小説
2002. 1/ 8




Never can say…〜Short Story From ClassMate2〜


 最後の始業式の日。高校生活最後の学期の始まりの日。
私から見たあいつは、いつもと変わらなかった。だからほっとした。
ただ、帰りにひとりで屋上への階段を行く後ろ姿がなんとなく嫌だった。
次の日。高校生活最後の授業の始まりの日。
ふたりが堂々と腕を組んで学校にやって来た。彼女が、お兄ちゃん、って呼んでいた。
そして、始まった。
学校に来る時は必ずふたりいっしょで。
短い休み時間だと言うのにあいつの席で頬を寄せあう。
お昼は屋上や校庭の花壇で食事をして。
帰りは楽しいデートの時間。
いっときも崩れない、ふたりだけの世界。その中で楽しげに幸せそうにしているから。
心のもやもやは、そんなふたりを感じるたびに大きく膨らんでいった。
それがやきもちだって事くらい、私にだってわかっている。
それでも、いちいち私は妬いた。そして、毎日妬く事に慣れていった。
あいつとは…結局友達で終わりだったんだな。

 今朝は寒くて、さすがにコートが必要だった。脱いだコートはもうロッカーの中。
机の上のカバンから教科書などを取り出して、机の中に乱暴に突っ込んだ。
本当はもう教科書やノートが必要な時期ではない。
大学の入試出題傾向本なんかのほうが重要な人の方が多いのだから。
教室だってどこかがらがら。あいつの席と彼女の席も、やっぱりまだ空いている。
そして、時計を見る。いつもと同じ時間。
だから、いつもと同じように教室の後ろへ、窓際へ移動する。
白く曇った冷たい窓ガラス、右手で大きく透明を作る。そこから外を見るのが私の日課。
校門はちょうどピークを向かえていた。幅が広くはないだけに、渋滞が起こる。
前は服装チェックを兼ねて交通整理していた天道先生も、冬休み明けから元気がなくて今は立っているだけ。
もやしのように痩せ細った体が、北風に揺れてふらふらしている。
まだ来ないふたりに、もうもやもやし始めている。不条理そのものだけれども。
自分でもわからないやきもち。一体誰に対してなのか、なにに対してなのか…
「おはよう」
背中に人の気配がした途端、澄んだ声が耳に入ってきた。その主が誰かくらいはわかる。
「おはよ、友美」
私は振り返りもしないであいさつを返した。声がかかるのも時間どおりで、それで少しはほっとした。
いつもと変わらない日。でも、今日がいつもの最後の日。
短いはずの三学期。授業なんてあんまりなかったのに…こんなに長いなんてね。
「また…見てるの?」
「別に」
気配が私の右側に来た。そして、目の前の結露を拭き取った。
ちらりと見た横顔は整端そのもの。
ほんの少し目を細めて、健康そうな唇は綺麗に閉じられている。
窓ガラスに右手を当てて、私と同じものを見ようとしている。
その冷たさのせいなのか、気のせいなのか、頬が薄い桜色に見えた。
友美にはばればれ。私が何を見ていたのか、見ているのか。この場合、逆もまた然り。
そして、それが視界に入った。
渋滞の後ろの方。自分でも驚くくらいに簡単に見つけられた。
さすがに今日は寒いのか、珍しく上着を着た唯があいつにべったりとすがりついていた。
そのりゅうのすけの方は少しうざたさそうに見えるが、いつものようにひょうひょうと歩いている。
詰め襟の妙に似合うあいつ。寝坊したのか、髪がぼさぼさのままだ。
唯は、幸せいっぱいの笑顔で見上げ、二言三言なにやらささやいた。
りゅうのすけはつまらなそうに返事をしたように見えた。不満げに膨らむのは唯の頬。
私の心も不満だらけ。ふたりを見る瞳がどこか冷たくなる。
「今日でおしまいね。この景色を見るのも」
同じように外を見ている友美。横顔はいつものようにポーカーフェイス。
私がじっとその横顔を見ても、真意はつかめなかった。けど、正直に答えた。
「そうだな」
「やっと…かしら?」
探るような、同意を求めるような、そんな友美の話し方。少しばかり混乱しそう。
「わからないよ、そんなの」
「私はそう思ったけど」
渋滞につまったふたりだから、ようやく校門に辿り着いたところ。
頭を下げて、天道先生にあいさつらしい事をしたが、先生にアクションはなかった。
私と友美は、少しのあいだ黙って見ていた。もどかしいほどゆっくり進む時間。
毎朝繰り返されてきた景色。毎朝見ていた私。そして…友美。沈黙を破ったのも、そう。
「私ね、あなたが彼と映画に行ったって聞いた時…今と同じような気持ちだったの」
友美が静かに話し出したのは冬休みの事だ。視線は…あいつをゆっくりと追いかける。
私は少し考えてから、相づちをうつ。
「…妬いた、って事か?」
「だって理由はなんであれ、デートしたって事でしょう。その後が心配だったけど…」
「何もなかった」
「…実はね、私にもチャンスはあったの。でも…だめだったの。自業自得ね」
私があいつを好きだという事、友美は気がついていた。
そして、友美もあいつが好きだという事、私もうすうす気がついていた。
だけど、それを話すような事は今までなかった。
これが最初で最後だと思う。うっすらと、オブラードに包んだような感じで。
「ま、くっつくべきところにくっついたんじゃないのか?」
「それでいいの?」
よくはない。でも、仕方ない。思えば最初から失恋を覚悟していたんだっけ。
彼女が彼を好きだという事。そして、彼が彼女を好きだという事。知っていたから。
その上、ふたりの距離の近さは、私や友美にはどうしようもない物理的な壁だった。
それでなくても、私とは友達のような関係だったんだから…正直、動きようがなかった。
「…いいも悪いも…あいつが選んだのが唯だったんだ。しょうがないよ」
「不戦敗なんて…あなたらしくないわね」
決して意地悪で言っているわけじゃない。友美を見ればそれくらいはわかる。
苦笑いして思い出す。不戦敗の理由を。私の気持ちを止めてしまった一言を。
「…映画に誘った時にさ、言われたんだ」
「なんて?」
友美がこちらに顔を向けた。ヘアバンドが今日は一段と白く見える。鮮やかすぎる無垢。
「マブダチ、だってさ」
自嘲気味より明るく言った私。いっしょに映画を見に行った時、私のように緊張も期待もなかっただろうな。
マブダチ、なら。
「マブダチ…」
友美は小さく、可愛らしく吹き出した。でも、どこかさみしげな瞳。私と同じか。
「彼らしいわね」
「おかげでショックもなにもなかったけど」
「ショックって、ふたりの関係を知った時の事?」
「そう」
急に吹いた木枯しに、唯のスカートがひらりと揺れた。綺麗な素足がここからも見えた。
りゅうのすけはもうあの足を…その上を、中身を知っているのだろうか。
耳元で何度も愛をささやいたのだろうか。おろした髪を優しく愛撫したのだろうか。
晴れ着を可愛いと言われても、唯に対しての可愛いとは違うのだ。
「本当に?」
「…友美はどうなんだよ」
自分の事ばかり話すのはあんまり嬉しくなかった。
失恋を喜々として言えるほど場数をこなしていなければ、この想いだって、まだ…
友美も同じじゃないのかな。だから…こういう話をしたいんだと思う。
「実は…知っていたの。始業式の前の日かしら…公園で…抱き合っていたのをね…」
深いうつむき。声も小さく。友美の口調でわかる。嘘や噂ではなくて、真実なのだろう。
私は声もなく、友美から窓の外に、ふたりに視線を移した。
また曇りだした窓。今度は小さくこすって、まるでのぞき窓のよう。
幻想的に映るふたり。なんだか気のきいたドラマのオープニングみたいだ。
雪でも降って、ひとつの傘に入っていれば完璧なのだろうけど。
「ショックよりもね、ああそうなんだって思ったの。不思議とね…受け入れられたわ」
話す事がないのか、話す必要がないのか、腕にしがみついてそれだけの唯。
りゅうのすけはそれをごく自然と受け止めていた。回りの生徒は別段気にもしていない。
「あなたは本当に何とも思わなかったの?」
そろそろふたりは見えなくなる。葉のない木々のすき間、日が照らしていたのに…
今日もそう。いつもいたんだ。あいつの隣、必ず右側にちょこんと立っていた。
ふたりがいっしょに暮らし始めてから、ずっといたんだ。ずっと変わらないで。
だから…納得できた。ううん、心のどこかで期待していたんだ。
あいつの隣にいる人のイメージ。私でも友美でも誰でもなくて…それが一番だって思う。
自然なふたり。当たり前のカップル。
そう、そうなんだ。どこにでもいる恋人。いままでの環境が少し特殊なだけで…
考えてみれば、べたべたのふたりを初めて見た時にもこんな事を思っていたっけ。
…私じゃ…だめなんだよな。
だから、この前と同じようにまた…さみしくなった。うつむいて、答えた。
「…私、本当はさ…泣いたんだ」
「そう」
短い答えに友美も一言だけ。
曇った窓ガラス。ふたりはもう視界から消えていた。

 ふたりが教室に入って来た。
彼はためらいなく、彼女はまるで一生の別れのように名残惜しげに彼から離れた。
同じクラスなのに、席は対角線上。授業中まであれでは私がもたない。
私は少しいやらしいとは思ったが、それを見計らうようにしてりゅうのすけに近づいた。
「おはよ、りゅうのすけ。今朝もおあつい事で」
席の前。微妙な表情。口元が少し震えている。笑顔のつもりでも…どこか硬いだろうな。
最近ようやく普通の表情に戻りかけたのに…私、弱いな。
「おはよう。にしても…毎朝毎朝よく見てるな」
私の顔を見て、あきれた表情をひとつしてイスに座った。
背もたれに体重をかけ、いすの前脚を浮かす。頭の後ろに手を回し、あくびをひとつ。それで準備完了。
りゅうのすけに荷物はない。教科書は机の中だし、ノートは唯がとってくれる。
お弁当も…手作りらしい。毎日豪華な愛妻弁当。当然新妻つきで。
「へへっ、またパフェでもおごってもらおうかなって思ってるんだ」
「…もう脅される理由もないだろうが」
よほど根に持っているのか、りゅうのすけの口調は少し重い。口がとんがった。
でも、たぶん。私の言葉の表面しか捉えてないんだと思う。
本音は…またふたりで映画にでも行きたいんだ。未練がましいのはわかっているけど。
「そりゃそうだけど…にしたって、りゅうのすけこそ、毎日毎日飽きないな」
「…唯に言ってくれ」
ため息のようなかたまりをはき、いすを戻した。頬杖をつき、ちらりと私の脇を見る。
りゅうのすけの視線の先…唯がどんな表情してるのか、私にはもちろんわからない。
でも、この対角線上にいるのがなんだかつらかった。
こんがらがっていた糸。やっとほどけた糸。私がまた複雑に絡めてしまいそうで。
私は次の言葉がなくて、りゅうのすけの前で子供のようにもじもじするだけだった。
口元をほんの少しだけへの字にまげて、つまらなそうに私を見るりゅうのすけ。
私の好きな表情のひとつ。心が…たまらない。どうしても、やきもち。
…やっぱり好きなんだな…りゅうのすけの事。
「ほれ、そろそろ片桐先生来るぞ」
「うん」
彼女の機嫌が悪いのか、私を早くどけたいらしい。目がそう言っている。
景色が最後なら、想いも最後。りゅうのすけに迷惑をかけないで終わらそう。
「あのさ、りゅうのすけ」
「…あらたまってどうしたんだ、いずみ?」
急に真面目な表情をしたからか、私の視線の先は不思議に思っているみたい。
私は胸元に右手を当てて、ぎゅっと握った。のどが小さく鳴った。
こういう事って、勇気とか体力とか気力とか…かなりいるんだって初めて知った。
「私達…マブダチだよな」
「なんだよ、いまさら。当たり前だろ?」
あっさりと期待していたセリフを言ってくれた。ほっとした。これでいいんだから。
でも…悲しい。涙がぽろぽろ出るほどではないが、心が少し苦しい。
下を向いて、りゅうのすけを見ないようにして、なんとか笑顔を作った。顔を上げる。
「唯と幸せになれよ。たくさんの人間泣かしたんだからな」
皮肉のつもり。私たちには鈍すぎて、唯には鋭すぎたから。
りゅうのすけは頬杖をはずし、何か言おうとしたが、私の顔を見て口ごもってしまった。
一生懸命作った笑顔の目尻。涙が少し溜っていた事に気がつかれたかな?
「朴念仁」
つぶやいて、大きな息をはく私。自分の席に戻ろうと、背中を向けて歩き出す。
りゅうのすけは少し考えてから、ようやく言葉を発してくれた。
その言葉は…彼らしいセリフだったと思う。マブダチだから、言ってくれたんだと思う。
「変な奴」
「へへっ…」
背中ごし、振り返って精一杯の笑顔を作った私。
始業のベルが鳴った。あいつといっしょの、最後の授業の始まりだった。

(了)


(1997. 5/ 4 ホクトフィル)

[戻る]