小説
2002. 6/ 8




しないの、net版。


 がっちりと、両の手首を掴まれているんです。
おまけに、体重を押しつけられるように乗られては、逃げることはできません。
近づいてくる口から、せめてもと、顔をそらすのが精一杯です。
それだって、なんの抵抗にもなっていないんです。
 旦那さんは、ゆっくりと唇を押しつけます。
奥さんの顔中に、接吻の雨を降らせるんです。
綺麗な輪郭に沿うように、耳から頬からあごから首筋へと。
そして、吐息を漏らしがちな緋色へ、旦那さんに、容赦はありませんでした。
「ダメだよぉ…ねぇ、ダーリン。お願いだから…んっ…あっ…」
 重ねると、お風呂上がりに食べた、抹茶アイスの味がします。
いつの間にか、割り込んできた舌を受け入れてしまえば、抵抗なんてできません。
自然と吸おうとした途端に、けど、旦那さんは意地悪く顔を離すじゃありませんか。
「だ、ダーリン…」
「なにがダメなんだよ。お前だって、我慢してたんだろ?」
 ふたりを繋げる糸が、月明かりで、きらきらと光ります。
それがまた、奥さんのよからぬ気持ちを盛り上げて、身体を熱くさせてしまいます。
「…でも…ダメなのぉ…」
「もう黙ってろ」
 知らん。
そう言わんばかりに口を塞がれれば、その瞬間を待ちわびていたかのように反応します。
ぴちゃぴちゃと、仔猫がミルクを味わうような音が、薄暗い部屋に響き渡ります。
つついたり、撫でたり、嘗めたり、吸ったり、吸われたり、奥さんから求めてしまいます。
いつの間にか自由になっている手は、旦那さんを強く抱きしめているんです。
シャツ越しの大きな背中を、いっぱいに感じとろうとしています。
 もう、心と身体は、白旗を上げています。
頼りになるのは、もう、頭しか残っていません。
「…ダーリン…やめてよぉ…ねぇ」
 とろけがちな奥さんの理性が、必至になって抵抗します。
けれども、それだって、キスひとつで終わります。
しゃべらせないようにと重ね続けたまま、旦那さんの手が、パジャマの上に降りました。
当然のように膨らみへと辿り着けば、くすぐるような軽さで、手のひらでこねくります。
「んっ…んーんっ…」
 当然のように漏れる声は、出口を塞がれていました。
それがまた、奥さんを刺激します。身体中が熱くなるのを感じずにはいられません。
大きな手のひらが、時計の針をなぞるように、ゆうっくりと回ります。
それだけでうっとりとして、それだけで動けなくなってしまいました。
「やめていいのかよ」
 頭を上げた旦那さんは、自分のシャツを乱暴に脱ぎ捨てます。
その時の表情は、切なくなるほどに男の顔で、それがまた、奥さんには魅力的でした。
「どうなんだよ」
「…や…」
 めて、と続けようとしたのか、イヤ、という意味で言ったのか。
旦那さんには、どちらでも関係ありませんでした。
怯えたように、身体を縮めている奥さんの、パジャマのボタンに手をかけます。
赤い、ペンギン柄のパジャマを、こうして脱がすのは、何十回目のことでしょうか。
いつものように、下から外していきました。
 奥さんは、もう、なにも言いません。邪魔もしません。
今、まさにひんむかれようとする胸を、大きく上下させて、呼吸を整えるだけです。
だって、うずくんです。
お腹の奥のほうから、じんじんじわりと、沸き上がってくるんです。
キスされて、胸に触れられただけで、苦しく、切なくなるんです。
それに、これがいけないことなんだと思えば思うほど、興奮もしてしまいます。
もし、身体なんて責められたら。
そう考えると、ますます燃えてしまいます。湿り気を増すだけなんです。
「あっ…」
 もったいぶることもせず、最後のボタンを外します。
パジャマが、すうっと落ちていけば、ぺろんと、ふたつの膨らみが露出しました。
大好物を前にした子供のように、旦那さんは、はきらきらと目を輝かせます。
付き合い始めた頃よりも大きくなったその胸が、実際に大好きでした。
 部屋の空気に撫でられると、奥さんの胸は、ますます熱気を帯びてきます。
「…だー、りんっ…や、やだよぉ…」
 辛うじて残っていた理性の、最後の最後の抵抗でした。
奥さんは、高熱でも出したように、瞳が潤んでいます。
同じように濡れて輝く唇が、旦那さんには、艶っぽく見えて仕方がありません。
この程度でも、旦那さんは、痛いほどに昂ぶらせてしまっています。
だからほら。
何度も観察して、攻略して、征服したこの胸が、今日は鮮度たっぷりです。
いやらしい色をした先端は、とっくに硬くなっています。
たまらん、たまらんといった感じで、旦那さんは顔を近づけていきました。
「や、やだぁ、やめてよぉ…」
 奥さんの言葉を、まったく意に介する様子はありません。
聞く耳なんて、今日は、持つ必要がありません。
いつだって、ダメだしイヤだしヤメテだし、その言葉どおりだったことなんてありません。
もうしばらくもすれば、正反対の事を口にするに決まっているんですから。
まるでお酒をあおるように、旦那さんは、右の胸にしゃぶりつきました。
「はあっ…ん」
 口一杯に含んでは、赤ちゃんが吸うように、ちゅうちゅうと音を立てます。
さらに、触れるか触れないかのもどかしい位置で、先の方をなじられてしまいます。
そんなことをされたら、もう、どうにもなりません。
自分の指をかみ、声を上げないようにするので精一杯の奥さんです。
意地悪い顔をした狼さんを、これ以上、興奮させるわけにはいきません。
「…だ…リンってば…っ…はあっ」
 けれども、奥さんの熟れた身体は、火照り続けるだけです。
このまま、旦那さんのされるがままに流されたら、どれだけ素敵なことか。
身体だけではありません。頭も心も、そのことをよく知っているのです。
だいたい、そうしたくて、そうするつもりで、朝からずうっと過ごしていたんです。
したくもない我慢をふたりで重ねて、ようやくと向かえた開放の日だったんです。
だから、微弱な刺激ですら、何倍にも、何十倍にもなって、芯をとろけさせるんです。
「…だ、ダーリン…や、や、やっ…あっ…」
 おねだりをするように、頭をぎゅうっと抱きしめてきました。
ヤメてなんて言えなくなるまで、おしおきが必要だと、旦那さんは執拗に舌を動かします。
美食を味わうような旦那さんの表情が、奥さんをどうでもよくさせかけます。
「…いやっ…あ、ああっ…だ、ダメっ…ねぇ、ねぇ…」
 否定する言葉ですら、身体の奥から出てくる歓喜に掻き消されてしまいます。
おまけに、空いている手の平で、もう片方を優しくもみしだかれては白旗ものです。
ぞくぞくと沸き上がってくる感覚は、すべてがどうでもいいようにも思えてしまいます。
「…あ、ああっ、もっと…」
 要求に応えるように、旦那さんは、ふたつの丘を、執拗に責めました。
唾液をたっぷりとつけて、舌を転がしたり、噛まれたり、吸ったり、嘗めたり。
それがまた、奥さんにとって絶妙すぎては、喘いでしまっても仕方ありません。
何十年と付き合って、何百回、何千回と、肌を重ねてきたんです。
弱点という弱点は、とっくの昔に暴かれて、強められてしまっているのですから。
 べとべとになるまで責め上げると、舌を出したまま、下へと下っていきます。
わきの下へ寄り道をして、脇腹で小休止。最終地点はおへそです。
そんな道程を通られては、奥さんは、腰を浮かせてしまいます。
取り替えたばかりのシーツをぎゅうって握って、電気を外に逃がそうとします。
「いやらしいな」
 その仕種に、くすりと、こうも育てた張本人が笑います。
「イヤだイヤだがこれだもんな」
 顔を上げ、こつんとおでこをあててみれば、熱病にでもかかったようでした。
白いはずの肌が桃色に染まり、唾液に濡れた唇を微かに開いて、熱い息を漏らしています。
ずうっと我慢していたのは、自分だけではないって、わかっているんです。
「…ち、ちがうよぉ…だ、って…」
 なにか、言いかけようとした奥さんを、旦那さんは、キスで封じました。
「もういいから…」
 愛撫し忘れた耳たぶを軽く噛めば、くすぐったそうに首をすくめます。
ちゃんと楽にしてやるからな、なんて、はだけたパジャマを脱がしながら思います。
そして、下の方はどんなことになっているのか、わくわくしながら身体をずらします。
奥さんに添い寝をするような体勢になると、パジャマのズボンの中に、手を入れました。
「ヤ、ダぁ…」
 恥ずかしそうな声は、旦那さんをそそらせる効果しかありません。
さらに守られている部分を無視して、指先は、閉じられている太ももへ辿り着きます。
薄いガラス細工を手にするように、そおっと、丁寧に、撫でるように撫でないように。
絹のように、さわっているだけで心地好くなる肌触りを、旦那さんは堪能します。
それだけで、目を閉じてうっとりとした声を出す奥さんが、意地らしくてたまりません。
「あっ…んっ…」
 ぎゅーって、シーツをつかみながら、身体を小さくよじります。
それでなくとも、触れられただけで感じてしまう状況になっているんです。
そんな風に撫でられては、一番、声が出てしまいます。
背筋をぞくぞくと、じんじんとかけ上がってくる感覚は、止められたものではありません。
「いいっ…ああっ…あっ…」
 鳴き声とともに、太ももが、少しづつ開かれていきました。
触れられなかった内側を、そおっと撫で回しながら、上へと手を進めていきます。
前奏で、これだけになってしまった奥さんを、もっといじめられるのです。
それを考えると、旦那さんの背筋もぞくぞくっとしました。
けれども。
「…ん?」
 まだ脱がしていないのです。
ようやくたどりついた場所には、当然、最後の護衛が待ち構えているはずでした。
けれども…なにか、おかしいって、旦那さんの指先が訴えてきます。
予想以上に湿っていません。おまけに、妙に厚ぼったいのです。
なんとなく、漠然と見当がついてしまいました。
「これ、もしかして…」
「だ、だから…ダメ、なのに…ぃ」
 顔を上げれば、奥さんは、恥ずかしそうに両手で顔を隠していました。
そのすき間から出す声は、息も絶え絶え、苦しそうに聞こえます。
旦那さんは、パジャマの中から手を抜くと、指先の匂いをこっそり嗅ぎました。
それで、観念しつつも、それでも、もう一度だけ、確認します。
「マジ?」
 うん、と言ったような言わないような。どちらにせよ、奥さんは首を縦に振りました。
やり場を失った情念が、自分の中で、少しづつ萎えていくのがわかります。
なのに、その象徴は、未だに勢いを失ってはいません。
「…仕方ないけどさ」
 途方にくれたまま、奥さんを見下ろします。
潤んだ瞳で、旦那さんは見つめられます。
汗ばんだ額、乱れた髪。熱せられた身体を冷やすためか、呼吸は早くなりがちです。
そのたびに、露出したままの胸が、大きく上下に動きます。
このまま続けられたら。
いや、続けたいんです。今すぐにでもひんむいて、愉しませてあげたいんです。
けれども、これでは無理です。
「…ごめんな」
 ベッドの下に落ちていた、奥さんのパジャマを、旦那さんは拾い上げました。
そして、それを身体にかけてあげます。
隣で寝ている奥さんは、顔を真っ赤にして、まるで高熱を出しているようでした。
中途半端すぎて、苦しんでいるのです。
どうせなら、果てさせてしまったほうがよかったか、とも思いました。
ですが、そこまでするとしたら、旦那さんがこらえられなくなってしまいます。
ふたりしてこんな状態なら、絶対にすごい夜になると思っていたのですが。
「けどなぁ…」
 あきらめきれない声も、奥さんを攻めるわけにもいきません。
両手を広げて、ばふん、と、ベッドにうつぶせのまま倒れ込みました。
沸き上がったほこりが見えても、旦那さんは、なんとも思いませんでした。
隣に寝ている奥さんも、まだ、火照りのやり場を探しているようでした。

 しばらくもして、奥さんが身体を起こしました。
旦那さんに背中を向けて、脱がされたパジャマのボタンを、ゆっくりと止めていきます。
肌は、自然と冷やされました。
けれども、身体中のあちこちでは、くすぶり続けてもいました。
それを我慢するのは、楽なことではありません。
乱れた髪を手ぐしで直してから、ようやく、奥さんは振り返りました。
「あの…ダーリン」
 まくらにあごを乗せて、旦那さんは、うつぶせに寝ていました。
いかにも手持ち無沙太なように、足をぶらぶらと遊ばせていました。
「…ごめんね、ダーリン」
「まぁ…しょうがないだろ」
「うん」
「けどなぁ…だったら、早く言えよな」
 そんな言い種に、かちんときた奥さんです。
それでなくたっていらいらするし、それでなくたって打ち切られて気分悪いんです。
「だって…言う前に、ダーリンがしてきたから…」
「始まったって言えば、すぐにやめたぞ」
「…そんな余裕、くれなかったじゃない」
 旦那さんの背中に、透明な怒りの矢を、たくさん放ちます。
「なんか、俺が悪いみたいだな」
「そういうつもりじゃないけど…私だって、好きでなったわけじゃないよ」
「わかってるけどさ…」
 わかっているのに、旦那さんは、ため息なんてつくんです。
なんだかもう、どうにもなく許せなくて、その背中に馬乗りになりました。
そして、後ろから抱きつくと、そのままぎゅうって、首をしめました。
「どうしてため息なんてつくのっ!!」
「…な、ちょ…ま、こ、こらっ!!」
そこには、じゃれつくとかスキンシップとか、甘ったるい優しみはありません。
生きるか死ぬかの力強さを存分に感じては、命が危ないと、背筋が騒ぎます。
なんとかして、自力で逃れようとしますが、動けば動くほどに苦しくなります。
「ま、待てっ!! こらっ!!」
「我慢してるの、ダーリンだけじゃないんだよっ!!」
「わ、わかった!! わかった、からっ…ぎ、ギブだ、ギブアップだっ!!」
 ベッドの上で格闘技をしたあとは、ほこりっぽくなるんです。
それまで吸い込んでしまったのか、開放されてもなお、咳込み続けました。
「もぉ…」
 奥さんだって、がまんにがまんを重ねていたんです。
だいたい、ここまでされて終わりだなんて、生殺しもいいところなんです。
続きがしたい、続きが欲しい、って、身体の奥は、強く訴え続けてくるんですから。
ため息をつきたいのは、旦那さんだけじゃないんです。
「お前、狂暴すぎるぞっ!!」
「ダーリンがいけないんだよ」
「仕方ないだろ!! たまってんだから」
 にらみ合うふたりの間には、雰囲気もなにもない、ただの重たい空気が生じます。
どちらからともなく視線を外せば、訪れるのは沈黙でした。
淡い明かりを作り出すルームライトは、こんな時には不似合いです。
厚いカーテンを閉めきった空間には、それはお似合いではありました。
意味のない根比べに、耐えられないのは奥さんでした。
長く息を吐き出してから、しょうがないなと口を開きました。
「…今日は寝ようよ。起きててもけんかしちゃうだけだよ」
 気持ちを押さえ込んで、できるだけ、柔らかい声を出しました。
「眠れないっての」
「もぉ…いっしょに我慢してよ。ね?」
 眠れないのは、奥さんも同じです。
だったら、ふたりでもんもんとしてくれてもよさそうなものです。
ふてくされた旦那さんの隣に座って、優しく背中を撫でました。
ついでにつぼを押してあげると、気持ち良さそうに目を細めます。
 疲れた時にしてあげる、マッサージを始めます。
このまま眠ってくれればな、なんて、奥さんは思いました。
「我慢するからさ…」
 指圧を受けながら、呻きながら、旦那さんが口を開きます。
「我慢するから…口でしてくれないか?」
 旦那さんは、信じられないほどに、真剣な顔をしています。
あまりにも真剣すぎて、なにをお願いされているのか、わからなくなりました。
目をぱちくりとさせてから、それからようやく、その意味を理解しました。
ゆっくりと、身体を起こす旦那さんとは、目も合わせられません。
「…やだ」
「なんでだよ」
「だって…そんなことしたら…」
 奥さんは、身体を熱くさせました。
そんなことをしたら、続きをしたくなっちゃうんです。
「なんだよ、どうなるんだよ」
 真っ赤になって、うつむく奥さんを、旦那さんは問い詰めようとします。
見たことのない恥らいは、あまりにもかわいく映ってしまいました。
おさまりかけていた興奮も、むくむくと、頭をもたげてきてしまいます。
「…とにかく、イヤったらイヤなのっ!!」
 なんとかしてあげたいのは、やまやまなんです。
でも、今の状態でそんなことをしたら、血を見なければ終わりません。
必死になって訴えられても、心は鬼でなければならないのです。
だから、心の中では、ごめんね、ごめんねと謝り続けました。
「するの好きだって言ってただろ」
「好きでも今日はだめっ!!」
「一回だけでいいからさ。頼むよ」
「やだったらやだっ!!」
「一生のお願いだから、な?」
「だーめっ!!」
「あ…じゃあ、手でしてくれよ」
「もおっ!! いっしょに我慢してよう」
「できるかよっ!! ほらっ!!」
 おもむろに、ベッドの上で立ち上がると、ズボンを下ろす旦那さんです。
障害がなくなっては、破裂しそうな雰囲気で、高々と立ち上がっていました。
「これは、完全にお前のせいだぞ!!」
「知らないもん、そんなの!!」
「そ、そんなのって…」
 奥さんを悦ばせてきたという自負は、あっけなく崩壊しました。
いや、今日はむしろ、いらつかせるだけの道具でしかなかったのです。
「ダーリンのバカっ!!」
 ぺしん、と、思いきりではないまでも、力を入れてはたきます。
起き上がりこぼしのように、でろんでろんと揺れるから、ますます許せません。
「ばかばかばかっ!!」
 ボクシングの練習みたいに、ぺこぺこぺこぺこと、奥さんがはじきます。
いらいら解消に、ボクシングが最適だと、誰かが言っていたのを思い出しました。
ここまで痛めれば、さすがにやる気をなくすだろうと、顔を上げてみました。
 旦那さんは、予想していたしかめっ面ではなく、うっとりとしています。
しかも、手を休めた奥さんに、もっともっとと、目が訴えてくるからたまりません。
悪いことをしたかな、なんて反省は、すぐに吹き飛びました。
果実の種のごとくに硬い張りに、奥さんの手の平は、全力で襲いかかります。
さすがにそれは避けましたが、旦那さんの表情は怯えきっていましした。
「ば、ばかっ!! 俺を殺す気かよっ!!」
「もおっ!! なんで大きいままなのっ!!」
「なにもしてくれないからだぞっ!!」
「私だって我慢しているんだよっ!!」
「男のは、溜めすぎると爆発するんだぞ? それでもいいのか?」
「もうだまされないもん。分解されるって、学校で習ったんだから」
「欲望は分解されないんだぞ。我慢しすぎるとなぁ…」
「どうなるの?」
「どおって…浮気し…」
 浮気、という単語に、奥さんは敏感に反応します。
ずずいっと身体を寄せると、鬼も真っ青なほどに、恐ろしい顔をするんです。
おまけに、少し出てきたお腹の肉を、ぎゅうーっとつねられたら。
「するの?」
「し…しません」
「本当に?」
「絶対にしませんっ!!」
「じゃあ、我慢しようよう」
「けどさぁ…口なら減らないだろ?」
 しつこすぎる旦那さんに、嫌悪感を抱けないのが弱いところでした。
むしろ、かわいそうだな、って思ってしまっては、どうしようもありません。
「もぉ、しょうがないんだから」
「マジ? マジすか?」
「そのかわり、私にも、きちんとしてね」
「なにを?」
「ダーリンと同じこと」
 頬も赤らめず、笑いもせずに、そんなことを言う奥さんは嫌いでした。
同じことをするのは大好きです。喜んでさせていただきたいぐらいです。
けれどもそれは、通常の状態であれば、という条件つきです。
「だって、お前…」
「どうするの?」
 究極でもなんでもない、二者択一です。
赤いのが苦手な旦那さんに、選ぶ自由はありません。
ぎゅうっと、こぶしを握ったのは、足元を見られた悔しさからでした。
いつもなら、よろこんでするくせにっ!!
わかっているんです。わかっているんですけど、そんな言葉を投げつけたくなりました。
「…くそっ」
「意地悪してるわけじゃないよ」
「わかってるよっ!!」
 旦那さんは、いらだちを隠そうともしませんでした。
最悪の形でお預けを喰らって、しかも、その後も、ひどい仕打ちだけなんです。
今日のために溜めこんだ欲望は、本当に爆発寸前まで達していました。
 しょうがないか。
旦那さんは、乱暴にベッドから飛び降りて、部屋から出ていこうとしました。
「どこ行くの?」
「ちょっと飲んでくる」
「…うん」
 ごまかせた、と、旦那さんは思いました。
あまり飲めない奥さんが、ついてくる、と言わないことも計算していました。
ですが、それは計算外でした。
「ビデオ、捨てちゃったからね」
 ぼそっとつぶやく奥さんに、旦那さんは、鬼の形相で振り返ります。
「…なにっ?」
「だから、エッチなビデオは、全部、捨てちゃったよ」
「んだとっ!!」
「当たり前だよ!! 浮気と同じだよ、あんなの!!」
「お前は!!」
 激しい怒りと、信じられない衝撃で、旦那さんは、二の句が告げられません。
美人看護婦24時とか、激しくしないで南美奈とか、人妻のぬめり木ノ下美和子とか。
お気に入りのビデオの、お気に入りの場面が、走馬灯のように流れていきます。
こんな時のために秘蔵しておいた、まだ見ていないビデオだった、数本、あったのに。
それでなくても溜っている旦那さんです。
両手をぎゅうって握りしめ、ぷるぷるがくがくと震わせてしまいます。
「ひ、人のコレクションをなんだと思っているんだ!!」
「あんなのコレクションしなくていいのっ!!」
「ざけろっ!! あれを貯めるのに、どれだけ苦労したか、わかってんのかよっ!!」
「知らないもん」
 奥さんは、ぷいって、そっぽを向いてしまいます。
「そんなの、浮気がばれて、逆ギレしてるのといっしょだよ!!」
「ばか!! 浮気しないためのビデオだろうが!!」
「浮気だもん」
 どうしても、男の生理をわかってくれない奥さんです。
旦那さん以外を知らないだけに、旦那さんが特殊だって、思っているのでしょう。
そんなことはないって、それこそわかってもらえないだけに、苦しい立場です。
今ごろ、見知らぬ土地で泣いているコレクションを慮ると、肩を落としてしまいます。
ベッドの脇に腰を下ろすと、真っ白に燃え尽きたようにうつむきました。
「…だいたい、どうしてあそこがバレるんだよ」
「ダーリンのコトは、なんでもわかっちゃうんだからね」
「だったら、わかってくれよ…」
「わかんないっ!!」
「ったく…って!! そうだ!!」
 まるで、人生最大の謎が解けたかのような、すがすがしい声でした。
がばっと振り返れば、枕を抱く奥さんを、嘗め回すように見るんです。
「…な、なに?」
「できる」
「えっ?」
「あそこなら大丈夫だろ?」
「あそこって…」
 旦那さんの顔をまじまじと見れば、なにを考えているのか、すぐにわかりました。
「ヤダヤダヤダっ!! 絶対にヤダっ!! そんなの反対っ!!」
「まだ何も言ってないだろ?」
「わかるもん!!」
「じゃあ、どこだよ」
「そこは絶対にイヤっ!!」
 質問に答えないで、頭をぷるぷると振れば、微かに洗い髪の香りが漂います。
「そこじゃなくたってイヤなんだろ?」
「イヤなんじゃないよっ!! 私だって楽しみにしてたんだよ!!」
 ずうっと楽しみにしていたんだよ。それなのに…
奥さんが続けた言葉は、どんどん、小さくなっていきました。
投げつけるつもりだった枕を、胸元にぎゅうっと抱きしめて、顔まで埋めてしまいました。
おまけに、えっぐえっぐと、肩まで震わせ始めるんです。
「…な、なんだよ…」
 うそだ。あれは絶対にうそ泣きだ!!
旦那さんにはわかります。
奥さんの演技のまずさといったら、それはもう、ひどいんです。
ひっくひっくとのどを詰まらせ、えーんえんと子供みたいに声を出します。
両手で両目をおおって、鼻をぐずぐず鳴らします。
幼稚園児じゃあるまいし、と、旦那さんはあきれます。
けど、でも、だけど。
そんな奥さんを、ほおっておけるわけ、ないじゃないですか。
それに、泣きやませることができるのは、ダーリンだけなんですから。
「お、おいっ!! わかった、わかったから、泣くのはやめろって…」
 うそ泣きだとしても、これ以外の手立てを思いつくはずもありません。
枕をはさんで抱きしめると、甘い匂いがふんわりと漂っていました。
こんな状況にあっても、反応してしまうのは、それが男というものです。
「悪かった。俺が悪かったから泣くなよ」
「だって、だって…」
「もうわかったから。今日はなにもしないでいいから、な?」
 事実上の敗北宣言でした。
がっくりと落ち込みかける旦那さんに、奥さんはあまりにも対照的でした。
「本当に? いっしょに我慢してくれる?」
 枕から顔を上げると、目をてかてかと輝かせ、旦那さんを見つめます。
興奮収まらぬ息子に、なんと申し訳をすればいいのか。
こんなに真剣な状況だというのに、自己主張をしてくる愚息をどうしろというのか。
このままなんとかしたくなる気持ちを、ぐぐぐいっと抑えて、旦那さんはうなづきました。
「まぁ…あれだ。我慢し続けた方が燃えるしな」
 言いながら、心の中で泣きました。
悔し涙は血の色でした。次の休みは覚えていろよと吠えもしました。
こうなったら、一晩中どころか、一日中、嫌というほど泣かせてやると誓いもします。
 どす黒い旦那さんに、気がつかないのか、気にしないのか。
へへっ、と笑いながら、奥さんは抱きついてきました。
「そうだね。終わったら…いっぱいいっぱい、しようね。ダーリンっ!!」
 こういう時の奥さんは、遠慮なく、女の子を全開にしてきます。
世界中の、どんなケーキよりもフルーツよりも甘いあまーいしなは。
旦那さんを骨抜きにするには、十分すぎるほどに、とろりとしていました。
「だから…いっしょにがまん、してくれるよね?」
 旦那さんの両手をぎゅうって握って、子犬のような目をすれば。
「あ…ああ」
 それ以外に、なにが言えましょうか。いえ、言えません。言えやしないんです。
「ありがとう、ダーリン」
 いつもとは大違いに、なにかを確かめるようにゆっくりと。
奥さんは、子供みたいに、ちゅーって、ほっぺたに唇を触れさせてきました。
だから、旦那さんは思います。
それでしてくれよ、って。

(了)


(2002. 5/16 ホクトフィル)

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