Introduction
Mr.Children の曲 「シーソーゲーム 〜勇敢な恋の歌〜」 のワンフレーズに
“ 恋なんて言わばエゴとエゴのシーソーゲーム ” と言う歌詞がある。
きれいごとで飾るつもりなら “ 相手の為に ” とか “ 相手を思いやって ”
みたいなセリフが並ぶのだろう。 が、私はそんなものを信じてはいない。
恋愛なんて無償の愛じゃなく、「私はあなたが好き、だからあなたも私を好いて」
と、常に相手への要求・見返りを求めるものだと思っている。
言い換えるなら、ある程度は自分の要求を呑ませられる相手じゃないと、
恋愛は成立しないのだ。 気に入らない事があっても、別れを切り出されるのが
恐くて何も言えない、例えば浮気されても泣き寝入りするしかない様な状態では、
まともな恋愛関係とは言えないだろう。
そこで大事なのは、力関係、バランス、言い方は色々あるが、要は釣り合いが
取れている事である。 特に恋愛で大事になるのが “魅力” の釣り合いだ。
大抵の人は、願わくば魅力的な相手と付き合いたいと考えるのだから、
市場原理になぞらえるまでもなく、魅力が高い方が価値が上だと言える。
こうなると、魅力が高い者は、劣る者に対し付加価値を要求するようになる。
「嫌なら別れるぞ」と脅しをかけ、より自分の要求を多く通そうとする。
“アッシー”、“ミツグ君”や“都合の良い女”などがその最たる例であろう。
自分よりうんと魅力の高い相手と付き合う事は、多くの場合幸せな結果を
生まないのである。
魅力が似通った者同士が、自分の要求を通したり、相手の要求を呑まされたり。
時には愛情が重すぎる・・・なんて、ゲームを下りられたり。
一緒に居たいとか、相手に喜んでもらいたいとか、そういった
ポジティブな面の他に、確かに駆け引きが支配する側面もあるのだ。
それは重さのバランスをとって、自分が上がったり、相手を持ち上げたりする
シーソーに良く似ている。 恋愛においての重さは身体ではなく、
魅力や愛情、持ち上げる物も相手の見栄や要求だったりするけれど。
だから、恋なんて言わばエゴとエゴのシーソーゲーム。
好きな人がいて付き合いたいのなら、自分の気持ちを伝え、付き合う事を
認めてもらわなければいけない。 第一歩が要求を通す事で始まるのである。
その為に人は色々な努力を重ねて来たし、きっとこれからもそうして行く。
そして微妙なバランスの上に成り立っている、そんな壊れやすいものだからこそ、
大切にしたいと思うのだけれどもね。
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