小便のご馳走の話

 明治時代「椿姫」や「ノ−トルダムのせむし男」などの翻訳でフランス文学や演劇に詳しかった長田秋涛は、フランスの田舎での珍談を語っている。黒田清輝がグレ−というパリの田舎に引っ込んで、揮毫に余念のないところに久米桂一と長田秋涛が行った。四方山話、おりしも、夏のことであったから、小川に出て、釣り糸をたれ、あるいは緑林深き所のハンモック眠って思う存分遊んだ挙げ句、このグレ−の町はずれの一旗亭に登って晩餐を供にした。

 旗亭の主人は彼らを東洋人と思ったか甚だ冷遇するのみならず、ここに来ている客達は彼らを見て、冷罵嘲笑浴びせたので、短気な秋涛は黙っておられず、何かかの客達に目にもの見せてやろうと思っていると、食事もすんで、いよいよコ−ヒ−飲む時になってからブランデ−を注文した。各々一杯ずつを試みたが水六分ブランデ−四分の甚だまずい飲料である。秋涛は「おい、黒田、いくら人を馬鹿にするもほどがある、こんな物飲ませやがって」と言うと黒田は「でもここいらのやつらは皆こんなんで満足しているんだ。」すると秋涛は「うん、そうか」と言って何事か胸中に案じ出したものと見え、にやりと笑ったが、たちまち手に取ったのは、そのブランデ−の壜」

 秋涛はそれからそのなかに小便をして、知らぬが仏の給仕人がそのブランデ−を他の客にまわし、彼らが知らずに平気でそれを飲んでいるのを見て、「ザマ見やがれ」と快哉を叫んで溜飲を下げたという。