範士九段市川彦太郎先生 |
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平成4年5月 10周年講演風景より 先生より「道場名」「3つの誓い」 「面手拭いに(交剣知愛)(不動心) の御揮毫」を戴いた |
平成14年4月市川先生と(埼玉のご自宅にて) |
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錬心館10周年記念行事が中日新聞に取り上げられた。 | |
錬心館10周年記念
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今年72才になるが、これまで60年間剣道をしている。 |
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市川彦太郎先生 講演録
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演題 「剣道と私」範士九段 市川彦太郎先生「剣道は心より学びなさい」 島田虎之助という剣道の先生が幕末時代の剣道の非常に強かった先生ですね、その人が「剣は心なり心正しからざれば剣また正しからず 剣を学ばんと欲するものは まず心より学ぶべし」こういうことを言われたんだと、だから正しい心の持ち主でないと正しい剣は生まれませんよ。正しい剣を使えば、正しい心の持ち主になりますよ。というふうなことを言われて、剣道はまっすぐな剣道をやりなさい、こういうことを言われたんです。 「剣道は長くつづけなさい」 それと同時に、長く剣道を続けると剣道の良さというものが解ってくるから、1年や2年でやめるな。一生涯をこれを目標にしてやりなさい、こう言われました。 宮本武蔵は鍛錬と言うことを言っております。千日の稽古を鍛と言い、万日の稽古を錬という。千日、万日。千日というと約三年ですね。万日というと、その十倍だから三十年。三十年くらいやらなければ一生懸命剣道をやったと言うことにはなりませんよ。こういうことだろうと思います。 だから長く続けると言うことは三十年位やってみて長くやったなあということだと思います。だから皆さん方は、こちらにいる方は1〜2年、(市川先生子供達を指して)こちらの人は4〜5年、こういうことになるんだろうと思います。が、非常にほど遠い。長い目で剣道をやっていただきたい、これをまずお願いしておきます。 「剣道は「見る」「聞く」「真似る」が大切」 次に剣道というのは、「打つ」、「突く」、「かわす」、これが剣道ですね。剣道は打つという技と、突くという技と、かわす、体裁きをする。これが剣道です。この運動をするために先生方がよく話をします。それを「聞く」、 「見る」、次は「真似る」。これが実は大切なんです。先生方がこういうものを基にして、こういう剣道の指導をされる時に、よく話をします。それを聞かなければ駄目なんです。聞く耳を持っていなければ駄目なんです。こっちの耳からこっちの耳へ出てしまうような耳では困る訳なんです。 まず聞く、その次には先生方が話をして「面をこう打つんですよ。」と話をして、やってみせるからこれを見る。 見たらそれを真似る。これが子供の頃、初心者の人は非常に大切なことなんです。これを良くできる人は必ず上達します。この聞くことの出来ない人、この先生の動作を見ることが出来ない人、これが出来ないと、これが真似られません。この「見る」、「聞く」、「真似る」、と言うことは剣道の一番大切なことなんです。 「上に習い、下に学べ」 その為に指導者という人は非常に今度は大変なんです。指導者、全部自分のことを聞いてくれる、見てくれる、そして真似てくれます。自分のやったことが正しければこれを聞いて、見て、真似る人は非常に立派な剣道をやってくれますし、自分が間違っていれば、こっちが間違ったことになってしまいます。 従って指導者は勉強しなければいけない。こういう事になると思うんです。昔から、「上に習い、下に学べ」と、こう言われますね。先生に習う、先生に習うと言うことは、先生は言うだけです。学ぶということは、自分がこれを「とる」と言う気持ちがないと、いけない。自分が中心なんです。自己中心、「自分が学んでやろうと、こういう気持ちになると力が入ってきます。」「見るという時の目が変わってきます。」「聞く時の耳が変わってきます。」そうするとその真似方が違うわけすね。学ぶという考えが非常に大切だと思うんです。「上に習って、下に学ぶ」というのは、上の人が教えるというのは非常に少ないんです。1か2なんです。ところが自分が学ぶと言うのが非常に多いんです。10も20もあるわけです。学ぼうとすると、いわゆるあのパスカルという大物理学者は「私は先生から立派なことを習いました。しかし、それ以上に友達や同僚から学ぶ事が出来た。さらに多く学んだのは、自分の弟子からである。」こう言っております。非常にその辺のところが意味があると思うんです。私達も全国各地を歩き、それから外国にも行きました。剣道の指導と言うことで アメリカへ行ったり、ブラジル、メキシコ、アルゼンチン、フランス、スイス、イギリス・ロンドン、そういう方面、欧州方面、それからアセアンその方へも行ってまいりました。現在行ってないのは、オーストラリア、ニューギニアだけであとはほとんどの所に剣道で歩きましたが、その人達は非常に「求める気持ち」を持っております。求めるとこういう気持ちを持って、「非常に熱心」です。少しでも自分のためになる様なことは「聞き落とすまい」、「見落とすまい」、こういう気持ちでやっております。剣道の良さは、外国人の方が求めております。よく欧州に行ったときに騎士道というのが欧州にはあるんだが、今はそれが無くなってしまった。いわゆる騎士道に値するのが世界的に残っているのは剣道だけである。武士道として剣道だけだ。だから剣道をやるんだ。という。現在は世界で29カ国がやっています。先般、カナダで第8回の世界剣道大会がカナダのトロントで行われました。この時、世界で26ヶ国が集まりました。そういうふうに非常に盛んになっております。毎年埼玉県の北本に世界の剣道の高段者を集めてサマーキャンプを開いておりますが、これには世界から非常にたくさんやってまいります。毎年50〜60人位まいって2週間位の講習会をやっております。非常に熱心です。そういうふうな剣道の良さというものが日本人よりも外国人の方に認められつつあるじゃなかという感じを持っているわけですが、日本人である我々はさらに突っ込んで剣道の良いところを学び取って、しかも、それを、伝承していかなければいけないんだ。と、こういうふうに考えているわけであります。 「良師を選びなさい」 昔から「良師を選びなさい。先生に習うためには良い先生を選びなさい。」と言われました。その点、私は非常に先生に恵まれました。先ほど申し上げました様に、中学に入った時は、範士の先生から指導を受け非常に精神的な訓話もいただきました。技術は基本を中心、でして、あまり試合はやりませんで、試合に強くなかったです。中学で、昔の中学は五年制ですから、中学で二段をいただきました。それから国士舘に入って、国士舘では全部段をなくして中学生で二段を貰ってきた人、さらに一般になったり、師範学校に行ったりして三段、四段持った年輩の方が一緒に同級生で入ってまいりました。そういう段も全部無くしてしまう。0から始める。1年生は切り返しだけ。毎日毎日朝6時から1時間、午前中は学科をやって午後また、二時間切り返しをやる。そういう生活でした。1年間全部切り返しです。2年生になって今度は掛かり稽古、3年生になってやっと地稽古になる。4年生になって試合稽古を始める。こういう状況でした。私は先ほど申し上げましたように山の中で百姓をしながらいろいろ、こう、足腰を鍛えたもんですから、非常に身体が丈夫であったと言うこと、それで山の中から出てきたので、とにかく言われたことは「真面目にやろう」という事を思って、朝早く起きて、朝稽古を一度もさぼったことはない。4年間、当時私らの学校は4年制でしたが4年間朝稽古、授業も皆勤、卒業の時は皆勤賞をいただいた。これだけは誇りとして皆さんに話せることではないか。それが結局、私の現在の剣道の基本となっている。こういうふうに思っています。基本をしっかりやったことによって、私はその後、段を受けました。昭和32年に全日本剣道連盟の段位制度が変わって、六段、七段の試験を受ける様になりました。七段の時に一回不合格になりましたが、あとは全部一回で合格しました。しかも最年少で合格しました。八段も48歳になったら受験できますよ。という年に48歳で合格させていただきました。範士も55歳になったら範士になれますよというとき、55歳で範士にして貰った。九段も68歳で60代では当時は非常に珍しい段だったんですが、68歳でさせていただきました。今年九段の先生が4人出ましたが、その先生で一番若い先生が東京の森島という先生で、70歳。で、あとの先生は75歳、阿部三郎先生が73歳、そういう70歳を超した先生が今度4人九段になりました。 幸にも私は最年少で合格させて貰いました。これも基本をしっかりやらせていただいた。こういう結果だと思います。 「斉村五郎先生の教え」 国士舘に入った時に斉村五郎という十段になった先生にご指導いただきました。この十段になった先生が入ったばかりの生徒を集めて、君たちは試合に強くなるためにこの学校に入ったんじゃあない。段をとるためにこの学校に入ったんじゃない。「正しい基本を身につけて立派な生徒を教育するためにこの学校に入ったんだ。」こういうふうに言われました。正しい基本と生徒の指導に当たる為の学校だよ。だから色々のことについて、正しい稽古をするような、動作をするような、そういう努力をしなければならない。こういう事を申されました。その当時、斉村五郎先生がかつて修業時代、京都の武道専門学校を卒業されて京都に残っておった当時、武者修行と言うことで全国を歩かれたわけです。当時はこういう服が無くてみんな着物を着て袴をはいて朴歯(ほうば)の下駄を履いて歩くのが昔のその当時の習慣でございました。剣道防具を先に送るとか非常に嫌われまして、そういうことをやると先生から怒られたもんです。修行の邪魔になる。そういうことを言われてどこへ行くにも防具を担いでいった。これが剣道家の常識でございます。斉村先生が、休みを利用して全国を武者修行した時に富山円(とみやままどか)と言う先生で立派な先生が仙台におられる。そこで仙台までその先生に稽古をお願いする為に出かけました。その時に仙台の武徳殿に行って「先生今日はお稽古をいただきにまいりました。一手(ひとて)ご指導をお願いします。」と言って、そうお願いしたところ、先生はじろって睨まれて、「君が履いてきた下駄を持ってきなさい。」履いた下駄を持ってきたところが、朴歯(ほうば)の下駄が斜めに減っている。「そういう心がけでは僕と稽古をやるわけにはいけない。この朴歯(ほうば)の下駄が平に減るようになったら今一度来なさい。」こういうふうに言われたそうです。そこでお昼、昼食をご馳走になってわざわざ仙台まで稽古をお願いに来たんだが稽古がお願いに出来ないで帰ってきた。 それから先生は真っ直ぐにして足下が真っ直ぐになるように歩くようにならないと下駄が平に減らない。そういう努力を、今度は努力した。それが元になり先生は基礎が出来、十段位迄昇段することが出来た。こういうお話を伺いました。なるほどなと思います。それから歩くことについても色々注意をしました。下駄も平に減るように努力しました。そういう話を承って、我々は剣道をやってきたわけです。 「持田盛二先生の教え」 その次のに持田先生の遺訓というのがありますので、見ていただきたいと思いますが、これは先程も申し上げましたように、剣道は50歳 まで基礎を一生懸命勉強して自分のものにしなくてはいけない。と書 いてあります。普通基礎というと初心者のうちに修行してしまうと思っているが、これは大変な間違いである。その為、基礎を頭の中にしまい込んだままの人が非常に多いが、こういう事ではいけない。持田先生は剣道の基礎を体で覚えるのに50年かかった。私の剣道は50を過ぎてから本当の修行に入ったんだ。こう言っています。 この先生が十段になっている。この先生は群馬県出身の先生です。朝鮮の総督府で剣道の師範やってた時に昭和4年の天覧試合で優勝した先生です。持田盛二(もりじ)先生、この天覧試合で優勝して朝鮮に帰りましたが、剣道の修行をするためには、東京に出てやらなければダメだ。そういうふうにその時気が付いたそうです。そこで東京に出たいと思っていたら当時の講談社の社長で、野間清治と言う先生がおりました。この先生が群馬県の出身なんです。持田先生がそういう意志があるなら講談社の先生になってください。そして講談社の先生として迎えて、講談社の朝稽古を社員に全員やらせるように。講談社では社員が段が上がると給料が上がっていく。朝稽古をやって朝飯を食べさせて、それから社員としての勤務をする。こういうやり方でやった社長ですが、その持田先生を師範として迎え、それから持田先生は警視庁の先生になって、両方の先生として非常に東京の剣道の発展に努められ、先生ご自身も十段になった。こういう先生なんですが、その先生が50歳まで基本を習得するよう 努力した。こういうふうに言っておられます。 それから今度は、心の修行をしたんだ。これを読んでいただくと良く分かると思いますが、こういう事を言っています。 「小川忠太郎先生の教え」 それから、小川忠太郎先生が先般1月に亡くなられましたが、この先生も私の先生で す。この先生は「我が胸に 剣道理念抱きしめて 死に行く今日ぞ 楽しかりける」という辞世の詩(うた)を残して亡くなってしまいました。この先生も非常に立派な先生で、我々の尊敬しておった先生ですが、この先生は九段になりまして「剣道の理念」、石田和外(わがい)と言う人が最高裁の長官をやった人が全日本剣道連盟の会長になりました。その時に試合稽古だけに流れてきている。この剣道は将来ダメになってしまう。何とかこれを盛り返しておかないと日本の剣道がダメになってしまうと小川先生を中心にして、石田和外会長が「剣道の理念」というものを昭和50年に作られた。「剣道は剣の理法の修練による人間形成の道である」こういうふうに剣道の理念を作り上げたんですが、その剣道の理念についていろいろ心配しておりました。こういう立派なものが出来たのに、なかなか内容が伴ってこない、君達若い者はこれを実行するように努力しなければだめだぞ、と言うことをよく言われます。 学校剣道も格技と言うことで入りましたが、その後武道に変わってまいりました。格技道場が武道場に変わってきましたが、名前が変わっただけで内容が変わらなくちゃ何もならないんだ。こう言うようなことを非常に心配しておりまして、現在でもいろいろ代議士の先生方が議員連盟というものを作っておりますが、色々心配しておりますが、なかなかうまく行きません。我々剣道連盟の一会員でもあるものを、何とか「剣道の理念」に基づいた立派な剣道というものを残していかなければならない。その為にどうしたらいいか。日夜心配しているところでございますが、そういう面について、「錬心館」にお邪魔して非常に皆さん方が立派にやっておる。こういう風な気持ちで稽古をおやりになっていれば心配ないじゃないかなあ。こう言うような感じを持っているわけでございます。 小川先生という先生は、非常に立派な先生でございまして、この先生は非常に理論的にもそれから、山岡鉄舟の無刀流を習った先生で座禅にも非常に秀でた先生でして、この先生は非常に「剣道の理念」についてのご説明しておりまして、我々若い者についても御講話をいただいております。が、そこで剣道連盟が発足して十段が5名出ました。その先生方は既に故人となっておりまして、現在は一人もおりません。 そこで、この次に6人目に出られる先生は小川忠太郎先生ではなかろうかと、こういうふうに皆んな剣道界では言っておったわけですが、小川先生は十段位というのは名人の位の段である。それに値する人間は現在いない。僕なんかまだまだ。そういうことで、一度も推薦を受けようとしませんでした。それで今年の正月、ついに91歳で亡くなりましたが、こういう立派な先生が貰われないと言うことになりますと、あとに続く人はいないだろう。とこういうふうな感じでいるわけでございます。 「打つ太刀は「技」「腕」「気合い」「腹」「心」の法と知れ」 次に、剣道の教えの詩(うた)の中に、打つ太刀は一、「技。」二、「腕。」三、「気合い。」四、「腹。」五、心。」(ごしん)の法と知れ。こう言うのがあります。 剣道の打つ太刀、一番目には「技だ。」 技をしっかり覚えなければいけない。その技は先生に教わる技です。その立派な技は自分で覚えなければならない。最近よく言われます。この前の「剣窓」(全剣連の広報物)にも出ておりましたが、東北大学の医学博士で東北大学剣道部の監督の先生がアメリカに医学の勉強に行っておったとき、アメリカで剣道の指導をした。アメリカ人で非常に剣道に熱心な人がいたので、そこで剣道を指導した。その人は戦前教育を受けたので「礼」だとか、あるいは「打突」だとか、「構え」だとかそういうふうなことについて非常に厳しく指導しても、彼らは非常に喜んで稽古にやってくる。日本に帰ってきてみて驚いたことが3つある。 その1つは「太刀の観念が非常にない。」2つに「鍔ぜり合いがおかしい。」その次は「構え」である。 竹刀とはどう書くかというと竹の刀と書きます。木刀は木の刀と書きます。これは刀を意味するんであって、真剣を使えないから、その代わり「竹の刀をもって真剣と見なしているんだ。」木刀の場合も木の刀なんです。そういう観念が非常になくなってきている。したがって、竹刀を刀としての扱いをしないで、これを放りっぱなしにしたり、またいだり、杖についたり、こういうふうな人が非常に多くなってきたが、戦前はそういうのを見たことがなかった。今はこれを「もの」として扱っているような感じですね。こういう事を言っておりました。 その次は「鍔ぜり合い」、鍔ぜり合いとは切羽(せっぱ)詰まった非常に危険な状態が鍔ぜり合い。それが鍔ぜり合いになったら遊んでいる。相手の頭をぽこん、ぽこん叩いたりしている。相手の肩へ剣先を当ててみたり、小手に当ててみたり身体に当ててみたり、これが刀だったらこんな事が出来るか。そういうことを言っておられる。刀の観念がないから相手の頭をぽこんぽこん、あるいは打たれる方は刀で打たれたらどうなるかというと考えれば、自然に切羽詰まった状態が出てくる筈です。そう言う観念がまるっきり無くなって驚いたと言っています。 その次は「構え」、面や右胴を左拳を上に上げて竹刀でよける。これは全剣連でも心ある先生は非常に心配している。だから逆胴をとりなさい。と言うことを言っているんですが審判は、昔の観念でなかなかとってくれません。だから直らない。私に言わせれば、指導者である審判の先生方が悪いんじゃないか。 こんな感じを持つわけでございます。最近は、選抜大会が愛知でありました。この時も厳しく言って逆胴とりなさい。こういう事でやっておりましたが、まだまだそこまで、いっていない様でございます。昔は左胴をとらなかったというのは、小太刀を差していた、あるいは太刀の鞘(さや)がささっていた。したがって、左胴を打っても鞘があってとれない。こういう風に教えておったんですが、それが今は右胴、左胴どっちでもよろしいですよ。と言っておりますので、右も打ち、左も打ち同じ様な打突ならば1本としてとらなきゃいけない。左はとらない、右はとられるから構えも右胴を隠すような構えでやるんだ、というような感じになっている。そういう正しい構えで立派な技を覚える事が大事です。 剣道の「打つ太刀」の二つ目に大事なのは「腕です。」 面を打ったとき腕が正しくバーンと伸びる。左手が中心線の前にさっといくようなこういう腕の伸び方が大事。錬心館の皆さん方はそれが立派でございました。中心に構える。小手にすれば竹刀が水平に、 胴打ちは刃筋が返る。こういう腕の使い方が大切です。 その次、三つ目は先程言ったように「気合いです。」 剣道の審判規則の12条にも充実した気勢、適正な姿勢、こう言うのがあります。気合いがしっかり、ばーんと張りつめた気合いでないとだめです。 そうして最後は「残心」ですよね。何人かの人が廻り方が相手に背を向けて、こういう逆の廻り方の人がいますので、私が後ろを向いたところを後ろから「ぱかん」と叩いたんですが、相手を見て回るというのが原則です。それが相手に背中を向けるような廻り方はこれは原則ではありません。そういう廻り方をしないように残心、そういうように必ず相手を見るということをしてください。 その次、四つ目は「腹です。」 腹、下腹、臍(へそ)の下は丹田(たんでん)と言ってますよね。臍の下に臍下(さいか)丹田に力を入れよと、こう言っております。「丹田に力がぐーっと入ってくると下腹の気がたまって肩の力が抜けます。」「肩に力が入ると、下腹の気が抜けて口・胸で呼吸をするようになる。そうすると、自由が利きません。固くなります。」下腹で呼吸をする。「息を止めろ」と言うことをよく言われると思うんです。息を止めたら長くおられません。下腹に息をぐーっと詰めて、「ここで小さく息をするんです。」それを息を止めろ。と、こう言っているんです。止めっぱなしでは長くいられません。剣道ではこれを丹田呼吸と言います。それがこの腹の使い方です。 最後は気持ちです。「心」。 これが持田先生が言っているように、50歳から心の修行。これはまだあとでも良いです。皆さん 方は前の方をしっかりやって下さい。 「袴について」 そこで袴ですね。袴。皆さん方は何で袴をはいているんだ、とこういう事を考えたことありますか。袴、ちょっと普通ははかないんですよね。息を正すときに袴をはく。例えば皆さん方が結婚式に行くとき、あるいは、またばかま、襠(まち)の高い袴、これをはいているわけです。ある高官があんな不便なあんな不自由な袴なんかはかないでズボンで良いじゃないか。こういった人がいます。これは袴をはく理合を知らない人が言う事だと思うわけです。袴は皆さん良くご存じのように、足を両方に入れますよね。両方にここのところに三角の襠(まち)が入っています。両方に。ひもは前のひもが長く、二回わりするように出来ています。腰板があります。袴の襞(ひだ)が何本あるか知っていますか。これは前に5本あるんです。襞(ひだ)は5枚。後ろは1本なんです。こういう袴が皆さんはつけて、こうして立って、格好良いなーってこう言うような感じを持つと思うんです。女の人は昔から袴をはいた。例えば宝塚の歌劇団だとか、あるいは神社の巫女さんだとか、女子大学の学生さんなんかが袴をはいて登校をしていた。 今でも女の人はこの腰板がないですよね。 女の人がはく袴というのは腰板がない。これは袴の紐が長いというのは、まず臍(へそ)の上の方に1本回す。昔は角帯をしていたんです。臍下丹田(さいかたんでん)の所に角帯をまいていた。その帯の下の方を一度巻いてくる。そして後ろに持っていく。ここで三重に回したところで結わえるんですよね。 この下腹のところが空いてくるんです。この下腹をぐうっと2本の紐でもって間を結わえる。それから今度は、腰板をあてて、腰、背筋を真っ直ぐにする様にするわけです。紐を前にもってきて下の方を結わえてこういう風にやると、下腹が出ますよね。こういう風な方法をする。そしてこの腹が出来るわけです。腹が。ここに息をぐーっと込めてくると小さな呼吸でもって稽古が出来るようになってくるわけです。これを言っているんです。この腰板は腰を曲げないように、腰をぴっと伸ばすようにするために腰板があるんです。 それからここに襞(ひだ)が5枚あります。これは昔武士は「仁」、「義」、「礼」、「智」、「信」こういったように、人間として守るべきことが「ひだ」の中に、一字ずつこもっているんだと。この後ろの一本は背骨を通してのバックボーンだというようなことで言っているわけですが、ただやたらに袴をはいているわけではなくて、心の修行、身体の修行をするための手段として袴をはくんだ。こういう事を教えているわけです。剣道がそれを踏襲してやっているわけなんです。 それから今ひとつは袴というのはね、寒いときには暖かなんですよ。ここへ空気が入ってるからなんです。空気が入るから寒いときこういうものを着ていると、寒そうだなあと、これを着たことのない人は思うかも知れませんが、これを着ると暖ったかくなる。夏はあんな暑そうな格好してと言うが、返ってこれは涼しいんですよ。不思議なものなんです。そういう利点があるし、ここに空気が入っているために竹刀でぽーんと叩かれた時もそんなに痛くないんですよ。ところがズボンなら、ズボンの上からばんっと叩かれれば、もの凄く痛いんですよ。そういう良いところとって剣道は袴をつけてやるような、こういうふうな生活に入ってきているわけなんです。そういうことも皆さん1つお考えいただいて袴を大切にし、終わったら必ず筋が立つような折り目正しい袴をはくような、そうして、夏になったら塩がふくようなそういう袴だとか、稽古着は着ないように、清潔にする。こういう事も剣道をやる上で心掛けて行くことが大切であろうと思います。 「反省・研究・努力」 ええ、時間もだいぶ経ってきまして、誠に申し訳ありませんが、最後のまとめとして、「反省」、「研究」、「努力」これを柳生流の教えの中にこういう丸 ○を書いて点を3つ打ってある教えがあるんです。これを柳生では「三磨の位」(さんまのくらい)3つの磨く位の教えと言っているんです。これは口伝であるんですが、これは言葉の上で教えなさいという柳生流の教えの中にあるんですが、三磨の位、習、工、錬 、「習う」、「工夫する」、「錬る」先程申しましたように、先生が教えたことを「習う」、まず習うんだ、その次は習ったことを基礎にして、色々考えたり工夫したりするんだ、考え、「工夫する。」そうしてこれを研究して「錬り上げるんだ。」それが自分のものとして残ってくるんだ。こういう教えがあるんです。今日一日やってきたことをまず反省する。これは非常に大切なことなんです。試合をやった。何故負けたんだ。あの時、ああしておけば良かったんだ。こういう事が出来てくると思うんです。ここで「反省」を十分して貰う。 「反省」した。次はどうしたらいいだろうという、「研究」する。考える。そこで自分の考えがまとまってきたら、それを身につくようにやってみる。「努力」する。三磨の位の教えと同じことだと思いますが、こういう事の積み重ねが上達する基になる。こういう風に私は考えます。 特に高校生、中学生の皆さん方、こういう今日のことを反省し、それから自分なりの研究をする。人によって顔が違うようにみんな違うと思うんですよ。俺はこうするんだ。俺はこうやるんだ。と言うものが出てくるんだと思うんです。それを自分がやらなければだめなんです。自分が。人がやってくれたって何にもならない。自分が研究して、それでまとまったら今度はやってみる。これの努力というのは非常に大変なんです。昔から「百錬自得」(ひゃくれんじとく)という言葉があります。同じ事を百回繰り返してやって自分が分かるんだ。百回で分からない人がいるだろう。二百回やっても分からない人がいるだろう。 三百回やっても自分の身につかない人がいる。かも知れません。そういう人はそういう努力をしなければなりません。 こういう事を皆さん方に提案して今後の参考にしていただくようお願いをします。 今日は小さい人から年輩まで色々な人の中で話がまとまりませんでしたが、それなりに皆さん方お取りいただいて今後の参考にしていただきたいと思います。どうも失礼致しました。 (拍手) |
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錬心館20周年記念誌の市川九段範士のご寄稿
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袋井錬心館剣道部が二十周年を迎えられおめでとうございます。 永い年月指導に当たられた諸先生方のご努力、並びにご支援ご後援をいただいた皆様方のご労苦により 今日の発展を見ることが出来ましたことに敬意と感謝をいたします。 剣道人口の増加と大会の多さの為か、昨今の試合は当てっこに走りすぎていないか、刃すじの通った正しい剣道をしていない人が多いということを危ぐするものです。 先師のおしえ「手の内」があります。竹刀の握り方、打突したり、応じた時の両手の力の入れ方、ゆるめ方、釣合などを総合したものといわれます。 1)竹刀の持ち方、左手は柄頭から小指が出ないように持ち、拇指と一差し指とのまたの中央が竹刀の絃の 線上にあるように持つ。 右手はつば下を左手と同じに栂指と人差し指とのまたが絃の線上にあるように 持つ。それで自然に両手の手首は少し内側に折 れて持つようにする。 2)力の入れ方、両手小指はふつうに握りしめ、くすり指・中指にいくにつれて力をゆるめて握る。切先をあげ ないようにするために、栂指を軽くおさえる。手の内の力の入れぐあいは、鶏卵を握った気持ちでもつことが 大切である。余りカを入れすぎる とこわれるし、余りゆるめて握ると落ちるから、その中間で握るのがよい。 肩や腕にはほとんど力を入れないようにする。 3)両手の緊張と解緊、(筋肉の緊張と解緊のことをいう)、打突し たさいは、両手の手の内に均等に力を入れ て、左右何れにも偏しないように握りしめ、両手の手首を中心線に動かして、茶巾 絞りの要領で絞り、充分 伸筋を動かす。打突後は直ちにこの緊張をゆるめて元に復し、また次の打突が容易にできるように準備す ることが大切である。 以上のような「おしえ」を思い出す。ご参考にしていただき、錬心館の益々の発展を祈念いたします。 |
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「けい古おば疑うほどに工夫せよ、とけたる後が悟りなりけり。
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