酒と日本語で戦地に行かずに済んだ話

 臼井吉見は酒と日本語の相関関係とも言うべきもので、戦場に赴かずにすみ、戦死を免れたという。

 臼井吉見は昭和18年3月まで郷里の松本女子師範で、教員生活をしていたがその後上京し、10月に召集令状が来た。郷里の部隊がトラック島の守備に出動したので、臼井らはその後を埋めるために召集されたのである。

 トラック島への途中、潜水艦にやられて3分の1は海中の藻屑と消えた。そうなる前に大陸や南方に小人数が転属された。その人選は将校については部隊長、兵については中隊長の責任だった。部隊長は自分の一番気に食わない将校を選び出し、中隊長が下士官、兵を選ぶ。選ばれた者は「天皇陛下ノ命ニヨリ」に戦地に赴くことになる。

 だから将校は部隊長の点数を稼がなければならない。下士官、兵は中隊長の機嫌を取ることになる。そこで絶対に安全だったのは、酒屋、魚屋、菓子屋などの倅だった。将校で安全なのは、町の一番大きい料亭のおかみさんから声が、かかったものということなる。この料亭で部隊幹部は毎夜同然に振る舞い、一方料亭は部隊のご用商人を通じて酒や魚の入手にこと欠かなかった。

 臼井吉見は、酒屋、魚屋、菓子屋の倅ではなかった。だからどこにやられても不思議ではない。

 応召入隊の翌晩、中隊の将校が最初の酒宴を開いた席上であった。臼井吉見は、3年に1回位の割合で徹底的に酔っ払うクセがあった。偶々その日に、部隊全員が暗誦して服膺すべきものとされいた部隊長統率方針をミソクソにこき下ろした。

 その一条に「積極的任務の遂行」とあったので、「任務の積極的遂行」という日本語ならわかる。こんな日本語でない日本語を兵隊に教え込むのは御免蒙りたいとわめいたのである。狼狽した中隊長は、臼井吉見をなだめたり、すかしたりして黙らせることにつとめた。

 翌日部隊命令が出た。曰く「部隊長統率方針ノ第一条「積極的任務の遂行」ヲ爾今「任務の積極的遂行」ト改ム」臼井は肝を冷やした。中隊長が早速部隊長に伝えたものらしい。臼井吉見は当たり前の部隊長だったら、すぐさま生還期しがたい所に転属されたに違いないと言う。それからというもの部隊長のお目にとまり、訓話や式辞の起草を命じられた。

 臼井の中隊は敵の潜水艦のためトラック島に渡ることが出来ず、サイパンに待機中、敵の上陸を迎え、生還したものは一人もいない。こうして生きていられるのも、曖昧な日本語と芳醇な酒のお陰である。