大人(たいじん)が子供にかえる話

 ある2月の晩のことである。数人の連中が麹町の里見とんの家で歓談しているうちに省線(現在のJR)がなくなる時刻になっていた。その上外は大雪だった。

 徳川夢声と渋沢秀雄は里見邸を辞した時、夢声が「僕のうちに泊まっていらっしゃい」と誘った。ところが時刻が遅いので省線も新宿までしかなかった。そこで二人は雪道を新宿から夢声の家のある荻窪まで歩いた。

 そうした突発事件が、二人はうれしくて、深い雪の中を省線の土手へ駆け上ったり、駆けおりたりして、小学生のごとく、またはチンコロのごとくハシャギまわった。

 やっとのことで夜中の3時ごろ夢声邸にたどりついた時、夢声夫人が熱い餅を焼いてくれた。その時の餅の美味しかったこと忘れられなかったと、後に渋沢秀雄は回想する。

 一方、夢声はその数日後渋沢秀雄に手紙で「先夜は愉快でした。誰も見ていなければ、私たちはすぐ子供みたいになれるという事実を改めて認識しました。、、、、、、」と認めてあった。昭和15年のことである。