内館牧子

 久し振りで、内館牧子さんに会った。橋田寿賀子さんのご主人岩崎嘉一さんの十三回忌の席上である。大柄の内館さんは「ベテイちゃん」という愛称の大きな瞳をクルクルさせてとても元気そうだった。

「ヨコシンはたのしくやってる?」

「ええ、とっても!少しでも大相撲のお役に立てばと思って一生懸命発言してます!」

 ヨコシンとは大相撲の横綱審議会委員のことである。女性で初めてのヨコシン委員として大変な話題になった。

「横綱大関がミンナ駄目だったから、大変だね」

「ええ、でも、その中から琴光喜のような若手が優勝したから、まア、よかったわ!」

 内館さんの可愛いい瞳がクルクル動いた。

 そうだ!この瞳で、私は内館牧子という人の才能と、人間的魅力を発見したのだ!

 まだN響の理事長をやっている頃だから、昭和63年頃のことである。資生堂の福原社長(今はもう社長ではない)に、誘われて、メセナ関係の仕事に協力していた。その仕事の一つに、日本各地でやっている「街並の保存」とか「古い伝統を今に生かしている」とか、とにかくユニ−クな文化活動を表彰する事業があった。「日本生活文化大賞」のような名前であった。その審査員の一人として出席した時、内館さんに初めてあったのである。名前のカシラモジの関係で「ウチダテ」さんと「カワグチ」は隣同志に坐った。NHKでドラマ部長や制作局長をやった私だったが、ウチダテ、マキコという名は知ってても、会ったのは初めてだった。この時もクルクルと動く瞳が印象的だった。

 昼食の時、色々話をした。そしてその時内館さんがたぐい稀な相撲好きだということを知った。「へえ−若い女性では珍しいですね。一度見に行きますか?」「うれしいです。」

 私はそのあとの場所で桟敷席に招待した。彼女は猛烈によろこんだ。こんないい席で初めて!といった。

「どうですか。そんなお好きなら相撲好きの女性を主人公にしたドラマを書いたら!」

「やってみます!!」

 私は後輩のドラマ部の現役プロデユ−サ−に話をした。(現在の金沢ドラマ部長である)かくして平成四年の十月から、連続テレビ小説「ひらり」主演石田ひかりでドラマが始まった。東京の下町、しかもお相撲さんのいる町、ここで展開する話は新鮮だった。内館さんの筆は躍動した。

 シリ−ズが始まって私は何度も内館さんに手紙を書いた。「オモシロイ!オモシロイ!今までになかった新鮮な世界にたのしいドラが展開している。ガンバッテ下さい!」

 私は何回も手紙を書いた。

 番組はどんどん評判になった。これまでにとり上げたことない素材、そして人物。「ひらり」は絶賛を浴びた。

 私はひいきの力士がどんどん強くなって堂々と優勝争いをしているような錯覚に陥った。

 六ヶ月間、日本中をわかせてそして「ひらり」は終った。内館牧子は大ヒット作家になった。橋田寿賀子賞もとった。

 そして次に会った時は、大河ドラマ「毛利元就」を書くといっていた。「大丈夫!あの時代の男女も、今の男女とそんな変わりない。どんどん大胆に書いて下さい」私は激励した。この毛利元就も又、一年間大好評だった。体の大きい若手力士「内の館」はいつの間にか「三役」になっていたのだ。

 彼女のよさはめげないことだ!いつでも「何とかなる!」と思っている。そして若い人の、それを支える人の細かい心理のヒダがよく分かっている。アッと思わせる心理描写がある。

 内館牧子はいつまでも魅力的である。それはきっと好奇心をいつも持っていて、それを瞬時も失わないからだと思う。

 会うたびに内館さんの瞳はキラキラと輝く。そしてたえず新しいことに挑戦している。

「マキコ。ガンバレ」私は声援を送り続ける。