スペイン・ポルトガルの旅  (1)

1997年12月25日(木)−1998年1月2日(金)9日間

12月25日
成田12:30分エールフランス機でパリへ。約12時間 かかる
空港で燃料パイプラインの故障で3時間待たされ、マドリドのホテ
ルにはそれから2時間後の現地時間で21時30分に到着。疲れて
いるが、飛行機で寝ていたので、あまり眠くない。
12月26日午前、マドリッド市内観光(プラド美術館、王宮、スペ
イン広場等)
   プラド美術館はベラスケス、ゴヤ、エル・グレコを中心に良
く説明してくれたので見応えがあった気がした。教科書等で見た絵
が沢山あり懐かしさを感じた。マドリッドへ来て、プラド美術館に
よらないのは、罪になるとスペイン人が云っていたのはもっともなこと
だ。又、絵を洗って補修した物は、とても彩色が良いが、何か重厚
感が足りない気がするが。館内はフラシュ禁止であったが、外人の
観光客がフラシュを炊いたときには、ガイドさんの顔が硬直するの
がわかった。ガイドの資格を剥奪されるのだろうか。
スペイン経済(ガイドさんの話)
非常に旨くいており、日本の自動車や各国の自動車の組立工場も多
く、EC各国から部品を輸入して、組立てEC諸国に供給している
との事。(工賃が安いのだと思う)
平均給料は15万ぐらいで十分に暮らしていける。教育費は高校ま
で無料で大学では10万ぐらい。定年は65歳で年金はヴァカンス
の時にも一般労働者とおなじに余計にもらえる。税金は所得税18
−20%、医療費4.8%失業保険4.6%合計26%ぐらいだそ
うである。税収は1位ガソリン税、2位所得税(法人税も含めると思う
)3位は観光収入で10%ぐらい。若い2人が結婚するときには住
宅の頭金300万をためて、土地付きの家2000万ぐらいの家を
郊外に買うのが一般的である。今までの長い歴史の中で社会資本が
充実して、現在の経済運営が旨くいっておれえばこうゆう事になる
のもうなずける。因みに日本には輸出超過だそうです。
 上記の事が真実かどうかはわかりません。皆さん、どうか調べてみ
てください。                                     
                   以上、1回目報告終わり。

                        スペイン・ポルトガルの旅 (2)

12月26日午後(街そのものが文化遺産のトレドへ)
マドリッドは王候貴族がトレドからわざわざ狩にやって来て熊や鹿等
を狩猟したとのこと。またトレドに帰るのがめんどくさくて、ここを
都にしたとのこと。確かにマドリッドはトレドに比べて平坦で街を自由
に大きく広げられる。
 9世紀後半、現在の王宮のところにアラブ人が支配する砦があって、
トレド防御のためにキリスト教徒の動きを監視していた。この砦は
マヘリットMaheritと呼ばれ、これがMadridの由来。
マドリッドではまだまだ色々のことが思いつくが、これもNHKのスペ
イン語会話講座(ラジオとテレビ)で大分、予備知識がついたお陰だと思
うが肝心の会話の方はいまだに、良く話せない。
  今回の旅行ではバスでポルトガルのリスボンまで1250Km旅する事になるの
だが、最初の見学地トレドまではアランフェスによらず70Kmぐらいの
行程で約2時間弱かかり、ホテルには夕方に着く。、食事は魚のフライが
おいしかった。今回の旅行は全て飲み物は各自が別に好きに注文し、支払
う。赤ワインかビール、パエリャの時だけシェリー酒を注文した覚えがあり
1000−2000円ぐらいで結構おいしく飲めた。
  トレドは1561年にマドリッドに首都が移されるまでレコンキスタの
中心都市であり「スペイン史の比類なき要約」としても「もし1日しかスペ
インを見られないのだったら、迷わずトレドへ」といわれている。トレドは
タホ川にのぞんだ丘陵地帯に街がひらけ、自然の地形を利用した城塞都市で、
その中の細い曲がりくねった坂道に石造りやレンガ造りの家々、点在する
ムデハル様式(回教芸術にキリスト教の要素が混入して、キリスト教会等を
作る建築様式)の塔、ゴシック様式のカテドラルがあり、一番上にアルカサル
(王城)がある。歩いて、観光や買い物も出来、安全であるので、夜の散歩
を堪能することが出来ました。
 会話クラスの2時間めにはスペインの歴史等を勉強するのも楽しいのでは
ないかと思う。
                                        以上2回目報告終わり。



                        スペイン・ポルトガルの旅 (3)

12月27日(トレド 市内観光、途中コンスエグラの風車を見ながら
       グラナダへ)
 トレドは西経4度、緯度40度で横浜は東経140度、緯度35度であり
時差は9時間半ぐらいある。緯度的には盛岡ぐらいであるがあまり寒くは
ない。星空もだいたい同じ星であると思うが確認はしなかった。
 日の出を見ようと思って、朝、子供をむりやりお越し、アルカサール前の
崖の上にいってみたが、対岸の丘から日はあがり写真も良く撮れなっかた。
 昔、この城塞を守っている時には、あの丘に敵が何千といるのが見えたの
ではないかと、想像してみる。またフランコ軍が立て籠もったというのは、
どこの場所なのか。ともかくトレドは戦いで破壊された跡があまりなく、
第2次世界対戦にも巻き込まれなくて良かった。(スペイン全土にいえるこ
とだが) 11世紀のトレドのレコンキスタの時はどうであったのか、興味
はつきない。
カテドラル(13世紀に250年かけて作った、ゴシイック様式の教会)、
エル・グレコの絵のあるサントメ教会等を観光し、バスでトレドの対岸の丘ら
トレドの全景をながめるが、エル・グレコの絵とあまり変わっていない。
トレドの外に、新しい建物が整然と並んでいて、文化遺産としトレドを
残して行くという意図がよく分かる。
昼食は何を食べたか忘れたが、オリーブで赤ワインを飲んだことは覚えて
いて、子供はオリーブは好きでないらしい。オリーブは白い花で、実は緑
から赤にそして黒っぽくなり、木をゆすって実を落とし、収穫するそうで
す。ゆする機械まであるとのこと。またこの辺はアーモンドの木も多く、
これも白い花であるとのことだがどの木がそうだかは聞き漏らした。
                                         以上3回目報告終わり



                        スペイン・ポルトガルの旅 (4)

 オリーブ油は成人病には、とてもいいそうで、医者がオリーブ油に
換える様に指導するとのこと。この頃赤ワインがいいとか、魚を食べる
のが、いいとかまた、イチョウの葉のエキスが動脈硬化にいいとか
色々のことが云われているが、まだこれといった決め手がなく、民間
療法的要素が強いように思う。しかし医食同源であることは間違いで
ないように思えるのだが。若いうちから、健康に気をつけ、ストレスの
ない、生活(あってもうまく発散する)をすれば、有意義な人生を過ごせ
たのになあと思うこの頃です。これから挽回しょうと頑張りたいが、また
ストレスになるかな。
  いよいよ内海さんに頼まれた写真をカマレロ(給仕)に届ける店のある
ラマンチャ(語源はアラビア語のManxa、乾いた土地)のコンスエグラ
にバスが入り、トイレ休憩である一件のレストランに着いた。予想していた
とうり、内海さんと同じ旅行会社だったので同じ店で止まり、難なく写真を
カマレロに渡すことができたが、向こうは、写真を見て、「グラシアス、
エジョ エス  ムイ グアパ」だけで、ささと客の接待に行ってしまい、
なんとも味気ないこと。こっちは会えなければ、切手を買って、投函しなけば
とか、色々心配していたのに。向こうにしてみれば忙しく、ドンキホーテの
ような日本人の観光客なんかにいちいち相手していられないのだろう。
  カンポ デ クリプターナの観光用の風車は、小高い丘の上に5−6機
ぐらいあり、1機も回っていない。回したら危険で観光用にはならないの
であろう。 小説ドンキホーテではこれを巨人にみたて、戦いはねとばさ
れるが、その時代に風車が発明され、それに対する反発を風刺的に書いた
という説もある。かく言う私も手元に本があるのだが、まだ読んでいない。
なんとなく、主人公が馬鹿げていて、哀れだと読む気がしなくなる。
いつも主人公になりきって読むので、客観的にならなければ読めなくなる。
 この丘からは地球の丸い事が実感出来るのではないかと思うほど、遙か彼方
が見えて実に気持ちがいい。
                                   以上4回目報告終わり。





                        スペイン・ポルトガルの旅 (5)

 今回の旅行ではトレドとグラナダ間が一番長いバス旅行であるが、平原の
中の低い丘をぬって走り、時々丘の上にくずれかけた古城あり、それを中心に
小さい町がある。道路は良く舗装されていて、その両側にはオリーブの木や、
コルクの木が栽培され、黒豚や羊を放牧していた。コルクの木は皮をはがされ
ている物もあったが、一本まるまる全部はがされているものは見あたらない。
大分昔のことだが、私が通っていた小学校の下庭にあったのを思いだし、まだ
あるか今度調べて見ようと思う。もちろんコルクはビンの栓に使うが、壁など
の内装に使うと、質や色の柔らかさやがあって、落ち着きとてもお洒落で好き
である。  日本と違い水田はなく、畑がえんえんと広がり、ひまわりやサフラ
ン等を栽培しているのだろうが、冬なので、なにもない。 ぶどうだって栽培
している筈だが、よくわからなかった。
  It rains plain in spain. マイファレデイの中で歌われている歌詞はこれで
良かったかな。何か前置詞が違っているみたいとか考えている内に眠ってしま
った。気がつくと、あたりは、暗くなっていてグラナダの町に入っていて、
道路はすこし混んでいるらしいが、まもなくホテルの前にバスは着いた。
 晩餐をホテルのレストランでとっていると、マンドリンを持って、お揃いの
服を着てマントをはおった、男たちが歌を急に歌い、一人の男がcdと
カセットテープを各テーブルの上に置きだした。グラナダ大学の学生で
学資のためにこれらを買ってくれと日本語で話した。cdが2000ペセタ
でカセットテープが1000ペセタとのこと。cd一つを買ったが、試しに
cdに入っていない「ヒストリアル・デ・アモール」をスペイン語で
リクエストしてみたが、私のスペイン語がわからないのかまたは歌を歌え
ないのか大げさなゼスチャーでとりあわない態度であった。
後で、後悔したのだが、こういう時に写真を撮っていないのである。
 子供がホテルのバスタブの中で石鹸やシャンプで泡だらけになりながら
入浴していたのを見て私もこれからまねすることにした。確かアメリカ映画
でもこんなシーンがあり、そして電話をかけていたことにえらく感動した
ことがあった事を思い出した。
                               以上5回目報告終わり。





                        スペイン・ポルトガルの旅 (6)

 12月28日(日)(グラナダ市内観光、アルハンブラ宮殿、フェネラリーフェ
           庭園、コルドバへ)
朝食をとり、バスに乗り込む前に、子供と二人で町を歩いてみる。agua(水)
買う目的もあったが。 日曜日なのに街角で掃除しているおじさんにあって
今、我々はどこにいるかを簡易地図の上で指し示してもらう。(?Donde estamos
aqui?) どんな旅行でもそうだが、朝、散歩にでかけると、そこの場所がわかり、
より印象ずけられる。  行ったことのない場所での待ち合わせも、少し早めに
いって、その周りを探訪すると、余裕が出来、デートも成功すると思う。私は
あまり成功しなかったが。  会社の旅行でも、朝、早く起き、ホテルの周りを
ジョキングをし、一風呂浴びると、昨日の宴会のアルコールも抜け、爽やかになる。
お試しあれ。公園は50mX100mぐらいの広さで、回遊出来るように、花壇や、
植え込みあり、よく手入れが行き届いていた。約40坪ぐらいの空き地があり、
あまりきれいとはいえない砂が敷き詰められてあったのは犬のトイレかもしれない。
この頃、日本では愛犬家のマナーがよくなり、ビニール袋等を持って散歩している
のを見かけるが、私の場合、シャーベルもを持っていき、良く花壇に埋めた。肥料に
なると勝手に判断して。犬が生きていたころには、毎日の犬の散歩が苦痛になった
ものだが。
 Granadaはスペイン語でざくろの実という意味で、町の紋章にもなっている
が、確認はしなかった。Quien no ha visto Granada, no ha visto nada.(グラナダを
見てない人は、まだなにも見てない。)Quien no ha visto Sevilla, no ha visto
 maravilla.(セヴィリヤを見たことのない人は、すばらしいものを見たことのない人で
ある。)日本語に訳すとまだ変だが、両方とも「日光を見ずして、結構と言うこと
なかれ。」ということで、スペインにも同じ発想で同じ韻をふむ言葉で諺があるのは
うれしい。諺とか、早口言葉を話題にすれば会話の材料にこと欠かないし、比較文化
を論じられると思う。もちろん、あらかじめ両国の諺と早口言葉を集めておかなけれ
ばならない。
   グラナダはシェラネバダ山脈(Sierra Nevada)のふもとのベガ(vega)と呼ばれる平野の
中央にあり、アルバイシン(Albaicin)、サクロモンテ(Sacromonte)、アルハンブラ(Alhambra)、の丘の上
にも広がっている。ギターの「アルハンブラの思いで」を聞いたのはもう5年ぐらい前の事に
なるが、知っているギタリストが私の家で生演奏をしてくれた内の一つで、その時絶対に
アルハンブラに行くぞと思ったことがあった。彼がギターを弾き、私が帽子をもって金を集めて
スペイン各地を放浪する事になっていたのだが。彼は今、ハングル語を一生懸命勉強している
そうである。
                                以上6回目報告終わり

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