寿司の食べ方を真似する弟子の話

 夏目漱石がロンドンの留学から帰国した時、寺田寅彦は漱石を停車場に迎えてから、早速又夫人の実家に漱石を訪ねた。時分どきになって、寿司が出たが、しばらく突っついているうちに、漱石は笑い出した。漱石が言うには「さっきから見ていると、君は寿司を食うにも、僕の真似ばかりしているじゃないか。僕が海苔巻きを取ると、君も海苔巻きを取る。僕が卵焼きを食うと、君も卵焼きを食う」云々。

 どうも自分ではそんな気分ではなかったが、知らず知らずのうちにやっぱり先生の真似をしていたものと見えると、寅彦自身が述懐していたと、これも漱石の弟子の森田草平が回想していた。

 寅彦は当時、熊本高校から上京したばかりの田舎者であった。弟子の真似に気ついた漱石は勿論江戸っ子である。江戸っ子が田舎者の欠点(アラ)を見つけた滑稽な話としてしまえば、それまでだがその裏に何と言葉では言い表せない師弟の情誼が溢れていることよ。師は普通なら弟子のきまり悪がるようなことを平気で言ってのけている。その実師はそんなことまで自分の真似をされたことが、嬉しいのである。有難いのである。自分の嬉しく感じたこと、有り難く感じたことを発表するのに,相手がきまり悪がるよなことを以ってするのは、江戸っ子の悪い癖だといえば、言うようなものの、そこには「情人同志の痴話」とでも言いたいような気がして健羨の情に堪えないと草平は言う。

 要するに漱石は寂しかったのである。洋行から帰って、久し振りに妻子の顔を見て、なお且つ他人に求めないではいられない程、漱石は寂しかったのである。もし漱石とその弟子との間に他に見られないような、特別の情誼があったとすれば、そのようを作ったのは寺田寅彦である。他は、小宮、鈴木、野上それに草平自身皆これに倣ったものに他ならない言う。