「現代社会を斬る!」





靖國神社参拝問題 を斬る!


【やすくにじんじゃ】〔靖國神社〕
     東京都千代田区九段北にある神道の神社。
     戊辰戦争から第二次世界大戦迄の戦没者、約250万人の霊を祭る。

小泉総理が参拝を明言していた為、例年以上に問題視された“ 靖國参拝 ”。
今年は中国・韓国両国内での抗議行動も、多く報じられています。
この靖國神社への参拝問題は大きく二つの問題に集約され、それは

・二次大戦の戦争指導者達が祀られている点
 ( いわゆる“A級戦犯”が合祀されている事 )

・王政復古、「神武創業の昔に還る」という精神に基づいて建立された社である点
 (つまり日本の軍国主義の象徴として受け止められている事) の二つです。

この為、二次大戦で日本軍により大きな被害を与えられた東アジア諸国、
とりわけ中国と韓国が、この靖国神社への参拝をしないように求めています。
「これは戦争の被害者や、その遺族らの感情を逆なでする行為だ」
とする両国の言い分は至極もっともな意見である、と言えるでしょう。

これに対し小泉総理は、当初明言していた終戦記念日である8月15日の
参拝を避け、8月13日とする事で中・韓両国への一応の配慮を示しました。

日本では日程をずらして参拝した事に対し “外交配慮は当然、理解できる” 、
“方針変更に失望した” 、“参拝自体を中止すべきだった” と言う三つの意見が
いずれも3分の1と、見解が分かれているのが現状です。

“ 靖國参拝 ” と言っても軍国主義を復活させようと言っているのではなく、
「二度とわが国が戦争への道を歩むことがあってはならない」
「戦争犠牲者の方々すべてに、深い反省と共に謹んで哀悼の意を捧げたい」
と言っている訳で、これが戦犯の崇拝にあたる訳ではありません。

気になるのはこの事が“ 政治上の駆け引き ”として使われている点です。

小泉総理に限らず、政治家の中には終戦記念日に戦没者の英霊に
祈りを捧げると称し靖國神社を参拝される方が数多くいます。

戦没者を追悼するだけなら、わざわざ問題視される靖國神社でなく、
1qと離れていない千鳥ヶ淵には宗教色のない“ 国立戦没者墓苑 ”が
あるのですから、そこを参拝してもよい筈です。

それを中国・韓国の反発を承知で“ 靖國参拝 ”を行うのは、政党(政治家)の
支持団体に靖國参拝を是とする団体があるから、と考えられます。

中国・韓国側から考えた場合、自国の被害者の心情を汲むのは当然の事です。
ですが日本が再び“ 軍国主義に走る危惧 ”を、少なくとも
中・韓両国の首脳陣が本気で抱いているとは思えません。
むしろ外交を有利に進める為の駆け引き、口上であると考えられます。

私は“ 靖國参拝 ”の倫理的・人道的な是非にはまったく興味がありません。
中国・韓国、そして日本の主張の違いは立場が違いから来るに過ぎず、
中国・韓国には非難する権利が、総理には参拝する権利があると言うだけです。
その意味で“ 靖國参拝 ”が悪いとは思いません。

ですが外交問題を考えた場合、殊更に弱みをつくるやり様な事も事実です。
日本国内の世論が“ 靖國参拝 ”を是とする事で団結しているのなら、
この様な抗議は内政干渉に当たりますから、撥ね付けるのもよいでしょう。

しかし今回は総理個人の意思であり、その意味では慎重さを欠く行為です。
むろん個人の自由は尊重されるべきですが、奇しくも総理自身の言葉の様に
総理は24時間公人 ” であり、その影響力は一個人でありながら
一個人ではない。 その点は常に考慮に入れて慎重を期して欲しいものです。

そしてこの緊張緩和と平和維持の為、一層の外交努力を期待しています。

【終戦記念日に当たって】

忘れてはいけない事は“ 戦争は望まれて起きている ”という事です。
多くの人々によってではなく、一部の人間に。
そして戦争は多くの人間に望まない悲しみをもたらします。
戦争を望む風潮を生み出さない様、一人一人が問題を直視することが大切です。

戦争の犠牲者すべてに哀悼の意と、平和への誓いを捧げたいと思います。




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