とんだ人違いをした話

明治40年代、夏目漱石の事を岡山の中学校ではセ石とかライ石と言っていた友人がいたという。地方紙に漱石の「漾虚集」の読後感を投稿し掲載され、漱石崇拝者を自認していた内田百閧ヘ、ある時友人の太宰施門と一目漱石を見たいと岡山のプラットホ−ムで待ち構えていた。漱石は満州に行く途中下関まで急行で行くと報じられていた。当時東京から下関の急行は上下とも一日一本。

岡山に停車した急行の一等車の客席を見たが2、3名しかいない。二等車にもそれらしき乗客はいなかった。あるいは日にちを一日位延ばしたかもしれないと思って、翌日また行って、一番後に連結されている一等車から見て行って二等車を見たがはっきりしない。しかしどうも一等車の怪しいのが一人いる。口髭を生やしてなんだかそう思えば写真のどれかに少し似ていた。

もう一度その窓の前に帰って、二人で代わりばんこに覗きながら、ひそひそ声で話し合った。「あれだろう。」「そうらしい。」「あれに違いない。」「そだあれにきめよう。」

そうして、汽車の出るまで、二人並んで窓の外にたって見送った。

漱石が大阪で発病して、その時の満韓旅行が中止になったのはずっと後になって知った。