徳田秋声が最初に受け取った原稿料

 郷里金沢の本屋の主人から、泉 鏡花が尾崎紅葉の玄関番をしていることを聞いて、徳田秋声が友人の桐生悠々といっしょに上京した。

 横寺町の紅葉の玄関に立った二人に、泉 鏡花はニコニコしなが

ら「先生は今ちょっとお出かけですが、、、、」と挨拶した。「何時ご

ろおいでですか」と訊ねたのは桐生悠々。「さあ、ちょいちょい気

まぐれにおでかけになりますから」

懐に持参した原稿を持ち帰り、翌日送った原稿に次のような添え書きがしてあった「柿も青いうちは鴉もつっつき不申候」

そんな文句も秋声には強くあたったものらしくその手紙を二つに

裂いてしまった。

一旦帰郷した徳田秋声はその後地方の新聞社に籍を置きながら、上京の機を伺っていた。そして伝手を頼りに、当時隆盛を誇ってい

た博文館の編集部の片隅にもぐり込む事が出来た。そんなある日瀟洒な風貌の小柄な鏡花が、博文館に姿を見せた。上がり口坐っている秋声の傍に近寄ってきて、煙管できざみをふかしながら、にこやかに如才なく話掛けた。

「横寺の先生のところで、時々君らの噂がでるよ。あの二人はどうしたろうかって」「そうかな」

そうしたやり取りが二人の間で交された。そこで秋声は紅葉に訪問の手紙を出した。すると来車あれとの返事がきた。

 紅葉の初印象は態度が書生風で色の浅黒立の典型的な江戸っ子らしい顔にも、にやけた処や嫌みはなかった。これは艶っぽい紅葉の文章とはいささか違っていたのが、秋声には意外であった。紅葉は「君は発句はやらんのかね」と訊ねたので、秋声は「ええ、桐生は作りますが、僕は出来ないんです。どうすれば作れるんでしょう」と答えると

「そうだなあ、まあ精々古人の句を読むんだな、、、、社中で時々巌谷の家に集って、運座をやるから出てみるとよい」と勧められた。

それから紅葉は、原書を一冊持ってきて「この短編の筋だけ取って、なるたけ面白く日本風に翻案してみないか。ちょうど京都をこの頃引上げてきた巌谷を通して、近畿新報という地方の新聞から、何か小説が一つ欲しいと言ってきているから、出来がよければ送ってみよう」

 秋声は2、3日かかって無造作に翻案して14、5回の小説にし

立てて紅葉に送った。

 それから何日かたって、巌谷小波のところで運座が行なわれた。秋声が始めて出席した運座には、当時の小説家が多く顔を出して盛会であった。

 そこで紅葉に呼ばれて部屋の外に出た秋声は、「小遣いにするように」と言われて、五円紙幣を一枚渡された。これは例の翻案物の報酬であった。そしてそれが秋声の受け取った原稿料の最初であった。