続いてモスクワ・シアター・オペラで「ドン・ジョバンニ」。 11/7同じく彩の国埼玉芸術劇場です。ここ(Moscow Chamber Musical Theater が 正式名称)の公演は、3年前の彩芸オープン記念公演で「鼻」を見たことがあります。 原作ゴーゴリー、作曲ショスタコービッチで、主人公の鼻がある日突然 顔から離れて一人歩きを始め大騒動になる、というもの。 一風変わった演目や演出を得意とする劇場らしいです。「ドン・ジョバンニ」は ポピュラーな演目ですが、多分あの演出は普通じゃなかったのだと思う。 (他を見たことが無いから分からないけど!)
会場に入ってまず、あれれ?と思ったのは、オーケストラ・ピットが無い。
ステージの床下に掘って楽団を押し込める、あれです。あれが無い。
生演奏じゃない、なんてこと、ないよなあ。
しばらくして、今度はステージの上を見てはっとしたのですが、黒服のマネキン?
かと思っていた二人の人物がゆったりと動き回っている。「アマデウス」でお馴染みの
宮廷風の衣装、裾の広がった上着、ひらひらのレースからタイツ、靴にいたるまで
黒ずくめのおじさんたちが、無表情のまま、ベンチに座ったり立ち上がったり、
宮殿の衛兵よろしく胸を反らしてポーズをとったり、何やら無言劇が進行中。
で更におや、と思ったのが、脇に立てられた電光掲示板(歌詞の日本語訳を表示する
ためのもの)に、「お客様にお願いします。携帯電話・アラームのスイッチは
お切り下さい」といったアナウンスの文字が見える。つまり場内放送をカットしている。
これらすべてが、観客を自然に劇中に誘うための仕掛けであったことが、 開演と同時に分かりました。
楽団の居場所の問題が解決しないままに
お芝居が始まるのを待っていると、なんとオーケストラが演奏しながら
客席後方から湧いて出てきて、ミミズも含め一番前の真ん中のブロックにいる観客は、
演奏家たちに取り巻かれてしまったのです。
こんなに贅沢な経験はまたとない!彼らがまるで自分の為にそこにいて、
演奏しているような錯覚、王侯貴族の気分です。
やがて前奏曲が終わりに近づくと、彼らはぞろぞろとステージに上っていき、
後方のスクリーンの陰に収まってしまったのでした(なるほど!)。
これから始まる物語への期待感が最高に盛り上がる演出ですね。
話は「トスカ」に比べるとかなり複雑で、登場人物も類型的とはいえかなり人間味が
深いように思うのは、単に演出の影響なのでしょうか?とにかく、
非常にテンポよく、トントントン、とストーリーが展開していきます。
舞台装置を変えずに、椅子やテーブル、衝立などの小道具で場面転換を
はかっているのは、前回見た「鼻」と同じでした。そういう小道具の出し入れや、
台詞のないちょい役(太刀持ちとか給仕係とか)を、
全部前述の黒服二人が担当するんですね。本当に黒子なんです。
(パンフにはテノールと書いてあるけど、一言も発しなかった。)でも、
単なる雑用係ではなく、不気味な黒服が度々出入りすることで、ドン・ジョバンニの
末路を暗示していたように思われます。彼らが、アンコールのとき現れなかったのは
ミミズは不満だなあ。
ま、その黒服ふたりをはじめとして、歌手の皆さん、本当に小回りが利いて芸達者
という感じがしました。登場人物がかなりいるのにミス・キャストを感じさせる人は
一人もいない。若手もかなりいるようですが、歌唱力のみならず演技の力も
相当なものなんじゃないでしょうか。歌の迫力だけで見せる芝居じゃあ無かったです。
そしてそして、音楽がモーツァルトです。モーツァルト!やっぱり彼は天才だったのだ。
なーに今頃になって気づいてんだよ、と言われそうですが、今までこれ程強烈に
そう感じたことが無かったというのは、本当に迂闊な話です。
(いや、私はモーツァルトにせよ何にせよクラシックの知識は全然豊富じゃないです。
でも、「ジュピター」をマンドリン・オーケストラで演奏する、という突飛な経験の
持ち主であるからして....分かってなかったんだなあ、と悔しいやら残念やら)
ああ、モーツァルトの分散和音よ、モーツァルトのフーガよ!何なのこの
重唱の使い方は!!凄い、凄い、凄い!!!人知れず興奮していたミミズであります。
もちろん、見事に弾きこなし歌いこなしていた、オーケストラと歌手のみなさん、
及び巧みな演出があるからこそ感じられる凄さなのですが。
しかし、この凄さは、たかが二つのオペラを
見ただけの私が言うのはもの凄く失礼なことながら、
プッチーニなんぞは及ぶべくもないんじゃないか。
ははは、暴言を吐いてしまった(^^;) 上記の発言に説得力を持たせる方法はただ一つ、
数こなすことですね。うーん、ただでさえ、私の財布の中で金が椅子を暖めた試しは
ないものを。
サンタさん、ミミズのクリスマス・プレゼントは金の成る木がいいなあ。