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    落葉の踊

瀬音

さくら変奏曲

落葉の踊

私は7歳の時から古曲畑の先生にお習いしていたので、宮城曲は芸大に入るまで全然やって
いませんでした。

 落ち葉の踊は国立劇場で小橋先生が17弦を演奏なさった時に,初めてお聴きし、
17弦のカッコ良さに痺れました!
その後道雄先生のレコードをお聴きし、切 り込んでいくような筝 にも痺ました。以来大好きな曲であり、
あこがれの曲になりました。
海外の演奏にも良く取り上げ、お筝を担当したり、17弦を担当したりしましたが、なかなか気に入る
演奏にはなりません。
最近気がついたのですが宮城曲は途方もなく難しい気がする!!

瀬音

この曲は初めて本格的に演奏会でお筝を弾かせて頂いた宮城曲です。

 私は芸大に入り、小橋先生に入門して 、その翌年のお正月の放送関係の新年パーティーで 
,小橋先生が筝をお弾きになる曲の17弦(4曲)を弾かされました!この恐怖は、
演奏者の方ならわかっていただけると思うのですが、
17弦を弾いたことのない私が,3週間で「桜変奏曲」「君が代変奏曲」「今日の喜び」「瀬音」を
初見から暗譜までやらなければいけなかったのです!!!
 その後1年ほど経って私が,演奏会で瀬音を弾く事になったのですが、その時の小橋先生の迫力が
耳にしっかり残っていて、その演奏に近づく為に、文字どうり血の滲むような練習をしました。
その演奏が終わったとき小橋先生に「貴方の音色は瀬音に合うわね」とおっしゃって頂いた時の
嬉しさ!!!!ヤッホーーー

さくら変奏曲

この曲は私が初めて本格的にお習いした宮城曲です。昔は中々教えて頂けない曲で
「今度は桜変奏曲を持っていらっしゃいと」言われると皆大張り切りしました。
私も、ものすごいテンションで練習して意気揚々と持っていきました。
最後までお聴きになった後(最後まで何にも言われない不気味さ!)
「全く弾けてないわね!!!
私が帰ってくるまで(翌日から1週間ローマにいらっしゃるご予定でした)
1日中弾いてなさい!」と言われ、1日中の意味が解らないので、食事もメロンパンを
横に置いて弾き続けました。7分ぐらいの曲を1日弾いていると、気持ちは辛くないのに
涙が止まらなくなります。
帰っていらっしゃってすぐに「桜を持っていらっしゃいと言われました」
考える気力もなく、(又最後まで何も言われず)弾き終えました。
「よろしい。」と言われた私のポカンな感じ分ってもらえます!

冬の曲 さて冬の曲の思い出をかきます。芸大に入ってすぐに、私は先生の
レコーディングや放送の為の練習代にして頂きました。(今から思いますと
私なぞはぜんぜん必要ではないのにお教え下さるために呼んで頂いたのだと思います。
芸大の規則で芸大に行っているときは学外で師事してはいけないことになっていましたから)ある日−冬の曲の替手ーと言って頂き
芸大を休んで朝から食事もしないで弾き詰めていました。夜の8時ごろ先生から
ご連絡がありいらっしゃいと言うことで、先生のお宅に伺いました。練習代にさせて
頂くときはいつもそうですが、空気が耐えられないほどにぴんと張り詰めています。
そこで合奏して頂いたのですが、ものすごいハモッタ音が聞こえてきて気が
遠くなりそうでした。
汗だくで終わりお琴を片付けていましたら、先生が「練習しなくてもいいといったけど、
1度ぐらいは見といてね」と軽くおっしゃいました・・・・!!!!
私のショックはお解かりいただけると思います
次の日からの私の練習をご想像下さい・・・・!!!!!!!
皆さんにもお解かりになると思いますが、
これが小橋先生のなんともいえない教えなのです
そのことに気づいたのは20年ぐらいたってからでしたが・・
このときの先生を思い出すと、懐かしさと有難さに涙が出そうになります。
2005年5月記

狐会(こんかい) 私が狐会(こんかい)という曲を初めて聴いたのは芸大4年の時です。
信州上田の芸大の先輩である佐藤孝子さんのリサイタルに小橋先生とともに
招かれた時のことです。
お料理屋さんの二階にある小さな舞台で芸大出身の
2人の先輩が三弦で先生お一人のお筝での演奏でした。
始めてお聴きしたのですが,
私は狐が山野を駆け巡るのを見たような気がしました。
この時お筝という楽器が、どんな楽器よりも、リアルに情景を物語れる
可能性をもっている!
ということを知りました。すばらしい体験でした。
その後何回もトライしましたが、やっと少し納得のいく演奏が
できるようになってから狐会(こんかい)を演奏しょうとすると
悪いことがおきるようになりました。
原因不明の1月にわたる微熱
右手の人差し指を5針縫うほどコップで切る
右足首を骨折する等・・・
そうしている時に小橋先生から宮城道雄先生は 狐会を弾くと
必ず何かよくない事が起きるので弾くのをお止めになったというお話をお聞きして
あまりに不気味で大好きな曲でありながら演奏することができなくなりました。
(ちなみに小橋先生にはなーにもないわよ!!ということです・・・・・?)

筝の手付は宮城道雄先生です。

春の夜
小橋先生の春の夜をはじめてお聴きしたのは
 出光石油の赤坂寮でした
大会社出光の会長でいらした出光敬介様は
 尺八を大学のときから
たしなまれ合奏のお相手にな・な・なんと小橋先生を
お頼みになっていたのです。
私は 第一回目からお供しいろんな曲を 小橋先生と
弾かせていただきました。
この恐怖と興奮をお察しください!!!
さてある日先生と往年のトップ女優千葉早智子さんが 
春の夜をお相手されたのです・
時はおりしも春
歌舞伎役者の別荘を買い取ったといわれる 赤坂寮は
満開の桜がハラハラと散りはじめていました。
土井晩翠の歌で
あるじはたそや しらうめの かほりにむせぶ春の夜は朧の月を
たよりにて、しのび聞きけん妻琴が・・・・・・・

なんと心のこもった演奏 だったことでしょう 
土井晩翠の心と 宮城道雄の願いと 小橋先生 千葉早智子さんの
曲に寄せられる
共感が一度に迫ってきて
やはり涙の止まらない演奏でした

みだれ 私が最初にものすごく感動したのは 「みだれ」です。
それは 昔の日活の砧撮影所での高橋英樹主演「花と龍」のタイトル及び
本編に流れる曲の録音でした。
今から30年以上前の話です。わたしは19でまだ東京に来たばかりの頃です。
撮影所といわれてかなり興奮してお供して行きました。
助演の山本陽子さんも 挨拶に見え 思ったより うんと汚い 撮影所で
スタッフを除くと私一人エンジニアルームにいる状態で録音が始まりました!!!!
私は関西に(大阪・京都)いる時から洋楽が好きでワイセンベルグ・アイザックスターン
アシュケナージなど評判になっている人の演奏会はかなり行っていましたが、
この日の みだれの出だしのようなダイナミックな音楽は初めてでした。
それからその音がさらに さらに迫力を増していき知らないうちに涙が
出て止まりませんでした。
感動してあんなに涙が出たのは初めてでした。
それから私は事ある毎に そのみだれを目指して 演奏していますが
足元にも辿り着けません。
技術もさる事ながら あの演奏は小橋先生の 途方もない人間的スケールの
せいだと今では 納得しています。
けれども私も演奏を続けるかぎりあの みだれ を目指そうと思っています。

小橋幹子先生ご経歴:
岡山県矢掛町出身。幼少より生田流筝曲を習得。

1928年 上京。宮城道雄に入門。日本女子大国文学部入学。

1932年 同校卒業

1933年 東京音楽学校(現、東京芸術大学)筝曲科、ピアノ科、作曲科終了

1934年ー1978年まで、43年間同校にて教官として勤務。
上記のプロフィールはある演奏会に先生御自身がお書きになったものですが、
この簡単なご経歴では 当然ながら とても語り尽くせません。
小橋先生のような偉大な方はお側にいた人間ひとりひとり自分だけのその方が
住んでいるのではないでしょううか?
私は1965年から芸大入学と同時に先生がお住まいになっていた芸大の先輩の大橋
さん宅 の離れに下宿(先生のご推薦により)いたしました。
それから先生とは インターホン仲間 夜食仲間になったのです!!!
そんなに近くにあれほど偉大な方とほとんど毎日お会いし夜食までご一緒していたというのに、
私は少しも堅苦しく思わず 大好きな先生と御一緒にいられてウキウキの毎日でした。
先生の 演奏のお有りになる日は どこにでも御一緒させていただきました。
本当にエキサイティングな毎日でした。
その先生との 35年以上になった色々な思い出が近頃しきりに思い出されて
皆様にも お聞き頂き 私の記念としても書いてみようと思い立ちました。
形式としまして 私が 先生のご演奏をきいてどれほどのショックを受けたかと
言うことを 曲別に書いていきたいと思います。
ご期待ください!!!!!!!
2001年2月記