津村 謙
「政界の変人」こと小泉純一郎さんのことを書いたので「芸能界の変人」(?)にもふれておきたい。(変人といっても小泉流にいえば政界の変人は普通人の世界ではマトモな人、だそうだからその意味よくわかる)
歌の世界の変人とささやかれた人に津村 謙がいる。コロンビアレコ−ドからキングレコ−ドに移籍、この時本名松原 正から大ヒット曲「愛染かつら」に因んで主人公の名前、津村浩三と、それを演じた俳優上原 謙の名をくっつけたもの、と聞いたが、歌手津村 謙もなかなかに魅力的な歌手だった。津村 謙、大正12年12月12日生まれ。
デビュ−した時のキングレコ−ドは岡 晴夫を筆頭にグングン伸し上ってきた頃だったが、地味なキャラクタ−でしばらくは低迷していた。
私が音楽デレクタ−になった昭和28年(1953年)頃はその高音の美声がようやく認められてテレビにも大分出演の回数がふえてきていた。
初めて出演者とデレクタ−として会った時から津村さんは極めて控え目だった。こちらは若手のデレクタ−で何かと人物を動かせたがる、いわゆる「クサイ演出」をしたがるのだが、津村さんが、注文をつけたことがない。しかも「ハイ」とか「分った」とか調子を合わせることなど、全くない。殆ど無口でうなずくのみだから、若いデレクタ−としては扱いにくい。
だがその歌声は「ビロ−ドの声」といわれたように大変な張りがあって、端正な顔だったから、テレビではなかなかに魅力的だった。
その津村 謙さんも大スタ−になった。その持ち歌「上海帰りのリル」が大ヒットになったのだ。矢野亮作詩、渡久地政信作曲のこの歌はあっという間に全国にひろがって「リル−リル−」というリフレインの部分など演芸もののギャグにも使われたが、たしかにこの部分の津村さんの声は他に比較のしようもない高いきれいなものだった。今、LPで(CDなど当時は勿論なかった)きいてみてもまことに魅力的である。
しかし、その魅力的な津村 謙の名もあっという間に消えてしまう。「上海帰りのリル」で流行歌の最頂上を極めた津村 謙はその絶頂からあっという間に消えてしまう。
死が津村さんを襲ったのである。
当時の新聞記事を見よう。
36年11月27日、深夜、自宅で不慮の死。37歳の若さだった。
多くの人々が早く逝った歌手の冥福を祈った。
このように書かれた津村さん、だが当時の私たちには、いわゆる流行歌手らしくない「変人」と見えた。
勿論歌手にもいろんなキャラクタ−がある。常に笑顔を絶やさない三波春夫型、大変愛想のいい五木ひろし型、つっぱり発言の岡 晴夫型、それらの中に津村 謙型、というのを私は入れたいと思う。
ニコニコはしているけれども、絶対に「おあいそ」はいわない。用がなければ何時間でも黙っている。しかし自分の芸に関しては徹底してその道を極めようと大変な努力をする。変人津村 謙は一方では名人、津村 謙であった。
今でもあの歌声を忘れぬ人は多い。その証拠に最近年輩のご婦人方の会合に出演したら、その中で「最も印象深い歌手」というので津村 謙の名をあげた人が大変多かった。人々の心の中に生き続ける「変人」津村 謙−なつかしい芸能人の一人である。