住民運動は民主主義の実践

 

水田洋さんに聞く

 

()この副題は、『愛知万博反対運動・新住計画断念を受けて』です。これは、SENKI第1006号掲載インタビューを、同人誌『象37号、2000年夏』に転載したもので、同人誌『象』の編集責任は水田氏です。37号は「特集、日の丸・君が代」になっています。このHPに全文を転載することについては、水田氏の了解を頂いてあります。

 

研究者としての立場と市民運動をやる立場がつながっているから、一歩もひけないということになるんです。

 

オリンピック反対運動から

 

――水田さんたちが反対運動をされている愛知万博については、里山の破壊につながる新住事業(宅地開発事業)を県が断念するという良いニュースがありました。名古屋オリンピック反対の頃から地域の住民運動を続けてこられたということですが。

 

▼名古屋オリンピックも愛知万博も、だいたい構造は同じなんですね。オリンピックの時は、一九八八年のオリンピックを名古屋にもってこようという愛知県や商工会議所主導の誘致運動がありました。財界はこれで儲けよう、政治家は名をあげようというわけです。これが市民生活に利益をもたらさないという理由で、僕たちは反対をして、最終的にはバーデンバーデンまでデモに行って、結局オリンピックはソウルで開催されることになりました。

 運動をはじめるきっかけというのは、当時僕がいた名古屋大学の経済学部の僕のゼミにサッカーをやっている学生がいて、彼と話していたら、あんなのはつぶさなきゃだめだと言う。彼は中学生にサッカーを教えていて、小さなサッカー場は欲しいけれど、あんな巨大なものはいらないと言うんです。なるほどと思って、大学院のゼミの連中にじゃあ反対運動やるかと聞いたら、やりましょうって言うもんで始めた。八○年頃のことです。

 

民主主義の実地教育

 

 「反オリンピック市民運動連合」というのを旗揚げしたら、いろいろな人から手紙や電話が来ました.あるお寺の住職で、草野球のマネージャーをやっているという人がくれた手紙には、毎週野球場を探すのが大変なことが、母親たちからの手紙には子供の遊び場がないのになぜ国際競技場なのかと書いてありました。不動産会社の社長からも電話が来て、先生頑張って下さいと言う。オリンピックがつぶれるとあなたたちは困るんじゃないのって聞いたら、自分たちのような小さなところにとっては、オリンピックが来るということでどんどん地価が上がっちゃうと、マイホームの夢が遠くなって商売あがったりなんだと言うわけです。

 そういうふうに、庶民のいろいろな願いとオリンピックがはっきり対立することがわかった。それでますます張り切って、国際オリンピック委員会のメンバーに手紙も書いた。この手紙作戦はずいぶん効を奏して、バーデンバーデンに行った時に、あなたの手紙を読んで考えを変えたという委員もいました。結局ソウル開催になったのは、われわれのやり方が成功したというよりは、日本のやり方がまずすぎたということだと思うんですが。

 あの時は大学院のゼミ教室を反対運動の事務室に使ってて、それが文部省から咎められたということもありました。文部省から学長へ、学長から学部長のところへ話が来て、僕の教え子でもあった学部長が僕のところへ来て、恩師に向かって申し訳ないけれど、こういうわけでやめて下さいという。こっちは、俺は社会思想史の教授で、民主主義思想を教えているんだ、今、民主主義の実地教育中だから余計なこと言うなって言ったらそれで済んじゃった(笑)。

 

――まさに民主主義の教育ですね。

 

納税者の権利と義務

 

▼ゼミの連中は運動のプロじゃないから、駅前でビラを配ったら反応がよくて皆受け取ってくれて、それで今度の会はきっとたくさん人が来ますなんて言ってたのが、人の流れをつかんでいなかったので、蓋をあけたら知り合いしか来てなかったというようなこともありましたけどね。

 ただ、そこにはオリンピックに金を使われることで市民生活が貧しくなるという、住民自治の問題、納税者権利の問題がありますから、民主主義にとって大事な問題であることは間違いない。国であれ自治体であれ、住民の利益にならないものに税金を使うというのは、税金の本来の主旨からいってあってはならないことです。税金は国民各人が私有財産の成果を享受するための社会的費用として徴収されるのであって、それ以外の用途にあてることは国家権力の乱用にほかならない。

 憲法の前文にも、「国政は、国民の厳粛な信託によるものであって、その権威は国民に由来し、その権力は国民の代表者がこれを行使し、その福利は国民がこれを享受する。これは人類普遍の原理であり、この憲法はかかる原理に基づくものである」とあります。これは代議政治の原則です。民主主義あるいは国民主権は、全員参加の直接民主制が原則であって、間接民主制あるいは代議政治は、巨大社会において民主主義を実施するための手段にすぎません。国民の「厳粛な信託」に背くことをすれば、国会は代理人の権威を喪失する。国民は税金を、勝手にお使い下さいとさしだしているわけではないのです。

 こうした納税者の権利というのは、民主主義の原則にかかわる問題です。だから税金の使い道をチェックすることは、国民の権利であると同時に、義務でもあるわけなんですね。

 

行き詰まる万博計画

 

 オリンピックでは、東山あたりに巨大な施設をつくるということで、あのへんは野鳥もずいぶんいますから、自然破壊の問題もありました。自然破壊の場合には自然がものを言わないわけだから、バランスが崩れて自然に復讐される前にチェックするとすれば、住民運動でやるしかない。そういう自然破壊の問題と、今言ったような税金の使い方の問題、その二つの論理が、今の万博反対の運動でも軸になっています。

 今はどちらの問題ももっと深刻になっています。自然破壊ということでは、海上の森という、一つの里山を全部崩そうという計画だったし、予算の問題では、県も市も財政が非常に窮迫してきている。いろいろな補助金なども削っているわけで、この中で万博をやろうなんていうのは、本当におかしいことです。

 

――最近では国から金が回ってくるということも期待できなくなっていますよね。県としても困っているんじゃないですか。

 

▼そうですね。実際はもうやめたい位でしょう。神田知事にも、今万博をやめたら次の選挙は大丈夫だぞって誰か言ってやれって言ってます。前の鈴木知事は、そのへんも見越して逃げたんだと思います。彼も一応、僕の教え子ですが、直接僕のゼミではなくて、ケインズ経済学をやってました。それで反対運動の中で、始めは僕の教え方が悪くてすみません、なんて言ってたんだけど、最近では、あいつが勉強しなかったのがいけなかったと言ってる(笑)。

 今は本当にもう、きっかけがあつたらやめるんじゃないですか。きっかけというのは、日本の場合は常に外圧ですね。BIE(博覧会国際事務局)がもっと言えば、みんな喜んでやめるかもしれない。新住は批判を受けてやめましたが、そうすると新住であてこんでた収入はなくなるわけだから、財政の負担はますます増えるわけですよね。おまけに中部新空港の問題も抱えてる。空港も漁業補償の問題が出ています。財界としても、この間トヨタのトップが、万博にトヨタからこれ以上金を出させようとしても無理ですというようなことを言っていた。

 万博の問題では、最近、国営公園構想というのが出てきてるんですが、あれは困りものなんです。元環境庁長官の岩垂が出したということですが、万博をやるという前提で、万博をやった後に、新住事業、宅地開発ではなくて、国営公園にしようという話なんです。それならオオタカも守れるんじゃないかという代替案なのですが、国営公園にするには、整備するのに改めて金が必要になる。そうすると更に財政負担は増えることになります。そこにやっぱりまた、土建屋が食い込む。最近では自然保護関係で儲けようとする「グリーン土建」というのも出てきているそうです。

 

――そうした市民運動、住民運動へのかかわりというのは、水田さんの思想史の中ではどういうふうに位置づけられているのでしょうか。

 

マルクス・ボーイだった

 

▼僕が最初に、世の中がおかしいと思ったのは、一五歳位の時、中学三年位の時ですね。その時から君が代は歌わない、日の丸にお辞儀をしないということで通してるんだけど、そのきっかけになったのは、一九四〇年が皇紀二六〇〇年、そのまえから神武天皇から始まって皇統連綿ということを教えられていましたが、それを教える歴史の教師が、これは嘘だって言ったんです。二六〇〇年なんて嘘だと。家に帰っておやじに聞いても、そう、それは嘘だよって言う。そのあたりからだんだん疑問が出てきた。

 その当時で言えば、現体制に対する疑問をとこうとすれば、まずマルクス主義になる。一番頼りになるわけです。それで商大予科(現一橋大学)に入って、そのあたりからマルクス・ボーイになった。と言っても、もう共産党は何回も弾圧されて、まもなく労農派が検挙される時代です。上級生も検挙される。何もしなくても、学生が読書会やってるだけでもつかまっちゃうんだから、これはますますおかしいと思う。

 弾圧も相当ですから、明日革命なんてありえないということはわかってるんだけど、そのへんから、学問として、マルクス主義が思想史の正当な継承者であることを確かめたいというふうになつてくる。それで、近現代史の中のマルクスの思想的な位置を確かめようということから、ルネサンスの研究を始めて、マキアヴェルリにも入っていく。ムソリーニ批判、イタリア・ファシズムのマキアヴェルリ解釈の批判というような形でね。そこで問題になったのは、やはり近代的個人とは何であるかということでした。近代的個人が自由・平等な個人として並ぶ。そうすると社会の組織をなんとかしなきゃいけない。バラバラの個人では生きていけないから、民主主義という体制が出てくるわけです。それでいろいろ読みあさって、マルクスまでたどりついて、そこから一番教えられたのは、人間の疎外ということでした。ただし僕が一番思ったのは、普通言われる疎外、個人の人格の解体ではなくて、権力の疎外だったんです。

 人間が生きるために作った組織が宙に浮いちやって、権力が自立する。マルクスだと精神労働と肉体労働の対立というところから説いています。そういう人間の政治的疎外、そこから人間を取り戻そうという運動が、ラディカルな民主主義運動になるんじゃないか。実はそこに行くまでに右往左往していて、あんまり簡単に行ったわけじゃないんだけど、そういうのが今の住民運動にかかわる原点になっているということです。

 

――はじめはマルクス・ボーイだったわけですね。マルクス主義については、水田さんの書かれたものを読むと、はじめから、そこから学びもするのだけれど、ある程度の距離も取っていらっしゃるように感じます。

 

戦地で触れたヨーロッパ

 

▼マルクスについては、今考えると確かに生産力主義は問題になりますね。マルクスも人間と自然との物質代謝のバランスが崩れるとだめになるというようなことは言っている。マルクスも全然考えなかったわけじゃないけど、今みたいに環境問題がひどくなるとは当然考えていなかった。生産力と技術の発展で全部解消できると思っていたんじゃないかな。

 それから権力の問題については、やはりマルクスは甘い。さっき言ったような権力が自立していくということをマルクスも問題にしていたけれど、プロレタリア独裁にいってしまうわけだから。そういう点については、イギリスの民主主義の伝統的な考え方の方がおもしろいですね。例えばJ・S・ミルのように、反対運動をつくりださなければだめだとか、討論の自由を保障するとかね。こうしたミルの考え方は、マックス・ウェーバーの価値自由、目的−手段の適合関係の検討という考えにもつながります。山之内靖君のウェーバー論ではそこのところが出てこなくて僕はもの足りない。

 マルクスとミルは同じ頃にロンドンにいた筈なんだけど、そのへんではずいぶん違うことを考えていた。住民運動の理論的な原点というのは、むしろミルの言ってることの方になりますね。

 僕がいろいろな思想に学ぶことができたのは、環境にめぐまれていたせいもあります。そもそもゼミのテキストがトマス・ホッブズ、ジョン・ロック、アダム・スミスで、在学中にスミスの著作の一つ、「グラスゴウ大学講義」を翻訳する機会もありました。開戦の年の一二月に繰り上げ卒業となり、その後は東亜研究所の所員、陸軍属としてジャワに行くことになつたわけですが、その時鞄の中に詰めたのが、ホッブズの「リヴァイアサン」、ペンギン文庫のへミングウェイの「武器よさらば」、斉藤茂吉の歌集「暁紅」です。ジャカルタの古本屋では「資本論」のドイツ語訳、オランダ訳、英訳が手に入ったし、ジャカルタ法科大学の図書館には日本で見ることのできなかったボルケナウもある。植民地といってもジャワの知的水準がかなりのレベルにあることを感じ、オランダの植民政策と日本のそれとではずいぶん違うと思いました。

 そこで終戦になって、日本人は捕虜になるわけですが、僕は英語ができるということで、隣の島のスラウェシで、オーストラリア軍に通訳として使われた。その時行ったオーストラリア軍の大隊本部の図書室にも、良心的兵役拒否のことを書いた隊内教育用のパンフレットや、スターリン憲法の解説書があったりしたので驚きました。軍隊でそういうものが公然と読まれている、これも民主主義の蓄積の違いだなと。

 

――最近の日本の政治状況は、自由や民主主義とかけ離れた方向に向かっています。

 

▼一五歳の頃から日の丸・君が代を無視してきたという話をしましたが、昔はそれで処罰をされるということはありませんでした。僕は子供の頃青山に住んでいて、今の表参道から市電に乗って、永田町の中学まで通ってた。市電に乗ったとたんに神宮前を通るわけですが、神宮前を通過ですって車掌が言うと、みんな帽子をとってお辞儀をする。そういう時黙っている。時々憲兵なんかが乗っているとちょっと怖いんだけど、それでもどやしつけられるということはなかった。

 

自主的考えのばす教育を

 

 それが今は強制、特に職場での、教員に対する強制がひどいですよね。内心の自由は保障すると言ってるけど、「内心の自由」っていう論理は、もともとはヨーロッパで宗教改革の頃に、カソリックの押しつけに対して「内心の自由を保障せよ」という抵抗の理論として出てきたものです。カソリックの教義にからめとられていない、内心は自由なんだということで、その抵抗運動の発端みたいなところだけ取って、内心の自由はあるなんて言われても困ります。誰が考えだしたのかわかりませんけどね。はじめから内心の自由なんてものはあるに決まってるんだから。

 教育がそうなっているから、自主的な考え方というのが育たない。そういうところから教師が出てくるわけだから、どんどん悪くなる。僕も歴史の教師に皇紀二六〇〇年は嘘だと教えられたし、学生に聞くとしばらく前までは、高校の時に歴史の先生がいろんな社会問題を教えてくれたっていうのが多かった。しかし最近はそういうのはなくなっちゃって、みんな平均的なやつばっかりになっちゃってる。

 教師たちは上から下まで勉強する時間がなくて、どんどん忙しくなってる。大学でも本当の研究者養成というのは限られていますよ。教育が一番大事にされなければいけないんだけど、それが今の状況ではね。女房(水田珠枝さん)の大学でも、女房が講義してたら、教室の端と端とで携帯電話で話してたなんて言ってね、さすがにこの話をイギリスでしたら大笑いになった。やはり本当の意味で自由主義や民主主義を問題にしていく社会運動が必要なんだと思います。

 

六〇年安保のデモの中で

 

▼僕も生き方としての思想というものを一番実感したのは、運動の中ででした。六〇年安保の時ですが、その時ホッブズをやっていて、ホッブズというのは平等な個人を前提にして、個人個人は放っておくと生きるために殺し合う、万人の万人に対する戦争になってしまうから、平和的な生存を可能にするために国家があるんだということを唱えた。そこから国家というのは生きるための手段にすぎないという考え方と、国家はなにがなんでも絶対に必要だという二つの考え方が出てきますが、僕は太平洋戦争の直前にゼミでホッブズを読んだ時から、生存権の方が権力に優越する、国家は手段であって人間には抵抗権があるんだと考えていたわけです。しかしそのこと、人間には抵抗権があるということを、実感したのは六〇年安保のデモの中でした。

 しかし、生存権をもった人間の相互の関係は、ホッブズではわかりません。

 有名な話で、ヴォルテールが一七三三年にパスカルを批判して、各人の自愛心というものは、他人の自愛心を尊重することをわれわれに教えるといっています。パスカルは神様が好きなんで、人間の自我に対しては、それが表に出るのをいやがった。ヴォルテールはそれを批判したわけです。そこでこれまた有名な、「君の意見には反対だが、君がそれをいう自由は、命がけで守る」という言葉を残している。もっともこれは、ヴォルテール自身の言葉ではないようです。

 こういう考えが、社会が独立の個人から成り立つことを可能にするわけです。個人が独立を保持しながら、社会生活を平和的に営むことができる。そういうメカニズムを明らかにしたのがアダム・スミスだし、運営のルールを説いたのがミルの代議制統治論です。

 自分が何かをしようとする時、これでいいのかと考えるのと同じように、誰かが政策を主張する、その政策に対しても、それでいいのかと反対意見として聞く必要があります。何かを主張しようという時、人間は自信を持っていて、マイナスが見えなくなっていますからね。

 研究の場所から具体的な運動に行くには、いろいろな媒介項を通らなければならないから、例えばアダム・スミスからいきなり運動を説くというのは無理です。スミスからラディカルな民主主義にもっていくためには、ミルが入り、マルクスが入り、ヴェーバーも入って、途中にいろんなものが入らなきやいけない。逆に言うと、今の自分の社会的スタンスがあって、そこからスミスを読むということに当然なる、その間に往復運動があるわけです。

 僕の場合はそういうふうに、研究と運動がつながっている。スミスなりなんなり、いろいろ吸収したうえで、自分の足場を固める、それがどこまでできているかは問題だけど、そういう自分の研究者としての立場と、市民運動をやる立場がつながってるから、ある意味じゃ一歩もひけないということになるんです。

 

以上