規約全面改定における放棄と堅持

 

(宮地作成)

〔目次〕

   1放棄と堅持  2矛盾  3、不整合路線の背景

 

(関連ファイル)                健一MENUに戻る

    「削除・隠蔽」による「堅持」作戦   

 

 1放棄と堅持

2000年11月、共産党は第22回大会を開き、「新・規約」「大会決議」を決定しました。問題となったのは、()党名、()綱領、()規約です。それらの放棄と堅持の状況を検討します。

 

「新・規約」での放棄と堅持

規約

放棄部分

堅持部分

党名

日本共産党であり、かつ前衛党

2つは、同義語で、不可分一体

前衛党のみ

削除

共産党のみ

堅持

綱領

反帝反独占の民主主義革命から社会主義革命へ、さらに共産主義社会

(放棄せず)

堅持

プロレタリア独裁理論を「執政」「執権」に訳語変更⇒「労働者階級の権力」に変更⇒綱領から削除したが、その理論は堅持

(放棄せず)

堅持

「敵の出方論」という暴力革命路線の一種を堅持(綱領では明示せず)

(放棄せず)

堅持

規約

民主集中制

(放棄せず)

堅持

分派禁止規定

(放棄せず)

堅持

民主主義的中央集権制の4つのシステム実態(宮地の分析)

(放棄せず)

堅持

5つの柱と定式化

規約前文()から()

削除

前衛政党、大衆的前衛党

削除

「民主主義的中央集権制」という正式用語

削除

もっとも先進的な組織

削除

みちびくことをみずからの責務

(共産党・前衛党は指導政党の意味)

削除

反帝反独占の民主主義革命から社会主義革命へ、さらに共産主義社会

削除

(綱領と矛盾)

マルクス、エンゲルス、レーニン

削除

(綱領と矛盾)

階級闘争

削除

(綱領と矛盾)

日本革命、党の革命的伝統

削除

(綱領と矛盾)

規約条文

74条項

⇒57条項

党員の義務と権利

⇒党員の権利と義務に順序変え

 

 民主主義的中央集権制の4つのシステムとは、私(宮地)『ゆううつなる党派』で、その運用実態を詳細に分析したものです。「新・規約」の第三条民主集中制・5つの柱は、従来と基本的変化はありません。『5つの柱』と『4つのシステム』とを比較検討していただければ幸いです。個々の条文における放棄と堅持については、この文では検討しません。

 

 2、矛盾

 共産党の発表によれば、「革命綱領を今大会では改定しない」「規約にある革命用語は『前衛政党』を含めすべて削除する」、しかし「民主集中制は堅持する」としました。それにより、ここには3つの矛盾が露呈します。党名、綱領、規約の関係が、これほど不整合になった政党は、日本政党史上初めてでしょう。

 

 第一、党名の矛盾

 マルクスは、『フランスの内乱』において、『前衛』という言葉を使いました。ただ、『共産党宣言』を書きましたが、『前衛』という政党名を使いませんでした。レーニンの政党は、ロシア社会民主労働党、ボリシェヴィキから、ロシア共産党(ボリシェヴィキ)と政党名が変わりました。レーニンは、同時に政党の性格として、それを『労働者階級の前衛部隊』『前衛政党』と規定してきました。したがって、レーニン以降、世界中の『コミンテルン型共産党』は、同時にすべて『前衛政党』であり、この2つは、まったくの同義語であり、かつ、不可分一体のものです。

 

 厳密に言えば、『共産党』『労働者党』『統一労働者党』は党名です。ただ、『共産党』以外の政党名は、東欧、北朝鮮など第二次大戦末期に、ソ連軍の戦車の下で、ソ連の衛星国型社会主義が作られたとき、スターリンの指令により、従来の共産党と他政党を強引に統一させた、または共産党側が吸収併合した一党独裁国前衛党の党名です。資本主義国におけるコミンテルン参加政党はほとんどが、その党名は『共産党』であり、政党の性格は『前衛党』でした。

 

 それでは、『前衛党』とは、どういう性格なのでしょうか。それは、まず『労働者階級の指導政党』です。なぜ『指導政党』と言い切れるのか。なぜなら、それは、『真理の唯一の認識者、体現者であり、したがって実践における無謬者』となるからです。『真理の唯一の認識者』とは、レーニンが『なにをなすべきか』で展開した「革命理論の外部注入論」によっています。レーニンは、労働者階級の自然発生的運動の限界を一面的に強調し、革命理論はインテリゲンチャ革命家や職業革命家などにより、労働者に外部、上部から持ち込まなければならないと断定しました。『唯一の』とは、前衛党以外の他政党は、真理を認識も体現もできないとする、驚くべき、傲慢かつ排他的な政党理念です。そこから、必然的に『一国一前衛党論』が生まれました。その内容は、一国には、真理を認識でき、労働者階級と革命を指導する政党は一つしか存在できない、『複数前衛党』はありえないとするものです。これは、世界のすべてのコミンテルン型共産党がもつ基本的政党理念です。宮本氏も今まで、これを繰り返し、声高に主張していました。ただし、この性格規定は、第三者、他政党が誰も認めていないのに、共産党だけが勝手に自己規定していたものです。これほどうぬぼれた、エリート意識剥き出しの自己規定をする政党は、世界でも、日本でも見当たりません。ただ、私(宮地)も、除名になるまで、民青・共産党専従を15年間もしていたわけですから、その間この前衛党理論を“信仰”していたのです。

 

 今回の規約改定による『前衛政党』削除の一方で、『共産党』党名を堅持するのは、その歴史的経緯と両者の関連性からみて、まったく不整合です。党名と政党の性格という不可分一体のもののうち、一方だけ引き剥がして放棄するなどは、論理的に成立しません。しかも、不破氏は『大衆的な前衛党』という本まで出版し、つい先日まで「赤旗」だけでなく、「ブル新」でも大々的に宣伝していました。

 

 改定報告で、不破氏は、『前衛政党』規定について、次の2つを強調しています。(1)『マルクス、エンゲルスも「前衛」という言葉はいっさい使いませんでした』、(2)『「前衛党」という言葉の核心は、理論的には先見性』としました。ここには、3つの欺瞞があります。第一、マルクスは『フランスの内乱』で、はっきりと“『前衛』という言葉”を使っています。この(1)の内容は、“真っ赤なウソ”です。それについては、火河渡『実証・不破哲三の嘘:“前衛”規定をめぐる歴史の偽造』が論証しています。第二、そこでは、『前衛党』の名付け親であり、上記の性格規定づけをしたレーニンについて、一言も触れていません。第三、しかも、「先見性」のなかったことは、10の一党独裁国前衛党の崩壊によって完璧に証明されたのに、11年後になってもそれを認めず、「先見性」をぬけぬけと強調する態度は見上げたものです。「前衛党」という言葉のもつ、うぬぼれた、独善的内容を、これほどすりかえて、隠蔽しつつ、削除するやり方は、さすが詭弁家・不破氏でなくてはできないような欺瞞的手口です。

 

 第二、綱領と規約との絶対的矛盾

 1961年では、社会主義世界体制が全盛時代で、プロレタリア独裁理論は絶対正しいとされていました。そして、14の一党独裁国型社会とその前衛党を理想、目標として、上記表の内容で、「61年革命綱領」が、第8回大会で決定されました。階級闘争、二段階革命路線の綱領と一体となった組織システムが現行規約でした。そこには、革命路線と革命政党システムとの間で不整合はありません。

 

 今回の改定は、規約前文削除、条文全面改定で、「資本主義体制転覆」をめざす革命政党イメージを規約から抹殺し、まず段階的に規約から政党イメージを変えようとする意図によるものです。マスコミが名付けた不破氏一人の個人的ニックネームだけでなく、政党全体の対有権者イメージをSmiling Communist Partyに変質させようとするものです。ただし、それは、綱領路線との間に、おそるべき不整合を発生させます。

 

 記者会見で、不破氏は『綱領の見直しもやがては日程にのぼるでしょう』と発言しました。また、9月22日、朝日新聞インタビューでも『規約でやったようなことを綱領でもやる必要があるという認識では、幹部会も中央委員会も一致している』と述べました。それなら、規約だけでなく、綱領もこの第22回大会で、全面改定すべきでしょう。今大会では、綱領の改定が間に合わないのなら、次回の第23回大会で、綱領、規約を同時に改定すれば、このような不整合は起きません。それにもかかわらず、このような不整合をさらけ出すという二段階的作戦をあえてとる意図はどこにあるのでしょう。2000年総選挙での敗北を、2001年7月参院選挙で挽回するための革命路線カムフラージュと票集め柔軟路線にしては、“頭かくして尻かくさず”式の、あまりにも稚拙な、矛盾むきだし作戦です。2001年7月参院選挙で、連続惨敗したら、民主主義的中央集権制による党内横断的交流禁止システム(分派禁止規定)が破綻し、不破・志位党官僚体制下の党内統制が内部爆発によって、東欧革命時のように劇的崩壊してしまう恐怖に怯えているのでしょうか。革命綱領を早期全面改定するとしても、次回党大会は、早くても2、3年後です。その間におけるこの不整合路線による党内外での得失、および、2001年7月参院選挙をこの不整合でたたかうことによる対有権者への得失についての不破・志位氏の “皮算用”ははたして当るかどうかです。

 

 第三、規約それ自体の矛盾

 規約前文にある「前衛政党」「反帝反独占の民主主義革命から社会主義革命へ、さらに共産主義社会へ」「階級闘争」などは、レーニン主義的革命路線の用語です。その革命用語は、民主主義的中央集権制、分派禁止という「レーニン型前衛党=コミンテルン型共産党」用語と不可分一体のものでした。

 

 今回は、革命路線用語を規約から全面削除しながら、レーニン主義型組織原則を何一つ放棄せずに、堅持しています。改定規約において、革命用語を削除するが、革命組織原則は堅持するという、これまた驚くべき不整合をさらけ出しています。民主主義的中央集権制とは、『なぜ民主集中制の擁護か』で分析しましたが、ロシア・ナロードニキの「裏切り者死刑」などの絶対的中央集権制に、レーニンが「報告制、選挙制」などの民主主義的要素を付加したもので、暴力革命・武装蜂起路線における軍隊的規律としての『民主主義的』・『中央集権制』でした。その路線時点では、この組織原則は必要性がありました。この軍事集権的組織原則を堅持しているのは、今や世界で、中国、ベトナム、北朝鮮、キューバの一党独裁国前衛党以外では、ポルトガル共産党と日本共産党だけです。ヨーロッパの資本主義国共産党は、ポルトガルをのぞいて、民主主義的中央集権制と分派禁止規定は、党の統一を保持し、党中央統制を強化するには役立ったが、その一方で党内民主主義を抑圧、破壊する、誤った組織原則であった、としてすべて放棄しています。この誤った、反民主主義的な組織原則堅持を表明することで、日本共産党は、中国共産党、朝鮮労働党と同質の、批判者・異論者抑圧、他政党結成を許さない革命独裁政党の本質をもつという“共産党宣言”を2000年に、誇り高く再公表したのです。もっとも、「敵の出方論」という暴力革命路線の一種を放棄しておらず、ひそかに堅持しているので、この軍事規律は手放せないともいえます。「敵の出方論」については、『5つの選択肢』の「第5選択肢」で詳細に分析しました。

 

 その一方で、欺瞞的変更をしています。旧規約は、前文()『民主集中制(民主主義的中央集権制)』と併記していました。ところが、「新・規約」では『民主集中制を組織の原則とする』として、本来のレーニン主義前衛党正式用語である『民主主義的中央集権制』をひそやかに削除しました。『民主集中制』という日本共産党式略語は、2つの意味を持っています。一つは、本来のレーニン主義的『民主主義的中央集権制』の意味内容です。もう一つは、軍事集権的規律の性格を隠蔽して、“民主と集中の統一”であり、どの政党も保有する、常識的な組織原則と強弁する内容です。宮本、不破、志位氏らは、従来からこの二面性を詭弁的に使い分けていました。しかし、「5つの柱」内容を見ると、その二面性を堅持したままで、表面上は前衛党正式用語だけを削除しています。不破、志位氏らの隠蔽・欺瞞策略の腕前も、14の一党独裁国前衛党最高指導者なみに、上達してきました。この詭弁的使い分けにたいしては、水田洋氏『民主集中制』で批判しています。

 

 3、不整合路線の背景

 この背景には、総選挙惨敗ショックと、歯止めのきかない党勢減退へのあせりがあります。共産党の建前上の方針は、宣伝を先行させて、大衆闘争と党勢独自拡大の二本足の活動をし、総選挙・参院選挙・統一地方選挙ではそれを最重点で取り組み、「人民的議会主義」を遂行する、というものです。しかし、三百数十地区常任委員会・そこにいる二千数百人専従と26000支部との指導被指導・点検関係は、建前とはまったく異なっています。その関係の実態として、地区専従は、支部にたいして、大衆闘争・大衆組織指導をまったくしません。それを聞く耳を持っていません。なぜなら、党中央、県委員会による点検でそれらを指導する時間的余裕がないからです。したがって、この2、30年間、三百数十地区常任委員会で、地区全体や各支部における大衆闘争問題が討議されることはほとんどありませんでした。党中央常任幹部会による県点検・追及、県常任委員会による地区点検・追及、地区常任委員会による支部指導は、民主主義的中央集権制の上意下達でまったく同じスタイルで行われます。課題の重点は、(1)HN拡大目標、成果数、点検と、(2)ビラまき、票よみ、というきわめて偏った数字追求です。これら矮小化された2つの数字的党活動の結果が、機関紙HN連続減退、選挙惨敗結果となりました。そこで、不破・志位氏は、表面上は『未曾有の反共謀略ビラのため負けた』と言いつくろいつつ、内心では、あせらざるをえません。ただ、選挙で敗北したら、外部または下級機関・支部活動に敗因をなすりつけて、常任幹部会としての責任を回避する弁法は、宮本・不破氏が確立した“革命的伝統”ですから、いつものことで、驚くにはあたりません。

 

)、総選挙惨敗結果

 

1996年総選挙

2000年総選挙

増減

 小選挙区議席

−2

比例区議席

24

20

−4

議席合計

26

20

−6

  小選挙区得票数

727万票

735万票

+7万票

得票率

13.08%

12.08%

−1.00%

絶対得票率

7.44%

7.35%

−0.09%

 比例区得票数

710万票

663万票

−43万票

得票率

12.55%

11.23%

−1.32%

絶対得票率

7.27%

6.63%

−0.64%

議案提案権

21以上で有

21にとどかず

議案提案権喪失

 

 この増減指標において、小選挙区得票数だけが、7万票増えました。しかし、全選挙区に立候補させた共産党小選挙区得票数735万票は、議席0/300のため、100%死票になりました。1970年から2000年までの数値は、『日本共産党の総選挙、参院選挙結果のデータ分析』にあります。

 

 共産党および学者党員が主張する敗因は、正しいのでしょうか。

 第一、反共謀略ビラ60数種類、1億数千万枚が、この惨敗結果に直結したかどうかです。ビラ内容は、1976年のスパイ査問事件問題での「袴田訊問調書」全文公表のような、目新しいものは何もありませんでした。『前衛2000年9月号』の「反共謀略作戦の全容」論文は、それを9ページにわたり分析しています。しかし、その内容は、すべて従来から使い古された反共攻撃内容ばかりでした。有権者の40%をこえる無党派層は、従来型の反共宣伝内容に“初体験”ではありません。そこには、規模だけは大きくとも、無党派層がそれを読むことによって、共産党支持だったのをやめるほどのインパクトのある内容は、ほとんどありませんでした。

 

 第二、『比例区が200から180に20議席減ったから、野党共産党の議席が減った』という理屈は成立しません。なぜなら、野党の社民党、自由党が議席を増やしているからです。

 

 第三、『政権選択選挙になったので、無党派層が共産党支持から、野党第一党の民主党支持に流れた』とする理屈も、同じ理由で成立しません。

 2000年総選挙において、与党の自公保3党議席はすべて激減しました。それにもかかわらず、野党の中では、共産党だけが一人負けの惨敗結果となりました。

 

)、歯止めのきかない党勢減退

 党勢の全面的減退データは、『5つの選択肢』の「内部矛盾表面化」にあります。ここでは、機関紙HNの状況だけ見ます。機関紙部数のピークは、1980年でした。その前後の分析は、『日本共産党の党勢力』でしました。以下の表は、そのピーク以降の20年間のものです。

 

80

82

85

87

90

94

97

2000.9

大会

15

16

17

18

19

20

21

(22)

HN

355

308

338

300数十

286

250

230

197

内H

54

50

40

35

内N

232

200

190

162

 

 表は、すべて共産党公表の部数(万部)です。197万部という数字は、2000年9月20日決定の『第22回大会決議』に載ったものです。2000年9月、7中総時点では、この20年間で、最高時の355万部から、158万部減り、減紙率44.5%になっています。

 2000年11月、第22回大会で、志位氏は、HN199万部と報告しました。

 

 1989年東欧革命、1991年ソ連崩壊から現在までの、10年間ではどうでしょう。1990年の第19回大会を基準値にします。(1)H(「赤旗」日刊紙=赤旗本紙のH)54万部から、19万部減り、10年間での減紙率35%、(2)N(「赤旗」日曜版のN)232万部から、70万部減り、減紙率30%、(3)HN(HとNの合計部数)286万部から、89万部減り、減紙率31%です。HN「赤旗」読者は、日本共産党のもっとも強固な支持者であり、『1N2票』と計算できる“組織票”と見られていました。しかし、東欧革命以降の10年間で、HとN読者のいずれもの、ほぼ三分の一が、共産党に“愛想をつかし”て、離れていったのです。

 

 総選挙惨敗と歯止めのきかない党勢減退の基本原因はどこにあるのでしょうか。それは、東欧革命以後、『あれは革命ではない』『ソ連崩壊をもろてをあげて歓迎する』として、10カ国前衛党の崩壊原因を真剣に研究、討論してこなかった“ツケ”がきたのです。ルーマニア崩壊時点では、そこを2回訪問し、チャウシェスク賛美、ルーマニア社会主義賛美をした宮本氏は、『当時の賛美は正しかった』『秘密警察セクリターテ、同族支配実態を知らなかった』と真っ赤なウソをつき通しました。現在の不破・志位体制も、“宮本氏の「ウソ」は「真実」である”とする立場をとっています。そして、その傲慢、ウソ、かつ独善的態度の下で、10年前に破綻が明らかになった、時代錯誤的な「二段階革命路線綱領」を堅持し続け、党内での批判者、異論者排除の反民主主義的・閉鎖的な「民主主義的中央集権制」の党体質を継続してきたことにあります。これらの基本原因に深くメスを入れ、病巣を取り除く“総括作業”をしないままで、不整合路線を提起した、矛盾だらけの『規約改定案』『党大会決議案』になっています。

 

 総選挙惨敗からの教訓の学び方、20年間におよぶ歯止めのきかない党勢減退原因のとらえ方、それへの対応策が、このような不整合を剥き出しにした『7中総』になったことを何と規定したらよいのでしょう。そこには、2つの見方があります。

 一つは、日本における前衛党崩壊過程が、ヨーロッパに続いて、いよいよ始まった、とする見方です。

 私は、残存する4つの一党独裁国前衛党が、20XX年の早い時期までに崩壊すると確信しています。そのうち、朝鮮労働党は、金正日・世襲個人独裁の裏側深部で、崩壊のカウントダウンが始まっています。今回の不破・志位氏による二段階式の路線転換作戦を見ると、(1)何か1989年東欧革命から1991年ソ連崩壊にいたる、一党独裁国前衛党が10カ国で内部崩壊していった数年間にわたる過程、および、(2)ヨーロッパでポルトガル以外の資本主義国前衛党がすべて民主主義的中央集権制・分派禁止規定を放棄していった過程を、その10年後に、日本で、リアルタイムで見るような、複雑な気持ちになります。

 

 もう一つは、「資本主義枠内の改良」主義政党に、総括をしないままで、なしくずし的に脱皮するという、世界の前衛党史上初の“軟着陸=ソフトランディング”実験に成功するかもしれない、とする見方です。

 イタリア共産党の場合は、マルクス・レーニン主義理論の誤り、それに基づく、それまでの革命路線の誤りと時代錯誤性、民主主義的中央集権制・分派禁止規定の功罪を明確に総括、公表した上で、「強力な改良路線綱領」と「イタリア左翼民主党規約」を提起して、公然と大転換しました。

 

 今回の日本共産党のケースは、どうなるでしょうか。戦前の13年間において、「資本主義体制の暴力的転覆、天皇制打倒」を目指し、イタリアと同じく、コミンテルン型共産党日本支部でした。1961年、「革命綱領」を決定しました。1991年、『ソ連崩壊、ソ連共産党崩壊をもろてをあげて歓迎』しました。1996年以降、まず総選挙、参院選挙での『柔軟路線』による最初の脱皮を試みました。2000年、二段階式の路線転換作戦によって、なしくずし的に、レーニン主義型組織原則の功罪、革命路線の誤り、時代錯誤性について、なんの総括もしないままで、実質大転換サバイバル作戦を進めようとしています。この進行過程は、『5つの選択肢』の「第一選択肢」で書きました。

 

 そのいずれになるかは、現党員の受け止め方と対中央行動によります。現在、(1)党中央公表在籍党員は38万人です。(2)そのうち、党費納入率72%で、党費納入党員は、27万人います。72%の算出根拠は、『日本共産党の党勢力』にあります。(3)前回第21回大会向けての、大会前2カ月間における「大会決議案」討議の支部会議、地区説明会参加者は、40%でした。今回、同じ比率なら16万人前後になります。(4)26000支部の支部指導部LCクラスは10万人います。

 

 これらの党員のうち、どれだけが、党内だけでなく、『レーニン「分派禁止規定」の誤り』、その他を主張して、インターネットやその掲示板など党外でも、公然とした討論を展開するかどうかです。JCPウオッチ!〜「日本共産党」を考えるや、『さざ波通信』では、7中総直後から、連日活発な討論が展開されています。

 

 それとも、水田洋氏のいう「思考停止人間」になって、『党中央決定は、すべて正しい』という“信仰”のもとに、段階的路線転換作戦を全面支持し、いつものように「満場一致の党大会」を成功させるかです。「満場一致型の党大会」「満場いっせいの笑い・拍手大会」づくりの大会代議員選出システム=任命システムについては、『ゆううつなる党派』で分析しました。

以上

 

(関連ファイル)            健一MENUに戻る

   「削除・隠蔽」による「堅持」作戦