妹が誕生日に送ってくれた「雲南の豚と人々」という本が手元にある。
伊藤真理さんという女性カメラマンの作品だ。雲南に10年間30回も通い詰め、
あちらで野飼いになってる豚を中心に風物や人を写し続けているそう。
中国では子沢山の豚は縁起物らしく、中華街に行くと可愛い置物など色々と売っている。
(実はこないだ、誕生日のお祝いに好きなものをお買いなさい、ともらった商品券で
一匹買ってしまった。前から気になってしょうがなかった子なのだ。可愛いでしょう?)
雲南でも豚は大切にされているのだろう。我がもの顔で街の中を闊歩してたりするらしい。
愛らしい子豚、たくましい表情の母豚、軒下でごろんと昼寝の大豚。
勝手に家を出ていって、そこらで好きに餌をあさって、夕方にはまたご帰宅あそばす。
気ままな豚の生活が写し出された写真は、本当に見ていて飽きない。
でもその実、こいつらはそのうち喰われてしまう豚。考えてみれば当然で、
乳牛や毛を取る目的の綿羊なら食べられる確率も低かろうけど、たいがいの家畜は
食肉目的のはず。こないだまで一緒に市場を散策していた豚が、今日はお肉のかたまり、
という現実を雲南の人たちがどう受け取めているのか。
家畜と暮らしたことのないミミズの想像を超える。
豚を追い続けている伊藤さんは、そういう現実を目の当たりにしているだろう。
承知の上で写した作品に悲壮感はみじんもない。強いなあと思う。
あとがきを読むと、彼女はミミズとほぼ同世代でアメリカ生まれの帰国子女だった。
日本語ができなくていじめに合い、将来の夢を「冒険家」などと語って「女らしくない」と
ひんしゅくをかったそうだ。
...そうだったっけな?と、我が身を振り返る。ミミズも子供の頃から「自分らしい」ことは
「女らしい」ことに優先すると思っていたし、これはうちの親の考えにかなり影響されている。
両親は、娘3人を女の子らしく育てようとはしなかった。それぞれの個性を活かして、将来
ひとりで生きていける人間にすること、が教育方針だった。うちの両親は例外的な存在だったのだろうか?
もっともそういう育てられ方をした割には、将来に大きな夢も希望もいだかず覇気や主張のない子供で、
それが周囲のいじめ心を誘ってしまい、やっぱりミミズはいじめられっ子だった。
自分を日本社会の型に合わせようと努力していた伊藤さんは、子供の頃の夢を思い出して我に返る。
すっぱり会社を辞めて、写真家になった。建前社会を蹴飛ばす勇気が豚の現実を直視する力なんだろうと思う。
そしてミミズは、子供の頃と相変わらず将来に夢も希望もいだかず、年がら年中自分を見失い、
どうかするといじめられっ子になって不平たらたらで毎日を送っている。
...そろそろ自分も、蹴飛ばしてみようかしらん?
●「雲南の豚と人々」・・・・・・写真・文 伊藤真理/2001年11月1日初版(JTB)