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西洋美術史に興味のない方でも耳にしたことがある位、「ルネサンス」という言葉は
良く知られています。 美術史における「ルネサンス=再生」とは、「古代自然主義の復活」を意味します。 この時期、中世に確立された「キリスト教美術」の主題はそのままに、表現方法に 古代の技術を復活させ、さらに発展させていきました。 このような動きが美術界で起こった大きな要因に、「ドメニコ会」と「フランチェスコ会」 という二つの修道会の存在があります。 これらの修道会が起こる以前は、神の世界は現実の世界とは切り離された世界で、 畏敬の念を持って接するべき存在でした。 そこに、聖ドミニクスと聖フランチェスコ という二人の聖人があらわれ、キリスト教は本来もっと身近な存在であるべきだと いう意識改革を人々の間におこしました。 当時の美術界もその影響をうけ、それまで「人間の世界とは違う」世界として シンボリックに表現されていた教会の装飾も、徐々に人間の世界に近づいて いったのです。 その流れが大きく動き、はっきりと古代自然主義の復活が宣言されたのは、 「ジォット」の出現によります。
ルネサンスの幕開けは、パドヴァのスクロヴェーニ礼拝堂壁画(1003-05)の ジォットの作品で見られます。 それまでの教会の装飾は、金地の背景に、目の大きい威圧的な聖人達の硬直した姿が 平面的に描かれていたのが、ジォットの壁画では、生身の人間の姿を借りた聖人が 青空や三次元的な空間のなかに描かれています。 まさに、古代自然主義様式の復活です。 1319年にロレンツェッティ等によって描かれたと考えられているアッシジの 聖フランチェスコ教会の下院では、ジォットの様式がさらに発展して、 背景は想像の世界ではなく当時の街並みであったり、 世俗的な脇役を配置したりしてより現実の世界に近づいています。 さらに、夜のシーン(最後の晩餐など)は夜として描くなど、絵画の中に時間の 概念が盛り込まれるようになりました。 ところで、この時期、ビザンチン美術は完全に忘れ去られたわけではありません でした。 その流れを受け継いで、金地背景に優美に引き延ばされた身体を持つ愛らしい聖母子 像等を描いていた画家にシモーネマルティーニがいます。 シモーネのスタイルは当時のトスカーナ地方では時代遅れと受け取られていたため、 シモーネは活躍の場をアヴィニヨンに移し、そこから「国際ゴシック様式」として ヨーロッパにその様式を広めていきました。 14世紀半ばのペストの大流行によりトスカーナ地方の芸術活動は一時衰えますが、 1401年、フィレンツェ洗礼堂東門のレリーフのコンクールをきっかけに 再び盛り上がります。 このときは、ジォットのスタイルは100年前の古いスタイルで、流行ったのは むしろ「国際ゴシック様式」の方でした。その代表的な画家に、マゾリーノや ロレンツォ・モナコがいます。 そんな風潮の中で、今一度ジォットが復活させた「自然主義」こそがイタリア 独自のスタイルであるとして、それをさらに発展させた画家がマザッチョです。 マザッチョは、当時の最先端の異分野の技術を積極的にとりいれて、 短期間のうちにその様式をどんどん発展させていきました。 マザッチョの革新性は、「線遠近法(科学的遠近法)・リアルな人体表現(彫刻の影響) ・光の表現」の3点にあります。 ブルネレスキの科学的遠近法を絵画に応用することで、ジォットが経験的に用いていた 遠近法をさらに発展させ、あたかもそこにもう一つの空間があるかのような 奥行きを描くことに成功しました。 また、彫刻家ドナテルロの影響をうけ、より正確な人体表現をするようになりました。 一説には、生きている人間をモデルに描いていたのではないかとも言われています。 (ジォットは、モデルを使わずに決まったスタイルで人物を描いていました。) そして、光源を一点に定めて描くことで、自然な統一された雰囲気が画面全体に 広がるようになりました。 その他にも、より自然な背景や人物の表情に特徴がみられます。 マザッチョの出現により、ジォットが復活させた「自然主義」はより大きく発展 したと言えます。 マザッチョ以降の画家が力を入れたのは、屋外で展開する場面の表現でした。 なぜなら、線遠近法は建築物や屋内での空間表現にはすぐれた力を発揮しましたが、 屋外の風景にはうまく応用できなかったためです。 さらに、1430年代に入ると北方フランドルの影響も入ってきて複雑化して いきます。 技法的には、川・道などの蛇行するモチーフを利用したり、木や人などのモチーフを 大きさを変えて配置するなどが試みられていたのがわかります。 レオナルドは、ベロッキオの工房で修行中から優れた才能を発揮し、 ベロッキオ工房の作品・「キリスト洗礼」でレオナルドが描いたと言われる部分には すでにその天才がはっきりと現れています。 背景の風景には遠くの物ほどかすんで描かれる「空気遠近法」が使われ、 天使の表情にはレオナルド独特の「精神性」が見て取れます。 その後描いた「岩窟の聖母」は、揺るぎのない安定した「ピラミッド構図」 で描かれています。この構図は、ラファエロを初めとして、ルネサンスの多くの 画家に影響を与えました。 また、状況設定を「岩窟」にすることで、光の効果を十分に 利用してドラマチックに描くことに成功しています。この技法は、100年後の カラバッジォに影響を与えたと言われています。 レオナルドと同時期にイタリアで活躍した画家達に、ペルジーノ・ギルランダイオ・ ボッティチェリなどがいます。 ペルジーノ・ギルランダイオは線遠近法を駆使して、平面の中に広い3次元空間を 作り出すことに成功しました。 しかし、ボッティチェリは3次元空間を描くことよりは、愛らしい人体表現や 装飾的な画面構成を重要視していて、マザッチョカラの流れと言うよりは、 国際ゴシック様式の流れの延長線上にいるようなスタイルで描いています。 ジォット以来、ルネサンスの画家達が目指してきた「平面の中にもうひとつのリアルな空間 を作り出す。」という試みは、レオナルドの「最後の晩餐」とラファエロの「アテネの学堂」 で頂点を極めます。 この時期に活躍した代表的画家のひとりラファエロは、ペルジーノ工房の出身で、初期の頃はペルジーノの影響を 強く感じさせるいかにもルネッサンス的な作品を描いています。 そして、ラファエロは様々な巨匠達の影響を昇華して、自分のスタイルに取り込むことが うまい画家でした。 聖母子像に見られるピラミッド構造や肖像画のポーズなどには レオナルドの影響が見られます。また、ルネサンス様式から抜け出したスタイルで 描かれた「ヘリオドロスの間」からはミケランジェロの影響が読みとれます。 このころから、画家達はルネサンスで確立された様式から徐々に離れていきます。 |