キーマスター 《翠玉》のチェストブレイカー


皆川ゆか・川瀬弓鶴
イラスト フ子

(お試し版)

プロローグ


(あれは何だ?)
 イヅナは思う。
 いや、何かはわかる──
人間だ。
(でも、飛んでる)
 イヅナは思わず、助手席のシートから身を乗り出した。
 助手席側にあるガードレールのわきは崖で、先には向かいの山の尾根が見える。
 その緑の稜線 りょうせん から、人影が飛び立っていた。
 青い空に放物線を描いている。距離にして百メートルほどか。まだ朝も早い時刻だ。は東の山稜 さんりょう にあって、柔らかな光で飛び立つ人の姿をくっきりと照らしている。
「あぁ、彼女か」
 運転席の葦矢 アシヤ も、人影をみとめていた。眼鏡の奥の目をたのしげに細めている。
 彼女……飛んでいるのはまだ十代の少女だった。
 頭の高い位置でひとつに結った黒髪が、長い尾のようになびいている。燕尾服 えんびふく を思わせる裾の長い上着に、スカートといういでたちだ。自分が入学する学園の制服だと、イヅナは気づく。
(なら、高校生?)
 しかし、
「飛んでますよ」
「跳んでいるんだ」
 葦矢は訂正する。
「彼女クラスなら、常人の十倍以上の脚力がある。あのくらいならジャンプできる」
 葦矢は、これから向かう学園の教師だ。入学式にイヅナを出席させるため、こうして朝早くから車を走らせている。
 年はイヅナより、ひとまわり以上離れていた。ただ、正確な年齢はわからない。癖の強い髪を長めに伸ばしたスタイルにアンダーリムの眼鏡が、教師というより学生か、大学院生といった印象だ。風貌自体、せいぜい二十代の後半にしか見えない。ところが、物腰には妙に落ち着いたところがある。
 老成しているものか、若々しいものか……イヅナにはどちらとも判断がつかない。
「あぁ、そうか」と葦矢はあらためて納得した様子で言う。「君が機師キーマスターの戦いを生で見るのは初めてだったね」
 戦い?
 疑問の目を向けると、葦矢は「ほら」といわんばかりに、顎で示した。
 彼女へ向け、稜線の一角から線が引かれた。空中を伸びていくものがある。
「鎖?」と、イヅナには見えた。
 宙を はし り、少女へ向かっている。先端にあるのは分銅だ。
 あの速度で命中すればタダでは済まない。
 よけて!
 イヅナの おも いに応えるかのように、少女は身をひねった。宙に描かれるラインをかわす。だが、鎖をコントロールしている者がいる。彼女の脚に絡めようと、分銅が引き戻される。
 危ない!
(……蹴った?)
 イヅナは目を見張る。
 鎖を蹴っても軌道を変えることはできない。逆に先端の分銅が絡んでくる。回避するには、正確に分銅だけを足先で蹴るほかない。
「まぁ、キリネくんならあの程度は造作もない」
 葦矢の反応はイヅナとは対照的だった。
「彼女は二歳で機師として覚醒した天才だからね。おそらく、次の世代の機師では十指に入る才能の持ち主だ。もちろん、それだけ ほふ った機師の数も多いということではあるがね……」
 不意に言葉を切り、葦矢はブレーキを踏んだ。イヅナの背はシートから浮き、ダッシュボードにぶつかりそうになるのをかろうじてシートベルトが引き留める。
 目の前でボンネットが大きく へこ んだ。
 何かが落ちてきた。
 人の形をしているが、空にいた彼女ではない。
 ロボットだ、とイヅナは思った──
背面に何枚もの羽根 フィン を備え、人型のボディに装甲をまとっている。いや、装甲というよりは、機械の よろい だ。手にしているのは盾と小銃……
 白を基調とした装甲の間には、エメラルドのように鮮やかな緑のパーツが見える。
(違う、ロボットじゃない)
 ボンネットから身を起こす姿に、イヅナは気づく。
 鎧の下にはボディにぴったりと張り付くアンダーウェアが見えた。色分けこそ、装甲と同じだが、武骨な機械の印象はない。滑らかで、生物的な曲線を描いている。
 ……女の子だ。
 緩やかなウェーブを持った薄いピンクのミディアムヘアが、空気をはらんでふわりと膨らむ。
 あどけない顔立ちをしていた。年はイヅナより下だろう。せいぜい十二、三歳か。
 カチューシャのようなヘッドセットだけがメカニカルな印象を与えた。
 細い顎がツと上がる。
 緑の瞳がイヅナを捉えた。
 血色のいい、唇が動く。
「あれ? あなた……」
「スイネくん、困るよ」
 葦矢が運転席の窓を開け、顔を出した。
『スイネ』と呼ばれたボンネットの女の子は、
「あ、葦矢先生……おはようございます」
「やれやれ。相変わらず、呑気 のんき なコだね」葦矢は嘆息する。「死合 しあい はかまわないが、私の愛車を巻き込むのはやめてくれたまえ」
 イヅナを乗せている葦矢の車は、丸っこいボディの古い外車だった(ずいぶん以前に生産を終了したフォルクスワーゲンをリストアして使っている)。
 葦矢の言葉にスイネはようやく自分がどこにいるか気づいたらしい。「すみません」と慌ててボンネットから退いた。
 スイネの身長は顔立ちの年相応という感じか。アンダーウェアが教える身体 からだ の線も華奢 きゃしゃ で、未成熟だ。胸まわりは鎧めいた装甲に包まれていたが、ここに隠された双丘も外見相応に小さいことはまず間違いない。
「スイネ!」と、今度は別の声が彼女を呼んだ。
 ワーゲンの後方からのものだった。振り返ったイヅナはリアウィンドウ越しに着地する少女の姿を捉えた。
『キリネ』と葦矢が呼んだ子だった。着地の衝撃と勢いに彼女の足はアスファルトの上を滑り、軌跡が黒い焼け焦げを残している。足元を固める編み上げのブーツが特別な素材なのだと、イヅナは察した。だが、それ以上にあの高さから着地して、なんのダメージもないことに驚く。
(これが機師の力……)
 キリネの顔立ちに、イヅナは彼女が自分とそうかわらぬ年だとわかった。ただ、険しい表情と りん とした雰囲気に上級生めいた印象を与えられる。
「ぐずぐずするな、スイネ!」
 キリネは言い放つ。男勝りの鋭い口調だ。イヅナはもちろん、葦矢の存在すら眼中にない。
「ぐずぐずなんてしてないってば」スイネは、 ほお を膨らませる。「それから、いつも言ってるでしょ。こういうときは『お姉ちゃん』て呼んでいいのよ、キリネちゃん」
「キリネちゃん、言うな!」
挿絵サンプル「もぉ、キリネちゃんてば、恥ずかしがり屋さんなんだから……」
 シャッ、という射出音が言葉をさえぎった。
 スイネは同時に反応している。手にした盾を構える。
 盾、というよりも〝シールド〟だとイヅナは思う。構えた瞬間、盾は変形、展開していた。ただの防御板ではない。防御のための機構を内装してある。
 カカッ、カカッ。
 シールドが金属音をたてる。
 射られたのは長さ数十センチもあろうニードルだった。シールドで はじ かれたニードルはワーゲンのボンネットに突き刺さる(葦矢がかなしげな声をあげた)。
 ニードルが飛んできたのは右手にある森からだ。
「来るぞ」
 キリネの言葉に応えるように、生木の裂ける音が響く。羽音とともに、森からメジロが飛び立った。
 森の奥から、ヌッとクモが現れる。
 イヅナの乗るワーゲンよりもふたまわりは大きい。
 しかも、生物ではない。スイネ同様、金属の装甲を持つ、クモ型のロボットだ。
 背には忍者めいたいでたちの男が立っている。眉のない骨張った顔に、ぎらぎらと光る目が剣呑 けんのん だ。手に鎖鎌があるところを見ると、
(こいつが彼女を狙ったのか)
 イヅナの考えを裏付けるように、男はワーゲンの中に葦矢の姿をみとめて笑う。
「貴様がいるならちょうどいい。名にし負う葛ノ葉 クズノハ の機師・キリネと、機装戦騎 マシーナリィ ・《翠玉 すいぎょく 》を、この黄沖 フォアンチョン が仕留めるさま、とくと見届けてもらおうか」
 機装戦騎・《翠玉》──
『スイネ』と呼ばれた少女のことだとイヅナにはわかる。彼女もまた、機械なのだ。あんなに生き生きとして見えるのに……
「ふむ」と、葦矢が考え込む様子になった。「それは難しい注文だと思うね。そもそも君が葛ノ葉キリネを たお せるとは思えないんだ」
「ぬかすなっ!」
 怒気をはらんで黄沖が鎖鎌を放った。葦矢の動きは素早い。黄沖の攻撃を予期していたかのように、シフトレバーをバックへ入れる。鎖鎌は後退するワーゲンの鼻面をかすめた。
「さすがは葦矢先生、よくわかっている」
 その隙に、キリネがワーゲンの脇を駆け、スイネのほうへ向かう。
「させるかよっ!」
 黄沖の意志を受けてクモが攻撃を仕掛ける。口から射出するニードルでスイネを牽制 けんせい
しつつ、尻部からはキリネに向け、白い粘液を放った。
 どぴゅっ、どぴゅっ──
こんもりとアスファルトに粘液の山ができる。
「トリモチか!」と、キリネは跳び退がり、ついさっき擦れ違ったワーゲンを飛び越える。後方に着地したキリネに、葦矢は慌ててブレーキを踏んだ。
「先生、悪いが、車を使わせてもらう」
 言うなり、キリネはワーゲンを蹴った。中にいる葦矢やイヅナの意向などかまわない。彼女の脚力をもってすれば、葦矢の愛車を蹴り飛ばすのも容易だ。
 路面から浮き上がったワーゲンは黄沖のクモへ一直線に飛ぶ。
「邪魔なんだよっ!」
 黄沖はクモに粘液を噴き出させる。まさにクモの糸だった。飛んでくるワーゲンに粘液を絡めると、そのまま、尻を振って放り出す。
 ワーゲンはアスファルトの路面を数度バウンドし、ガードレールにぶち当たってようやく止まった。だが、キリネがワーゲンを蹴り飛ばしたのは陽動だ。
 隙を突いて、シールドを掲げたスイネがクモへぶつかっていく。背部の羽根から発する推力も加わり、金属の巨体が浮き上がった。
 さらに至近距離から小銃の引き金をひく。銃と見えたものの、ち出されるのは金属の弾丸ではない。エネルギーの塊だ。
 閃光 せんこう 轟音 ごうおん
 すごい、と思わず、イヅナはつぶやいた。
「まだだ、終わっていない」
 葦矢はずり落ちかけた眼鏡のブリッジをツと押し上げて、ワーゲンを発進させた。ガードレールから離して、森の側に寄せる。
 スイネの攻撃で弾き飛ばされたクモはガードレールをねじ曲げ、黄沖もろとも音をたてて崖下へ落ちていった。
「ここからがキリネくんたちの本領発揮かな」
「本領?」とイヅナは疑問の目を向ける。
「機師がなぜ、〝『鍵』を つかさど る者〟と呼ばれるのか、ということだよ」
『鍵』を司る者──
キリネも、葦矢同様、今の攻撃が時間稼ぎにしかなっていないことを理解している。
「スイネ!」と呼びかけた。
「お姉ちゃんでしょ!」
 言いながらも、スイネは跳び退がり、キリネのそばに立つ。「ほら、開きなさい」と、キリネの腕に身を預けた。
(開く?)
 イヅナはキリネの手に『鍵』があることに気づいた。
 アンティークな印象を与える『鍵』──
 応えるようにスイネの胸当てが開く……〝開く〟とはこういう意味なのか。
 そう思いかけたイヅナの中で、違う、と誰かが ささや く。『鍵』だ、とイヅナは思う。
 契約を結んだ機装戦騎にあの『鍵』を使うから、〝キーマスター〟なんだ。
 胸当ての下に現れたアンダーウェアが開いた。裂けたのではない。幾何学的なパターンを描いてパズルのピースとなっていた。右へ左へ、上へ下へ、次々に位置をかえていく。
 アンダーウェアの下から、白い肌があらわになる。
 キリネが腕を回していることで、スイネの華奢さがいっそう際立って見えた。装甲を身にまとってはいても、スイネの身体そのものはキリネよりも頭ひとつ近く小さい。〝お姉ちゃん〟を自称しながらも、すべてがキリネに比べて未成熟だった。
 ゆるやかなラインを描く双丘。ようやく膨らみかけた胸。
(わっ)と、イヅナは目を覆う。
「見ておきたまえ。これが機師の本当の力だ」
 葦矢の言葉に、イヅナは指を開いた。ごめんなさい、と口の中でびながら、隙間から覗き見る。
 開くのは胸当てやアンダーウェアだけではなかった。スイネの胸も、パズルのピースとなって位置をかえている。
 現れたのは鍵穴。
 キリネが、手にした『鍵』を挿し込んだ。
「あぅ」とスイネの唇が声をらす。びくっ、と身体がのけぞった。
 ぐい、とキリネは『鍵』を回す。
 ガチャッ──
ロックの外れる音があたりへ響く。
「ぁん」と吐息とともにスイネの細い顎が上向きに突き出される。
 薄いピンクの髪が生き物のようにうねる。
 音を立てて、スイネの身体が開いた・・・
 胸もとから腹部にかけてが、からくりか秘密箱のような動きを見せた。かちゃかちゃと段階的に、スイネの身体は立体パズルとなって位置を変えていく。
 イヅナの目はそのさまに釘付 くぎづ けになる。
 同じような光景を見たことがある。ほんの数週間前。すべてが変わってしまったあの日──
 穴に突き立てたままの『鍵』を、キリネは引き上げる。寄木細工が激しく行き来し、鍵穴の下へ次々に連なっていく。
 キリネがスイネの身体から引き出したのは、 さや に納まった日本刀だった。スイネの身体がたった今、生成したものだ。刀身はスイネの胴体に、とうてい収まりきる長さではない。
「あれは……?」
「葛ノ葉家の機装刀 マシンブレード 、〈九尾〉」
 葦矢が告げた。
 キリネが崖へ向け、言い放つ。
「遅かったな」
 ガードレールの向こうから、真っ白な粘液が飛ぶ。糸のように伸びて森の木々に絡みつくや、崖下から跳ねるようにしてクモが飛び出してくる。クモの背にいた黄沖は、キリネの手にある機装刀に気づき、忌々しげに口をゆがめた。
 キリネは得物を腰のベルトへ差して、つかへ手をかける。
「わたしに剣を持たせた時点で、おまえに勝機はない」
 ぶん、とキリネは抜刀した。
 イヅナの目には、九本の空気の流れが見えた。陽炎 かげろう さながらに空気が歪むのがわかる。
「小娘が生意気をッ!」
 鎖鎌の分銅が飛んだ。金属の硬い音とともに、キリネの機装刀に絡みつく。
 手にした鎖を、黄沖はたぐり寄せる。
 黄沖も機師だ。キリネとの間にぴんと伸びた鎖が徐々に短くなっていく。抗してキリネは膝に力を入れるが、黄沖側の力が強い。キリネはじりじりと引き寄せられていた。
 機装刀にかかっているのは黄沖単体の力ではなかった。機装戦騎を使っていた。鎖をクモの右前脚に絡め、その力も利用しているのだ。
「こいつをただの機装戦騎と思うなよ」
 クモの口からニードルが射ち出される。狙いはキリネだ。
 間にスイネが割って入った。シールドでニードルを弾く。機装刀を引き出された寄木細工の状態から、もとの姿へ戻っている。
「キリネちゃん、あいつの脚!」
 スイネが言う。黄沖の一連の動きから何かを悟ったふうだ。そのひとことでキリネにも意味するところは伝わっている。
「承知した」
 応えるなり、機装刀に力をかけた。鎖を絡めたまま、両腕をたわめるや、ぶんと振り回す。
 クモの巨体が浮き上がった。そのままごろごろとアスファルトの路面を転がってしまう。
 黄沖はバランスを崩して振り落とされた。着地したところへスイネが顔を向ける。黄沖は跳ねるように後退 あとじ さった。足もとのアスファルトが煙を上げる。スイネのヘッドセットに装備された牽制用のレーザーが不可視の刃を放っていた。
 一方、キリネは機装刀に絡んだ鎖を利用する。そのままクモの巨体を引き寄せて、気合いとともに鎖のまといつくまま、機装刀を振り下ろした。
 金属の装甲など、〈九尾〉の前では紙にも等しい。クモの右の前脚は、スパッ、と一撃で切断されていた。断面からは火花が散り、クモはがくりと体勢を傾かせてしまう。
 だが、これでクモが停止したわけではない。キリネへ向けニードルを放つ……より早く、スイネのシールドがクモの頭を突き上げていた。ニードルは空を射つばかりだ。
 その隙にキリネがクモの前脚を拾った。戦いの邪魔だといわんばかりに、放り投げる。
 イヅナの乗るワーゲンにぶち当たった。慌ててイヅナは身を かが める。
 フロントガラスを突き破り、前脚はイヅナの頭上を貫いた。それでも、イヅナは戦いから目をらすことができない。ダッシュボードにへばりつくようにして、ひび割れたフロントガラスの向こうに少女たちの姿を捉えていた。
 キリネの動きには切れ間がない。そのままクモへ機装刀を浴びせかけた。
 一旋──
 しかし、クモの装甲に現れた裂け目は九本。太刀そのものが疾った軌跡ばかりではない。〈九尾〉のひと振りで、キリネは八本もの衝撃波を生み、クモの装甲を引き裂いたのだ。
 だめ押しとばかりに、キリネはクモの腹を蹴った。裂け目から絶え間なく火花を吐き出しているクモには、もはやなんの抵抗もできない。さらにそこへスイネのエネルギー弾が火を噴いた。装甲が破れていることもあって、先ほどの頑丈さはもはやない。亀裂から内部へ撃ち込まれたエネルギー弾にクモは爆発、四散した。
 イヅナは大きく息を吐いた。自分がずっと息を詰めてキリネたちの戦いを見ていたことに気づく。かたわらへ目をやれば、クモの前脚があった。もはやピクリとも動く気配はなかったが、イヅナはおそるおそる手を伸ばした。
 指先が触れる。金属の硬い装甲は、ひと肌のように温かかった。
 と、不意に装甲の表面が動き出す。
 先ほど、スイネの身体に生じたのと同じだ──
開いていく。装甲がパズルのように割れ、秘密箱さながらに移動していた。
(なんで、機械の中にこんなものが入っているんだ?)
 少女の腕があった。
 寄木細工と化した装甲の内側に、白く、か細い腕が入れ込まれている。だが、しっかりと見ることはできない。
 キリネがフロントガラスからクモの前脚を引き抜いていた。
「おまえには関わりのないことだ」
 イヅナを一瞥 いちべつ して、キリネはぴしゃりと言う。
 機械仕掛けの前脚だったが、機師の腕力をもってすれば、どうということはない。キリネは片手で軽々と持ち上げた。肩に載せると、破壊されたクモの持ち主へ言い放つ。
「ヤツも託す相手を間違えたようだな」
「機師の死合は、どちらかが道を絶たれるまで終わらぬわッ!」
 言うなり、黄沖は後方へ跳んだ。そのまま崖下へ飛び降りる。
「先生」と、キリネは車内の葦矢へ落ち着きはらった声で言った。「入学式には少々遅れるかもしれません。学園のほうには先生からよろしく取りなしておいてください」
「かまわない。ただ……私の車のほうはどうしてくれるのかな?」
「まだ走ります。式には間に合いますよ」
「そういう問題では……」
 けれど、キリネはすでに黄沖を追いかけている。地を蹴って崖下へ跳んでいた。
 スイネも続きかけて、思い出したように身を止め、
「じゃぁ、先生、よろしくお願いします」
 ぺこりと頭を下げた。それから、「あ」と気づいた様子で、
「そっちの君も、またね」
 と、イヅナへ手を振った。
「スイネ! ぐずぐずするな!」
 崖下からの声に、スイネは「ぐずぐずしてないってば!」と応えて、跳び下りた。もっとも、彼女は腹に据えかねているようで、くどくどと文句を言う声が洩れ聞こえた。
 ……だいたい、キリネちゃんはがさつなのよ……お願いするときにはちゃんと頭を下げて、きちんと言わないと……ほんと子供なんだから……
 イヅナは葦矢へ困惑の表情を向ける。葦矢は応えて、
「これが、君の開いた世界ということだよ」
 機師と機装戦騎の世界だ、と暗に語る。そして、と葦矢は眼鏡の奥で目を細めた。
機匠 キーメイカー だけが、機装戦騎をつくることができる」
「機匠……」
 反芻 はんすう するようにつぶやくイヅナへ、葦矢はうなずいた。
「それが君の才能だ」


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