大庭のエッセイ


「交剣知愛」


  2001.5.8剣道錬士の試験に合格した。
私と剣道との出逢いは中一2学期である。当時担任の教師が、よほど弱々しく見えたであろう私に、体力向上を理由に授業のたびに何度となく剣道部への入部を勧誘し、当時素直な私は言われるままに入部してしまった。
 半年後、中学一年の3学期で一級を取得出来たことに気をよくし、2年の3学期で初段、高校の1年で二段とお陰様でトントン拍子で昇級昇段し、剣道生活がいつしか当たり前のものになっていた。特に高校時代は私自身の実力は並上程度だったものの、部員は県大会や地域の大会で優勝する程の実力があっただけに、剣道を学ぶには極めて良い環境だったと言える。
 当時を思い出すたびに、夜遅く、そして朝早い稽古に明け暮れ、日曜日が実に待ち遠しかったことと、体中いつも筋肉痛だったことを今でも鮮明に覚えている。

 さて、社会人になって、「剣道は卒業」そんな決意でいたものの、会社の先輩にこれまた懇願され、主体性のないまま続ける事となった。しかも、何時しか「錬心館」なる小中学生を指導する剣道教室の館長を引き受けることになり、剣道にはひとかたならぬ剣縁を感じざるを得ない。

 既に剣道を初めて37年、道場運営に携わって20年、よく続いたと、我ながら自分で自分を誉めてやりたい気持ちだ。と言うのも、稽古で負うケガや細かい傷は数あれど、ふくらはぎ断裂(肉離れやアキレス腱損傷等)を4回も経験し、それが致命的なケガだっただけに何度止めよう思ったか分からない。
 しかし、その度に、リハビリを続け、体力回復と共に、自分の剣道がいかに力任せの我欲に片寄った稽古だったかを反省させられることになり、むしろ、古人の教えの偉大さと剣道の奥深さ、また、素直な心で学ぶ大切さなど旧に倍して教えられることになった。

 ところで現在の剣道は、全剣連「全日本剣道連盟」の理念に基づき、剣道の奨励及び、その向上に資する目的で称号及び段位を定め審査が実施されている。
 以前は10段位もあったが、今日では八段範士を最高位と位置づけ、運用されている。ちなみに初段を取得して1年修業して二段、二段を取得して2年修業して三段、三段を取得して3年で四段、四段を取得して4年で五段、五段を取得して5年で六段、六段を取得して6年で七段、七段を取得して10年、しかも46歳以上にして八段を受審できる。

 また、称号には錬士、教士、範士があり、錬士は六段取得後1年以上、教士は7段取得後2年以上、範士は八段受有後8年以上経過することが必要とされており、最も才能がある人で、54歳にならないと八段範士の称号は戴けないこととなっている。

 さらに、八段審査の合格率は司法試験より合格率が低く、約1%程度と極めて難しい。
 いずれにせよ、錬士の付与基準が「剣理に練達し、識見優良なるもの。」とのことで、この称号を戴けたことは、何とも有難い。
 と言うのも剣道は力と力、技と技、気と気のぶつかり合いであり、健康で精神的にも肉体的にも充実していないことには土俵に上がることすら出来ない格闘技である。

 それだけに、この称号授与は、過ぎ越しこれまでが健康であったればこその証であり、また、友あり、師あり、稽古できる、場所、時間があった。すべての条件に満たされていた自分がそこにあった。と言うことは、そのことだけでも実に意義深いことであり、すべてに感謝したい気持ちで一杯だ。

 つらつら考えても、年齢(よわい)を重ねて若者と互角に、そしてそれ以上に戦える競技「道」は剣道くらいしかないのではないかと思う。自分がいて人がいる、人を殺すような残忍な武道だからこそ学び得る素晴らしいものがある。人を切り痛みが分かる。切られて命の尊さに気づく。愛の大きさ、思いやりの深さに。まさに「交剣知愛」である。                                      2001.8


 



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