女の心意気で命を救われた話

一世紀を生き抜いた女作家の宇野千代は、近代女流作家の中で最も波乱万丈の生涯を送った女性であるが、その中で最大のピンチを迎えた時の話である。

 宇野千代は偽札を作っている如く、後から後から入って来る金を湯水の如く冗費して、自分の家を建てること10数軒。出版社を起こしたり、着物の店を経営したり、ただ書斎で机に向かっておとなしく小説や随筆を書いていると言った生活ではなかった。

 放漫経営のツケとして、乱発した手形が、暴力団に回っていくと言う有様、その金がないと、殺されると言う土壇場まで追いつめられた。

 当時宇野千代は、京橋の裏手で一軒の小さな店を借りて、「宇野千代きものの店」を開いて着物を売っていた。

 平林たい子は宇野千代のデザインが好きで、この店の得意であった。平林たい子は、宇野千代とは生まれも育ちも思想的にも違った生き方をして来た。

アナ−キストと結婚した平林たい子は戦前、女児を出産したが、栄養失調で死亡させた。だが子供の骨を埋めることすら出来ずに、ボストンバックに入れて放浪した程の悲痛な経験した。

 戦後は文化人、作家としてマスコミで活躍して長年の貧困生活を脱して、いつも粋な着物を着こなして大衆の前に出ていた。

。宇野千代は見境もなく、平林たい子の家へ突っ走った。「お金を20万円貸して下さい。今日のその金がないと、大変なことになるんです」と言うと、平林たい子は何もきかずに金庫の中から、その金を出して貸してくれた」

 その時の20万円は今(1983年頃)で200万円、ひょっとしたら300万円位に相当するのに、貸してくれたのであるから、現在の金額に換算するとどれくらになろうか。

 宇野千代は言う「そんな切羽詰まった金なら、どうせ返せないのに決まっている、そう思われたはずであるのに、それでも貸してくれたのであった。私はそのときのたい子の顔を見て、観音さまかと思い、後光がさしているように思ったものである」と。