大庭のエッセイ


「豆腐にあらためて教えられて」


 
 この21世紀の初めての5月連休、次男の下宿先である京都に行った。 

 たまたま、あだしの念仏寺にご縁を戴き、参拝させて戴く           
こととなり、初めて立ち寄らせて戴いた。
 孟宗竹林に顔をだした可愛らしいタケノコ、新緑のもみじなど、嵯峨野特有の5月の風情に感動したことは言うまでもない。また、マスコミ、雑誌等でも取り上げられている何百体もの地蔵様にも心を打たれたが、これらとは異なって何気なく貼ってあった壁面の詩が私にとっては印象的だっ た。 それは「豆腐」という詩で、日頃何気なく食している豆腐にもこんな、役割があったのかとあらためて教えられた思いがした。
 これこそが、私にとっての念仏寺の御利益(ごりやく)だったのかも知れない。2001.5

 豆腐

信仰は お豆腐のようになることです
豆腐は 煮られてもよし
焼かれてもよし 揚げられてもよし
生で冷奴で ご飯の菜によし
湯豆腐で一杯 酒のさかなによし
柔くて 老人 病人の お気に入り
子供や 若い者からも 好かれる
男によし 女によし
貧乏人によし 金持によし
平民的であって 気品もあり
上流へも好かれる
行儀よく切って 吸物となり     
精進料理によし
握りつぶして味噌汁の身となり
家庭科理に向く
四時 春夏秋冬 いつでも使われ
安価であって ご馳走の一つに数えられ
山間に都会に ・・・ ドコでも歓迎せられる
貴顕や 外客の招宴にも 迎えられ
簡単なる学生の自炊生活にも 喜ばれる
女は特に 豆腐のようでなければいかぬ
徹した人は 豆腐の如く柔くて しかも形を崩さぬ               
味がないようで 味があり
平凡に見えて 非凡。
                  (原文のまま)



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