小説
2002.12/ 4




静かなの。


車の音がたまに聞こえるだけで。
自分の部屋は、病院よりも静かすぎて。
北風が窓を叩いたり。
看護婦さんの足音が響いたり。
ターボの寝息がしたり。
壁にかけられた時計の針が気になったり。
そういうのがなくなって。
たしかにそれも、理由のひとつかもしれないけれど。

カーテンを閉めきった部屋。
目は慣れたけれど、やっぱり、なにも見えない。
扉の曇りガラスから漏れてくる廊下の光はないし。
カーテンを開けたままの窓から、月明かりは入ってこないし。
そういうのがなくなって。
たしかにそれも、理由のひとつかもしれないけれど。

ごろん、って寝返りを打つ。
まくらが、がさがさって音を立てる。
自分の体温が気になって。
どこに腕を置いても、しっくりこない。

部屋は静かで、真っ暗で。
お布団はぬくぬくで、身体はくたくたで。
入院していた頃には、とっくに寝ていた時間なのに。
だから、すごく眠たいのに。
あくびだって止まらないのに。
なのに、眠れない。

部屋は真っ黒。
なんにも見えない。
天井だって真っ黒。
なんにも見えない。
おでこに手を乗せる。
その手を伸ばしてみる。
でも、やっぱりなにも見えない。
見えないだけに、見えないものが見えてきちゃう。
余計な事を、考えちゃう。
眠れないのは、環境が変わったからだけじゃない。

いろいろな事が、あったから。

制服が届いたこととか、通院のこととか。
この前、ようやく見つけたお店のこととか。
最近、仲良しになったタマのこととか。
いろいろと、お話したいな、って。
考えちゃう。

補習はきちんと受けていますか?
卒業、できちゃいそうですか?
かぜ、ひいていませんか?
他の女の子と、どうですか?
私の事、忘れていませんか?
そういうこと、お話ししたいな、って。
考えちゃう。

時々、こうなっちゃう。
どうしようもない禁断症状。
わかってるけど、わかってるだけ。
今は、がまんするしかない。
特効薬はあるけれど。
うん。がまんがまん。

がまんだけど。

やっぱり、会いたいな。
ほんのちょっとでいいから。
ほっぺたを、両手で撫でるだけでいいから。
唇をそおっとなぞって。
りゅうのすけ君、って、あなたの名前を呼びたい。
補習、早く終わらないかな。

枕を抱きしめて。
ぎゅうって抱きしめて。
口づけをするように、唇で触れて。
そのままごろごろ転がってみる。

せめて、声だけでも聞けたら。

もう、準備はしてある。
コートに手袋に帽子に靴下にテレホンカード。
お母さんたちは寝ている時間だし。
あとは、こっそりと部屋を出て、いつもの所に行くだけ。
あのコンビニの、銀色の公衆電話のボタンを押すだけ。

どうして、って思うけど。
家から電話もできないんだろう、って。
携帯電話をこっそり持てればな、って。
お母さんにも話せないんだろう、って。
胸を張って、恋人だよって言えないんだろう、って。

そうしたら、こんなにならなくてすむのに。
電話をしたりされたりして、もやもやしなくてすむのに。
知らない時間が多すぎる。
話したい事も多すぎる。
すれ違う時間が、とても寂しい。

でも、しょうがないよね。
本当に、しょうがないんよね。
わかっていて、付き合ってるんだもん。
それで会えないんだから、しょうがないんだもん。
ずっと会ってないんだから、しょうがないんだもん。
会いたいんだもん。
時間を重ねたいんだもん。
ものすごく。
特に、こんな時は。

ねぇ、りゅうのすけ君。
今、なにしてるのかな。
ちゃんと勉強してるのかな。
してないような気がするけど。
じゃあ、テレビを見てるのかな。
こんな時間に見る番組、あるのかな。
音楽、聴いているのかな。
この前、教えてくれたの、すごくよかったよ。
お風呂、入ってるのかな。
パソコン、いじってるのかな。
なにか食べてるのかな。
お酒、飲んでるのかな。
たばこ、吸ってるのかな。
ぼんやりしてるのかな。
もう、寝ているのかな。

外で、遊んでるのかな。
勉強の息抜きって言って。
夜遊び、好きそうだし。
もしそんな事をしていたら。
絶対に許してあげない。

私はね、あなたの事を考えているの。
あなたの事を考えすぎて、夜も眠れないの。
明日も朝から病院に行かなくちゃいけないのに。
他にもたくさん、用事があって忙しいのに。
眠れないの。

元気かな。
寂しくないのかな。
つまらなくないのかな。
私のこと、思ってくれているのかな。
会いたいって、思ってくれているのかな。
声を聞きたいって、思ってくれているのかな。
手をつなぎたいって、思わないのかな。
キスしたいって、思ってもくれないのかな。
そういうの、私だけなのかな。

私に電話をかけられないの、わかってるけど。
例えば、ちょっとぼんやりした時に。
私の事を考えてくれていたら、すごく嬉しい。
だけど、他の事で頭がいっぱいで、忘れているかもしれないから。
電話をしないとダメかな、って思う。
あなたが私を忘れないように、って。

でも、絶対にがまんするって決めたんだし。
「補習が終わるまでがまんするね」
なんて、言っちゃったし。
「無理しなくていいぞ。どうせできないんだから」
って、どうしてそんな言い方するんだろう。
本当に意地悪なんだから。いじめっこなんだから。

絶対にがまんしてやるんだから。

時間も時間だから、寝ているかもしれないし。
テレホンカードも残り少ないし。
夜中だから危ないし、痴漢も流行しているらしいし。
外は、雪が降りそうなくらいに寒いらしいし。
お母さんに見つかると大変だし。

甘えたく、ないし。

贅沢だよね。
入院していた時は、病院でしか会えなかったんだもん。
彼が来てくれなかったら、会えなかったんだもん。
手を伸ばしても、届かない距離でしか、お話できなかったんだもん。

なのに今は、すごくがんばれば、いつでも会えるんだもん。
ただ、ちょっと、不自由なだけで。一方通行なだけで。
少しくらい、時間や距離が離れたって。
付き合っているんだし。
恋人、なんだし。

けど。

でも。

だから。

許してくれるかな。
電話だって、つながるかどうかわからないし。
少し鳴らして、出なければすぐに切ればいいし。
もしかしたら、電話、待ってるかもしれないし。
会いたくて、泣いてるかもしれないし。
補習が手につかなくて、卒業できないかもしれないし。
そうしたら、私が悪者みたいになっちゃうし。
がまんできないのは、絶対にりゅうのすけ君の方だし。
それに、いけないのはあなたなんだから。

うん。

枕の近くのボタンを押して、明かりをつける。
ベッドの下に置いてある、用意してある物を出した。
お母さんたちに気がつかないように、こっそりと身につけて。
結局、がまんできなかったね。
でも、こんなに好きにさせた、あなたがいけないんだから。
なんて思ったら、顔が熱くなっちゃった。

ねぇ、りゅうのすけ君。
どうかまだ、起きていてね。

(了)


(2001. 5/12 ホクトフィル)

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