不破分派星雲と志位分派星雲の発生と衝突?

 

不確かな代々木ビル内のトップ分派情報と行方

 

06年1月議長引退後も続く不破個人特権、党本部専従遅配発生への不満・怒り

 

(宮地作成)

 〔目次〕

   1、分派星雲発生の第4次レベル情報とその信憑性 (表1)

   2、代々木党本部における「宮廷革命史」の検証 (表2〜4)

   3、党本部新築88億円ビルからの複数ルート情報 (表5)

   4、トップ分派星雲発生と衝突の客観条件 (表6〜8)

   5、星雲衝突による4つの結果展望と専従800人の選択肢

   6、おわりに(追加)

 

 〔関連ファイル〕         健一MENUに戻る

     『不破哲三の宮本顕治批判』〔秘密報告〕日本共産党の逆旋回と4連続粛清事件

     『不破哲三の第2回・宮本顕治批判』〔秘密報告〕宮本秘書団を中核とする私的分派

     『「戦後革命論争史」に関する不破哲三「自己批判書」』

     『綱領全面改定における不破哲三の四面相』

     山椒魚『不破哲三の資本論「研究」と中国「賛美」の老害ぶり』

 

     『志位和夫の3中総「党勢拡大は最大の弱点」報告』

     『志位和夫「党員5カ年計画」の欺瞞性と空想性』党費納入による党員数の三重帳簿実態

     『筆坂秀世「日本共産党」出版をめぐる動向』筆坂証言における不破・志位の対立

     『筆坂秀世「政治的暗殺事件」とその謎とき仮説』代々木ビル内800人の動向

     『第24回大会決議・中央委報告における15の真相データ』分派発生と衝突の客観条件

 

 1、分派星雲発生の第4次レベル情報とその信憑性

 

 このファイルを見る人は、まず眉唾をつけてから読んでいただきたい。情報源を明かすことができないという意味での不確かな情報だからである。複数ルートからの情報源を漏らせば、その党本部専従は、瞬時に査問・除名になる。よって、情報提供者が特定されないよう、あいまいな書き方にせざるをえない。「星雲状況」とは、宮本顕治・不破哲三・上田耕一郎・下司・諏訪ら常任幹部会員が、1972年新日和見主義分派事件で付けた、でっち上げ分派状況を示す日本語である。もっとも、このファイルの「2つの星雲」が、まるで根拠のないガセネタ・でっち上げかどうかは、読む人の判断にまかせる。

 

 この情報源は複数ある。()不破分派星雲、()志位分派星雲、()代々木新築88億円ビル内の党本部専従800人の中間派である。800人という根拠は、党中央広報部が、1998年、朝日新聞に公表した1000人、その後、中日新聞に発表した800人データに基づいている。「分派星雲」という意味は、レーニンが規定したような分派規定になっていない、それぞれの綱領・組織をいまだ形成していない漠然としたレベルにある状態を指す。()中間派は一つでなく、さまざまなグループが出来つつある。

 

 ()不破分派星雲、()志位分派星雲の発生と衝突という代々木情報は、次第に、その正確度がエスカレートしてきている。

 

 〔小目次〕

   〔第1次レベル情報〕、高橋彦博法政大学教授からの代々木情報

   〔第2次レベル情報〕、社会科学研究所所員からの臨時党大会情報と中止

   〔第3次レベル情報〕、筆坂秀世『日本共産党』出版による不破・志位対立の証言 (表1)

   〔第4次レベル情報〕、不破分派星雲と志位分派星雲の発生?

 

 〔第1次レベル情報〕、高橋彦博法政大学教授からの代々木情報

 

 1998年、高橋教授から私に提供があった情報である。彼は、党中央幹部からの極秘ニュースとして、次のように言った。党本部内で、不破哲三と志位和夫との意見対立が発生している。それは、民主集中制の堅持緩和→放棄、その他の問題をめぐる対立である。志位は、緩和→放棄を主張したが、常任幹部会内で抑圧・無視され、馬鹿にされた。この時期は、脳梗塞2回の宮本顕治議長88歳にたいし、不破哲三委員長が5カ月間をかけて、引退を強要した1997年第21回大会の一年後である。

 

 〔第2次レベル情報〕、社会科学研究所所員からの臨時党大会情報と中止

 

 2001年、これはメールで送られてきたし、別ルートの口頭でもあった。2000年11月第22回大会は、42年ぶりの規約全面改訂をした。不破哲三らは、規約だけでなく、綱領の全面改訂を連続して強行するために、臨時党大会を同一代議員のままで、2001年7月参院選前に開催する準備を秘密裏にしている。不破綱領の草案はすでに完成している。社会科学研究所がその作業の中心になってきた。これは問題だ、とする内容だった。

 

 私は、メール送信者と口頭通信者の了解を得て、人物特定・査問をされないように、文言をぼかし、HPでその情報を暴露した。多くの党員が憤激し、掲示板で批判を展開した。雑誌も取り上げて、問題化した。この情報は真実だったので、不破グループは慌てふためいた。社会科学研究所からの発信と書いても危なくないかと問い合わせをしたが、当時は、宮本党史『日本共産党の七〇年』(1994年)作成の影響で所員が10人前後いるので、いいということだった。

 

 不破らは、真っ青になりつつも、所員全員を査問した。しかし、「党外にもちだした」規律違反者を摘発できなかった。私も一安心をした。しかし、不破哲三は、宮本顕治と同じレベルで報復心が強い。彼は、「疑わしきは罰する」というレーニン型前衛党作法で、不破への絶対忠誠派一人を除いて、全員を左遷・配置転換で報復した。臨時党大会の策謀は、党内外で大問題になってしまったので、不破グループは涙を飲んで、その日程を中止・放棄した。

 

 メール送信者と別の口頭通信者は、党本部専従800人の中で、不破グループにたいする明白な批判者、または、批判グループが発生していた事実を証明する。ただ、志位和夫が、この問題の裏側で絡んでいたのかどうかは不明である。経過の詳細については、別ファイルで分析した。

 

    『「綱領改定」第23回臨時党大会を2001年7月前開催』極秘情報

    『参院選前の「綱領全面改定」は規定方針か?』メール情報

 

 〔第3次レベル情報〕、筆坂秀世『日本共産党』出版による不破・志位対立の証言

 

 2006年4月、筆坂秀世『日本共産党』(新潮新書)が出版された。彼は、1997年9月第21回大会において、常任幹部会員19人に選ばれた。2003年6月、セクハラ問題によって、機関罷免処分を受け、参議院議員の辞職をさせられた。それまで、5年9カ月間、常任幹部会員だった。常任幹部会内部における不破・志位の対立証言は、伝聞でなく、直接体験なので、きわめてリアルで、信憑性が高い。その性質は、2003年6月までの常任幹部会員・参議院議員・党中央政策委員長による具体的な内部告発文書となった。その()を載せ、対立レベルを確認する。

 

(表1) 不破・志位の陰湿な関係実態

対立点

筆坂証言

共産党反論(浜野のみ)

 

 

 

不破→志位への言動

志位氏が議題のまとめをするたびに、不破氏が「僕は違うな」といってひっくり返すのである。当然、結論も不破氏の意見に落ち着いていく

(浜野反論) これもマスコミ受けを狙った筆坂氏一流の偽りである。

常任幹部会の会議では、常に率直な討論がおこなわれている。不破氏が意見を出したために、志位氏のまとめができなくなったなどということは、一度もない

 

 

浜野→志位への言動

二〇〇四年参議院選挙前に志位氏が病気になったときのことである。その頃には、私もすでに党本部に復帰していた。志位氏は、療養中にもかかわらず必死に委員長としての職責を果たそうとして、作成中の参議院選挙政策について政策委員会に意見を伝えてきたのである。それをスタッフが浜野副委員長に報告したところ、中央委員でもない政策委員会のメンバーもいる前で、浜野氏は「彼(志位氏)には意見をいう資格はない」と公然と述べた

反論なし

 

 

常幹らの対応

この場面を直接見ている常任幹部会委員や、伝聞で知った党本部の人間は、志位氏を軽んじ、ますます不破議長を絶対化していくからである。

政策委員会でも担当の常任幹部会委員が、平然と志位氏の批判をするところを何度も聞いたものである。ところがこういった人たちは、志位氏に面と向かっては何もいわない。典型的な面従腹背である。その一方で不破議長に対する批判だけは、どの幹部もしないのである。

反論なし

 

志位反応・病気

これが週一回の会議のたびごとに繰り返されるのである。こうしたことが何回か続いた後、彼はついにまとめができなくなってしまった志位氏が病気になった時、私はすぐにこの情景が思い浮かんだ。

反論なし

 

 

筆坂の受け留め

志位氏を幹部の面前でいじめのように叱責する不破氏のやり方は、党にとってマイナスでしかない。

他の常幹メンバーはどう思ったか知らないが、私は不破氏の一連の振る舞いに非常に嫌悪を感じた。

(浜野反論) 自分を、そういう常任幹部会の不当な処分の犠牲者に描き出して、「筆坂=被害者」論をひきたたせるとともに、あわせて、党中央の“対立”を宣伝し、日本共産党の信用を落とす

 

志位→筆坂への言動

何回か続いた後、志位氏も心配して、「筆ちゃん(志位氏はこう呼んでいた)、大丈夫? どうして不破さんは筆ちゃんにあんなに怒るのかな」と慰めてくれたこともある。

反論なし

 

 不破哲三・志位和夫の陰湿な関係が起きる歴史的背景については、別ファイルで検証した。筆坂秀世「政治的暗殺事件」は、党本部に発生したもう一つの側面を浮かび上がらせた。それは、不破・志位・市田らに不満・反発を抱く中間派2グループの存在と活動開始である。

 

 〔中間派第1グループ〕、吉川春子参議院議員団長と、志位の女性秘書、市田の女性秘書を中心とする女性秘書グループ

 「党内の脅迫ファックス」を送信したのは、このグループである。ただし、不破・志位・市田らは、筆坂を処分しただけで、彼女らを査問も、処分もしなかった。よって、彼女らは、不満・批判を抱えた面従腹背のままで実存している。ただ、不破・志位・市田らは、吉川春子を、2007年参院選の候補者入れ替えによって、合法的平和的に排除した。

 

 〔中間派第2グループ〕、行政調査新聞によって、代々木内部情報を「党外にもちだした」赤旗記者・議員秘書グループ

 彼らは、その記事を、あたかも党外マスコミ記者が書いたように、巧みな暴露をした。代々木内800人なら、誰でも、その執筆は、不破・志位・市田らにたいする批判・反発を秘めた赤旗記者・議員秘書だと断定できる。しかし、あの書き方では、赤旗記者370人・国会議員18人×秘書3人=54人の全員を査問するわけにもいかない。結局、彼らも、不破哲三の個人特権に強烈な批判を持ちつつ、中間派として、次の出番をうかがっている。

 

    『筆坂秀世「日本共産党」出版をめぐる動向』筆坂証言による不破・志位対立の実相

    『筆坂秀世「政治的暗殺事件」とその謎とき仮説』不破・志位批判の女性秘書グループ

    『筆坂「政治的暗殺」から「外部飲酒禁止令」へ』不破・志位対立を写すどたばた劇

    行政調査新聞『あきれた粛清劇、筆坂氏失脚の深層』不破批判の赤旗記者・議員秘書

 

 〔第4次レベル情報〕、不破分派星雲と志位分派星雲の発生?

 

 2007年2月、この情報が寄せられた。ガセネタの可能性もある。その信憑性を複数のルートで確かめた。当然ながら不明な点も多い。暫定結論としては、たんなる噂話と違い、真実である確率が高いと判断する。以下、提供されたニュースと、それに基づく私の推理を交えて書く。ただし、情報提供者査問されてはいけないので、かなりをぼかしつつ検証する。

 

 

 2、代々木党本部における「宮廷革命」史の検証

 

 トップ分派とは、代々木党本部にいるトップが自ら形成する最高権力者私的分派のことである。今回の分派星雲を検討する前に、トップ分派の存在と、それを打倒するbQ、3による「宮廷革命」が何度も発生した党史を確認する。レーニン型前衛党において、最高権力者が私的分派を作り、自分の地位を脅かす可能性を持つbQ、3を追放・粛清してきたという歴史的データはいくらでもある。その「宮廷革命」である。

 

 レーニンは、1921年3月、第10回大会前後で、()自らレーニン10人グループを作った。()トロツキー・ジノヴィエフ分派は、労働の軍事規律化を主張した。()それに反対する労働者反対派が活動した。結果として、レーニングループは、労働者反対派を分派として追放し、彼らを中心として党員の4分の1を除名した。中国の文化大革命も、トップの地位を脅かされそうになった毛沢東が、bQ、3に自ら発動した激烈なトップ分派闘争だった。東欧革命後、東欧9カ国の前衛党内でも、トップ分派闘争が存在していたことが証明された。ソ連崩壊前後も、ソ連共産党内で、同じ事態が発生した。

 

    第5部2『トロツキー「労働の軍隊化」構想と党内論争』レーニングループと労働者反対派

 

 これら世界的事実を踏まえて、日本共産党における「宮廷革命」史を見る必要がある。ただし、長くなるので、リンクの添付だけにして、このファイルでは簡潔に検証する。

 

 〔小目次〕

   第1回宮廷革命、六全協後の志田・椎野除名による宮本独裁体制樹立

   第2回宮廷革命、第8回大会前後における宮本顕治の大量粛清クーデター (表2、3)

   第3回宮廷革命、不破グループによる宮本引退強要・私的分派解体クーデター (表4)

   第4回宮廷革命、発生と衝突の可能性?

 

 第1回宮廷革命、六全協後の志田・椎野除名による宮本独裁体制樹立

 

 六全協とは、ソ中両党命令による武装闘争でほぼ潰滅した日本共産党の再建会議だった。その()草案・()武装闘争データ公表禁止・()人事も、モスクワで事前決定されていた。宮本顕治は、スターリンの「宮本らは分派」裁定に屈服し、志田重男に自己批判書を出し、1951年11月五全協武装闘争共産党に復帰していた。五全協前に、国際派のほぼ全員が自己批判・復帰したことにより、日本共産党はスターリン命令で統一回復をしたというのが党史の真実である。北京機関は中国共産党隷従の傀儡組織だった。国内では、椎野悦郎が合法面の委員長、志田重男が裏側の軍事委員長だった。志田は、関西から連れてきた幹部を中心に非合法面での強大な軍事委員分派を作っていた。

 

 宮本顕治は、武装闘争五全協共産党の途中から、フルシチョフ・毛沢東・劉少奇らによる人事指名のおかげで、党中央指導部に復帰できた。1955年7月六全協とは、ソ中両党命令に基づく志田分派と宮本顕治個人との野合・手打ちだった事実もかなり証明されてきた。六全協で、彼は、野坂・志田・宮本らトップ3人の一人に躍り出た。不思議なことに、まもなく、()志田の「料亭お竹さん」への党資金使い込み・女性問題やトラック部隊資金問題が暴露され、()椎野の女性関係問題も発覚した。

 

 不思議なことにというもう一つの意味は、()宮本顕治による宮本百合子への裏切り・不倫問題がひた隠しにされたことである。宮本グループは、その秘密を完全隠蔽することに成功したからである。その経過は、別ファイルにある。そのデータに表れた宮本顕治の人間性をどう考えたらいいのか。

 

    志保田行『不実の文学−宮本顕治氏の文学について』宮本百合子と宮本顕治

          『プロレタリア・ヒューマニズムとは何か』百合子と顕治との関係

 

 宮本顕治は、野坂第一書記を「愛すべき共産党」アイドル・演説専任者に棚上げする策謀に成功していた。彼は、その絶好のチャンスを捉え、志田・椎野を除名し、党内の実権を奪い取った。これが、第1回宮廷革命である。それ以後、個人独裁の確立に向けて、着々と手を打った。

 

    『嘘つき顕治の真っ青な真実』五全協共産党で中央レベルの活動をした証拠

    『宮本顕治の「五全協」前、スターリンへの“屈服”』武装闘争実践データ追加

    小山弘健『コミンフォルム判決による大分派闘争の終結』

 

 第2回宮廷革命、第8回大会前後における宮本顕治の大量粛清クーデター

 

 1961年第8回大会が開かれ、「61年綱領」を決定した。六全協後、志田・椎野を除名しても、トップ宮本顕治の基盤はまだ弱かった。六全協が野合という意味は、武装闘争指導部のほとんどを、宮本顕治が受け継いだ実態を指す。それは、反宮本である元所感派幹部をまだ多数含んでいた。元国際派中央委員7人においても、宮本指示に従う者は、袴田と蔵原の2人しかいなかった。

 

(表2) 六全協で、宮本顕治は武装闘争責任を100%継承

党役職

武装闘争指導部責任・個人責任

指導部責任なし・復帰党員責任

比率

中央委員

野坂、志田、紺野、西沢、椎野、春日(正)、岡田、松本(一三)、竹中、河田

宮本、志賀、春日(庄)、袴田、蔵原

10対5

中央委員候補

米原、水野、伊井、鈴木、吉田

 

5対0

常任幹部会

野坂、志田、紺野、西沢、袴田

宮本「常任幹部会責任者」、志賀

5対2

書記局

野坂「第1書記」、志田、紺野。竹中追加

宮本。春日(庄)追加

4対2

統制委員会

春日(正)「統制委員会議長」、松本(惣)

蔵原、岩本

2対2

排除中央役員

伊藤律除名。(伊藤系)長谷川、松本三益、伊藤憲一、保坂宏明、岩田、小林、木村三郎

神山、中西、亀山、西川

(8対4)

総体

伊藤律系を排除した上での、武装闘争指導部責任・個人責任者の全員を継承

4人を排除した上での、旧反徳田5派との“手打ち”

 

 

 この(表2)は、小山弘健『戦後日本共産党史』(芳賀書店、1966年、絶版)の第4章1、六全協の成果と限界(P.183)の記述を、私が(表)として作成したものである。

 

 宮本綱領草案を決定しようとした第7回大会は大荒れになって、採決もできなかった。宮本顕治の権威は地に落ちたかに見えた。彼の報復が陰湿で根深いことは有名である。彼は、第8回大会に向け、批判・反対幹部にたいし、分派活動とか、規律違反とかをでっち上げつつ、それら幹部を除名・任務変更などで、党内外排除クーデターを発動した。彼は、1958年40%不支持大会から、不支持者大粛清によって、3年後の1961年満場一致大会を成功させた。

 

 第7回大会の代議員は約400人いた。その内、40%・160人が、宮本綱領草案に反対した。彼らを党内外排除の粛清し、または、脅迫と懐柔で宮本支持派に寝返りさせ、満場一致を演出する裏工作は大変だった。宮本顕治・袴田里見らは、日本共産党史上もっとも先駆的で激烈な最高権力者分派活動を展開した。中野重治中央委員・他一人が、あくまで宮本草案反対だったので、彼らを第8回大会代議員に選ばせないで、議決権のない評議員にさせる詐術を使った。

 

 この評議員からくりについて、どういうことか分からないとの問い合わせが、HPアップ後にいくつか来たので追加する。中央委員というだけでは、規約上で党大会代議員の資格を持たない。よって、党中央書記局が、中央委員全員を47都道府県党会議の党大会代議員枠に割り振る。前期(上り)都道府県党会議に参加した党員は、その党大会代議員候補者リストの中に、数人の中央委員の名前を発見する。それらの中央委員たちは、党大会における議決権を持つ。

 

 ところが、宮本顕治と書記局は、中野重治中央委員ら2人を、都道府県党会議に割り当てない裏工作・最高権力者分派活動をした。党大会の採決手順は、()反対→()保留→()賛成の挙手をする。2人は、中央委員なので、党大会壇上に議決権を奪われた評議員としてだけなら座る権利があった。しかし、宮本顕治の策謀によって、2人とも議決権を剥奪されていた。その結果、宮本顕治は、()反対()保留()全員賛成の満場一致劇を見事なまでに演出できた。

 

 私の妻は、通信産業という革命拠点経営の総細胞長として、愛知県選出の党大会代議員になっていた。満場一致の綱領採決に感激し、党員証を高く掲げた。中野重治中央委員が、なぜ挙手をしないのかと一瞬不思議に思ったと言う。これら満場一致でっち上げ手口全体を見れば、宮本顕治のクーデター・テクニックは驚嘆に値するレベルに達していた。

 

 党大会後、ソ連共産党分派・中国共産党分派などでも、党内言論を封鎖状態に置いて、規律違反をでっち上げて追放した。(表2)においても、宮本に忠誠を誓って、鞍替えした幹部を除いて、ほとんどを除名か、追放にした。第2回宮廷革命の経過と実態については、別ファイルにある。

 

    小山弘健『61年綱領採択めぐる宮本顕治の策謀』

          『第8回大会・61年綱領の虚像と実像』

    平尾要『61年綱領決定時の「アカハタ」編集局員粛清』

 

 彼は、そこから教訓を学んで、やはり最高権力者の私的分派を作るしかないと決断した。子飼いの幹部がいないので、宮本秘書を次々と大抜擢し、強力な宮本秘書団私的分派を構築した。この経過やデータは別ファイルに載せた。これら一連の手口は、宮本顕治による第2回宮廷革命と規定できる

 

(表3) 宮本私的分派・側近グループリスト

名前

出身

14回大会

地位 1977

20回大会

地位 1994

任務経歴

諏訪茂

宮本秘書

常任幹部会員

1972年、宮本捏造による民青新日和見主義分派査問委員、15回大会常任幹部会員。死去

宮本忠人

常任幹部会員

常任幹部会員

書記局次長、機関紙局長

小林栄三

宮本秘書

常任幹部会員(中央委員から2段階特進)

常任幹部会員

文教部副部長、袴田政治的殺人「小林論文」執筆と粛清担当、教育局長、法規対策部長、思想建設局長、書記局員、山形県猪口県委員の粛清担当、『日本の暗黒』連載中断での下里正樹赤旗記者解雇・除名の粛清担当、2001年死去

小島優

宮本秘書

幹部会委員

常任幹部会員

書記局員、日常活動局長、統制委員会責任者、長期に赤旗編集局・拡大部門担当

白石芳郎

宮本秘書

幹部会委員

常任幹部会員

書記局員、選挙・自治体局長、文化・知識人委員会責任者

宇野三郎

宮本国会秘書(宮本参議院議員時期)

中央委員

常任幹部会員

社会科学研究所長・党史資料室責任者、『党史』編纂責任者、宮本意向の理論化担当、党批判者・反党分子への反論部門担当、『民主文学4月号』問題での宮本意向を受けた民主文学同盟幹部粛清担当

金子逸

宮本秘書

常任幹部会員

宮本ボディガードで身辺防衛担当、書記局次長

佐々木陸海

宮本秘書、宮本議長室室長

常任幹部会員

国際委員会責任者、衆議院議員、書記局次長

上田均

宮本秘書

幹部会委員

常任幹部会員

財務・業務局長

有馬治雄

宮本秘書、宮本議長室室長

常任幹部会員

書記局次長、選対局次長

有働正治

宮本秘書

幹部会委員

選対局次長、『前衛』編集長、参議院議員

吉岡吉典

宮本秘書

准中央委員

幹部会委員

赤旗編集局長、政策委員長、参議院議員団長

 

 1977年第14回大会とは、袴田副委員長・常任幹部会員の全役職剥奪をした大会である。宮本顕治は、袴田を粛清する任務で大活躍し、私的分派ボスの栄光と権威を守りぬいた小林中央委員・元宮本秘書の功績を高く評価し、常任幹部会員へと2段階特進させた。1994年第20回大会とは、宮本引退前の大会である。宮本秘書出身者のかなりを常任幹部会員に抜擢し、側近グループ・私的分派を土台とする宮本個人独裁は絶頂期に達していた。彼は、多くの「ごますり、茶坊主」をはべらせ、「満月の歌」を謳歌していた。

 

 「ずる顕」「ごますり、茶坊主」という蔑称は、当時の代々木専従800人の全員が知り、使ってもいた。このメンバー以外にも、宮本側近グループと党本部内で軽蔑されている幹部が数人いる。いずれも彼に大抜擢され、幹部会員、常任幹部会員となり、党中枢部門を担当し、周辺を固めていた。これは、前衛党最高指導者が自ら形成する私的分派である。

 

    『不破哲三の宮本顕治批判』〔秘密報告〕宮本秘書団私的分派形成の理由と経過

 

 第3回宮廷革命、不破グループによる宮本引退強要・私的分派解体クーデター

 

 1994年、97年と、宮本顕治は脳梗塞2回倒れた。トップとしての党活動は不能になった。不破哲三は、宮本顕治と私的分派の常任幹部会員による理不尽な上田・不破査問事件と、自己批判書の『前衛』公表という屈辱を忘れていなかった。彼は、党内権力簒奪の絶好のチャンスと位置づけ、不破グループを結集し、第3回宮廷革命に決起した。

 

 不破哲三とそのグループは、5つの仕事を、同時進行形で成し遂げた。

 〔第1の仕事〕脳梗塞2回の宮本顕治にたいし、5カ月間をかけて、じわじわと引退を迫った。88歳・脳梗塞でも議長の椅子に執着し、「僕は、何か悪いことをしたのか」と詰問・反論する病人を説得した。しかも、最終場面には、志位書記局長も同席させ、アリバイ作りも万全に行った。

 

 〔第2の仕事〕1997年第21回大会から2000年第22回大会にかけて、宮本秘書団私的分派解体という2段階宮廷革命を平和的に遂行した。平和的という意味は、最高権力者私的分派活動にたいする処分・除名をしないで、査問で分派活動規律違反の証拠を示ししつつ、格下げ・引退・任務解任を、2つの党大会連続で、穏便に強要した行為を指す。

 

 宮本私的分派は、秘書団が中心だけに、忠誠心が高く、強力で結束が固かった。それを100%解体しつくすには、要となるキーパーソン捕獲が絶対に必要だった。不破哲三グループは、宮本秘書団私的分派の中心である小林栄三常任幹部会員にたいし、3面作戦を行った。

 

 まず、()宮本顕治の手口を踏襲し、彼をいきなり、代々木ではない秘密アジトに、監禁査問で閉じ込めた。そして、()宮本分派における彼個人の分派活動規律違反の事前調査ずみ証拠を具体的に突きつけて脅迫した。一方で、()分派全員の規律違反行為を密告すれば、何の処分にもしないで、彼の地位保全を約束するとして懐柔した。これは、不破式司法取引と規定できる。彼は、脅迫と懐柔作戦によって、不破グループに寝返り、すべてを自白した。

 

 もっとも、宮本私的分派全員の分派行為を密告して裏切り司法取引で、自分だけ常任幹部会員に留まったストレスは過重となったのか、2001年に死去した。党中央の党内粛清担当者は、袴田里見から、小林栄三に移っていた。彼への蔑称は、「ごますり」だけでなく、「代々木のベリヤ」だった。エジョフ、ベリヤは、スターリンの指令により、ソ連共産党員100万人・元共産党員100万人を銃殺した。しかし、2人とも今度は銃殺された。宮本顕治は、「代々木のベリヤ」を勝手使いし、不破哲三も宮廷革命とその後において、「代々木のベリヤ」の手腕を利用した。彼の共産主義的人生とは何だったのか。

 

 〔第3の仕事〕2000年第22回大会において、不破による規約全面改定をした。

 〔第4の仕事〕2003年、『日本共産党の八十年』を出版し、宮本党史を全面的に縮小改定をした。それは、『七十年』の90万字から、26万字に減らし、宮本の自画自賛箇所をほとんど削除した。

 〔第5の仕事〕2004年第23回大会では、不破綱領を決定した。かくして、不破哲三グループは、宮本顕治の呪縛を破り捨てた。

 

(表4) 宮本私的分派・側近グループ解体措置

名前

出身

14回大会

地位 1977

20回大会

地位 1994

人事措置

(21)=21回大会、(22)=22回大会

諏訪茂

宮本秘書

常任幹部会員

/死去

宮本忠人

常任幹部会員

常任幹部会員

引退(21)

小林栄三

宮本秘書

常任幹部会員(2段階特進)

常任幹部会員

引退(22) 2001年死去

小島優

宮本秘書

幹部会委員

常任幹部会員

引退(21)

白石芳郎

宮本秘書

幹部会委員

常任幹部会員

格下げ(21)、引退(22)

宇野三郎

宮本国会秘書

中央委員

常任幹部会員

格下げ(21)、引退(22)

金子逸

宮本秘書

常任幹部会員

格下げ(22)

佐々木陸海

宮本秘書、宮本議長室室長

常任幹部会員

格下げ(21)、衆議院議員排除(2000年)

上田均

宮本秘書

幹部会委員

常任幹部会員

留任(22) 財務・業務局長

有馬治雄

宮本秘書、宮本議長室室長

常任幹部会員

引退(22)

有働正治

宮本秘書

幹部会委員

格下げ(21)、引退(22)、参議院議員排除

吉岡吉典

宮本秘書

准中央委員

幹部会委員

留任(22)2004年参院選で議員引退

 

    『不破哲三の第2回・宮本顕治批判』〔秘密報告〕宮本秘書団私的分派の解体の経過

 

 第4回宮廷革命、発生と衝突の可能性?

 

 これは、第4次レベル情報の信憑性いかんによって、その行方や決着がどうなるか分からない。

 

 

 3、党本部新築88億円ビルからの複数ルート情報の検討

 

 〔小目次〕

   1、不破分派星雲の存否 (表5)

   2、志位分派星雲の存否

 

 1、不破分派星雲の存否

 

 最高権力者不破哲三分派は、はたして形成されているのかという疑惑である。1997年から2004年までの7年間において、不破哲三が成し遂げた5つの仕事は、宮本路線・私的分派体制の呪縛を断ち切って、不破路線・体制に大転換させた見事な宮廷革命と言えよう。しかし、よく考えれば、それらの作業は、不破一人では到底できないレベルである。不破グループが結成され、その共同活動なしには完遂できなかった。ただ、そのグループメンバーは、代々木の赤い霧に覆われていた。

 

 ところが、2007年2月、不破分派星雲の情報が入ったので、いろいろ調べてみた。すると、2004年9月におけるデータにその証拠があるとの別の代々木ビル通報が寄せられた。以下は、不破批判派の見解である。といっても、そこには、()不破批判の中間派グループと、()志位分派星雲側の2つがある。()、私の解釈も若干挿入してある。

 

 5つの仕事とは、2004年1月第23回大会における不破綱領の満場一致決定までである。不破哲三が、常任幹部会員留任のままで議長引退をしたのは、2006年1月第24回大会だった。

 

 その通報者の見解によれば、不破哲三は、〔6つ目の仕事〕として、2004年9月、不破分派を合法的・合規約的に公然化し、その分派リストも公表したというのである。それは、議長引退の1年5カ月前に発表された「社会科学研究所の新しい構成−10人幹事体制に拡大」の裏側を読み取れば分かると言った。私が調べた独自データも入れて。それを()にする。

 

(表5) 社会科学研究所の新しい構成 2004年9月

所員名

1994地位

20回大会

宮廷革命

2000年地位

22回大会

宮廷革命終了

2004年地位

1月23回大会

議長引退

20061

第24回大会

任務

所長 不破哲三

委員長

議長

議長

議長引退・常幹・社会科学研究所長留任

幹事 足立正恒

中央委員

中央委員

中央委員

中央委員、『前衛』編集長

 同 緒方靖夫

幹部会員

常幹()

常幹

副委員長・国際局長。参議院議員

 同 可知正

中央委員

中央委員

(学習・教育局次長→痴漢犯罪で罷免)

 同 小池晃

常幹

常幹、政策委員会責任者、参議院議員

 同 友寄英隆

中央委員

中央委員

中央委員、『経済』編集長

 同 盛美彰

准中央委員()『月刊学習』編集長

 同 山口富男

中央委員

常幹()

幹部会員

幹部会員、衆議院議員

事務局長長久理嗣

中央委員

中央委員

中央委員

中央委員、学術・文化委員会委員

次長小野秀明

元議長秘書

 

    共産党『社会科学研究所の新しい構成』2004年9月21日、10人のリスト

 

 そのを読み解くには、社会科学研究所の歴史的経緯と位置づけを、まず確認しておく必要がある。

 

 第1期、宮本秘書団私的分派の中心の一人である宇野三郎が社会科学研究所所長をする期間が長く続いた。所員10人前後の強力な体制で、そこは、宮本党史の製造機関の役割を果した。オーウェルが『1984年』冒頭で描写したのと同じく、過去の党史を握り、偽造歪曲する者こそが、未来をも支配できる。1972年『日本共産党の五十年』から、1994年『日本共産党の七十年』まで、4回の改定をした。製作は表向きが、日本共産党中央委員会となっている。しかし、これら公認党史が、中央委員会総会で正式に討議されたことは一度もない。執筆者は複数いるが、その本質は宮本・宇野ペア主導・校閲による宮本私的分派が編纂した私的党史だった。

 

 第2期、不破哲三は、2段階宮廷革命によって、宇野三郎を格下げ(21)、引退(22)させた。2001年、社会科学研究所所員からの情報が漏れ出た。彼は、不破への絶対忠誠派一人を除いて、所員全員を左遷・配置転換で報復した。以後、3年間、所長一人だけの体制、その後、所長不在で、事務局長長久理嗣一人だけで、所員なしという窓際部署に転落していた。

 

 第3期2004年9月、不破哲三は、議長のままで、社会科学研究所所長の椅子にも座り、一挙に10人幹事体制を構築した。他に所員も配備した。しかも、幹事メンバーは、党中央イデオロギー部門が占めている。『前衛』編集長『経済』編集長『月刊学習』編集長学術・文化委員会委員らである。これらの機関誌編集長らは、不破論文・演説・『資本論』研究の全部を連載で載せてきた。その賛美・解説を書いた緒方靖夫、山口富男らの論文も必ず掲載した。不破哲三は、その都度、それを集めて単行本にし、90冊出版した。

 

    新日本出版社『不破哲三の本』他出版社を合わせれば90冊以上

 

 これは、不破哲三個人が、議長特権を駆使し、党中央イデオロギー部門を横断的に総結集したと規定できる。その性質は、イデオロギー部門を占拠する不破分派星雲の合法的な公然化ではないのか。レーニン型前衛党とは、その本質が、イデオロギー政党・世界観一致政党である。よって、党内宣伝・思想教育部門占拠しうる幹部こそが、その党の裏側実権を簒奪できる。これは、14の一党独裁国の党史において証明された歴史的真実である。

 

 社会科学研究所会議を開くと言えば、それは合規約的に分派星雲会議に転化できる。宮廷革命を秘密裏に決行した不破グループは、社会科学研究所をいちじくの葉とする新しい党内分派にレベルアップした。2006年第24回大会における議長引退の目的は、わずらわしい党内実務やマスコミ相手の雑務を志位和夫に押し付けておいて、常幹留任・所長留任で、代々木内院政を確立することだった。

 

 2段階宮廷革命に決起した不破グループの当初からの中心メンバーは、浜野忠夫である。不破哲三は、彼を、その論功行賞として、2000年第22回大会で副委員長に昇格させた。彼は、常幹内の粛清担当者として、袴田里見→小林栄三の後を受け継いで、「3代目・代々木のベリヤ」になった。彼は、宮本私的分派100%解体任務遂行の後も、筆坂秀世「政治的暗殺事件」まで、いくつかのベリヤ的仕事をこなしてきた。この事件で気付いたが、2000年第22回大会前後におけるインターネット掲示板発言党員の摘発・査問・粛清事件」の中心担当者も、浜野だったという確率が高い。社会科学研究所幹事以外にも、浜野だけでなく、不破秘書団OBの多くが不破分派星雲の構成体を形作っている。

 

    『常幹内粛清担当者の特定−浜野忠夫副委員長』不破グループの中心メンバー

    『インターネットHP攻撃政党』『掲示板発言者摘発・粛清政党』浜野担当だったか?

 

 ただし、これら不破批判派の見解にたいする別の反論もある。それは次である。不破グループ・分派星雲はたしかに出来ている。院政を狙ってもいる。しかし、社会科学研究所を、党内党としての院政党と即断するのは誤りであろう。彼は、分派をそれほど剥き出しに公然化するほど馬鹿ではない

 

 そのリストに載っていない不破グループの隠れメンバーは他にも多数いるからである。さしずめ、緒方靖夫・国際局長浜野忠夫という副委員長2人ともが、不破分派のをなしている。不破・緒方・浜野ら3人が、党内党トロイカ指導体制を占め、星雲の膨張を画策している。

 

 2、志位分派星雲の存否

 

 以下は、不破・志位批判の中間派からの情報である。2段階宮廷革命を不破グループが決行した事実は間違いない。筆坂秀世内部告発した「常幹内の不破・志位対立」描写も真実である。その対立構図は現在も続いている。ただし、平等な立場での対立というよりも、「不破グループによる志位いじめの構図」と言った方が、実態に近い。

 

 常任幹部会18人の会議において、志位委員長が幹部会50人→中央委員会総会144人への報告原案を出す。討論での意見は出る。まとめの段階になって、不破常幹が「僕の意見は違うな」と発言する。その一言で、不破グループの常幹はそれに同調意見を言う。他常幹はひたすら沈黙の海に潜り込む。結局、志位委員長のまとめは、単なる平常幹である不破の見解に修正せざるをえない。この情景が何度も繰り返されてきた。

 

 宮本顕治は、1990年第19回大会において、志位和夫を書記局長にした。その頃、宮本老齢による退陣要求が党内外から殺到した。その批判をかわし、封じ込める作戦として、彼は「老・壮・青の重層的指導体制」をでっち上げた。それ以来の17年間、志位書記局長→委員長の秘書団と国会議員秘書は、30人前後になる。

 

 不破哲三は、宮本秘書団私的分派を解体し、不破グループ体制・分派星雲に大転換させた。一方、志位秘書団と秘書団OBたちは、「常幹内の不破→志位いじめ」構図のなかで、不破側の影響を受けた代々木800人のかなりから蔑視されたり、陰口をたたかれ始めた。志位和夫の代々木内権威は地に落ちてきた。彼らは、その屈辱に耐え、忍耐してきた。不破分派星雲らの仕打ちにたいし、我慢も限界になってきていた。幸いにも、2006年1月、第24回大会で、不破哲三は議長を引退した。これは、不破院政と志位委員長との代々木内二重権力を破棄し、志位実権を打ち立てる絶好のチャンスではないのか。それ以来、志位分派星雲形成のうごめきが始まった。

 

 ところが、不破グループ・分派星雲の形成史・成熟度にたいし、志位分派星雲といっても後発という格差は大きい。イデオロギー分野における2人のレベルの違いも歴然としている。不破哲三は、代々木内の学習会を定期開催している。中央党学校では、レーニン『唯物論と経験批判論』の講義をした。学習会では、「代々木『資本論』ゼミナール」講師を1年間もし、現在は、『フォイエルバッハ論』を講義している。不破グループが、その参加専従を選別している。常幹・中央委員でも、参加指名をされないものは、見込みがないと見なされたという分別・差別が公然となされている。それにたいし、志位和夫は、それらマルクス・レーニンの原典講義をなしうる素養を備えていない。

 

 最大の問題点は、志位和夫自身が、不破哲三とその分派星雲による陰湿ないじめにたいし、決然と決起して、不破議長引退をチャンスとする不破グループ解体・代々木内二重権力打破を謀る気構えに欠けていることであろう。それと、代々木内での人望があまりない。筆坂秀世が内部告発した常幹内・代々木内のいじめの構図とその継続は、今や代々木800人全員が熟知している。志位秘書団と秘書団OBたちは、我慢もここまでとしびれを切らした。不破批判の中間派グループも、議長引退が不破排除のチャンスと唱え、志位分派星雲と閣外協力する専従も出てきた。

 

 堪忍袋の緒が切れかけた志位秘書団・秘書団OBたちは、まだ少数派である。しかし、()志位グループと、()不破批判の中間派グループとが手を結べば、不破分派星雲を上回る多数派に転化する。800人のかなりが、不破の異様なまでの党内個人特権にたいし、批判・怒りを日毎に募らせているからである。

 

 宮本顕治のずる賢さ=表裏を使い分ける「ずる顕」ぶりと、宮本秘書団私的分派の「ごますり、茶坊主」リストを、800人のほぼ全員が知っていた。「ずる顕」とは、批判・不満専従を党内外排除する裏側任務を、袴田里見→小林栄三という「1・2代目代々木のベリヤ」に指令して、やらせ、自分は汚れ仕事に直接手を染めないずるさ・二枚舌を証明する多数の事例から付けられた。

 

 それと同じく、800人のほとんどが、()不破グループのリストと、()志位グループのリストを知っている。これ以上書くと、情報提供者が、両方のいずれかから、調査(=査問)される危険が高まるので止める。もちろん、党本部専従にたいする査問執行者「3代目・代々木のベリヤ」は、不破グループの中心の一人になった浜野忠夫副委員長である。レーニン型前衛党は、その一枚岩・満場一致体質から、ベリヤ的仕事人を絶対的に必要とする。

 

 

 4、トップ分派星雲発生と衝突の客観条件

 

 21世紀の資本主義世界において、レーニン型前衛党の5原則を隠蔽・訳語変更・堅持しているのは、東方の島国に残存する日本共産党の一党だけになっている。党内民主主義を抑圧する犯罪的な組織原則をいまだに放棄しないのは、ポルトガル共産党と日本共産党の2党だけになった。それ以外の共産党は、1989年から91年、東欧・ソ連10カ国前衛党潰滅の影響をもろに受けた。いずれも、党本部内部から、政党崩壊の末期症状が噴出し、レーニン理論を全面廃棄し、社会民主主義政党に大転換した。

 

    『コミンテルン型共産主義運動の現状』日本共産党のみが残存

 

 以下で検証する代々木内部状況は、何を示すのか。それらを、()コミンテルン型博物館的政党を崩壊させる末期症状が、中枢機関から噴出・表面化してきたと見るのか、それとも、()第4回宮廷革命を経て、なお生き残る兆しと判定するのか。ただし、そのデータも、査問を避けるために、かなり抽象化して書く。もっとも、代々木800人は全員が熟知し、これらに強い批判・不満を抱いている。しかし、それを正式に、公然と出せば、瞬時に査問され、専従解任の口頭通告をされる。面従腹背をしなければ、明日から家族が路頭に迷う憂き目に出くわすからである。

 

 〔小目次〕

   1、歯止めのない党勢減退・党財政逼迫→党本部専従人件費遅配の発生 (表6、7)

   2、党本部新築88億円の秘密財源=国会議員歳費・秘書給与の流用

   3、共産党系大衆団体とのあつれき激増

   4、引退後も続く異様な不破個人特権にたいする強烈な不満と怒り (表8)

 

 1、歯止めのない党勢減退・党財政逼迫→本部専従人件費遅配の発生

 

 1、歯止めのない党勢減退

 

 歯止めのない党勢減退のデータは、別ファイルで載せてきた。1980年以降、26年間で、355万部→164万部へと、191万人・54もが共産党テリトリー(領域)から「大逃散」した。この減退傾向が止まり、拡大に転換する兆しはない。減紙のテンポには波がある。しかし、今後とも一貫して減り続けると断定できる。党内民主主義を抑圧する犯罪的な組織原則政党が残存すること自体が、もはや国民・有権者にとって時代錯誤になっているからである。

 

(表6) 歯止めのきかない党勢減退

80

82

85

87

90

94

97

00・9

04・1

06・1

大会

15

16

17

18

19

20

21

22

23

24

HN

355

39

17.7

17.5

286

250

230

199

173

164

内H

 

 

 

 

54

50

40

35

(30)

(28)

内N

 

 

 

 

232

200

190

164

(143)

(136)

増減

 

16

21.3

0.2

31.5

36

20

31

-26

-9

 

    『歯止めのない党勢減退で迎える選挙』2003年統一地方選より19万部減紙

 

 2、党財政逼迫

 

 日本共産党は、一種の巨大新聞社である。その赤旗売上額が、収入の90%近くを占める。読者の54%もが、共産党に愛想をつかして「逃散」すれば、新聞社としての経営が成り立たなくなるのは当然であろう。民間新聞社ならとっくに倒産している。

 

 2つの()は、10年間の比較になる。機関紙・誌書籍の収入は、約278億円→251億円へと、27億円・約10%の減収になっている。2005年の構成比は、88億円ビルの寄付金が増えた分だけ下がった。しかし、通常の構成比は、90%弱が続いてきた。代々木通報者によれば、その結果、毎月1億円の赤字になっている。ただし、筆坂秀世『日本共産党』(P.57)も、共産党が2000年から赤字に転落し、2004年までの5年間累積赤字が約66億円となり、平均すれば毎月1億円を超える赤字と計算した。

 

(表7) 2004年と1995年の日本共産党政治資金概要

表

 

日本共産党の政治資金収支報告概要(1995年分

項 目

金額(万円)

前年比(%)

構成比(%)

(1)収入

 

 

 

党 費

13億4,271

97.7

4.3

寄 付

4億8,932

52.8

1.6

機関紙・誌書籍

277億9,563

95.0

89.4

その他

14億7,681

96.3

4.7

収入合計

311億0,447

94.3

100.0

 

 

 

 

(2)支出

 

 

 

経常経費

45億1,145

95.7

14.8

機関紙・誌書籍

222億6,469

101.1

72.6

その他の支出

38億6,536

102.2

12.6

支出合計

306億4,150

100.4

100.0

収支差引〔(1)−(2)〕

4億6,297

 

 

前年からの繰越金

64億7,742

 

 

翌年への繰越金

69億4,039

 

 

 

    共産党『日本共産党の政治資金の特徴』2005年に、2004年度分を公表

 

 3、党本部専従人件費遅配の発生と不満

 

 通報者の話では、最近になって、党本部専従人件費遅配が発生し、それにたいする不満と怒りが渦巻きだした。常幹は、党財政逼迫のしわ寄せを、中央委員や国会議員・秘書団を除く、党本部専従の人件費遅配という形で押し付けた。その怒りの矛先は、必然的に、不破哲三の優雅な個人特権に向けられる。不破哲三とは何者なのだ、なぜ、誰が、そんな特権をいつまでも許しているのか、という常幹内の不破グループにたいする疑惑が爆発寸前の状態に高まってきた。生活費遅配での怒りは、従来の批判・不満と異なり、それを質的にレベルアップさせる。それは、不破グループ打倒運動収斂していく可能性を秘め始めた。

 

 しかも、平均の人件費が約10万円だと、は言う。私はその額が上がってきていたと思っていた。10万円で、かつ、遅配では、生計のやりくりがつかない。ちなみに、1977年宮本・不破・上田・戎谷らは、私を党中央批判発言専従として、専従解任の報復をした。彼らによる政治的殺人犯罪を体験したとき、私は40歳だった。

 

 『日本共産党との裁判』において、名古屋地裁に提出した人件費の内訳は次である。1977年3月・40歳時点で、基本給一律70000円、年齢給29500円、党専従歴給13000円(1年1000円の割合)で、合計112500円の給与支払事実がある。そこから、健康保険料3822円、厚生年金保険料4459円、所得税2820円、県市民税1650円が差し引かれている。手取りは、99749円であり、ほかに夏・冬期に一時金として各112500円が、一般党員のカンパ金によってまかなわれていた。年収は、112500円×14カ月間≒160万円だった。それは、友人たちの年収と比べて、約4分の1だった。

 

    『世界初・革命政党専従の法的地位「判例」』日本共産党との裁判『第8部』

 

 共産党専従は約4000人いる。党本部800人を引けば、47都道府県・315地区の中間機関専従は3200人になる。そこでは、遅配が常態である。愛知県党の私の場合、毎月の月末になっても、99749円が払われない。子ども2人との4人の家計は苦しい。財政部長におずおずと聞いても、支給日を言わない、言えない。妻が、あちこちから3万円、5万円と借り歩く。妻のボーナスは、すべて借金払いで瞬時に消えた。一方、党本部専従800人には、遅配がなく、かつ、退職金もあると聞こえていた。中間機関では、退職金などない。よって、党本部専従は、専従内で財政的に一種の特権階層だなー、党内格差だと思っていた。ところが、そこにも、遅配が発生しだした。

 

 ただし、中央委員144人には遅配などない。それどころか、中央委員への秘密手当約10万円が、遅配なしで配られる。しかも、不破の財政特権を全員が知っている。この党内格差にたいし、800人中の遅配専従は、『なにをなすべきか』。この党内財政格差に口をつぐみ、むしろ格差を広げるままで、志位・市田・不破らは、国民の格差是正政策を唱える資格があるのだろうか?

 

 2、党本部新築88億円の秘密財源=国会議員歳費・秘書給与の流用

 

 党本部新築委員長は上田耕一郎だった。彼は、新築費用を80億円とし、党員などからの寄付40億円、残りを党中央が負担と公表していた。しかし、2004年度の政治資金報告は88億円だったとしている。となると、党中央負担は48億円になる。筆坂秀世が証明した5年間の累積赤字66億円から見ると、いったい48億円はどこから捻出されたのか。

 

 通報者の謎解き・暴露は次である。かなりの比率が国会議員歳費・秘書給与吸い上げ分の流用である。10数年の蓄積は、数十億単位の総額になる。常幹は、それを国会活動に使うからという名目で寄付させてきた。しかし、その活動には一切使われなかった。その事実は、国会議員や秘書団が証言している。上田耕一郎は、その秘密資金全額を、48億円に流用し、あたかも常幹が身銭を切って支出したかのように言い繕った。国会議員秘書団の憤懣は、彼がその流用額・比率に頬かむりした行為に向けられている。結局、上田耕一郎・健二郎(不破哲三)という兄弟とも、特権にあぐらをかく東大出人間だったのかという怒りである。

 

    『上田耕一郎副委員長の党内犯罪事例』彼の多重人格性

 

 3、共産党系大衆団体とのあつれき激増

 

 共産党系大衆団体は、いろいろある。民青、民商、新婦人、平和委員会、原水協、医療生協、生協、全労連、民主主義文学同盟などである。その性質は大衆団体としてきわめて特殊である。()、共産党員が大衆団体機関の指導部を、中央から都道府県・地方まで占拠している。()、執行委員会内に共産党グループ(支部)を作っている。それは、党中央・都道府県党機関と上意下達の組織原則で服従しなければならない。()、共産党中心の革新統一懇談会に参加している。革新懇とは、共産党と共産党系大衆団体だけによる協議会である。その実態は、「革新統一」の名前を騙った組織である。

 

 ()、選挙になれば、会員・組合員の「政党支持の自由」を事実上認めない。組織を上げて共産党の支持者拡大運動をほぼ公然と展開する。()、共産党への寄付金・カンパの重要財源組織になっている。()、大衆団体中央執行機関内の共産党グループは、代々木直轄支部に組み込まれ、党中央大衆団体部局の指令に従う。()、グループが、その大衆団体にたいする党中央路線・方針と対立し、指令に従わなければ、党中央は、別の分派グループを自ら組織し、批判党員を査問・追放する大衆団体内クーデターを決行する。()、その関係は、スターリンのベルト理論のままである。党中央の「正しい」方針を、グループというベルトを通じて、大衆団体会員やその周辺に浸透させる任務を負う。

 

 情報提供者の話では、最近、党中央とそれら大衆団体グループとのあつれきが激増してきた。相も変わらぬスターリン式ベルト視をつづける党中央にたいし、大衆団体独自の情勢分析や行動論理を認めよという主張に基づくあつれきである。それが目立ってきた大衆団体は、医療生協、生協、全労連などがある。ただし、その対立経過・内容を具体的に書くと、クーデターを仕掛けられる危険が高いので、これ以上触れない。

 

 日本共産党が、スターリン式ベルト理論で、大衆団体の方針を捻じ曲げ、誤った共産党方針を強要し、大衆団体を破壊・潰滅させた歴史は多い。今回は、その〔第4期〕に当たる。その経過を簡潔に確認する。

 

 〔第1期〕、戦前1930年代、共産党系全協労組に天皇制打倒綱領を強要し、潰滅させた犯罪

 

 コミンテルン日本支部は、前衛党影響下の赤色労働組合協議会である全協にも、(1)「ソ同盟擁護」というスローガンとともに、(2)「天皇制打倒」を労働組合行動綱領に採択させるという暴挙まで行った。

 

 党員でもある全協幹部のほとんどが、労働組合がこのような革命実践課題を組合綱領に掲げるのは誤りであると、この採択に強く反対していた。しかし、野呂・宮本・袴田ら党中央は裏工作で党員幹部の切り崩しを行い、1932年9月第一回中央委員会において、一票差の票決で、強引に決議させた。

 

 全協は、1932年、32000人の組合員を擁し、左翼勢力では最も強力で、戦闘的な労働組合だった。全協は、この行動綱領を理由として、治安維持法取り締まり団体とされた。1933年一年間で、4500名以上の幹部、活動家検挙され、そのうち512名起訴された。1934年には219名起訴され、組織的に崩壊していった。治安維持法は悪法である。しかし天皇制打倒綱領とは、国体の変更を綱領とすることであり、その団体は、取り締まり団体とされ、完全非合法となり、幹部全員が検挙対象となることは自明のことだった。

 

 全協内の(1)共産党員は非合法で、(2)労働組合は合法という半非合法状態だった。そこから、国体の変更を目指す組織になったとして、(3)労働組合そのものが完全非合法になった。全協の崩壊は、日本支部の誤った方針持込みによって、共産党が内部破壊させた結果と規定できる。

 

 他に、スターリン指令の社会ファシズム理論を、すべての共産党系大衆団体に持ち込んだ。それにより、軍部ファシズムとの闘争よりも、左翼系大衆団体を「当面の敵」とし、左翼運動を分裂させ。破壊した。

 

    『反戦平和運動にたいする戦前共産党の分裂策動の真相』その実害データ

 

 〔第2期〕、戦後1950年〜52年、宮本顕治も復帰していた五全協武装闘争共産党による共産党系大衆団体破壊

 

 それ以前の分派闘争は、すべての共産党系大衆団体に持ち込まれた産別会議とその傘下労働組合、日本農民組合の各地支部、全学連、学生社会科学連合会、民主主義科学者協会、婦人民主クラブ、新日本文学会、歴史学研究会、帰還者同盟、平和ようご日本委員会、日ソ親善協会、新劇グループ、その他党員グループや党細胞が有力な指導力を発揮した多くの大衆団体に、苛烈で非人間的な、ときには低劣と卑劣さにみちた分派闘争のどろじあいがもちこまれた。党と大衆団体の区別は無視され、党内闘争をそのまま大衆のなかにもちこみ、反対者を大衆団体から放逐するなど、あらゆるまちがった処置がとられた。このため、戦後誠実な党員の努力と力量で維持され発展してきた多くの大衆団体が、めちゃくちゃに撹乱され破かいされ、運動全体としてはかりしれない害毒をおよぼした。

 

 宮本顕治は、スターリンの「宮本らは分派」裁定に屈服し、軍事委員長志田重男に自己批判書を提出し、五全協前に武装闘争共産党に復帰していた。六全協でなく、五全協で統一回復をしたというのが党史の真相である。ソ中両党命令を受けて、日本共産党は、朝鮮侵略戦争の兵站補給基地日本における武力撹乱戦争行動に決起した。軍事委員会は、その武力撹乱方針を、すべての共産党系大衆団体に持ち込み、決起を指令した。結果として、共産党の潰滅とともに、その指令に従った大衆団体も潰滅させられた。これは、共産党による二度目の大衆団体破壊行動だった。

 

 〔第3期〕、1972年〜84年、宮本顕治・不破哲三による大衆団体への3大クーデター事件

 

 これは、1972年から1984年にかけて、宮本・不破らが、共産党系大衆団体3つに仕掛けたクーデター事件である。大衆団体グループが、その大衆運動分野にたいする党中央政策・方針と異なる方針を採り出し、党中央の指令・批判に従わなくなった。そこで、宮本・不破らは、規律違反をでっち上げ、彼らを査問し、処分・除籍も含めてグループから追放した。その後釜に、宮本・不破への忠誠派グループを据えた。このテーマについては、別ファイルで検証してきたので、リンクのみをする。

 

    『新日和見主義分派事件』民青へのクーデターと民青破壊犯罪

    『民主主義文学同盟事件。平和委員会・原水協一大粛清事件』

 

 〔第4期〕、2007年、共産党系大衆団体とのあつれき激増

 

 これは、医療生協、生協、全労連などリンクのみにする。

 

    Google検索『共産党と医療生協』 『共産党と生協』 『共産党と全労連』

 

 4、引退後も続く異様な不破個人特権にたいする強烈な不満と怒り

 

 不破哲三の優雅な財政特権、異様なまでの個人特権が次々と暴かれ始めた。委員長・議長時期において、まだその地位から、それらが見過ごされてはきた。しかし、2006年1月第24回大会において、彼は、議長引退・常幹留任をし、常幹18人中の単なる平メンバーになった。それ以後、1年以上経っている。彼は、共産主義的人間の良心に従って、すべての個人特権を辞退・放棄するかと思われた。それにもかかわらず、依然として、さまざまな特権にしがみついて、一つも手放そうともしない。党本部専従に遅配が発生しても、知らぬ顔を決め込んでいる。そんなことは、もはや許すことができないという代々木の雰囲気になってきた。

 

 以下は、通報データとともに、他資料も合わせて載せる。週刊誌2つに載った不破特権データの一部も、『筆坂秀世問題での行政調査新聞』内容と同じく、赤旗記者・国会議員秘書が、不破哲三への怒りに駆られて、党外に持ち出したものと思われる。

 

(表8) 引退後も続く異様で優雅な不破個人特権データ

特権項目

2006年1月議長引退後も手放そうとしない特権内容

 

住居

()、土地988坪=3265u、神奈川県相模原市津久井、不破哲三名義。()、建物4棟、2棟は私邸、不破哲三名義。2棟は共産党名義、常駐者の宿泊施設・車庫など。不破個人所有地に、共産党所有の鉄筋ビル2棟という不思議。()、渋谷区にある党最高幹部用施設「千駄ヶ谷寮」も使用

常駐者

()、議長引退後も、党本部専従17〜18人が常駐、交代で泊る。()、運転手兼ボディーガード1人、料理人2人、他に不破秘書団、社会科学研究所所員など14〜15人

出版

()、不破個人名義著書90冊。()、2004年、単行本10冊出版、内7冊は新日本出版社(=党中央出版局)、各3000部印刷

社会科学研究所

()、議長特権を使って、社会科学研究所所長に就任、10人幹事体制を再構築()、引退後も、所長の椅子()、2006年赤旗まつりで、所長として「科学の目」メイン講演

 

学習会

()、党中央党学校で『唯物論と経験批判論』講義。()党本部学習会で「代々木『資本論』ゼミナール」講義を1年間→新日本出版社から『レーニンと資本論・7巻』を出版、党本部専従に購読を強要()、現在の党本部学習会で『フォイエルバッハ論』講義。()、学習会への出席専従を指名・選別

議長室の継続使用

()、議長引退後も議長室を使用。()、議長秘書団は解任され、東京都委員会専従に配転。()、残りの秘書は、不破常幹の私的秘書として、津久井の常駐者に変身か?

 

収入

()、常任幹部会員年収約700万円。()、国会議員年金600万円。()、出版著書の印税−2004年度180万円。()、2004年度党中央への寄付金額38.9万円。()、2004年度差引手取り年収1441万円

()2004年度印税の計算式−新日本出版社7冊出版×7冊の定価合計1万円×3000セット=完売としての総売上3000万円。印税率6%×3000万円=180万円()、2005年度党中央への寄付金額10.8万円

野党外交

()、筆坂秀世『日本共産党』が「自画自賛の野党外交」でその実態を内部告発(P.137)()、データはHPリンク

不破夫人問題

()、不破や常駐者にたいし、党方針に介入・指示。()、毛沢東夫人に倣って、「あーせー江青」夫人とのあだ名。()、不破哲三「そのことだけは言ってくれるな」と周囲に口封じ

 

 情報提供者による細部のデータは次である。

 ()、議長引退1年後も、党本部専従17〜18人が交代で常駐しているのに間違いない。宿泊専従も通勤専従もいる。宿泊専従の食事は料理人が作る。その食事代は党中央財政部が出している。不破夫妻はそのお相伴にあずかり、党のお金でただ飯を食べている。つまり、夫妻の食費は、ほぼ全額財政部持ちである。17〜18人が神奈川県津久井まで通う交通費・ガソリン代も財政部が出す。人件費も合わせれば、不破哲三は、私邸体制維持だけのために、党中央から毎月数百万円を出させている。

 

 ()、党本部学習会への出席専従を差別・選別している。参加を許可・指名された専従・中央役員は、次第に「不破さんはさすがにすごい。講義もよくわかる」と言い、不破所長に心酔する。参加専従の不破崇拝病的なレベルにもなってきた。その一方で、志位の素養を見下げるようになってきた。この学習会は、不破グループを拡大する対象者集会に変質させられてきている。実態として、公然とした不破院政による幅を広げた分派集会になっている。

 

 この学習会は、月曜日に、党本部講堂で開かれる。都道府県委員会の仕事や国会における委員会日程が重なった場合でも、許可・指名された中央役員・国会議員は、学習会への出席を最優先する。なぜなら、それへの欠席は、不破常幹・所長への忠誠心の欠落、または、裏切りとの疑惑を持たれる。彼自身が、その出欠点検名簿で幹部の勤務評定をしているからである。学習会がある月曜日、国会の全委員会から、共産党国会議員18人の姿が消えうせる。ちょっと信じられないほどの雰囲気だが

 

 ()、不破個人名義著書も、その購読と感想などが、代々木内で、不破常幹・所長への忠誠者かどうかを分別する踏み絵のように使われ始めた。不破著書販売対象者は、党本部専従800人、中間機関専従3200人、24000支部LC約10万人である。よって、各著書3000部は完売に近い。

 

 ()、中間機関専従の遅配は知っていた。しかし、党本部専従での遅配発生は初めてである。30歳代での平均10万円×12カ月+夏冬各1カ月≒年収140万円の上に遅配である。不破個人特権年収1441万円÷党本部専従140万円≒10倍の収入遅配なしで享受している。なお、『週刊文春・2006年11月9日号』における2004年度印税の計算式は間違っている。7冊分だけなら、180万円が正しい。なお、アマゾンによる「恐竜のしっぽ」(=長期に少しずつ売れる)データの著書があるにしても、その印税収入はしれている。

 

 2004年度出版の7冊・各3000部・計1万円をセット完売したとしても、総売上3000万円である。それを『文春』は、21000部×1万円×6%≒1260万円と誤算した。出版のプロなら、直ちにガセネタと見破る。不破個人特権を暴露・摘発してくれるのはいいが、このように誤った計算式困る赤旗記者・国会議員秘書の仲間に問い質してみたが、そんな計算式など漏らしていないとのことだった。こんなことが起きると、われわれの不破特権批判データの信憑性が失墜する。

 

 ()、野党外交の実態はどうなのか。招待の形式をとるが、押しかけ訪問である。東京外語出で中国語・英語他が話せる緒方常幹・国際局長をいつも、お供に連れて行く。彼にたいし、800人が付けたあだ名は、「外国語が話せる筆やん」である。彼も、不破グループの中心の一人であり、不破賛美の提灯持ち対談をいつもしている。これは、はっきりいって、国会議員の外遊と同質で、最高権力者が行う観光・息抜き旅行である。しかも、党の金をふんだんに使って。

 

 ()、常駐・交代者や私邸訪問幹部らから、不破夫人の言動と、それにたいする不破哲三の口封じ言動も漏れ出てくる。

 

    山椒魚『不破哲三の資本論「研究」と中国「賛美」の老害ぶり』

    新日本出版社『不破哲三の本』他出版社を合わせれば90冊以上

    共産党『日本共産党の野党外交』

 

 

 5、星雲衝突による4つの結果展望と専従800人の選択肢

 

 〔小目次〕

     はじめに−代々木内3グループ形成と党本部専従800人の選択肢

   1、不破分派星雲の勝利とレーニン賛美政党の強化・志位の首すげ替え

   2、志位分派星雲による不破追放・排除と民主集中制緩和→段階的放棄

   3、中間派による不破追放→志位も追放をする2段階党改革クーデター

   4、民主集中制・レーニン理論を全面廃棄した民主的左翼政党への大転換

 

 はじめに−代々木内3グループ形成と党本部専従800人の選択肢

 

 2006年1月第24回大会、不破哲三が議長引退とともに、常幹・社会科学研究所所長も引退していれば、スムーズに志位実権に移行できた。代々木内の二重権力は生まれなかった。兄・上田耕一郎の全面引退と違って、弟・健二郎の山っ気=院政を敷く野心が強かったのか。兄・88億円ビル建設委員長は、ある時、「このビルは、いつか、革命歴史博物館になるかも…」と冗談を言った。すると、常幹たちから袋叩きにあった。彼らにとって、それは冗談どころでなく、自分たちの近未来図と受け留め、日本共産党が瓦解する日の恐怖に慄いて、上耕面罵の叫び声を思わず出したのか。

 

 宮本秘書団私的分派の下で、上田耕一郎・健二郎兄弟は、上田・不破監禁査問「座敷牢」事件・自己批判書『前衛』公表見せしめなどの屈辱を体験した。それら鬱屈した日々を送ったはずなのに、歴史は繰り返すのか。

 

    『「戦後革命論争史」に関する不破哲三「自己批判書」』

    『「戦後革命論争史」に関する上田耕一郎「自己批判書」』

 

 不破の議長引退を契機とする1年間で、()先行していた不破分派星雲が一段と膨張し、()それに抵抗する形で、後発の志位分派星雲が初めて形成されてきた事実に間違いがない。それだけでなく、()不破・志位批判の中間派グループもいくつか形を成してきた。複数からの代々木情報がそれを証明している。それでは、これらの星雲は衝突するのか、その結果展望はどうなるのか。

 

 そして、()党本部専従800人はどの選択肢を求めるのか。いずれかに加担するのか、それとも、どれにも加わらず日和見を決め込むのか。藤沢周平の小説がいつも描く海坂藩のお家騒動では、両派への加担武士・日和見武士が多数登場する。しかし、その主人公たちはいつも貧乏な下級武士と家族である。この代々木版お家騒動にたいし、遅配の下級専従と家族はどう行動するのか。

 

 ポルトガル共産党を除く、ヨーロッパのレーニン型前衛党すべてが完全崩壊した。そのとき、国民・有権者が共産党からの「大逃散」という大転換圧力を掛けたのに呼応し、党本部専従のかなりが党内民主主義を抑圧する犯罪的な組織原則・レーニン理論を全面廃棄する行動に総決起した。資本主義世界で、最後まで唯一残存するレーニン型前衛党にたいし、800人『なにをなすべきか』。それぞれのグループの目論見は、1年間を経て、かなり具体的になっている。私なりに、情報提供者たちが査問をされないようぼかしつつ、まとめてみる。ただし、現時点では、行き先が不透明で混沌としている。

 

 1、不破分派星雲の勝利とレーニン賛美政党の強化・志位の首すげ替え

 

 不破個人特権批判・廃絶要求の中間派を人数に加えなければ、先行する不破分派星雲の方が強力である。中間派が動かないケースなら、不破グループは勝利する。彼らは、志位の指導力のなさ、理論的素養の低さ見切りをつけ始めた。志位に任せたままでは、党勢力・選挙でもジリ貧になる。縮小再生産が続いて、不破グループも共倒れになる、という危機感を強めてきた。

 

 しかも、志位は、不破議長の独壇場だった野党外交分野を奪いだした。今までまるで出かける気がなかったのに、ベトナムに行った。野党外交は、もともと不破議長の特権の一つである。訪問先では、()会談だけでなく、()優雅で最高の接待を受ける。()緒方常幹とペアを組んで、観光旅行も楽しんできた。議長引退後、志位がその特権を容認し、不破領域に侵入しなければ許せる。しかし、志位は、不破・緒方特権を奪う悪質な行動に出た。彼は、危険人物に変質しつつある。他の問題も含め、衝突は避けられない段階になってきた。

 

 もはや、志位の首をすげ替えるしかない。そのはある。彼は、2003年外部飲酒禁止令有無問題のとき、動揺し、どたばた劇を演じ、記者会見もドタキャンした。情緒不安定に陥って、代々木病院に入院した。志位いじめを陰湿に激増させ、その入院劇を再現させる。そして、不破グループから、委員長代理を立てる。そうしておいて、いずれ委員長をスムーズに交代させる。とりあえず、緒方靖夫常幹を、2006年第24回大会において、副委員長に昇格させてある。

 

    『筆坂「政治的暗殺」から「外部飲酒禁止令」へ』志位のどたばた劇と入院劇

    wikipedia『緒方靖夫』2006年1月第24回大会で幹部会副委員長に昇格

 

 不破委員長が病気になったとき、宮本議長は、村上弘副委員長をその代理として、1987年から2年間だけ委員長にした。その経験があるので、病気・入院を名目とする交代クーデターなら、代々木800人からも疑われない。

 

 私は、平常幹になり、1年経った。個人特権と批判されるが、それらは私の功績への報奨である。特権保全・代々木院政のためには、志位を委員長から引退させるしかない。ただ、次期委員長にふさわしい不破グループがいないと、代々木800人の支持が得られない。志位も人望がないが、緒方も人気がない。彼に付けられた代々木内のあだ名「語学のできる筆やん」とは、ごますりの天才・筆坂+東京外語出のブロークン・イングリッシュという蔑称である。

 

 2、志位分派星雲による不破追放・排除と民主集中制緩和→段階的放棄

 

 不破グループによる陰湿な志位いじめの構図には、もはや我慢できない。不破を常幹引退・社会科学研究所所長引退に追い込むしかない。それによって、不破グループを解体・平和的に追放する。彼らが、宮本議長引退・宮本秘書団私的分派解体において使った手口を再利用する。それには、不破グループ中心メンバーの分派活動規律違反行為をまず探し出す。不破哲三らが、小林栄三監禁査問に掛け、秘書団分派中心の一人を転ばせ、宮本顕治と秘書団私的分派を裏切らせたようなやり方こそが上策である。

 

 ただ、志位委員長は動揺性が強く、決断力にやや欠ける。800人における人望がなく、そこから不破全面引退強要クーデターを仕切る力量が乏しい。不破を追い出したがっているのだが、その迫力がない。よって、志位秘書団・秘書団OBが結束を強め、彼を決起させるしかない。外部飲酒禁止令なんか無視し、新宿の飲み屋などで、不破追い出し作戦を練る。ただし、グループの人材難がネックになっている。不破をして、常幹・所長をともに引退させられれば、代々木内二重権力が解消し、空気は一変する。それには、不破の優雅な財政特権・個人特権に強烈な怒りを蓄積してきている中間派を引き入れ、少数派から多数派に転換しなければならない。

 

 不破特権への憤りは、800人内において、議長引退後の1年間激増してきた。その怒りを目的意識的に増幅させ、利用する。それには、志位グループ側からも、不破個人特権データの詳細を、800人に巧みにリークする。それだけではなく、党改革の展望を提示することによっても、中間派の協力・賛同を得る必要がある。そのためには、代々木内民主主義を抑圧してきた民主集中制について、()その運用を緩和する()段階的放棄に向かうという手順を密かに伝える。イタリア共産党・フランス共産党がDemocratic Centralism放棄した経過も、同じような過程を数年間実行している。

 

    『イタリア左翼民主党の規約を読む』Democratic Centralism放棄経過

    『フランス共産党の党改革の動向と党勢力』Democratic Centralism放棄経過

    『コミンテルン型共産主義運動の現状』イタリア・フランスの党改革経過

 

 3、中間派による不破追放→志位も追放をする2段階党改革クーデター

 

 中間派といっても、3つがばらばらに形成されてきた。()不破個人特権批判のみのグループ、()不破・志位とも批判というだけでなく、()不破・志位とも追放する2段階党改革を考えるグループも出てきている。志位は、馬鹿の一つ覚えのように、「支部が主役」と繰り返している。しかし、彼はこの数年間でも、末端の支部会議に出たケースがほとんどない。志位では、もはや駄目だと言う。これには驚いた。ただ、話を聞くと、不破・志位批判は分かるが、2人ともを追放する手順と、その後の党改革のスケジュールがまだはっきりしない。また、2人とも追放した後の御輿に乗るリーダーも見当たらない。

 

 もっとも、2つの星雲激突の中から、突然変異的に隠れていたリーダーが産まれるのか。たしかに、不破グループか、志位グループかに占拠された代々木論壇では、中間派の理論家は登場のスペースが剥奪されている。それがなければ、代々木世論に影響を与えられない。社会科学研究所幹事リストで見たように、『前衛』編集長、『経済』編集長、『月間学習』編集長などは、不破グループで占められている。民主集中制の緩和→段階的放棄をしない限り、党内世論に影響を及ぼす武器がない。

 

 ただ、1991年、ソ連共産党崩壊の数年前から、地下出版(サムイズダート)が花開いた。800人において、このような代々木版サムイズダート、21世紀版の匿名メールブログが飛び交ったら、公認の機関誌よりも威力を発揮する。

 

 しかし、「3代目・代々木のベリヤ」が統率する非政権政党内の秘密政治警察「幹部会第2事務部」が秘匿するインターネット発言党員の摘発・査問システムは高度に発達している。47都道府県委員会組織部は、「党内に巣くう党中央批判分子摘発・対策部」でもある。幹部会第2事務部と315地区委員会組織部とはネットで結ばれている。その摘発の網の目をすり抜けて、代々木版サムイズダートを激発させるのは、かなりの勇気が要る。摘発されれば、専従解任の口頭通告で終わりになるからである。21世紀、党機構内に強力なデジタル・ポリス(Digital Police)を内蔵し、先駆的な摘発業績を上げているのは、世界で、中国共産党と日本共産党の2党だけである。

 

    『インターネットHP攻撃政党』『掲示板発言者摘発・粛清政党』幹部会第2事務部

 

 4、民主集中制・レーニン理論を全面廃棄した民主的左翼政党への大転換

 

 ヨーロッパでは、ポルトガル共産党を除いて、この大転換がなされた。代々木800人選択肢はどうなのか。ただ、私の知る限り、この展望を秘めている代々木専従は一人しかいない。潜在的には、かなりがそれを考えていると思うのだが…。

 

 不破・志位の対立は、代々木内部抗争というレベルにエスカレートしつつある。ただし、両グループとも、それぞれに問題点を抱え、800人からの不信・憤りの高まりを受けて、両すくみにも陥っている。不破分派星雲、志位分派星雲、中間派の複数グループという3者ともが、形成されてきている事実に間違いない。しかし、まだ、生きるか死ぬかの党内闘争が表面化する段階には至ってなく、くすぶっている。もっとも、3グループが和解・妥協するレベルを、もはや越えているので、いつの日にか、代々木ビルは噴火する。

 

 それが深刻化するにつれて、資本主義世界で最後に残存するレーニン型前衛党瓦解のLast Dayが迫る。代々木ビルが噴火するその日まで、座して党の死を待つのか、それとも、大転換に向けて総決起するのかが、800人に問われてきた。

 

 ちなみに、1967年と69年、愛知県党の指導改善運動=党民主化運動が勃発した。そのとき、私はその先頭に立ってたたかった。その先端となった名古屋中北地区委員会は、名古屋市中部北部の10行政区を範囲とし、愛知県党の半分の党勢力を持ち、専従52人を抱えていた。これは、東海北陸の各県委員会の党勢力に匹敵する規模だった。その運動において、地区専従の約30%、地区委員・細胞長数十人が党民主化に立ち上がった。

 

 最終的には、こちら側が分派とでっち上げられ、返り討ちに会って挫折した。「首謀者」とされた私にたいする監禁査問21日間は、1961年第8回大会以降、公表されたデータの中では、日本共産党史上の最長記録である。不破・戸塚・高沢にたいする東大細胞の監禁・リンチ査問は、3カ月間にわたったが、それは1951年「50年分裂」時期のことである。不破哲三は、宮本顕治と秘書団私的分派常幹らによる上田・不破監禁査問とを合わせて、2回の監禁査問を体験している。

 

    『21日間の監禁査問体験』2回の党民主化運動でのたたかい

 

 代々木においても、800人の内、少なくとも20%・160人が、党内民主主義を抑圧する犯罪的組織原則を放棄せよとの運動に、密かに結集すれば、民主的左翼政党に大転換させる可能性が生まれる。ただし、不破・志位分派星雲からの返り討ちに会えば、専従解任の報復を受ける。

 

 日本共産党が民主的左翼政党に大転換したら、真っ青になるのは自民党公明党である。なぜなら、()レーニン型前衛党という独善的体質・理論を維持したままでは、他野党側の方が共産党との選挙協力を拒絶し続ける。共産党との交渉経過・体験から、そのうぬぼれと閉鎖的体質への強烈な嫌悪感・生理的拒否感が滲み込んでいるからである。()、それを全面廃棄することは、衆参院選挙における衆議院300小選挙区・参議院47選挙区の全区立候補という自公政権への実質支援路線=政権交代阻止戦略放棄することになる。

 

 ()民主的左翼政党への大転換は、全野党間の選挙協力に発展する。共同候補・共同リスト実現運動によって、自公政権粉砕し、政権交代を勝ち取ることになるからである。イタリアでは、共産党が左翼民主党に大転換したことによって、初めて真の野党選挙協力組織「オリーブの木」が結成され、政権交代を実現させた。()、そこから、憲法改悪阻止、護憲・活憲の展望を切り開く

 

 

 6、おわりに (追加)

 

 常任幹部会は、2007年1月4日、3中総を開いた。そして、3月8日までの2カ月間の課題を決定した。

 第一、草の根の宣伝・組織活動である。なお、共産党は、票よみと言わず、「支持者拡大」と言う。また、統一地方選という日本語を使わないで、「いっせい地方選挙」と言う。政策面で、憲法改悪阻止を重点に掲げる。

 第二、党勢拡大である。日刊紙でも日曜版でも、少なくとも前回のいっせい地方選挙時を上回る陣地への回復を呼びかけた。この党勢力回復こそを最重点課題とした。

 

    共産党『志位委員長の3中総報告』2007年1月4日

 

 3月9日、党中央は、全国都道府県委員長会議を招集した。そこで、志位和夫は、3月8日までの第二課題の2カ月間達成度を次のように報告した。()党員拡大でも読者拡大でも後退から連続前進に転じた。()、到達点と目標との距離は大きいものがある。

 

    共産党『全国都道府県委員長会議』3月9日志位報告

 

 志位報告は何を示しているか。減紙の数字データは、別ファイル(表3)で分析してある。2006年1月・第24回大会後の12カ月間に及ぶ−4.5万部(推計)もの大量・連続減紙傾向を食い止め、2カ月間だけ前進した。これは、全党的集計において、1月度2月度だけは、47都道府県委員会からの減紙申請合計よりも、増紙申請合計が上回ったことを意味するにすぎない。

 

 しかも、私の専従体験から言えば、増紙申請部数のかなりの比率が、義理チョコならぬ、選挙直前一時的義理読者である。なぜなら、統一地方選の候補者は、議員定員削減市町村の激戦において、生き残りを賭け、自分への一票の担保として、2、3カ月間だけでいいから、日曜版をとってくれと頼み込むからである。その義理読者たちは、選挙が終われば、購読を止める。党大会後と同じく、選挙後からも大量・連続減紙申請が殺到する。この増減リズムは、中間機関専従3200人の常識である。

 

 志位和夫は、少なくとも前回のいっせい地方選挙時を上回る陣地への回復という目標はまるで達成できなかった実態を認めた。前回統一地方選からの4年間−19万部の減紙になっていた。参院選は、6年前の候補者を再選する。6年間の減紙は、192−158.5≒−33.5万部・−17になる。3年前の参院選と比べれば、−13.5万部の減りである。

 

    『歯止めのない党勢力減退で迎える選挙』減紙の数字データ(表3)

 

 かくして、資本主義世界において最後に残存するレーニン型前衛党は、赤旗読者の引きもきらぬ「共産党からの大逃散」のままで、統一地方選・参院選を迎える。毎月1億円の赤字転落新聞社はどうなるのか。平常幹・不破の財政・個人特権熟知しながら、その全面廃絶要求を掲げて総決起しない新築88億円ビルの住民とは何なのか。日本革命を起こすことを職業とする遅配職業革命家800人どの選択肢を選ぶのか。不破特権という末期ガンを摘出できない病状の自称「確かな野党」にたいし、有権者はなお投票するのか。

 

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 〔関連ファイル〕

     『不破哲三の宮本顕治批判』〔秘密報告〕日本共産党の逆旋回と4連続粛清事件

     『不破哲三の第2回・宮本顕治批判』〔秘密報告〕宮本秘書団を中核とする私的分派

     『「戦後革命論争史」に関する不破哲三「自己批判書」』

     『綱領全面改定における不破哲三の四面相』

     山椒魚『不破哲三の資本論「研究」と中国「賛美」の老害ぶり』

 

     『志位和夫の3中総「党勢拡大は最大の弱点」報告』

     『志位和夫「党員5カ年計画」の欺瞞性と空想性』党費納入による党員数の三重帳簿実態

     『筆坂秀世「日本共産党」出版をめぐる動向』筆坂証言における不破・志位の対立

     『筆坂秀世「政治的暗殺事件」とその謎とき仮説』代々木ビル内800人の動向

     『第24回大会決議・中央委報告における15の真相データ』分派発生と衝突の客観条件