鶴田浩二

 昭和20年台の終り近く歌手としてメキメキ頭角を現わしてきたのは鶴田浩二である。「大江戸出世小唄」「土手の柳は風まかせ」といういなせな歌で一世を風靡したのが鶴田浩二だった。

 映画スタ−であるから勿論美貌である。その美しい顔でちょっと流し目をくれながら「白鷺は−」と歌う。高田浩吉は多くの女性フアンを魅了した。

 その高田浩吉に弟子入りして田と浩の二字を貰って歌うスタ−として、一時期君臨したのが鶴田浩二である。映画の役柄で高田とはガラリと違うように歌の方でもガラリと違った歌で次々大ヒットを放った。

「街のサンドイッチマン」「赤と黒のブル−ス」などで皆に愛されたが、極め付けは「右を向いても左を見ても世の中、真暗闇じゃございませんか」というセリフで始まる「    」であろう。世をすねたヤクザの歌としては極めてインパクトの強い歌だった。

 といって鶴田浩二はこの歌を肩いからして凄んで歌ったわけではない。彼は歌う時に、オ−ケストラの伴奏で自分の声がききとれない左手を耳たぶにあてて、さながら昔の聴音器の如き形で歌うのである。

 この歌う時の形と、半ばショボショボした哀れを催す歌い方でヤクザのもつ猛々しさ、いやらしさを見事に消し去って極道の悲哀がにじんでいた。これは鶴田の計算であったと思うが、さすがに映画俳優であった。

 その鶴田さんに二回怒鳴られた。

 一回目は「黄金の椅子」鶴田浩二ショ−勿論30分のナマ放送だった。この時の鶴田さんはのりにのって、どの歌も気分たっぷりに歌う。従ってリハ−サルの時にとった時計はどんどんオ−バ−してゆく。調整室のPDの私は気が気でない。「もっと巻け!時間にはいらなんぞ!」と、レシ−バ−に怒鳴るのだが、興に乗った鶴田さんはフロアデレクタ−のサインなど完全に無私。

 歌い切れないうちに無情にも時間は一ぱいになって画面はカット!次の番組に切り変わってしまった。

 レシ−バ−を外してスタジオに降りて行ってゴメンナサイ。スミマセンとひたすらあやまる私に鶴田さんは冷静な声で

「君たち、音楽の番組では時間が大切なのか?音楽の中身が大事なのか?どっちだ!」

「ハイ、音楽の中身です!」平身低頭する他なかった。

 それから15年たった。私はドラマ部長になっていた。NHKの土曜ドラマで「男たちの旅路」というのが始まった。これは山田太一さんの脚本だがガ−ドマン役の鶴田さんと若い男女のカラミが秀逸で大ヒットした。

 その三回目の収録の日、「部長大変です。すぐ来て下さい!」という電話がかかった。何事やあらんと飛んでゆくと表玄関のところでCPの近藤君、デレクタ−の中村君が真青になって一生懸命あやまっている。

「オレなんか、もうNHKにはいらないんだろう。オレは帰る」いきまいているのは鶴田さんだ。

「どうしたんですか?」きいて見ると、ことの起りはNHKの守衛だった。凡そスタ−らしくない恰好で表玄関を入ってきた男がいる、

「モシモシ、どこへ行くんですか?」ときく守衛。

「オレの顔を知らんのか、スタジオに行くんだ!」

「どなたさまですか?」

「オレの顔知らないのか?」

「知りません」

「一寸電話を貸せ。ドラマの近藤を呼べ」

 ということだったらしい。鶴田さんの入りを待っていた近藤CPと中村PDは青くなってかけつけた。

「オイ、君達、NHKはワシのことを知らんのか?仕事があって来たというのに玄関払いだ!オレは帰る!」

 二人が懸命になだめても守衛長が守衛と一緒に頭を下げても一切だめ。遂に部長である私が出動するハメになったわけだ。

「ドラマ部長の川口です」鶴田さんはジロッと見た。

「鶴田さんのような方を玄関払いするなどみんなNHKが悪い。皆を代表して私があやまります。どうか帰らないで下さい」

 私も必死だった。

 鶴田さんはジロッと私を見た。

「なに−あんたがドラマ部長!」

「ハイ、そうです。本当に申し訳ありません」

 鶴田さんはもう一度、ジロッと私を見た。そして一寸した間があって

「そういわれては仕方がない。スタジオへ行こう」

 一件落着である。

「15年前時間調整を誤ってサンザンあやまった奴が又やったのか!しょうがない許してやろう」

 と思われたのか。

「何度も同じことやるなよ!分ったな!」ということだってのか。事の真相は分らない。

 今となっては知る由もない。鶴田浩二さんは私より年上なのにさっさと逝ってしまわれたのである。