ある師弟愛の話

奇行で知られた歌人の山崎方代は、吉野秀雄を師事していた。吉野秀雄が鎌倉で三年病に伏していた頃、横須賀の姉の経営していた歯科医院から一週間に一度か二週間に一度見舞って、吉野の無聊を慰めた。 その都度手土産を持参するので、辞退しても方代は聞かなかった。かれは戦傷者年金を20数万貰っているので、心配いりませんという。それに姉が金に寛大なばかりか札をしばしば落っことしてくれるので、「心配してくれなくてもいいんじゃ」と言う。「おれは、このうちへ来る前の晩は胸がワクワクするんじゃ」とも言う。

札を落とすというのは畳の上に本当に落とすことで、姉は勿論すべて承知の上でのことである。この20歳年上の姉は遊芸が好きで、市の民謡や三味線の団体の会長や幹事をしていたというから、戦場で片目を失明した弟を不憫に思い、好きな歌の道で成功することを人一倍願っていたに違いない。

山崎方代は日常の言葉で飢餓感や人間の哀愁を巧みに表現したユニ−クな歌人であり、終生妻をめとらず、知人の庭の一隅に建てられたフレハブが終の棲家であることから、現代の「良寛」とも言われている

吉野秀雄は「山崎に一向むくいることが出来ないのが心苦しい。わしが死んだら、なんでも気にいったものを持っていってくれるようにと冀っている」と言っていた。