、人間だけは全く変らない!何てことだ!!

 私が兵隊になった頃、憂国歌人、三井甲之という人がいた。この人がよんだ歌はいまでもすらすらと思い出す。

「ますらをの悲しき命、積み重ね 積み重ね守る 大和島根を」

 この歌のぐっと泣かせるところは「ますらをの悲しき命」の悲しきという形容詞である。

 誰だって死にたくはない。だが死なねばならぬ時は、いさぎよく「名誉の戦死」といういい方で死を美化した。でも死にに行く身の心境をいえば、やはり自分の命は失いたくない。いつまでも生きていたい。それが当り前である。だから何が何で死なねばならぬときは、自らを美化する以外にない。

「ますらをの、、、、、」の歌も、いづれ戦場に出ていって死ぬことが運命づけられている若者にとっては、極めて切実な認識を迫られる歌であった。

、、、、、、だが戦いは終って我々は復員した。「もうさし迫って死と直面しなくてもいいのだ」私たちはそう思って将来への志をもう一度たて直すことにした。

 今、同時多発テロのイスラムの若者たちの気持をおもんぱかるに恐らく1945年当時の日本人青年たちと大差はないだろう。

 人間はくり返すことによってより賢くなる筈だが、くり返してもくり返しても、又元に帰るということがあるのだ。人間以外の動物は、一旦危機をくぐりぬけるとすこぶる用心深くなる。だが人間だけは本能的に「危い」と思っても、あえて危険を冒して、遂には死を選ぶこともあるのだ。

 それが、人間のよさでもあり、どうにもならぬ業の如きものでもあろう。

 2002年の元旦はそういったことを我々につきつけて静かに明けて行った。