小説 |
2002. 1/ 8 |
夏の終わりに-ふたりきり・番外編-〜Side Stories From ClassMate2 #2〜 玄関のドアに寄り掛かり、唯はりゅうのすけがサンダルをはき終えるのを待つ。 まだ夕焼けは残っていたけれど、外ははっきりとすごしやすくなってきていた。 「はやくはやくっ」 さっきまでの不機嫌がうそのような唯の上機嫌。 ドアを軽く押したり引いたりして、いかにも落ち着かないところを見せている。 「…あんまりはしゃぐなよ」 うんざりとした様子で、唯を見上げる。りゅうのすけは正直後悔していた。 …やりすぎたかなぁ。 ここまで唯の機嫌がもどるとは、まったく予想できなかったのだ。 もう少し距離がほしかったのだが…いたしかたあるまい。 「あら。ふたりでお出かけなの?」 ふたりの背中に聞こえた声は、なんとなくわざとらしい驚き方で。 振り返れば、祝福するような表情でふたりを見つめる美佐子がいた。 「そうだよ。これからお兄ちゃんと、デート、だもんっ」 胸をはり、自慢げに美佐子を見る。 デートかどうか、妙にこだわる唯である。当然力が入る部分はそこだ。 「そうなの?」 「…さぁ」 りゅうのすけはあいまいに逃げると、やたらと重い腰をゆっくりと持ち上げた。 唯は突っ込みは入れなかったが、やはり不満だ。 りゅうのすけの腕を強くひっぱり、玄関から取り出そうとする。 「行こっ!」 「お、おい…それじゃあ行ってきます」 「あ、待って。これ、渡しておくわ」 「鍵ですか?」 差し出されたものをりゅうのすけは受け取り、その意味を思わず深く考えてしまった。 「…先に休ませてもらうわ。もうくたくたになっちゃったから」 そう言って、美佐子は首をかたむける。徹夜明けのお仕事のつらさはりゅうのすけも体験済み。 手の平の鍵をポケットにしまい、同情するような顔で美佐子を見る。 「唯の事、よろしくね。こんな状態じゃ迷子になるかもしれないから」 「住所と名前は言えるだろうから、大丈夫でしょう」 「そうね」 ふたりの真顔の会話に、唯はぷくーっとふくれあがる。 「…お兄ちゃん、お母さん! そうやってすぐに子供扱いするんだから」 「そんな顔するから、子供っぽく見られるんだよ」 「…本当に迷子になりそうねぇ」 「じゃあ、お兄ちゃんから離れないようにしておけばいいんでしょ?」 唯の目がきらりと光る。 一瞬にしてりゅうのすけの腕にしがみつき、その主を見上げる。 「ば、ばか。何するんだよ」 「こうしてれば迷子になんてならないもん」 「…」 「まぁ、楽しんでらっしゃいな。夏休みの最後ぐらいは、ね」 ふたりの顔をじろじろと見る。 幸せそうな娘と、なにか失敗したような色をかくせない男の子。 でも、こうして見るとお似合いのふたり。兄妹よりも、恋人みたいな距離のふたり。 「うん。じゃあ行ってきまーす」 「行ってきます…こら、離せって」 「べー、だ。意地でも離さないんだからっ」 ふたりが玄関から離れていく様子を、背中を見送る。 仲のいいふたりに、ほほ笑みはかくさないけれど。 でも、美佐子の瞳はどことなくさみしかった。 「いってらっしゃい」 残った元気を言葉にすると、ふたりは振り返ってにっこりと笑ってくれた。 八十八海岸へ。駅前から南口の商店街を抜けて行く。 のんびりと、急ぐ事なく。昨日の道を今日も行く。思い出したのは…何? 空を見上げ、赤と黒のコントラスト。きらりと一番星が見えたとか見えないとか。 なれない浴衣にどこかぎくしゃく。そんな様子をからかうと、ちょっと怒ってふくれる唯。 美佐子のように素直ではないが、りゅうのすけなりに微笑ましかった。 昨日よりも素直に、昨日よりも普通に、唯を感じとれるから。 そして、昨日買い物に来た南口の商店街。 同じ時間であっても、比べられないくらいの人の山、人の波。 と言っても、通り抜けだけを目的とした人間は、まとっている物からして違ってるのだが。 ふたりもまた、通り抜けが目的だった。ゆったりした波の中、おとなしく流される。 「お兄ちゃんの言うとおり、浴衣の女の子が多いね」 「そんな事でうそはつかないぞ」 「そうだよね…」 唯は自分の視界に入る女の子たちを見ては、いろいろな意味の混じったため息をつく。 浮かない表情に、りゅうのすけが慰める。もちろん、ため息の意味を悟っての事。 「安心しろ。浴衣を着てれば、さして差はないぞ」 「…ほめてるのか、けなしてるのか、よくわからないよ」 「俺にもわからん」 無責任なりゅうのすけに、唯はくすくす、と控えめに笑う。柔らかい表情にかわった。 …笑えば…負けてない気がするぞ。 正直な、率直な感想だ。第三者的な感覚で、今は唯を見られるのだ。 そんな唯が、りゅうのすけの肩ごしにきょろきょろと忙しくなった。 周りの雰囲気が、少しずつ変わってきた事に気がつきはじめたのだろう。 「やっぱりいっぱい出てるね」 「何が?」 「何がって…出店だよ」 商店街を抜けかけたころから、色とりどりの派手な文字が目に飛び込んでくるようになった。 お祭り並の出店の数に、唯の心が踊り出す。 もちろん、りゅうのすけだって右やら左やら見回しているのだから気がついてはいる。 けれども。興味は別のところ。店先ではしゃいでいる浴衣の女の子たち。 「…唯だって浴衣着ているんだよっ!」 「唯のは見飽きた」 「もぉっ、お兄ちゃんの…」 「ば、ばか。それだけ唯を見ていたって事だろうが」 「そうなのかなぁ?」 「そうだぞ。唯だけを見ていたんだぞ」 口の中でぶつぶつと不満をつぶやく。別に何を見たっていいだろうが… そんなりゅうのすけを見上げても、にんともかんとも納得できない唯だが、最後の言葉で満足してしまった。 うそ半分なのはわかっていたけど、それはそれでかまわなかった。 「にしても…お祭りみたいだなぁ、これじゃあ」 「嫌いじゃないくせに」 「まぁな」 人の多さに呆れつつも、こういう雰囲気を十分味わっているりゅうのすけ。 元来、お祭り騒ぎ好きな性格である。どことなく、身体がふわふわしている感じだ。 「あ、お兄ちゃん! ほら、あれ…」 背伸びして、人の山越しに何かを見つけた唯。 りゅうのすけもまた、唯の顔を見て、唯の言葉を聞いて、思い出した事があった。 「おい、唯」 「なーに?」 唯は、人の波をかき分けて、てくてく進んでいく。返事もまた、声だけだ。 器用に前進する唯の後ろ、少し離された位置を、りゅうのすけもまた追いかける。 「ちょっと待てよ」 「こんな所で止まったら、他の人の迷惑だよ」 ようやく人波を抜け出て、出店と出店の間で止まり振り返る。 おいていかれないように、ピッチを上げていたりゅうのすけが、息を乱して唯の前に立つ。 「体力ないね、お兄ちゃん」 くすくす、と笑う唯。ちょっとむかっとしたが、とりあえず言いたい事は言っておく。 「ここから、お兄ちゃん、はやめろよな。だれに会うともわからんし」 「やだもん」 舌をべーっとだして、ぷん、とそっぽを向く。 子供っぽいそのゼスチャーに、りゅうのすけは怒りをこして呆れてしまう。 「あのなぁ…高校生のやる事かぁ?」 「ふん、だ。だいたい昨日はよくて、今日がだめなんておかしいよ」 「…き、昨日は言い忘れたんだ」 今日だって、本当は出てくる前に言っておきたかったのだが、そんな余裕はなかったのだ。 「お兄ちゃんは噂されたり誤解されるのがいやだ、って言いたいんでしょ」 「そうだぞ」 「唯はぜんぜんかまわないもん」 「何言ってるんだよ。あとでぐちぐちと言うくせに」 「言うのはお兄ちゃんの方だよ」 「と、とにかくやめろよな」 「…いーっだ」 てこでも動かない、とはまさにこの事。りゅうのすけは説得をやめて、実力行使に出る。 「…わかった。それならこれで勝負しよう」 りゅうのすけがあごの先で指名したのは、金魚すくいだ。 たまたま右側の屋台がそうだった、というただそれだけの理由だったが、 こういう勝負ならはっきりとけりをつけられるし、負けても唯は納得するだろう。 だいたい…この手の勝負で唯に負けるはずがないのだ。 「これで俺が勝つから、そしたらお兄ちゃんはやめるんだぞ」 りゅうのすけの言い方に、今度は唯がむっとする番だ。 負けを決めつけているなんて…許さないんだから。 唯にしたって、金魚すくいなら勝算十分。それは、つまり。 …ちゃーんす。 唯の瞳が妖しく光り、やいばがきらりと輝いた。もちろん、考えあっての事。 「いいよ。だけど、唯が勝ったら唯の言う事を聞いてもらうからね」 「ちょ、ちょっとまてよ。なんで…」 「おじちゃん、ふたり分ね。じゃあ…うらみっこなしだよ、お兄ちゃん」 有無を言わせぬ勢いで、唯は屋台のおじちゃんに声をかけ、ふたり分の代金を渡した。 横でふたりの会話を否応なく聞かされていたから、準備が早い。ふたりに道具を渡す。 「おっ、まいどありー。なんだか知らないが、俺っちは嬢ちゃんを応援してるぞ」 「うん。絶対負けないもん」 「くそっ。今度セクハラで訴えてやるっ」 そんな事を言いあいながら、紙のすくいを受け取り、唯は浴衣の袖をまくる。 …ぜーったいに勝つんだから。 唯の鼻息は荒い。それを見て、りゅうのすけも本気で勝負をせざるをえない気がしていた。 お互い、負けられないし譲れないのだ。 「数が多いほうが勝ちでいいんだろう?」 もう仕切っているおじちゃんに、ふたりは真剣な顔でうなづいた。 「唯、負けて泣くなよな」 「ふんっ。ぎゃふんていわせちゃうからね」 …負けるはずがない! ふたりの心が妙なところでシンクロした。視線の間に火花が飛び散る。 「それじゃあ…準備して。はっけーよーい、のこったっ!」 のりのいい、屋台のおじちゃんの掛け声が響く。ふたりの目は子供のように輝いていた。 なんて事のない、小さな赤い金魚に目をつけ、素早くすくい捕ろうとした瞬間だった。 「…う、うそだろ…」 確かに焦っていたのだ。途中までは、あきらかに差があったから余裕しゃくしゃく。 実際、亀を捕ったり、ばかでかいでめきんをすくい上げたりしていたのに… 気がついたら、マイペースの唯に追い越されていたのだ。 だから、勝負をかけて小柄な金魚を狙い撃ち。また差を詰めてきたところだったのに。 遊んでいた無理がたたったのか、一瞬にして紙に大きな穴が開いたのだ。 ターゲットはロックを外され、水槽で気持ち良さそうに泳ぎだした。 つまり…唯の勝ちが決まったのだ。 「やったぁ!」 「…そんなばかなっ」 その瞬間、唯が大きくガッツポーズをとり、りゅうのすけはうめくようなあえぐような、そんな声を絞り出した。 呆然自失。両膝を地面につけ、肩を落として顔色なし。 横にいた子供ですら、距離をおいてしまうほど場違いな雰囲気のりゅうのすけ。 「…唯に…負けるなんて…きっと夢に違いない…」 「よゆうっち!」 親指をりりしく立てて、さっそうとポーズを決める。 金魚すくいなら…お兄ちゃんには負けないもん。唯は得意そうに鼻を鳴らした。 「嬢ちゃんの勝ち、か。しかしたくさん捕ったねぇ…商売上がったりだよ」 唯の持っている皿を受け取り、中でうごめく金魚の群れにため息をつく。 りゅうのすけは、負けが決まった時点で水槽の中に戻してしまっていた。 だけど、もともともらうつもりなぞなかった唯。勝った記念さえもらえればいいのだ。 「おじちゃん。二匹だけでいいよ。お兄ちゃんの分もいっしょにね」 「おお、そうかそうか。じゃあちょっと待ってな。大きくて生きのいいのをだな…」 本気でほっとした声が、その体格には似合わなくて、唯はこっそり笑ってしまう。 ちらりと横を見れば、まだおどおどしいオーラを出し続ける男の子。 視線が宙を泳ぎ、ぶつぶつぶつぶつつぶやき続けている。端から見れば…危ない人だ。 「ねぇ、お兄ちゃん。そんなにショックだった?」 「くうーっ。俺は亀までとったんだぞ。おまけに…」 「兄ちゃん。男らしく負けを認めなって。五匹差じゃあ…いいわけもむなしいぞぉ」 気落ちするりゅうのすけに、同情のようなからかっているような言葉をかける。 「ほれ、こいつらは長生きすっぞ。かわいがってくれ」 差し出されたビニール袋に、かわいらしい赤と黒の金魚がふらゆら。 唯はシャボン玉をもらうように慎重に、ていねいに受け取った。 のぞき込めば、狭さも気にしないで気持ち良さそうに泳いでいる夫婦みたいな二匹。 「ありがとう、おじちゃん」 「なーに、いいってことよ」 笑顔でお礼を言われたからか、おじちゃんは真っ赤になって毛のない頭を撫でた。 「兄ちゃんも彼女待たしちゃ悪いぞ。いい場所も取れなくなっぞ」 「そうだよ。ほら、行こうよ」 唯がりゅうのすけの腕をつかむ。そして無理矢理引っぱり上げようとする。 もちろん、唯の力では無理である。だけど、言葉では反応してくれた。 「俺…お家に帰って寝る」 「だめっ。これから本番なんだよ。今から帰るなんてずるいよ」 「…まじで寝込みたいんだけどなぁ」 「唯に負けたの…そんなに悔しいの?」 「…そりゃ…悔しいぞ」 …お兄ちゃんの方が子供っぽいよ。 すねた口調。とんがらせた唇。見据える先は金魚うごめく水槽で。唯はこっそり笑う。 かわいい、なんて言ったら、きっと怒られちゃうだろうけど…そういう感じだった。 危うく口にしかけた言葉を飲み込んで、りゅうのすけの首筋に抱きつくように近づいた。 「…おい、なんだよ」 「わざと負けてくれたんだよね、お兄ちゃん」 りゅうのすけの耳元で、唯の唇がそうつぶやいた。 そして背中から離れ、近くの出店に並ぶ品物を見た。 縁日でよく食べた、懐かしいものが唯の目にとまった。 「唯、あんずあめが食べたいな」 笑みを浮かべて、りゅうのすけが立ち直るのを待つ。そして。 「…俺はすももの方が好きだぞ」 りゅうのすけは力強く立ち上がる。その途端、背中が派手に輝いた。激しい音と共に。 ふたりが振り返ると、始まりを告げる大きな花火が暗闇に踊っていた。 「始まったねぇ」 おじちゃんが、のんびりとたばこをくわえて火をつける。軽く吸い込んで煙が昇る。 ぼぉっと空を見上げるふたりの背中を押すように、一言発した。 「ほれ、もっといい場所で見てきたらどうだ?」 無言で歩くりゅうのすけの後ろを、唯はてくてくついていく。 Tシャツの背中を小さくつかんで、おいていかれないようにしながら。 出店の並ぶ道を避け、唯の知らない小道を行く。 両脇の建物にさえぎられ、今は花火を見る事はできない。 音と切れ端みたいな光だけが、なんとか確認できる。 「ねぇ…どこに行くの」 「…」 「お兄ちゃん…」 さすがに不安に思うのか、先程からりゅうのすけに話しかけてはいるのだが。 「そんなに…嫌なの?」 「…」 黙ったまま、心なしかピッチを上げたりゅうのすけ。正面を見据えてただ歩く。 金魚すくいで勝ったのだから、約束は当然守られるはずなのだ。唯はそう思っている。 ちょっと前、決戦場だった金魚すくいから少し離れた場所。 また出店と出店の隙間で立ち止まっているふたり。まだまだ花火は小さいものばかり。 「約束だからね、お兄ちゃん。唯のお願い聞いてもらうからね」 「なんだ? 約束って」 「お兄ちゃんっ!」 唯なりに恐い目でにらむものだから、りゅうのすけも困ってしまう。 なんとかごまかそうと考えているのだが…無理かもしれない。 「…あんずあめおごってやっただろ」 「おねだりはしたけど…金魚すくいは唯が払ったんだよ」 唯はそのあんずあめをもこもことなめながら、彼の正面を見つめた。 不満そうな表情と口を動かすしぐさが妙にかわいらしい。思わずどきっとしてしまう。 だが、唯は気がつきもせずに敗者に迫る。 「そ、そう細かい事は気にするなよ」 「じゃあいいよ。今日のお兄ちゃんの事、学校で言い触らすからね」 「ず、ずるい…」 「お兄ちゃんだって人の事言えないよ」 「わかったわかった…あんまり無茶言うなよな」 「うん」 ほっとひと息。自然と笑顔を見せる。だが…言葉を発する前に真っ赤になってうつむいた。 小さくなった勝者の言葉は、まるでささやきのような、そんな声で。 「あの、ね。唯と…デートしてほしいの」 「は?」 りゅうのすけが、きょとんとして唯を見る。手にしていたすももあめを落としそうになる。 勝者の要求が、よくわからなかった。 「だからね、これからちゃんとデートしてほしいの」 「…やけにデートにこだわるな」 「だって…お兄ちゃんからすれば、デートだなんて思わないでしょ?」 「…」 デートであり、デートでない。そして、そんな事はどうでもいい。 それが、今のりゅうのすけのいつわざる気持ちである。 だから、どういう表情をできるわけでもなく、どんな言葉を紡ぐ事もできなかった。 「唯をね、ちゃんと普通の女の子として見てほしいの」 「なんだよ、それ」 「だって、普通なら…普通の女の子が相手なら、こういうのデートって言うでしょ?」 「唯は普通じゃないのか?」 えっ、という表情をする唯。だが、消極的な肯定は素直に受け入れられない。 「お兄ちゃんにとっては…そうだよね」 「あのなぁ…だいたい、デートってのは好きなやつとするもんだぞ」 「じゃあ…今日だけでいいから、唯の事好きになってよ」 「ふ、ふざけるなよ。そんなの…」 唯のお願いに、あっけにとられてしまう。好きになれ、だなんて…なんなんだよ。 かと言って、だめ、と強くは言えないのが敗者の辛いところ。勝てば官軍、である。 「負けたのはお兄ちゃんだよ。それとも、今日だけでも唯の事好きになるのは…いや?」 潤みだす唯の瞳。多少演技が見えかくれしていても、泣かれてはやっかいだ。 「…勝手にしろ」 と、無愛想につぶやき、りゅうのすけは歩き出した。あわてて背中を追いかけた唯。 気がつけば、狭い小道。沈黙と何もわからぬ不安と。心なしか、唯の表情も重い。 「なぁ…唯」 りゅうのすけが急に立ち止まって口を開いたものだから、唯もあわててブレーキをかける。 「な、なぁに?」 「シャツつかむのやめろよ。伸びちゃうだろ?」 「でも…だけど…」 振り返ったりゅうのすけに、いつものとげを感じたせいか、どこかおどおどしてしまう。 怒鳴られるのかと思ってしまったが…でてきたのはげんこつではなかった。 「…ほれ」 そう言って、おとなしく右手をさし出す。もちろん、Tシャツのかわりという意味だ。 「お、お兄ちゃん…」 「勝負で負けたからだぞ。誤解するなよな」 「うんっ!」 唯はりゅうのすけをまぶしく見上げ、右手ではなく、右腕にしがみついた。 「おいっ、暑苦しいだろうが」 「デートだし、唯はこのほうがいいのっ」 「…ったく」 へへっ。唯はにぱっと笑み満開。その様子に、りゅうのすけもあきらめたようだ。 「ほら、行くぞ。あと少しだから」 「うん」 りゅうのすけが歩き出すと、唯はさすがに歩きにくいのか、腕を組むだけにした。 ふたりの背中は、即席の恋人同士に見えないくらいに近づいていた。 いい場所、と言ってみても、こんな時間に都合よく空いているわけもなくて。 海岸通りに出れば、多少混んでいても見る事はできる。 だが、りゅうのすけが導いた場所はそんな所ではなった。 「人が少ないね」 「あたりまえだろ。穴場なんだからさ」 八十八海岸の岩場の方には人はまばらで、海岸通りと比べればはるかに見やすかった。 いま、ひとつの花火が昇る。鮮やかな光輝を残し、夜空で散り…一瞬。 そして、その後を追うようにして、数発の光が上がり出し、輝きを残した。 「もう少し奥に行くぞ」 「うん」 りゅうのすけは、唯に手を差し伸べて、エスコートする。 夜の岩場を歩くのは危険がいっぱい。それでなくても唯は下駄だったから。 差し出された手を握る。足もととエスコートしてくれる彼を交互に見ながら、前に進む。 花火の明かりと、りゅうのすけの手を信じて。 「気をつけろよな、そこ…くぼんでるから」 「うん。あっ…」 「ほら。ちゃんとつかまれよ…」 唯がりゅうのすけを頼って小さくジャンプ。でこぼこの岩場。一歩一歩、慎重に。 そして、ようやく目的の場所にたどりついたらしい。りゅうのすけが足を止めた。 目の前に、ふたりで座るにはちょうどいい大きさの岩が、これまた都合よく空いていた。 「この岩なら座れるだろ…でも、浴衣が汚れちゃうか?」 「ううん。大丈夫だよ」 唯が率先して飛び乗ると、りゅうのすけも隣に腰を下ろした。 石の冷たさが、浴衣を越して伝わってくる。 「なんだか疲れちゃった」 「唯こそ体力ないじゃないかよ」 先程の一言が気になっていたようだ。軽口を叩くと、唯はあたりまえのような顔をした。 「女の子だから、ひ弱なくらいがいいんだよ」 「そうかぁ?」 「だって…そうじゃないと、お兄ちゃんはやさしくしてくれないでしょ?」 「…」 満開の花火が上がり続ける。ほんのわずかな時間、個性を見せて消えていく。 りゅうのすけは唯ではなく、それをじっと見ていた。唯もまた、ぼんやりと眺める。 今だけのデート。今だけの恋人。今は…それでもかまわない。でも…いつかは… 「だから、これからもお兄ちゃんに助けてもらうんだ」 「ったく、世話やけるなぁ」 ぶっきらぼうな返事は、照れているのか、不機嫌なのか。 横顔は、空をにらんでいるから、判断つきかねた。 花火の色が反射して、顔色を見せてはくれない。 けれども、岩においた唯の手の上。いつの間にか、りゅうのすけの手が重なっていた。 「今日ね…どうしてもお兄ちゃんと来たかったんだ」 しばしの沈黙も、花火の音は続いていた。唯も、隣の彼のように夜空を見上げて話し出す。 「約束、だからか」 「…覚えてたの?」 「まぁな」 唯はときどきりゅうのすけを見るのに、りゅうのすけはずっと空を見ている。けど…どこ かばつが悪そうな、そんな表情。言葉だって、たどたどしい。 「だったら…どうして誘ってくれなかったの?」 「…今日、思い出した」 今、闇がオレンジ色に萌える。あの時と同じ、夕暮れのような色。思い出の色。約束の色。 「ねぇ、お兄ちゃん。今日花火大会なんだよ。帰りによっていこうよ」 海岸通りを名残惜しそうに、唯は超が五つくらいつくほどのスローペースで歩く。 りゅうのすけも仕方なしにそれに合わせる。 ふたりは八十八海岸からの帰り道。中学一年の時、唯に誘われて遊びに来たのだ。 花火大会の事は海の家で初めて知った。近所のようで近所でない場所。 そんな話はふたりの耳にはとどいていなかったのだ。 聞いていれば、美佐子にもそう言っておいたのだが。 「美佐子さんが心配するだろ。今日は帰ろうぜ」 「…でも…」 まだまだ子供、指をしゃぶるようなしぐさを見せる。 りゅうのすけも本当は見ていきたかったのだ。残念なのはふたりいっしょ。 遊ぶ時間はあればあるだけいいのだから。 「じゃあ、約束してやるよ。今度、いっしょに見に来ようぜ」 「…指切りしてくれる?」 「ああ、いいぞ」 ふたりの小指が重なる。夕焼けの下、交わした約束は…ずっと前。 あの時見られなかった花火、派手に萌える。赤、緑、青。激しく爆発を繰り返す。 「今年だめなら…もうだめだなって思っていたから」 「そっか」 ぶっきらぼうな言い方も、りゅうのすけに悪気はなかった。 そしてまた、沈黙の世界。花火。打ち上げられ、頂点にとどき、さんざんと光放つ。 唯は下を向き、足をぷらぷらとさせる。下駄がぬげそうなぬげなさそうな、そんな感覚を楽しみながら。 色が、岩に足にはねかえり、万華鏡のように動き回る。 「ねぇ…お兄ちゃん」 「なんだ」 唯が静かに話し出す。すねたような甘えたような表情で。 そして、りゅうのすけにはわかっていた。唯が、何を言うか。何を…頼むか。 だから、また空を見上げて。 「あのね…約束してほしいの。また今度、いっしょに…花火見に来てくれるって」 「…まだ、終わってないんだぞ」 「約束してくれないと…落ち着いてみれないもん」 「…」 見えているのは色とりどりの花びらではなく、もっと先の事。一瞬まじめに考え込む。 これから…これからふたりがどうなるのかなんて、考えた事もなかった。 唯は看護学校。寮に入るのか、家から通うのか、りゅうのすけの知るところではない。 そして自分は…何も考えていなかった。正直、考えたくもなかった。 あの時とは違うのだ。約束しても、今度こそ守れないかもしれないのに… 「…わかった。約束してやるよ」 「ありがとう、お兄ちゃん。でね…指切り、してほしいの」 「…指きりなんて…久しぶりだな」 「唯も…久しぶりだよ」 いまさらのように、照れる唯。りゅうのすけは、なぜかほっとしてしまう。 …唯は…かわらないんだな。今までも、これからも… 小指を差し出す。りゅうのすけもどこか恥ずかしかったが、赤面するほどではない。 ただ、目の前の女の子が遠慮がちに小指を立てて、はにかむのはかわいく見えた。 「…お兄ちゃんの小指。なんだかごっつい」 「なんだよ、それ」 交わした小指。ふたりの照れが、懐かしさにかわった。 昔のように、大声で唄うわけでもなく、小さなアクションで手を揺らすだけだった。 「…ゆびきった…」 唯の恥ずかしげなつぶやきも、今はふたりの心を十分につなげていた。 そして、ためらいがちにお互い、離れる。恋人は今だけでも、約束は永遠なのだ。 「…約束だよ、お兄ちゃん」 嬉しそうに目を細めれば、りゅうのすけの右腕に抱きついた。左手の金魚が揺れる。 「調子にのるなよな」 「いいの。今はデートなんだから」 なんでもデートでごまかす唯に、ただただ苦笑するだけ。 唯もまた、自覚があるのか照れ笑いを浮かべる。 「本当にありがとう…お兄ちゃん」 「…あぁ」 花火がまだ天を華やかに染める。その光は、ふたりの影をのばし、重ねていた。 中盤と言うよりは、もう終盤。時計をちらりと見れば、だいたいそんなところだろう。 いつの間にか、花火よりおしゃべりが中心になっていた。 くだらない事ばっかりしゃべりあい、だけど楽しくてやめられなくて。 空に映し出される色に染まり、唯は笑ってみたり怒ってみたり。 りゅうのすけも、いつもよりも笑顔の時間が長かった。好感触。だから。 「お兄ちゃん…」 唯はさりげなく一言切り出す。隣の彼はどんなふうに受け取ってくれるのかな… 「少し…寒いね」 それは少しためらいがちに。りゅうのすけは唯の方を目の端でちらり。 はねかえる光のせいか。それとも…声の響きのせいなのか。なんとなく、小さく見える。 触れ合う手の平、そうは思えなかったが…きっと潮風が寒いのだろう。 「そっか。じゃあ、帰るか」 立ち上がろうとするりゅうのすけを引き留めて、唯はそれでも直接は言わなかった。 「そうじゃなくてね。もう少し…ここで見ていたいんだよ」 「…どうしてほしいんだよ」 実のところ、りゅうのすけだってそこまで鈍感ではない。 普通なら、もう行動に出ているのだが…うかつに動きたくはなかった。 「だから…ね」 りゅうのすけの右手をとると、自分の右肩までもってくる。まったく予想どおりだった。 「他の女の子相手だったら、もうこうしてたよね」 「…あのなぁ」 そりゃそうだ、と口をつきそうになったが、なんとか飲み込んで消化した。 肩に回っている右手。どうすればいいのか、なんて考えながら唯を見る。 その視線に気がついたのか、唯は笑顔を返した。 でも、発した言葉は悲しくて。 「やっぱり…唯が相手じゃ、ムードもないよね。他の女の子みたいには…思えないよね」 そう言って、さみしげにまつげを伏せた。唯の本音がはっきり見える。 …世話のやける奴だなぁ。 と思っても、唯を引き寄せるのになぜかおどおどしてしまう。 いつもと同じように、なんて簡単にできるものではなかった。 なんでもいい。大義名分が欲しかった。 「本当に…寒いのかよ」 「うん。本当だよ」 「そっか…」 …それならしょうがないよな。 右手に力を入れて、やさしく唯を抱き寄せた。だが、素直に身体を預けてこない。 りゅうのすけの横顔を見る彼女の目がなぜか驚いている。 本当に…唯の肩を抱いてくれるなんて思わなかった。うれしいけど…どうして? そんな唯の心に触れたから、りゅうのすけが口を開いた。 「ばか、今はデートしているんだろ? 他の女の子の事なんて気にするなよ」 「…うん」 そう言われて、ほっとした。お兄ちゃんも思ってくれていたんだ。デートだって… だから、ようやくりゅうのすけに寄りかかれる。甘えられる。普通の女の子のように。 りゅうのすけは急に体重のかかった右肩に、あやうくバランスを崩しそうになる。 「重いぞ、唯」 「もぉ、デリカシーがないんだからっ」 でも、唯はりゅうのすけから離れようとはしなかった。嬉しそうにのどをならす。 今は甘えていたかったのだ。だまってまた見上げた。 もうそろそろ…終わりそうな空を。 白黒赤青黄緑橙桃。円を描くように八色の線が弾けた。 そして、一色一色消え去り、最後の桃の線が見えなくなると、空は自然と夜に戻る。 そして…沈黙。 それがどういう意味か、りゅうのすけにも唯にもわかっていた。 「そろそろ、昇り龍乱れ七変化だな」 「…それって、最後って事でしょ?」 「そりゃ…もうそういう時間だしなぁ」 「…もう、終わりなんだ…」 今までのおしゃべりがうそのように唯も黙り込む。 できる事なら…このままでいたいけれど、そうもいかない。 触れ合うふたり。りゅうのすけは唯の気持ちが少しだけわかった。 「唯は…もっとこうしていたかったのにな」 「また来年くればいいだろ? 約束したんだからさ」 唯がはっとしたようにりゅうのすけの顔を見る。なんとなく…期待したくなる一言だから。 「唯を…誘ってくれるの?」 「約束しただろ? また見に来るってさ」 「じゃあ…来年もデートだね」 「…金魚すくいで俺に勝てるならな」 りゅうのすけの答えに、唯はためらいもせず吹き出した。 その笑いに、りゅうのすけも反応してしまった。むっとしたのは口だけで、表情は苦笑い。 「ばか、今度は絶対負けないからな。今年は…油断しただけだいっ!」 「唯だって…お兄ちゃんには…負けないんだから」 唯の熱いまなざしを、避けもせず、受けとめもせず。やはり…視線は闇の中。 ずっと大人っぽくなった彼の横顔。でも瞳の輝きは昔も今も変わっていない。 変わったのは…たぶん自分なんだと思う。彼を見る目。昔よりも輝いているかな。 そして、これからもずうっと彼だけを見ていくのだろう。こうして…やきもきしながら。 たとえ…振り向いてくれなくてもかまわない。ただ、今までよりも少しだけ努力しよう。 もっともっと…側にいられるように、彼の好みの女の子になれるように、振り向いてもらえるように… お兄ちゃんの恋人だよ、と胸をはって言えるように。 一瞬。人の声、ざわめき、町の音。さざなみでさえ…暗闇に吸い込まれた。そして。 「…あっ! お兄ちゃん!」 「昇ったな…」 一筋。虹色のうろこを華やかに魅せ、艶めかしいほどの光を放ち、龍が…空に昇っていく。 「わぁ…」 唯の小さな歓声が、りゅうのすけの耳に届いた時、高く高く舞い上がった大きな龍が夜空を埋め、 強く、激しく、自らの身体を輝かせ、解き放った。 それは、花火大会の終わりを告げる輝きだった。 夏も…もう少しで終わり。そしてまた、新しい季節がやってくる。 (了) (1997. 2/ 2 ホクトフィル) |
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