大庭のエッセイ


「道名一貫」


平成12年度、私が尊敬している村上興雄社長(元パイオニア社長)の薦めで「第11期赤根塾」に入塾、1年間禅の心を通しての経営道の勉強をさせて戴いた。
 赤根塾とは赤根祥道先生主催の会議で毎月1回、東京の学士会館にて開催されたもので、塾生20名、全員が規模の大小こそ違えど会社の社長、あるいは役員クラスで、まさに経済界のリーダーとも言える皆さんが構成する塾である。
 ここに、簡単な赤根先生のプロフィールを紹介させて戴くと、
赤根祥道先生 略歴
   昭和5年生まれ。大連中学・土浦一高を経て、東北大学、駒沢大学大学院で哲学と禅を学ぶ。青山学院大学院で経営学を学ぶ。酒井得元老師に師事し、受戒得度。慧光祥道の名を戴く。著書は禅関係をはじめとして150冊に及ぶ。作家。評論家。日本ペンクラブ会員。日本旅行作家協会会員。出版、講演、雑誌で活躍。経済界のリーダーを対象に赤根塾を主宰。他

 ということで、実に素晴らしい先生です。
 また、この赤根塾での講義内容についても触れさせて戴くと、
内容 人物 師僧 名訓
4月 ビジネス禅のすすめ 北条時宗 無学祖元 喝 莫妄想
5月 天下の政道私あるべからず
将とは智、信、仁、勇、厳なり
足利尊氏 夢窓疎石 平常心
6月 彼を知り己を知れば
百戦して危うからず
北条早雲 一休宗純 有るをば有るとし
7月 風林火山 武田信玄 快川紹喜 日々是好日
勝つべからざるは守るなり
勝つべきは攻むるなり
上杉謙信 益翁宗謙 不識
8月 戦いは正を以て合し
奇を以て勝つ
織田信長 沢彦宗恩 是非に及ばず
9月 心をどこにも留めるな 柳生宗矩 沢庵宗彭
10月 一鍬一鍬なむあみだぶつ 鈴木正三 一鍬一鍬なむあみだぶつ
先も立ち我も立つ 石田梅岩 小栗了雲 先も立ち我も立つ
11月 動中の工夫静中に勝ること
百千億倍
白隠慧鶴 正受慧端 動中工夫勝静百千億倍
12月 うらを見せおもてを見せて散るもみぢ 大愚良寛 円通国仙 和顔愛語
10 1月 晴れて良し曇りてもよし富士の山 山岡鉄舟 洪川和尚 本来無一物
11 2月 道名決定座談会
12 3月 終了研修旅行
 というもので、先覚先師の生き様や、その指針となる教えを今日の企業経営や日常生活にも生かすべく講義の内容となっており、毎回、中味も実に興味深い。
 とりわけこの中で、11回目 平成13年2月に開催された講義の中では、それぞれの塾生がこれまでの人生、そして、自らの今後の人生の生き方を定める道名(自分で付け、赤根先生や同期の塾生に承認をして貰う名前)を決定する会となっており、その中で私は

  先生、そして塾の皆さんにもご承認を戴き  「一貫」 「大庭一貫」と命名させて戴いた。
 ところでこの「一貫」とは孔子の我道一以貫之から戴いたものである。何を以て一つかと言えば夫子の之道、忠恕而己矣、すなわち夫子の道は忠(まごころ)恕(思いやり)のみというもので、とても孔子様の足下にも及ばないものの、自らの生き様の根元に、かくありたいと思う言葉を論語の中から道名として戴いたものだ。

 そこで、ここに、この論語の里仁編に出てくるこの言葉を解説させて戴くと、

 子曰、參乎、我道一以貫之哉。曾子曰、唯、子出。門人問曰、何謂也。曾子曰、夫子之道、忠恕而己矣。

 子曰わく、參よ、我が道は一以てこれを貫く。曾子曰わく、唯、子出ず。門人問うて曰わく、何の謂いぞや。曾子曰わく、夫子の道は忠恕のみ。    

孔子が曾子を呼んでいわれた。「曾子よ、我が道は一つのものによって貫かれているのですぞ。」と。曾子はただ「はい」と答える。そばにいた曾子の門人が曾子に、「孔子様は何をおっしゃったんですか。」と尋ねた。曾子は「夫子、つまり孔子様の道というのは忠と恕、真心と思いやりの二つに尽きる」と思う。と答えた。

 ところで、曾子というのは、孔子の晩年のひじょうに若い弟子だった。孔子がひじょうに可愛がった弟子である。この曾子の弟子が「中庸」を書いた子思であり、その又弟子が孟子である。
曾子は若かったので、孔子の学説の一貫性を求める新しい理論意識を持っていた。察しの良い孔子は、彼の心中を知って答えている。
 したがって、孔子が曾子に自分の道は一でもって一貫しているつもりだと述べると、曾子は「はい、分かりました」と答えたのだ。

 一体孔子は、一貫しているという原理を何と解していたのだろう。孔子が出て行かれてから、曾子の門人はがてんが行かないので、曾子に問うて「我が道は一つを以て貫いた、一貫した原理がある。」と大先生の言われたのに対して先生は「分かったといわれたがそれはどういう訳か聞き出したのだった。」 曾子が言うには、「先生が道とし、原理とされているものは「忠恕」だ。道は「忠恕」によって一貫されているんだ。それでやっと門人は納得出来たのだ。

 ところで忠恕の忠は日本では忠義の忠ととられ、臣下が君主に対する忠義の意味に使われている。ところが中国では、一般に他人に対して真心をもって奉仕することだといわれている。「恕」というのは、他人を親身に思いやって考える事。
 ようするに、弟子達によって解釈がまちまちだった「仁」という言葉を曾子は「忠恕」と定義したわけだ。自分の良心に顧みて恥ずかしいことをしない。他人のことをいつも思いやって、他人の身になって考える。この二つの面を持ったのが仁の徳だと曾子は解釈したのだった。 

 以上が、この「一貫」、一つのもので貫くという「道名」の説明だが、忠恕とは仁であり、これは愛にも通じるとも解することの出来る、実に奥の深い言葉と思う。「一貫」という言葉の響きだけでは、どちらかといえばむしろ、厳しさや、強さだけが一人歩きをしないでもないが、道名の内面にあるあたたかさを、今後の自らの目標として、そして、天にも通じる言葉として、大切にしていきたいと思う。
 ともあれ「大庭一貫」「大庭忠恕」という表裏の道名として心に刻みたいと思う。
                                      合掌       2001.4



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