ほーそうですか。1998年もはや2ヶ月が過ぎようとしているのですね。
はて、ミミズはその2ヶ月間何をやってたんだっけかなあ〜。
なーんて馬鹿なこと言ってる場合じゃない。今年に入ってから既に
山下さん関連のコンサート4つ、そうじゃないの2つ、
シェイクスピア劇3つ、お能1つ、フラメンコ1つ行っている訳で
(実は仕事のせいで歌舞伎を1つ母に譲ってたりもして(TT))、
−−早く書けよなあ。
とりあえず、タッタカ書けそうなネタから。
ミミズにとって今年は勝手ながらシェークスピア年なのです。彩芸が こういうこと 始めたせいですが、ま、Shakespeareと聞けば英文科の血が騒ぐ、っていうか、 実は殆ど読んでない後ろめたさがある、っつーか。一つ気になると、次から次へと 芋蔓式に見たくなる性は音楽の場合とまったく同じ。困ったものです。
●1/16「ロミオとジュリエット」 @Bunkamuraシアターコクーン
演出:ノノン・パディーリャ
出演:和泉元彌(ロミオ)・羽野晶紀(ジュリエット) 他
意欲作だったのだと思う。実はこの時期、この辺の劇場で立て続けに 3本のロミ・ジュリが上演されていて対抗意識がチラシにまで現れている! (あとの2本は彩芸と俳優座。それに、たしか5月くらいに イギリスから有名どころが来る予定で、これはグローブ座だったはず。)
舞台を国籍不明のアジアの大都市に設定して、ロミオは常に一眼レフを首から下げ、
大好きな友人たちや恋人を撮影しまくるカメラ青年。モンタギュー家はセキュリティ・
システムばっちりで、ジュリエットの部屋にはコンピュータがあるという。
あの「ロミオ、ロミオ、どうしてあなたはロミオなの?」の場面は、コンピュータの
画面とインターフォンを介して展開するのです。
そのような設定にした上で、現代にも当てはまる作中のメッセージを片っ端から
クローズアップ。家族のあり方、母性と父権について、親離れ子離れ、暴力、若者のいらだち、
大人の打算....。それらの間を翻弄されていくロミオとジュリエットの恋。
−−−私には、そんな風に見えました。羽野晶紀のジュリエットは、
十二才の女の子の雰囲気が良く出ていてなかなか好きでした。ロミオも、まあまあ
好青年ぶりを発揮してたかな。毒薬を貧しい薬屋から買う場面は、結構迫力あった。
役者さんたちは総じてそんなには悪くなかったと思う。
特徴的だったのは、ロレンス神父の罪を問いたい、という明確な意志があったこと。
まあ、そういう切り口は分かる。でもだからといって、
何でいきなりオイディプスよろしく神父の両目をえぐって血を流させ、
場面一転、実は全ては罪を悔いる元神父が弾き語りで回顧する、
ナイトクラブでのちんけな出し物でした。なーんて結末をつけたんだあ!?
あまりにも不可解、あまりにも押しつけがましい。
あれも見せたい、これも訴えたい、こんなアイデアもあるぞ。色々と仕掛けがあるわりには
緻密さにかける演出だったし、はっきり言って嫌いです。
シアターコクーン、はずしたねえ....。