令和3年2月議会報告


大庭議員の一般質問・・・見てね!!


目次




大庭議員は2月定例会において原田市政20年の総括に対する
一般質問をしました。多くの事業を成し遂げた原田市長の業績
は大きいものがあります。しかし、まだやり終えていない事業
も残されており、大庭議員から、次期市長への引き継ぎ項目と
思われる事業について、その考え方を質しました。
ここに、今回行った一般質問の全文をお知らせします。   

「議会目次へ戻る」





原田市長の公約について
要旨
 (1)市長として実現出来た公約の特筆すべきものは何だったか。
 (2)  〃  実現できなかった公約・事業は何だったか。
 (3)市長自身、自己採点をして20年をどのように総括しているか。

19番(大庭通嘉) 改めまして、皆さん、おはようございます。

 一般質問最後となりました。それでは、通告に従いまして、原田市政20年の総括と後継の市長に引き継いでいただきたい事業とその課題についてということで質問させていただきます。

 今日の質問の趣旨は、これまで市長としてその重責を立派に果たされ、4月23日をもって御勇退をされるわけですが、次期新市長に文字どおり確かな姿勢をしっかり引き継いでいただきたい、その思いを込めて質問させていただきます。

 これまで、20年余、原田市長とはこの議会の場を通じて様々な議論をしてまいりました。いよいよこれが最後の質問となりますので、過ぎ越し、これまでを振り返りつつ、ポスト原田市長を見据えてということで、締めくくりの質問をさせていただきます。

 さて、原田市政誕生の経過ですが、200010月、選挙戦半ばにおいて倒れられ、1130日に急逝された、故豊田前市長の後継として、県健康福祉部長であられた原田市長に白羽の矢が立ち、袋井市の首長選挙に身を投じていただきました。当時の上司であられた石川知事の言葉を借りますと、原田さんは最後のポストが健康福祉部長ということで、皆さんは福祉、医療分野のエキスパートと思われているかもしれないが、実は、一番在籍期間が長かったのは企画部で企画次長時代の業績は卓越していた。発想力、創造性は優れた判断力や見識と相まって比類のない手腕を発揮するでしょうとまでおっしゃって当時エールを送られておりました。まさにこの20年間、石川前知事のお言葉のとおり、優れた判断力の下、確かなかじ取りをされた20年だったと私からも敬意を表するものであります。

 ところで、原田市長がふるさと袋井の選挙に出馬せざるを得なくなった要因とも言えます、前任の豊田選挙について、少しだけ触れさせていただきますが、私は当時、豊田選挙の選対の選対副本部長として倒れられた故豊田舜次候補の最後となりました10月5日の遊説に同行していました。豊田候補の御挨拶の前の前座役として私がマイクを持って回っておりまして、当日、田原地区の遊説途中、体調を悪くされ、そのまま袋市民病院に直行、そして、帰らぬ人となったわけでありますが、遊説を離れていくその光景は、いまだに私の脳裏に焼きついております。病院に行き、その後、くも膜下出血で寝たきりとなった候補でしたが、選挙は続行し、10月8日、病院に居ながらにして見事当選を果たされました。

 そして、急遽、原田市長の出馬となったわけでありますが、年が明け、2001年1月14日だったと思います。立派に選挙を勝ち抜き、新世紀、新市長、全国第1号、原田英之新市長誕生との横断幕が選挙事務所に掲げられ、市長御夫妻が壇上に立ち、そして、その前で私が祝勝会の挨拶をさせていただいたことが、ついこの間のようであります。

 就任後、最初の公務は、澤野記念館の開館式、5街道サミットでした。この2001年という年は、東海道宿駅400年祭ということで多くの事業が展開されていました。そして、翌年、日韓共催サッカーワールドカップ2002、さらに、2003、第58回国民体育大会、NEW!!わかふじ国体、そして、第3回全国障害者スポーツ大会のわかふじ大会ということで、市内956世帯、2,238人もの民泊実施という前例のない取組で、文字どおり袋井の市民力によるおもてなしで大成功を収めました。そして、2006年には、ねんりんピックがありまして、これらリーディングプロジェクトの名の下に、多くのビッグイベントが実施され、こうした新世紀の事業を総称して、袋井ドリームというキャッチコピーで事業展開していたわけですが、とにかく2000年を前後して、エコパの建設、愛野駅の新駅設置、石野、祢宜弥の区画整理、そして、国内はもとより世界からの来袋者を迎えた21世紀初頭の袋井市は、まさに大きく輝いていた、そう申し上げても過言ではなかったかと思います。就任間もない原田市長でしたが、国体開会式における開催市長の御挨拶をはじめ、各種事業を見事にこなされたのではないかと思います。

lang=EN-US>

しかも大変だったのは平成の大合併であります。この袋井ドリームとほぼ時を同じくして合併議論が本格化しました。合併特例法により2005年、平成17年3月までという限られた期間内での議論で、袋井市、浅羽町、森町の1市2町案をはじめとして、磐田市、袋井市を中心とした2市5町1村の案、さらには掛川市との合併を模索した議員もおりましたが、結果、袋井市、浅羽町、森町の1市2町にて進めるということで、2002年(仮称)合併協議準備会は、2003年には合併協議会ということで立ち上げとなりました。1市2町の行政事務を2,300項目にわたって調整するということで、月1回のペースでの合併協議会の開催でした。当時私も合併協議会の袋井市議会を代表しての委員でしたので、森や浅羽の議員とも、毎夜のように話し合ったことを思い出します。残念ながら、3市町の合併協議は新市の名称問題、病院問題、その他様々な住民意識の考え方の相違から、森町は離脱し、そして、袋井市、浅羽町の合併となりましたが、新市になってからの出生率や高齢化率、人口の伸び率等、県下トップクラスになったことや、その他様々な指標を見ましても、結果としましては、袋井市と浅羽町の合併はベストな組合せではなかったかと私は思っております。加えて、時を同じくして出てまいりましたのが病院医療問題でありました。2004年、国の新臨床研修医制度の導入で、徐々に袋井市民病院の経営が悪化し始め、2001年、約2億8,700万円の黒字で、全国自治体病院の優良病院として表彰されていた市民病院でしたが、2006年には約6億2,000万円もの赤字に転落し、同様に医師の数も2001年に60人いた医師が、2007年には36人に減少するなど、これが大問題となっておりました。これらに対応すべく2005年には(仮称)袋井市の医療のあり方検討委員会を当局が設置するということで立ち上げられ、議会でもこれに呼応して、翌年、新病院特別委員会を設置しました。2007年、ちょうど議長を拝命しておりました私から市長に新病院建設の在り方等についての提言書をお渡してまいりました。こうした経過を経て、様々な意見がありましたが、その後、掛川市・袋井市新病院建設協議会準備会が設置され、両市の建設協議が始まり、11回の協議を経て、2013年5月には御案内のように、中東遠総合医療センターの開院の運びとなりました。この協議会において、袋井市では病院の建設場所を両市の中間の愛野駅周辺に、もしくは、たとえ掛川市寄りになったとしても、エコパ内への建設を強く希望していましたが、最初から準備されていた掛川市の菖蒲ヶ池の建設用地に、建設までの時間的理由や、袋井地内では地盤が問題などといった理由が出され、結果、現在地に決定されてしまいました。名大、浜松医科大学、佐古先生、県の意向に加え、戦略的に進めた掛川市のストーリーどおりとなり、建設協議会委員として議会を代表して参加していた私も、市民感情とは裏腹に決定していく過程を変えることができず、悔しくて夜も眠れなかったことを覚えています。また、その後の袋井市民病院跡地問題も原田市長就任前から議論されておりました。故豊田市長の総合健康管理センター構想を承継して再度、保健・医療・介護構想を組み立てられ、聖隷袋井市民病院による一般、療養、リハビリの150床の病院とともに、健康づくり課や地域包括ケア推進課、社会福祉協議会など、医療、保健、福祉、介護の拠点としての総合健康センターが設置されましたが、これも原田市長の大きな取組、成果ではなかったかと思っています。

 さらに、この20年間で大きな出来事は何といいましても、2011年の東日本大震災の発災だったと思います。日本の歴史の中でも史実に残る甚大な災害でした。この震災により、それ以降の行政では、どんな事業よりも防災、減災が全ての優先施策となり、本市でも、総額では約50億円の防災経費が計上されまして、それまでの各種計画が大幅に見直されることになりました。このような未曽有の災害にさらに匹敵するのは、現下の新型コロナウイルス感染症の感染であります。昨年のラグビーワールドカップの華々しい余韻を打ち消すかのように、新型コロナウイルス感染症対策一色となりました。本市でも112億円余の新型コロナウイルス感染症補正予算がつけられました。とにかく、災害は忘れた頃にやってくると言われますが、現下のコロナ禍、1日も早い終息を願わずにはいられません。

以上申し上げましたことは、この20年間のごく、ごく一端でありまして、今回だけの質問で言い尽くせるものではありませんが、総じて申し上げれば、原田市政の下、市町合併問題、病院統合問題、震災対策、疫病対策などをはじめ、重要項目と思われる内容につきましては、私も関わってきたものとして、一部にはじくじたるところ、また思うところありますが、総じて袋井が進んでまいりました方向性に間違いはなく、原田市長を中心とした行政当局の皆さん、市民の皆さんの御協力の下、確かな市政の執行がされてきたのではないか、また、市議会におきましても、その一翼をしっかり担ってきたのではないかと思うところであります。

 その証左でもあります事例を以下、何点か挙げさせていただきますと、本市では日本一健康文化都市を掲げてまいりましたが、この健康文化の下、2016年、平成2811月ですが、第5回健康寿命を延ばすアワード表彰において、生活習慣病予防分野、介護予防高齢者生活支援分野、この二つのダブル受賞を受けたことが挙げられると思います。加えて、2018年、平成3010月、マレーシアで開催されました第8回健康都市連合国際大会において世界保健機構,、WHO表彰2部門ということで、市民が共に進める健康寿命の延伸、それから、学校給食などを活用した健康的食習慣の推進、これらがベスト・プラクテス賞に輝きました。また同様に、健康都市連合をAFHC表彰3部門ということで、日本一健康文化都市に向けた袋井市のまちづくり、それから、地域が主体の防災対策、これがクリエイティブ・ディベロップメント賞に、さらに、健康都市としての進捗評価が、プレグレス賞ということで、全部で5部門において本市が表彰されるなど、まさに世界的な評価を受けたわけであります。私ごとで恐縮ですが、この健康文化のキャッチコピーを故豊田市長に平成3年提言、進言し、平成5年、日本一健康文化都市宣言ということになりましたが、当時、健康文化都市に日本一の冠をつけるのはということで、少し目標が高過ぎるのでは、また気負い過ぎではないかと申し上げましたが、時の大場助役や豊田市長がこれを目標にするということで、力強くおっしゃいまして、健康文化の頭に日本一の冠をつけられました。結果として、ただいま申し上げました、この2018年のWHO、世界保健機関の受賞、そしてAFHC、健康都市連合の受賞は、まさに原田市長の御指導よろしきの下、国際的にも本市の取組の一端が日本一であることを証明してくれたのではないかと思いますし、同時に頑張ってこられた職員の皆さん、関係した市民皆さんの全員の受賞のようで私も大変うれしく思うところであります。

 さて、一方、この20年間、原田市長におかれましては多くの役職も担われてこられました。ただいま受賞を受け、紹介しました健康都市連合、この日本支部の支部長に就任されていましたし、全国市長会の理事、静岡県市長会の会長、全国治水砂防協会の県支部長、県国土利用計画審議会長、県国民健康保険団体連合会会長、国民年金基金理事長など、挙げれば枚挙にいとまがないほどに各種の役職をこなされてまいりました。私はこれに加えて、市長、そして、私ども市民がうれしく、ありがたく感じましたのは、2003年の国体への天皇皇后両陛下の御臨席、また、わかふじ大会への皇太子殿下、雅子妃殿下の御臨席、さらに2014年の育樹祭への皇太子殿下の御臨席、2018年には浅羽佐喜太郎公の御遺徳、御偉業を御視察されるべく、天皇皇后両陛下の行幸啓が行われました。原田市長におかれましては、市民を代表してお迎えし、また、御案内、御説明されました。大変栄誉なことであったと思います。いずれにせよ、過ぎ越しこの20年は、袋井市にとりましても、原田市長にとりましても、激動かつ大変意義深い20年だったと思います。これまで多くの、そして、大きな足跡を残されてまいりましたが、最後の総括として、今後、新しい市長に引き継がれる課題について、私から最後の質問としてお伺いしたいと思います。

まず、1点目は、これまでの公約についてであります。

 市長はこれまで6回の選挙に臨んでこられました。毎回の選挙において、それぞれの公約を掲げて市民の信任をお受けになり、かじ取りされてきていますが、今振り返ってみて、実現できた公約、たくさんあると思いますが、その中で特に印象深い事業等、特筆すべきものは何だったのかお伺いします。

○議長(戸塚文彦) 原田市長。

〔市長 原田英之 登壇〕

○市長(原田英之) 大庭通嘉議員の御質問にお答えを申し上げます。

 まさしく、この今の時間からが、私にとりまして、最後の本議会での御答弁ということになります。

 議員から20年の様々な事業等につきましての一部評価もいただいておりますし、それから、いろいろな意味での問題点等も御提議をされまして、誠にありがとうございました。こうした20年の市長の任もこの4月23日でございますけれども、終えることができますのは、やはり、今日おいでの議員の皆さん方はじめ、副市長をはじめとする、職員のみんな、それから、今日、傍聴席においでになっております市民の皆さん、また代表する皆さん方のおかげであると心より厚くお礼を申し上げます。

 まず、市長として、一番目の御質問でございますが、市長として実現できた公約のうち特筆すべきもの、様々なことを掲げて、そして、いろいろなことをやってまいりましたが、実際にうまくいったものといかないものとございます。それから、いったものの中でも、いつも私申し上げますけど、やはり事業が大きくなればなるほど光と影の部分があります。うまくいって、非常にうまくいったように見えるんですけど、やはりその反面で影も生じてまいります。やはり行政の要諦というのは光が当たって、その部分の事業をきちんとやっていくことも必要なんですけれども、やはり影の部分をセーフティーネットといいますか、可能な限り影が薄くなるように努めるということも必要であると、このような気持ちで市政を行ってまいりました。そういう意味で私は、20年間の市長が、政治家というよりもむしろ、行政、いわゆる行政上がりの、何というんですか、政治的な活動は下手であるけれども、行政上がりのほうに、どっちかといったら、行政的な側面のほうが色の濃かった市長であったかなと自分を思います。だけれども、それは、私自身のいろいろな経験とか、あるいは考え方に基づくものでございますので、ここのところをどこと今さら申し上げてもしようがない、このように思います。

 まず、日本一健康文化都市の実現をまちの理念に掲げまして、健康を文化として捉えまして、みんなが健康というものを意識してくれるようにということで進めてまいりました。これにつきましては、いろいろな皆様の御支援もあって、そして、議会の皆さん方の御理解、御支援もありまして、平成27年に日本一健康文化都市の条例を制定をいたしました。それから、医療の面での病院の統合と、こうしたものもできました。そして、この議会で7月からは、たばこに関する条例の制定、施行も行ってまいって、やはり袋井市が健康問題の最先端を取り組んでいるということに市民が、それに自慢をすることもいいんですけど、やはり現実として市民が健康でなくちゃいけませんから、ぜひ今後ともそうした意味を引き継いでいただきたいと思います。

 2番目が、私は、地域づくりの分野で、公民館のコミュニティセンター化です。

 これは一見、もともと袋井は公民館活動が盛んだったので、コミュニティセンター化するというのは地味なようなんですけど、とても大きな意味を持ちます。やはり、いわゆる学校教育関係の公民館法に基づく公民館、それからコミュニティセンターというのは地域の核になります。やはり国があって地方自治体がある場所で地方自治体の市の中にあって今度は地域、地域がそれぞれの特色を生かしてより住みよい地域づくりをしていくにはどうしてもコミュニティセンター下のほうが適切ですという意味で、ここで健康とか防災をやっていただいて、今、その一つの目として、浅羽と、それから笠原が一緒になりまして、地域の助け合いのネットワークみたいな、それが今度は南地区においても、助け合いサポートセンターが出来た、恐らくこうした動きが、私は、市内の各コミュニティセンターで、あるいは場合によったらコミュニティセンターが一緒になって、よりそうした取組が行われ、行く行くこれが高齢者の一番今問題になっています足の問題の解決、つまり足の問題の解決に、この一つの助け合いのサポートの輪が、それぞれの地域の高齢者、あるいは体の不自由な方の足を担うという活動までしてくださることを願っております。

 それから、防災、減災の取組についても私は、うまくいったというとおかしいんですけれども、それなりの成果が上げられたと思います。一番最初は、ここは昭和1912月の正式に東南海地震というんですか、東南海地震で家が倒れて、東海道筋の家が倒れて、あるいは、山梨のほうにしろ、浅羽のほうにしろ、いわゆる家が倒れてそこが火事になるということが一番怖くて、とにかく、それぞれの住宅の耐震補強ということで、これは県下で一番最初に耐震補強の補助率を高くして、そして、みんなに耐震補強をして、たしか昭和55年以前に建てた建築物が対象でそういうことをいたしました。ところが、そのうちに東日本の大震災が起こって、いやこれは津波なんだということで、津波のための対策をしました。津波の対策がこれでもう少しで防潮堤終わります。そうしたらまた、やはりまたもう一度これ戻って、それぞれの御家庭の耐震対策です、やはりここのところ、ここは最近あんまり冬の、何か、西風なんかあんまり強さを感じませんが、それでもやはり冬の期間における西風とかそういうものを考えたら、もう一度戻って、やはり地盤よくないんだということを、地盤が軟らかいんだということをやはり私たちは絶えず認識しておくことが必要だと思いまして、その面をより進めていただけたらと、このような感じがいたします。そういう意味で、私はあえて何か挙げろといったら今の三つを挙げていきたいと思います。

また、意を払いつつも実現できなかった公約、事業は何だったのかお伺いします

 それから、道半ばとなったものは何だと、やはり一つは、待機児童の問題ですね。待機児童の問題って、最初は袋井の公立幼稚園が、袋井の場合には市立、いわゆる私立ではなくて、袋井市立の幼稚園が各所にあって、これっていいことですよ。基本的には悪くない、悪くないんですけれども、何がといったら、やはりどうしても、いわゆる市立で、私立じゃなくて公立でできているものって変化に疎くなります。よっぽどこちらのほうがその変化を先取って、どんどんどんどん言っていかない限り、なかなか自分たち自身で変わっていくということが難しい。これはやはりどうしても公立のある種宿命的なものがあります。そういう意味で、私自身が、底流に保育園化の流れがあるということは、当時、ここに座る前に県の健康福祉部長をしておりましたので、そういうのはある程度のその兆候は分かったんですけれども、何かここへ参りまして、大丈夫よ、幼児教育ってとっても袋井は優れているからという言葉で、私も大丈夫なんだなという感じに、少しそれは僕の不徳というか不明の致すところですね。やはり将来を見て、それを着実にタイムリーにその時期に指示しなくちゃいけなかったということが、少し遅れまして教育委員会サイドというよりも、私自身の不明の致すところだった。おかげで、今年度の今度の4月は若干残るようですけれども、絶対に来年は、来年のことを言うとまた鬼に笑われそうですけれども、絶対に大丈夫と、三つの幼稚園と保育園が一緒になって大きなものができますし、確実に教育委員会でも準備を進めてくださっておりまして、大丈夫なんだということであります、それが一つ。

 それから、もう一つは、やはり地域交通の問題が私はどうしてもできなかった、いわゆる、コミュニティバスを地域バスを動かしていますけれども、あれもやはり、もう本当、正式にコミュニティバスというか、何といいますか、あれは。

〔「自主運行バス」と呼ぶ者あり〕

○市長(原田英之) 自主運行バス、市のお金で回すバスです、あれがどうしても、いつもよく空気を運んでいる、なんだあれはと言われましたが、実は、この問題もどのまちでも悩んでいます。だけど、どのまちでも悩んでいますけれども、駄目は駄目です、やはり。よそでも悩んでいるからいいんじゃないかうちの方もというんじゃなくて、これもやはり、もう一歩踏み込んで真摯に考えなくちゃいけないというときに、私が事によったら今、三川とそれから浅羽東がやっています、地域の人たちがバスを借りてというこの方式を、もう少し三川と浅羽東というのを、もう少し場合によってはエリアを広くして、部分で請け負ってもいいような感じがしております。それが先ほどのコミュニティセンターが今度はもう一歩進んだ形でやっていく、地域のものを自分たちで解決しましょうという方法の中で検討されたら嬉しいんですがと思っております。

それとやはり治水の問題も僕にとりましては、時折やはり、最近は想定し難い大雨が降ってということを言われますけれども、これもやはり想定し難いからいいんだよ、そうなってもいいんだよということにはなりませんので、幾ら想定し難くたってやはりこれは安全の問題、安心・安全の問題というのは行政の責任です。そもそも行政がやるべき、税金をいただいてやるべきことの第一は安心・安全です。そういう意味では、袋井がもともと持っていた水の予算はありますけれども、とても私自身が解決できなかった。これはいろいろな事情があって、現在の法制度とか、予算の問題とかといろいろな事情がありますが、その事情を申し上げていったら弁明になりますのであれですけれども、やはり治水の問題が当市にとりましては残りました、それくらいそういう感じがいたします。
 。あわせて、御自身でこれまでを自己採点されてどの程度か、20年をどのように総括されているのかお伺いしたいと思います。  議員から自己採点をしてくださいと言われていましても、これはなかなか実は言いにくいので、むしろ、採点は僕じゃなくて、また皆さん方にしていただいてという気持ちでございます。何点とおつけになっても私は受けますから、恐らく30点と言う方にはその理由があるでしょうし、80点と言う方にはその理由もあるでしょうしというような気持ちで採点を受けたいと思いますので、また、ぜひその点につきましてはよろしくお願いを申し上げます。でも、総じて言えば、そういう課題もありますし、それから、だけれども自分でできたなというものもあります。そういう思いで、あえて点をつけなさいと言ったら50点という感じです。やはり、意外に自分にとって、これは僕は行政官上がりということを最初に申し上げましたけど、やはりそうなんです。やはり課題が解決できなければ駄目よという感じをどっかで持っていますので、できたものとできないものとがフィフティー・フィフティーといったら50点かなという感じがします。そこの採点につきましては、どうぞ皆さん方に、議員の皆さん方につけていただいてということでございます。

「トップへ」


解決してない課題の引き継ぎ(治水問題)について
   
  (1) 治水問題について、どのように引き継がれるか。
    ア 蟹田川、彦島大橋の今後のスケジュールの考え方は。
    イ 松橋川の改修の進め方は。
    ウ 駅南地区の治水対策の進め方は。

次に、掲げられた公約で解決できなかった主要事業を何点か挙げ、なぜ解決できなかったのか、その主要事業の原因分析と対策について後継の次期市長にどのように引き継がれていくのかという観点からお伺いさせていただきます。市長が掲げられた公約の中で、とても強い安心のまちということで、県下一地震対策の進んだまちづくり、治水対策の推進、犯罪のないまち、警察署の新設、こうした公約がされていました。市長の公約、確かに多くが実現しています。例えば、地震対策につきましては、小中学校等公共施設の耐震化率は100%、津波避難施設として、平成24年の避難タワーを皮切りに、湊東、中新田、浅羽西、東同笠・大野地区の4カ所に文字どおり平成の命山を完成させました。また、民間の避難施設の協力などもいただいてまいりました。今も進められている防潮堤は、平成、令和の防潮堤として長く後世に語り継がれると思います。また、積年の市民の願いでもありました袋井警察署も誘致され、消防署、防災センターも建設されました。
 やはりその中で解決できなかった大きな課題として残っているのが治水対策ではないかと思います。現時点で分かる今後のスケジュールと、原田市政としてできなかった理由、また、引継ぎをどのようにされていくのかお伺いしたいと思います。

それでは、少し具体的な話に入ります。

 まず、治水の問題でございますけれども、本市は平たんな地形のために、河川勾配が緩く内水被害が発生しやすいという特性を持っております。このため、平成20年から10年間をかけまして、袋井市中部豪雨災害対策アクションプランに基づきまして、県とともに蟹田川、小笠沢川、沖之川の3流域の浸水被害の軽減に集中的に取り組んでまいりましたが、気候変動により、雨の降り方が激しくかつ頻発化しているなどのことから、いまだその解決はできておりません。河川改修などハードの分野には、地域の皆様の用地確保への御協力に加えまして、多額の経費と時間がかかるというのも現実でございます。総合的な治水対策の認識を今、申し上げましたけれども、御質問の3地区の具体的な進め方の詳細につきましては、後ほど、榛葉都市建設部長より答弁をさせていただきたいと存じております。

その治水のまず1点目、蟹田川と彦島大橋についてであります。

 市長就任以来、二級河川蟹田川の改修に向けての取組は、市長を筆頭に地元の蟹田川整備促進協議会の皆さんと毎年、県知事に直接陳情してまいりました。彦島大橋まで改修が進んできましたが、ここ数年事業が停滞しております。これがどうして事業停滞となったのか、今後どのような展開を考えているのか、今後のスケジュール等、事業の進め方についてお伺いします。

○議長(戸塚文彦) 榛葉都市建設部長。

〔都市建設部長 榛葉和弘 登壇〕

○都市建設部長(榛葉和弘) 私からは、治水問題についての御質問の3地区の進め方につきまして御答弁、お答えを申し上げます。

 初めに、蟹田川の河川改修についてでございますが、県は、二級河川蟹田川の全長約5.1キロメートルのうち、最下流の原野谷川合流点から東海道本線北側の市が管理する準用河川松橋川との合流点まで約2.8キロメートル区間の改修を進めており、御案内のとおり、平成22年度までに彦島大橋下流までの約2キロメートルの整備が完了してございます。現在、彦島大橋から上流におきまして、必要な用地の約8割を取得しており、引き続き、残る用地の取得に向け、地権者と話合いを重ねるとともに、用地取得箇所の築堤盛土工事や排水施設の設計を実施しているところでございます。
 また、彦島大橋の架け替えにつきましては、市は平成29年度に柳原彦島線改築事業の道路線形や橋梁前後の市道の取付け方法につきまして、地元住民と合意を得て、橋梁の位置が定まったことから、現在、県とともに地権者との話合いを重ねているところでございます。今後のスケジュールや進め方についてでございますが、県は、令和3年度に彦島大橋の架け替えに伴う詳細設計を、令和4年度には橋梁部の用地調査をそれぞれ実施いたしますので、地権者の合意が得られ次第、用地取得を進めてまいります。今後も引き続き、彦島大橋を含め、蟹田川の改修が促進されるよう、袋井市、磐田市の田原地区代表者で構成される蟹田川整備促進協議会におきましても情報の共有化や連携を密にし、県とともにより一層尽力してまいりたいと存じます。

 治水の2点目は松橋川の改修であります。

 大雨の度に川井、木原地区は冠水します。従来から私も提案し、結果、松橋川整備事業計画が策定されました。この計画では、平成27年度までに堤防高をかさ上げし、令和2年度までに松橋川、蟹田川合流740メートルを暫定整備、それ以降は、蟹田川の整備が完成し次第、将来合流部から2,360メートル整備をするというものです。今のままではこれから先、20年以上の先送りとなります。次期市長にどのような形で引き継がれるのか、現時点における事業スケジュールについてお伺いします。

 次に、松橋川の改修についてでございますが、松橋川は土橋公会堂東側を起点とし、二級河川蟹田川との合流点を終点とする延長2.85キロメートルの市管理の準用河川でございます。袋井市河川等整備計画では、令和2年度までの10年間で、まずは上流部の木原地先におきまして、500メートル区間の越流を防止するため、現況堤防をかさ上げるとともに、蟹田川の改修が松橋川との合流点まで進むまでは終点から新松橋までの740メートル区間を蟹田川の現況流下能力に合わせ、暫定的に川幅を拡張することとし、合計1.24キロメートルを県費補助事業を活用して整備しているところでございます。この進捗状況といたしましては、上流の堤防かさ上げる区間が完了し、下流の暫定して整備している区間につきましては、今年度末までに約310メートルが完了する見込みでございまして、計画延長に対する進捗率は約65%となる見込みでございます。   今後の整備につきましては、今年度から来年度にかけ策定している第2次袋井市河川等整備計画におきましても、重点箇所として位置づけ、県費補助事業を活用して、まずは現行計画区間の残る約430メートルの早期完了を目指すとともに、引き続き、新松橋から上流の区間に着手し、進捗を図ってまいりたいと存じます。

治水の3点目は、駅南、小川町をはじめとする高南地区の冠水対策についてであります。

 ここも平成10年、平成16年、令和元年と床下、床上浸水が発生しています。対策の一環として、以前私の質問を受け、田端地区に遊水池を整備しましたが、一昨年の大雨ではキャパシティーが足りないことが露呈しまして、今年度1.3メートルさらに掘削し、1万トンの貯留量拡大の対策を打っていますが、本来なら、柳原排水機場や、秋田川の河川改修等しなければいけません。総額では約61億円が見込まれています。実は、駅南開発は治水問題から手をつけることが歴代市長も慎重であったわけですが、合併に伴い、南側から乗れるJR袋井駅ということで開発がにわかに進み、しかも線整備優先に始めたことから、治水対策が後手に回ったことは否めません。今後、地元との約束や引継ぎ事項としてどのように治水対策とスケジュールを考えているのかお伺いします。

 次に、駅南、小川町をはじめとする高南地区の治水対策についてでございますが、平成20年度から袋井駅南口地下調整池や学校などの貯留施設の整備、さらに、平成27年度から平成29年度で、高尾放水路の整備を進め、浸水被害の軽減に向けて取り組んでまいりました。しかしながら、令和元年10月の台風19号により、再び床上浸水被害が発生したことから、三度このような被害が生じないよう、様々な取組を実施しているところでございます。具体的には、今年度、早急に浸水被害の軽減を図るため、既存の田端東遊水池の貯留量を1万トン増量し、2万5,000トンに拡大するとともに、秋田川の流下能力を向上するため、地域住民で構成されます、高南治水対策特別委員会と連携して、局部的な川幅の拡張や、しゅんせつする箇所などを協議し、緊急的なこういった対策も実施しているということでございます。
 また、抜本的な対策でございます雨水ポンプ場の整備や排水路の改修及び遊水池の整備に向け、県をはじめ、関係機関と協議を重ねてございます。今後のスケジュールといたしましては、令和3年度に具体的な整備方針を定めた上、事業認可を取得し、令和4年度から着手できるよう取り組んでまいります。また、引き続き、局部的な対策として、秋田川のしゅんせつや田端東遊水池につながる排水路の改修などによる浸水被害の軽減を図ってまいりたいと存じます。なお、これらの整備には多額の費用が必要となりますことから、交付金など国費を活用して取り組んでまいります。

 以上、答弁とさせていただきます。

再質問

 

○議長(戸塚文彦) 19番 大庭議員。

19番(大庭通嘉) それぞれに御答弁いただきました。再質問させていただきたいと思います。

 (2)ア、まず、治水問題、(ア)の蟹田川の整備でありますが、今のまま順調に進んでも橋梁等に令和10年ぐらいまでかかる。それ以降、JR東海と蟹田川との通水協議、建設協議が待っておりまして、そこからの(イ)の松橋川の整備ということになると、向こう10数年後になってしまうと。川井地区の浸水対策ができないということになりますが、前倒しの考えがないか、再度伺いたいと思います。

○議長(戸塚文彦) 榛葉都市建設部長。

○都市建設部長(榛葉和弘) ただいまの大庭議員の再質問でございます。

 河川改修の関係でございますが、蟹田川の河川改修の進捗状況、ただいま御答弁申し上げましたが、大庭議員からもお話のあったとおりでございます。こうした中、現在、彦島大橋を含む上流に向けた整備を進めておるということでございますが、今後の予定ということでございます。今、議員からもお話ございましたが、今後、彦島大橋の架け替えに向け、用地取得等を準備した後に、彦島大橋を架け替えるのにおおむね5年程度を想定してございます。なお、それ以降、上流に向けては県のほうでまた本格的に整備をお願いすることになりますが、こちらについても、おおむね10年程度はかかっていくのではないかと思ってございます。そうは言ってもなかなか時間がかかるということでございますので、随時、県とも協議をさせていただいておりますし、連携もさせていただいております中で、いろいろな場面で、いろいろな事柄で前倒しできるものがあれば、積極的にこれは取り組んでいただくように市としても働きかけをさせていただきたいなと思ってございます。そうしたこととともに、松橋川の改修も現在暫定整備を進めているわけなんですが、そういったものも今後も新たな河川等整備計画も踏まえて事業が促進されるようにしていきたいと思いますし、次期の10年間では一定の成果が現れるように、やはりこちらも前倒しできるものはぜひ検討していきたいなと思ってございます。

 

 それから、(イ)の駅南浸水問題、この田端東遊水池の掘削で、暫定的な改善は期待できると思いますけれども、全体改修となると、とにかく総額61億円がかかると言われています。事業費の手だてをどのように考えて、何年めどに完成させるのかお伺いしたいと思います。

 

   それから、駅南、高南地区の関係でございますが、やはり本格的な整備といいますと、ポンプの設置、ポンプ場の設置、それから、秋田川の改修等々、相当な費用が見込まれている、議員からは61億円というようなお話もございましたが、そういった現状ではございますが、先ほど御答弁申し上げましたとおり、まずは、来年度事業計画を策定する中で、具体的なスケジュールを定めてまいりたいと思うんですが、そういった上で事業計画、事業認可を取得いたしまして、その計画に基づいて具体的な用地作業、測量作業、こういったものから始めていくとなってございますが、なかなかこれ費用がかかるということがございますが、将来に向けましては、今後10年間程度では一定の効果が出るよう、それを目指して進めてまいりたいと考えてございますので、よろしくお願い申し上げます。

 以上、答弁とさせていただきます。

「トップへ」



解決してない課題の引き継ぎ(産業雇用)について

(2) 産業振興と雇用の創出についてどのように引き継がれるか。
   ア 企業誘致の公約は果たされたのか、また企業誘致について
       今後をどのように展望し引き継ぎをするのか伺う。
   イ 3days.workers.office構想をどのように総括され、
      引き継がれるのか伺う。

 公約の2点目は産業振興と雇用の創出であります。
 袋井バイパス4車線化の公約実現は、袋井市にとって大きな前進でした。一方、企業誘致については、製造業誘致、国本開発などには消極的な原田市政でしたが、議会によるまちづくり対策特別委員会からの提言を基に、懸案の豊沢開発に着手をされました。市長とトッパン・フォームズ株式会社の足立会長との御縁で、トッパン・フォームズ株式会社東海の優良な企業の誘致に至りましたことは大きな成果でした。

 

ここにきて、小笠山山麓開発への企業進出も期待できる状況になったこともよかったと思います。企業誘致は財政、雇用に有益で、自治体にとって極めて重要な政策と考えますが、新東名や内陸フロンティアを活用して企業誘致を進める、あるいは次世代型の産業創出に向け企業誘致をしますとの公約をされていましたが、実際これが果たせたと認識されているのか、国本開発も土橋の開発も、農地転用は大きなハードルがあります。本市の企業誘致について、今後どのように展望し、どのような引継ぎをされていくのかお伺いします。

   続きまして、企業誘致の問題でございます。企業誘致につきましていろいろありまして、自分が就任してから誘致できたもの、これも、できなかったものといろいろございます。私は、例えば、よくありますのが本市のいわゆる鉱工業生産額、これが幾らかというのは、それは平成30年には過去最高の6,400億円になって、リーマンショック前は5,300億円だったから、それよりも乗せいますよという数字もあるんですけれども、大切なことは何かと言ったら、この企業の内容だと思うんです。やはり将来この地にとってプラスとなる企業でなくちゃいけないという気持ちを持っています。
 例えば、今、大和ハウス工業株式会社が、国本から移転するということがあります。じゃ、移転された後の大和ハウス工業株式会社の場所は一体何になるでしょうかとか、あるいは、そういうことを考えましたときに、私はやはり、この地に今後は、工場も確かに大切です、物に処す、やはり最後は農業とか工業とかっていう物を作ること、物によって私たちの生活の大半が成り立っています。ところが日本の国がだんだん変わってきています。明らかに、いろいろな意味で情報産業にいろいろなお金が集約しています、これは世界の中でも先進国はそうです。となりますと、やはり、私は可能な限り今後、これから、物を作るということなんですけど、同じ作るであってもやはり、ICT関係のものとかあるいは情報関係のもの。それから、もう一つは形態としてベンチャー企業などがあれする、いわゆる、たくさんあるという形の、そういう形の企業の誘致にも力を入れて取り組んでいくということが、このまちにとって私は必要だと思います。
 いわゆる雇用というのはやはり働く場所がないと困りますからというのもこれも反面事実なんですけど、やはり可能な限り生産性の高い、つまり、生産性の高いということを言葉を換えますと、賃金の多くもらえる、給料の高い企業を持ってくるということがやはり僕は根本的に必要なことでございますので、現在あります企業の皆さんがより活発に活動していただくことはもちろんのことです、それに加えて、そうした企業をより誘致するようにと思っています。
 

あわせて、3Days Worker’s Office(スリーデイズワーカーズオフィス)構想をどのように総括され引き継がれるのかお伺いします。

   それから、3Days Worker’s office(スリーデイズワーカーズオフィス)というのは、これは、厚生労働省の委託事業として受け取ってもらいますけれども、もともとこういう発想で、これは度々言っておりますけれども、自分の身を考えてみても、皆さん方も同じですけど今、大体65歳までは働きます。65歳以上になったときに、フルタイムじゃなくてもいいから週3日間ということでスリーデイズなんです。週3日間働いて、年金にプラスしてその収入があれば、そうすれば、年金だけじゃなくてその収入もある。それから、働くことで自分自身の生活もリズムができてくるということで、こういうことができるまちにしたいんです。だから、袋井のまちって働く気になれば幾つになっても働けますよというまちにしたいということを、実は厚生労働省と話をしました。そうしますと、今ありますシルバー人材センターでやってもらえばいいんだよと、シルバー人材センターというのはやはり、本当は幅広いエリアを持っているんですけれども、請負契約の問題とか、いろいろな問題、少しややこしい問題も背景にありますが、ただ、今シルバー人材が請け負っております、主に植栽とか、あるいは植木を刈ったりとかそういう仕事だけじゃなくって、デスクワークとか、あるいは自分の家庭でもできるような仕事とか、こういう仕事を週3日やって生活できるようにというまちにしていきたいと。私は、今シルバー人材でもって努力してやっていただいておって、シルバー人材のほうへ市の職員も送り込んで、それでシルバー人材の少しの人たちの会員の考え方も変えていただいて、そういう、そのように広げていただくということを今、市としても努力しています。恐らく、これ、今から先に、厚生労働省とも話ししたときに、相当先になればこういう問題というのは日本の国では当然のことになりますよねということの話をいたしました。
 私も、少し先走っている要素があるんですけれども、でも、恐らく、昨日御質問の中で協働という言葉が出てきました。協働というのはやはり、私流に解釈すると、資本主義が今行き過ぎて、やはり資本主義の行き過ぎの偏りを少しでも直していこうというところに協働という働き方の考え方が出ているんじゃないかなと、これは推測で申しています。もう少し協働を勉強してみないとそういう意味か分かりませんけれども、でもそういう要素もあるとなりますと、この3Days Worker’s office(スリーデイズワーカーズオフィス)というのは、生涯働くということと健康ということを、これを一緒にするには幾つになっても元気であれば働ける環境をつくりましょうということが、どの自治体にも絶対に必要になってくるという意味で、より、とりわけこれは地方におきましては、基本的な生活費が安いんですから、それを生かして健康的な空気を吸いながらという意味では、私は、将来の一つのモデルになり得る要素が多分にあると思います。

「トップへ」


解決してない課題の引き継ぎ(子育て)について

  (3)子育て施策についての引き継ぎをどのように引き継がれるか。
    ア 本市の特性とも言える公立幼稚園のあり方と、
       待機児童対策の進め方をどのように考えているか。 

lang=EN-US>

   公約の3点目、子育てについてであります。

 市長の子育て施策は、子供医療費の負担の小中、未就学児の入院の無料化をはじめ、通院も軽減するなど、県下でもトップクラスでした。また、幼稚園給食の全園実施、育ちの森による発達支援からの不登校など、他市に誇れるものでした。産婦人科の新たな開院もありましたし、放課後児童クラブの全校の設置も大きな前進でした。一方、待機児童対策は、入所定員を合併当時660人だったものを、令和2年度、1,662人へ、また、令和3年度は1,974人に大幅に改善するようですが、それでも令和3年度もまだ待機児童が出るとの予測を伺っています。これまで10年以上にわたって約束された待機児童のゼロの目標は達成できていません。公立の幼稚園主体の本市の特性が保育所ニーズの高まりに転換できなかったとも言えますが、本市の公立幼稚園の在り方と、待機児童対策をどのように引き継がれていくのかお伺いします。

 それから、その次が、子育て施策についてでございますが、核家族化や、あるいは共働き世代の増加が進む中で、幼児教育・保育の無償化もあって、本市におきましては保育ニーズの高まりにより令和3年度の公立の幼稚園及び子ども園幼児部の入園者数が5年前と比較して500人以上減少をしています。
 お尋ねの公立幼稚園の在り方につきまして、これ一つの考え方で、保護者の保育ニーズに応えるため、幼稚園と保育所の機能を併せ持つ幼保連携型認定こども園への移行をまず進める、現実の公立幼稚園はそういうように進め、それから、待機児童対策と併せて、公立園の質の高い幼児教育や、今まで培ってきた知見を生かして、幼児教育・保育をさらに充実させていく必要があると。つまり、認定こども園化の道が現実の公立幼稚園のこれから先へ移行し、現実に幾つもの幼稚園では今後そういう形を取っていきますけれども、それの要素があると思います。
 教育長が先ほどの御答弁で申し上げましたけれども、大規模校の横に今度は非常に小規模小学校もだんだん袋井市ではできてきています。これと一緒になっています幼稚園という、今度はそれが地域の核としての役割になるのか、それとも、教育上それが本当にプラスになるかどうかって分かりません。必ずしも人数が少ないだけがプラスとは限りません。やはり小学校の例でいえば、1年から6年まで1クラスだけで、しかもそれが30人を切るか切らないかの小学校で1クラスずーっといくことが本当に教育上いいのかどうか分かりません。これは、教育委員会の専門の方々の見識、見解を聞かなければいけませんが、ということを思いますと、今あります公立幼稚園というのが、やはりややそれに近い形になってまいります。
 ですから、それを今度はどういう形で地域に保存しておくのか、あるいは場合によったらそれの統合しようとするのかということもしっかり考えなくちゃいけないと。今、私が、それをこうしましょうと、昨日ちょうど少し回答を留保させていただきました、中遠広域の問題等もございます、やはり今私がここで、こうしましょうというような方向を出すには、あまりにも拙速に出すべきではない、これ、かように思っておりますので、少しその面につきましては、今後のいろいろな意味での考え方をより広い考え方をしてくださいということを申し上げておきたいと思います。

 

再質問

 それから、次に、ウの子育て施策の件であります。

 令和3年度は、答弁にもありましたように、1,974人に、令和2年度に比べ312人予定では増やすようです。それでも、まだ待機児童が出るということを聞いています。市長のお話ですと、その次の年はもう大丈夫だよということですが。既に笠原、袋井南がこども園化されていまして、令和3年度、若草、浅羽東を、さらに令和4年度、山梨、若草のそれぞれの公立幼稚園のこども園化が予定されています。今後どこの幼稚園をこども園化していくのか、また、全ての公立幼稚園を認定こども園化するのかという方針について伺っておきたいと思います。さらに現在、待機児童対策で、すまいる保育園をはじめ、先ほどの答弁にもありましたが、8カ所の小規模保育にお願いして、令和3年度、さらに七つの小規模保育園をお願いしていくわけです。全部で15園になりまして、定員で246名程度と聞いております。この小規模保育園を何園まで増やすのか。大規模園とこの20人以下の保育格差、そういうことについての検討はされているのか伺いたいと思います。いずれにせよ、2017年の就学前の教育、保育の在り方に関する基本方針や、また、2019年に策定した袋井市幼児教育の在り方でうたってまいりました方針とは随分変わってきていますが、今後どのような方針の下にお進めされるのか、伺いたいと思います。

 以上、再質問とさせていただきます。

○議長(戸塚文彦) 伊藤教育部長。

○教育部長(伊藤秀志) それでは、私からは今後の幼児教育・保育の在り方について御答弁を申し上げたいと思います。

 今、大庭議員からありましたとおり、順次、今、幼稚園のこども園化というものを進めてきてございます。それで小規模保育の関係でございますが、今、民間園とか、そういったところでゼロ歳から2歳の保育をしていただいているんですが、そこのところに、今、袋井市では小規模保育、19人以下のそういった施設をお願いをしているようなそういった状況でございます。こちらのところは乳児でございますので、ゼロ歳だったら3名に1名の保育者がついたりとか、1歳、2歳だったら6名に1名ということで、しっかりした保育がなされている、規模に関係なく、特にゼロから2ですので、そういった小規模が十分機能を果たしていると考えておりますし、幼児教育センターのほうでも巡回等もしながら、その質の担保はしっかりしていると、そういった状況でございます。
 そうしたことからすると、次に大事になっていくのは、そのゼロ、1、2の子が3歳になるときにどういった形で受入れができるかということでございます。それで今、袋井市においても、こども園化を進めてきたりとか、幼稚園においても全ての園で預かり保育をやっております。そうしたことからすると、小規模から3歳になった子をしっかり受け入れる役割、そういったことを全ての園で延長で預かり保育をやっている両面から考えると、こども園化ということは必要ではないかと考えているところでございます。
 現状としますと待機児童対策、これが喫緊の課題でございますので、これをしっかり行う、かつ、今、本市が持っている幼児教育の質であるとか力、それをしっかり生かしていくということで取り組んでまいりたいと思います。
 この後、小規模何園まで増やすかというところにつきましては、今時点何園ということは言えません。
 それは、やはり女性の社会進出等が増えたりとか、また、おじいちゃん、おばあちゃんの年齢の方についても働くということで、なかなか家で子供を見られない、そういったことで保育ニーズがたくさん出てきておりますので、もう少し小規模は増やしていく方向で考えておりますが、そこの後の3歳をしっかり受け入れる体制として、公立園もその役割をしっかり果たしてまいりたいとそのように考えてございます。

○議長(戸塚文彦) 教育部長、今後、公立幼稚園の展開、こども園にどこまでしていくかとか、その次の候補はとか、そのことですね。

○教育部長(伊藤秀志) 幼稚園をこども園化にしていくというところで、今、笠原こども園を皮切りに、御案内していただいたように、浅羽東幼稚園、山梨、若草、若葉、それで、浅羽北を令和4年度に3歳から5歳のこども園化の準備をして、令和5年度からというところまでは現在の子ども・子育て支援事業計画の中でもお伝えしてございます。
 ただ、先ほど申しましたが、全ての幼稚園で預かり保育をやっているという現状を考えますと、そこの人数は少人数であっても保育部をつくっていく、そういった方向性が、今、市民ニーズに応えることではないかと思いますので、来年度からこの子ども・子育て事業計画についても中間見直しが入ってまいりますので、そこでしっかりお諮りしながら決定してまいりたいとそのように考えてございます。

「トップへ」


解決してない課題の引き継ぎ(スポーツ・健康)について


 (4)スポーツと健康についての引き継ぎをどのように引き継がれるか。
    ア PFIによりスポーツ施設管理料は大幅増となったが具体的に
     新総合体育館と総合健康センターの連携をどのように考えてい
     るのか伺う。 

 公約の最後になりますが、スポーツと健康という切り口でお伺いします。

 市長の新総合市民体育館の建設、これの公約も実現し、待望久しかった施設が一昨年完成し、昨年4月よりグランドオープンとなりました。コロナ禍にあっても人気は高く、いい体育館ができたと思います。しかし、PFI手法による維持管理費は、これまで泉町にあった体育館がスポ協により約3,000万円、実質、泉町だけでいいますと900万円だったんですが、運営していたものが、新施設の維持管理費は、こうした継続したスポ協との契約プラス1億円の経費ということで大幅増になります。市長の公約では、総合健康センターと新総合体育館の機能を連携させ、生涯を通じ運動ができ、福祉と介護が整った健康的な生活が送れるまちをつくりますと公約の中でおっしゃっていましたが、スポーツ協会とのすみ分けも含めて、今後どのような運営をイメージされているのか、また、PFIで大幅に増額した維持費に対する見解をお伺いしたいと思います。

それから、スポーツの関係で

、PFIのいわゆる新しいあれができました、体育館ができまして、ここで、これ結構いろいろな方に使っていただいております。いわゆる、今年度は新型コロナウイルス感染症の関係で大きなスポーツ大会イベントは中止または延期になっておりますが、それでも1月末までの利用者数が7万7,000人と聞いておりまして、年間で10万人程度の利用が考えられるということでございますので相当なものです。
 それから、あそこにあります屋外の大型遊具や、あるいは敷地内を周回するウオーキングコースなんかもよく、あるいは併設されているカフェ、これもよく使われているとお伺いします。
 ただ、PFIの方針にしましたことによって経費が高くなります。経費が高くなることと、経費が高くなるのは努力がかかるかというのは、これはあらかじめやるときに承知をしている話です。経費が高くなることと今度は使い勝手がよくなることとどっちを優先しますかというと、これはどっち優先という話ではございませんよ。経費は低ければ低いほどいい、使い勝手がよければいいほどいいという、こういう問題で、てんびんにかける話じゃなくって、片方は低めます、片方は高めますということで、今やはり必要なことは、経費は一定に決まっている、よりどこまで多く使うかということにかかっていきます。そのときに、例えば、あそこのこけら落としのときに、あれは何チームというんだろうな、卓球の一番のレベル、水谷選手とか。

〔「Tリーグです」と呼ぶ者あり〕

○市長(原田英之) Tリーグの人たちが、こけら落としをやってくれまして、なかなかそんなことってあり得ないのはやはり、PFIでここを運営している企業がそういうコネクションを使ってやっております。そうしますと、今後、エコパもそうなんです、エコパとか、あるいはこういう、私どものアリーナで市民が毎日使っていることと、場合によったら私たちは東京や大阪へ行かなくちゃ見られないものをここで見られるようにすると、このやはり両方ができるということは、私は、袋井の市民にとって、とっても大きなことである、こういうことで、そういう意味ではやはりPFIがつくって、それを一流の選手を呼んでも大丈夫な仕組みのようにつくっているのがPFIの仕組みのいいところでございますので、やはりそれをすることによって一流の選手を呼んでもその選手がいわゆるパフォーマンスするのに耐え得る、そういう施設ができていることは私は非常にいいことであると解釈をいたしております。

 


令和3年度予算について

勇退される原田市長が後継市長に引き継がれる最後の令和3年度の予
算編成で託される事業はどのようなものか。
  (1)令和3年の予算編成において託した事業とはどのようなものか。
  (2)後継市長の裁量に任せる財政措置はどの程度見ているのか。

  

 全体の質問の最後になりますが、令和3年度の予算編成の考え方であります。

あわせて、後任の市長の裁量に任せる、そのような財政措置を考えておられたのか、財源を残され、それを予算に組み入れてあるのかお伺いし、以上、私からの一般質問とさせていただきます。 実際、令和3年度の予算を執行するのは、次期新市長であります。そこで、今回、原田市長におかれましては、超スマート社会、脱炭素社会、人生100年時代など、社会潮流を基本に、新たな日常を見据えた暮らしたいまちづくり、活力に満ちた産業振興と都市づくり、多様な主体が活躍できる地域づくりなど、三つをテーマに予算編成をされました。いずれも重要な事業だったと思います。特に後任の市長に託されたかった政策、事業とは何であったのか、最後の予算編成、どのような思いで編成指示をされたのかお伺いしたいと思います。


  最後に、議員から予算のお話がございました。今度の予算で私は、最初によくこういう言葉を使いました。骨格予算でいくか、総体予算でいくかということで、最初は、新しく私の後で選ばれる人が、存分に、いわゆる予算の中やいろいろな経費が積めるように、もう本当に骨だけにしておいて、肉は全部落としちゃって、そういう予算を組もうかなと思いました。
 だけれども、財政当局にしてみると1年間で必要となる量というのは、おのずから、そんなこと言ったって市長、大体1年間に必要になる量というのはおのずからもう決まっているよと、人件費だってそうだし、それから、社会福祉費だってそうだし、それから、建設事業と言ったって、やるものは3カ年計画でおおよそ決まっている、そうすると、ほとんどもう枠組みできちゃっているよ。できちゃっているものを、これとこれは予算計上をやめておいて、新しいリーダーにどうするかということの判断をさせましょうかと、せいぜいできるのはそれぐらいの形です。
 私、思いましたときに、来年度の予算の場合にはどうしても、いろいろな新型コロナウイルス感染症対策とかそういうものも入っていきます。これは今から必要になってくる話なので、これはしようがないねと、新型コロナウイルス感染症対策はやはりもう積んでおいていいんじゃないのと、それ以外にどうしても、例えばってあまり具体的に言うと支障があるのかもしれませんけれども、私個人のどっちかいったらパイプによって出来上がっていた事業も実はあります。それはやはりある種、個人のというか、市長としてという意味で、原田市長としてのそういう施策は少しのけておきましょうやと、それは新しいリーダーがそういう施策をやりたいと言えばすぐのっけられるようにのけておきましょう、そういう財源はきちんと確保しておきました。

 それから、もう一つ、やはりこれはいわゆる公的会計のいいところだと思いますけれども、研究、いわゆる、なんといいますか、政策研究費みたいな、こういう方面どうだというような、そういうお金を少しプールして置いておきましょうと。今まではそういうお金が1年間で大体300万円なんですけど、それを企画の中に1,000万円用意しました。その1,000万円で何と何と何に使いますかといったら、おおよそ1,000万円ただ空で用意するとなると、じゃあ、1,000万円がいいのか、2,000万円がいいのか、5,000万円がいいのか、こういう議論になる。1,000万円というのが実は、企画と財政との話合いの中でおおよそこういう、こういう、こういうものを積めばそれぐらいの金額になりますわねという意味での1,000万円、ただこれは、しかしながら、予算の項目として色がつけていないのは、次のリーダーにどうぞと、こういうふうにやればということで、その中でぜひ議論をしていただきたいと。
 議論をして、それを今度は6月の議会の中で、あの1,000万円のうち、これでこういうことをやりますということをぜひ表してくださいということで、私は、予算の補正といたします。

 実は、議員から一番最初お話がありました、私の就任が1月の中旬でした。そのときには既に、当市の来年度の予算も決まっていました。だから、そうした中で私は市長に就任して、幸いなことに、私は、前職が県の職員でございましたので、ある程度予算の中身が分かりまして、その中に入っていって、これとこれとこれこうなっています、ほとんどそのときには前任の皆さん方が予算をきちっと組み立ててくれておりました。だから、私が就任して6月の議会でこれをこうしましょうというのは、僕の記憶ではほとんど今のところは記憶ありません。大きなものをこうしてこう動かしてということはなかったような感じ。それはそれで一つのやり方です。決して僕は、だから、そういうやり方が100%いいと言っているわけではございません。
 だから、僕は、今回の予算ではそういう意味で、丸々、もう本当に骨だけ残しちゃうというやり方と、それから、フルで全部つくっちゃう、そのやや中間をとって、この中間をとったというのがいかにも僕らしいやり方なんですけれども、私はそういうことで、今回の予算にしました。

 ただ、当市の場合、幸いなことに、財政の人たちやなかなか当市は優れていますよ。自分が言うのもおかしいんですけれども。いわゆる財源効率が非常にいいんです、財源効率がいいってどういうことかというと、ほかの市町では、皆さんよくどこの町でも何かもう、新型コロナウイルス感染症の関係で予算がいっぱいになっちゃって財政がパンクしそうだよということで、うちパンクしますかってしない、なぜかというと、それは国や県の補助金を多く持ってきて、それでもってそれに市の一般財源を入れて組み立てていく、これを称して財源効率というんです。
 つまり、市のお金1円でもって、全体幾らできるかという、うちの場合、今、市のお金1円で2円の事業をしようと、あとの1円はどうしますかというと、国や県から持っていきますよという組立てです。そういう財源効率が非常に優れています。私はそういう意味で、来年の予算におきまして、新しい、私の後の後継の方がやりたいと思うことを、私はほとんどできると思います。お金なくてほとんどできないよという、新しくここに道を造ろうたって、その年にはお金要りませんから。だって、道を造る計画をつくるのにどうしたって1年かかるんでという。  したら、ほとんど新しいリーダーが財政的な束縛によって事ができないということはないと私は思っています。また、そういうつもりで予算の編成もいたしました。

 随分長くなって申し訳ございませんでした。少し、余計なことを申したかもしれませんけれども、私にとりまして、最後の答弁の機会でございましたので、自分の思いを述べさせていただきました。ありがとうございました。

再質問

○議長(戸塚文彦) 19番 大庭議員。

19番(大庭通嘉) それぞれ両部長に御答弁いただきました。

 榛葉部長におかれましては、今回が最後だということでありまして、引継ぎをしっかりお願いしたいと思います。

 最後になりますので、原田市長のほうに少し質問といいますか、意見も含めて少しお話しさせていただきますが、先ほどは、冒頭、皆さんのおかげで今があるということでおっしゃって、自らの採点については50点ということで、随分控え目な採点をされたと思います。
 私は100点というと、伸び代がなくなってしまいますので、99点でいいんじゃないかなと。その99点のうちの一つはやはり職員の皆さん、本当に私よくやってきたんじゃないかなと思います。一つ、ワールドカップもそうなんですが、大体7年ぐらい前から、国体も8年ぐらい前から準備していました。2001年の宿駅も、あれ10年前ですね。平成2年にどまんなかシンポジウムを準備していた。事ほどさように、この20年間もそうですが、あの後、市町村合併がありました、病院の統合がありました、震災がありました、そのいろいろな中で、皆さんの本当の協力で今日があるという意味で、私は、市長のよりベスト、卓越したというのと、グッド、ベター、ベスト、エクセレントとありますが、エクセレントに近いんでなかったんじゃないかな、市民共々に、職員共々にそんな気がいたしております。
 といいますのは、石川知事の想像力、優れた判断力、見識相まって比類のない手腕を発揮すると当時おっしゃっていましたけれども、今、袋井市には292億円、地方債残高、借金があります。うち臨財債、臨時財政対策債、これと、交付税措置されるもの、手元にないものですから、細かく言えないですが、いわゆる後で国が面倒見てもらうよというのを入れると190億円近くあるものですから、実際の借金が100億なんですよね。それと加えて、貯金、基金が約62億、63億ある。 私、これというのは、先ほど財政効率とおっしゃいましたけれども、市長がバランスを取って、大借金をせずに、しかも、ここ大事というのは最低限使ってというところでやってきた、まさに市長の卓越した手腕であったと、私はそのようにも思っています。ただ、財政当局にはそれが県下の中でどのぐらいの水準かというのは調べてよ、ということでお願いをしているんですが、率直に今、この20年間のかじ取りをされてきての感想、財政的なものも含めて、それから、再度になりますけれども、私は職員の皆さんは本当にこの大変な時期を市長を支えてやってこられたと思うんですが、そして、国体の民泊もそうですが、本当にそうした皆さんに最後のメッセージをいただければ、その財政の問題と加えていただければと思います。

 以上を申し上げ、これが最後のやり取り、私からの一般質問になりますので、よろしかったら御答弁をいただきたいと思います。

 以上で私の質問を終わります。

○議長(戸塚文彦) 原田市長。

○市長(原田英之) ありがとうございました。

 職員のみんなが、私最初に県庁から参りまして、恐らくどんな市長だろうと。それから、あいつは厳しくて意地悪に違いないとそういう思いで受け止めたかもしれません、一番最初。僕の顔もそんな顔ですから。
 私はそう思ったスタートから、今、20年になりまして、まず、彼らの本当に、何といいますか、地域に入って仕事をすると遅くなる、デスクでもって考えれば、すぐ右、左言うんですけれども、地域入るとどうしても遅くなる。それを最初、私は間違えて、これは本当、自分のいけないところ、あんた方考えているのではなくて迷っているんでしょうと、よくこういうこと言ったんです。
 つまり、迷っているって時間を取るんじゃこれはもったいない話なんです。考えて、いろいろな案を考えて時間を取るんだったらいいんですけれども、ということを、そういう、なんていうかな、失礼なことを申し上げました。
 ちょうど、今日はこれを職員のみんなも聞いていてくれますから、私は、自分の不明を恥じるんですけれども、本当に申し訳なかったと思う。それが、20年たった今、もう本当に、いろいろなところで職員のみんなからの報告を受けたり、それは直接受けることもあるし、部長や課長から受けることもありますけれども、いずれも、私は自分の描いていたとおりの返事が出てくるしということで大変な満足をしています。
 そういう意味で私は、市民の皆さんから言わせれば、それは公務員だから当たり前でしょうと言いますけれども、でも、よく袋井の職員が、そういうふうなことをわきまえてくださって、そして、すばらしい能力を発揮してくださっていると思います。それから、議会の皆様方こうして面と向かって私、褒めるといけないのかもしれませんが、でも、議会の皆さん方も、やはり、それは質問って、私たちどもに、行政にやはり、当局に対峙するところがあります、対峙って、こう、あれして。そういうところもありますので、当然ここはここってこういう質問があって当たり前なんですけれども、でも、それでもやはり、根底がよく分かった、そういう御質問をしてくれたことに私は感謝をしています。  やはり、何というんだろう、本当に単なる時間潰しじゃありませんかという質問じゃなくて、やはり、私たちのところ、ここはこうだってついていきますけど、その根底がこういう状況があるんだろうなと思いながらも質問をしてくださるということに私は深い感謝をいたしております。おかげで、20年間そういう意味での、先ほどの職員もそうです。それから、議員の皆様方とも、本当、何というんですか、無駄な時間を費やすことなくこうして市政の執行ができましたことは、まさしく皆さん方のおかげである、このように思っております。誠に本当に長い間お世話になりまして、ありがとうございました。

○議長(戸塚文彦) 以上で、19番 大庭通嘉議員の一般質問を終わります。

 


    


「トップへ」



「議会目次へ戻る」


「ホームページ目次へ戻る」