小説
2002. 1/ 8




心もよう 晴れのち…〜Short Story From ClassMate2〜


 一月の風は冷たくて、膝を抱えたりゅうのすけ君は身体をぶるぶるっと震わせました。
板張りの床ではお尻も冷たいし…と、まるでいじけた男の子の様相を呈しています。
弓道場は屋根や囲いがあるとはいえ、実質的には屋外なんです。
ましてや、北風が直接入ってくるんですから、寒い事この上ないんです。
さっさと南中を通り越した太陽さんの温か光線は、弓道場の中まで届きませんしね。
「なぁ、どうしてそんな格好で寒くないんだ?」
りゅうのすけ君が顔を上げます。目の前に、弓道着を着たいずみちゃんがいるんです。
ひゅー、と、また北風が舞い込んできました。
かちかちと、歯をがたつかせながらの質問に、いずみちゃんは思わず笑ってしまいました。
「りゅうのすけとは鍛え方が違うよ。弓道着を着るとさ、寒さなんて感じないんだ」
えっへんポーズのいずみちゃん。左手には大きな弓、右手には二本の矢を掲げてます。
でも、本当は寒さにとても弱いんです。
嫌いなものベスト三をあげるなら、冬と寒さを絶対に入れないと気が済まないほどに、この季節は、この温度は苦手なんです。
ですが、自分でも不思議なくらい、弓道着を着ると寒さだって忘れちゃうんですよね。
「寒いんだったら、教室に戻っててもいいよ。終わったら、結果は伝えに行くからさ」
いずみちゃんが苦笑いをします。さてと、と口にして、真ん中の的の正面に位置しました。
そんな彼女の動きを目で追いながら、りゅうのすけ君は不満そうに言います。
「だめ。いずみがずるするかもしれないしな」
「りゅうのすけじゃあるまいし、そんな事はしないよ」
振り返りもせず、いずみちゃんは姿勢を整えます。足を肩幅ぐらいに開き、左手の弓をぶらんぶらんと垂らします。
的は獲物。じっと、獣のようににらみつけました。
膝を抱えて丸まって、熱を逃がさないようにしていたりゅうのすけ君も、思わず生唾をのんでしまいます。
秘めたる闘志が見え見えです。とても遊びとは思えません。
「…そんなに本気にならなくたっていいだろ」
「だめ。絶対に皆中させてみせるんだから…」
自分に言い聞かせているようにも聞こえます。ゆっくりと、深く息をはきだします。
だんだんと、顔が真面目になってきます。気合いが表面に出てきてるんです。
身体中がぞくぞくします。とっても心地好い緊張感です。首をくるりと回します。
「約束だぞ。全部当てたら、ピアキャロで食べ放題だからな」
「だーかーら、もっとお遊びみたいに楽しくやろうぜ」
りゅうのすけ君のおちゃらけた声も、いずみちゃんには届きません。
…絶対に当てるんだから…
別に食べ放題がかかっているからではないんです。むしろ、だから真剣なんです。
的をにらみます。黒く塗り潰された中心だけをじっと、何も言わずに見つめ続けます。
口の中で何事かをつぶやきました。そして弦に矢をかけて、弓を肩の高さまで上げました。
いずみちゃんは目を細めます。狙う先は的の中心、黒目の部分だけです。
勝負師の顔なんです。りゅうのすけ君があまりの美しさに見とれてしまうほどです。
視線は的を見続けています。
ロボットのように正確で、人間らしくしなやかに、右手の親指で弦を引きます。
人差し指と中指が、矢を引きます。
きりきりきり、と弦をおもいっきり引っ張ると、動きが、呼吸が止まりました。
ですがもちろん一瞬の事。すべてが刹那に決まってしまうんです。
いずみちゃんのすべての力をもらった矢は、弓から放たれ、的に向かって一直線です。
討ち終えたいずみちゃんは、練習どおりに腰に手をあてるポーズをとります。
的に矢が刺さるまで、さほど時間がかかるわけではありません。
あっけなく、ぱん、なんて気の抜けた音をたてて的の中心に命中するんです。
狙いどおり、と喜ぶのは心の中だけ。勝負はまだ終わったわけではないんですから。
「あと三本…」
休むつもりはありません。当たったのを確認すると、早くも次の矢をつがえているんです。
りゅうのすけ君はもう何も言えませんでした。ただ、ちょっと後悔しているんです。
こんな事だったら、もっと真面目にいずみちゃんの練習姿を見ておくんだった、って。
次の矢は、もういずみちゃんの手を離れ、またもや的に命中です。ビンゴなんです。
細めた瞳の輝きは、りゅうのすけ君の心を深く捕らえて離しませんでした。

 四本目の矢が的に刺さった時、いずみちゃんはこれ以上ないほどの笑顔を見せました。
まるで公式試合で完勝したように、喜びのオーラが全身から吹き出しているんです。
何度か深く呼吸をして、息を整えます。そして、百八十度反転します。
相変わらず体育座りのりゅうのすけ君ですが、いずみちゃんに見つめられて、何か照れているようです。
視線をそらす彼を、えっへんポーズで見下ろします。
「どうだっ!」
「なにが?」
りゅうのすけ君のいやに冷静な声に、いずみちゃんは少しずっこけちゃいます。
そりゃ、どうだと言われても困るでしょうけど…いずみちゃんも困ります。
「だ、だから…皆中だぞ。全部当てたんだぞ。約束どおり、ピアキャロだぞ」
りゅうのすけ君は何も言わずに立ち上がります。そして、いずみちゃんの前にきました。
背が高めの彼と背は低めの彼女です。高い山と深い海峡ほどの差があるんです。
そして、海抜ゼロメートル地点の肩に、りゅうのすけ君の大きな手の平が置かれました。
どきっ。そしてびくっ。左手が胸のあたりでこぶしを作ります。彼の顔をのぞきます。
「な、なんだよ…」
りゅうのすけ君の長い前髪。その下の瞳は、怖いほどに真剣な輝きを放っています。
だから、威圧感があるんです。女の子らしく不安にもなるんです。
そして…この間って、口づけを交わす時のそれなんです。どきどきもしちゃうんです。
お互い瞳を見つめたまま、一呼吸。りゅうのすけ君が口を開きました。
「今日は財布忘れたから、明日な」

 最近、寝る前に電話をする回数が急激に増えました。相手はもちろん、彼なんです。
今日だってさっそくお電話。午後、弓道場からずっとふたりきりだったのに…ねぇ。
「今日は弓道部の練習だったんだろ。それなのに、出てたのはいずみだけだったな」
「この時期はそういうもんなんだ。自主参加の日だったしね」
ベッドの上であぐらをかきながら、いずみちゃんははにかんだ笑顔を浮かべています。
薄クリーム色の、かめさん柄のぱじゃまに、頭から垂らしたバスタオル。
もし、鼻先を頭に近づけたなら、きっとリンスの香りにくらくらきそうな感じです。
「おかげでふたりきりだったし…私は嬉しかったけどな」
「そうか、失敗したなぁ。ふたりきりなんだから、なにしたってかまわなかったのか…」
「…りゅうのすけはそんな事ばっかり考えてるのか、私といる時ってさ」
ちょっと不満そうに唇を尖らせたせいか、こもった感じに言葉が響きました。
でも、りゅうのすけ君も予想していたようです。恥ずかしげに、小声になります。
「そりゃ、いずみが可愛いからな。特に今日のいずみは…綺麗だったしさ」
「な、なに…言ってるんだよ」
受話器を持つ右手。その上に左手を重ねて、いずみちゃんは小さく身体を丸めます。
お風呂上がりのせいなのか、顔中を真っ赤に染めて、湯気が噴きでているんです。
「照れるな照れるな。いや、本当に補習をさぼった価値はあったと思ってるぞ」
「さ、さぼったのか? 休みだって言ったの、うそだったのか?」
「いや。言葉を間違えた。自主休講だ」
「まったく…留年してもしらないぞ」
悪びれてもいないりゅうのすけ君の返事に、いずみちゃんはちょっとぶーぶーです。
でも…先に殺し文句を使われていたら、それ以上はつっこみを入れられません。
目を細めて、何とはなしにまくらを見つめます。とっても幸せいっぱいそうなんです。
とは言え、こんな状態で明日のピアキャロは大丈夫なのでしょうか。心配します。
「明日は本当に補習が休みなのか? さぼるんだったら、また今度でもいいよ」
「大丈夫。うまい事に片桐先生が駄目なんだと。だから、まったく問題ないぞ」
「…りゅうのすけを信じるしかないもんな。じゃあ約束どおり、駅に一時でいい?」
「遅れるなよ。いずみは時間にルーズなんだから」
「…りゅうのすけに言われると、なんかものすごく腹が立つな」
「あのなぁ、俺が一度でも遅刻した事があったか?」
真面目に尋ねてくるりゅうのすけ君に、いずみちゃんは思わず笑ってしまいました。
「なぜ笑う?」
短い言葉の荒さで、本気かどうかよくわかります。
もちろん、電話の先で彼がどんな顔をしているのかなんて、考えなくてもわかるんです。
「別に意味はないけどさ。とにかく…明日が楽しみだよ」
「そりゃ、いずみは楽しみだろうけどさ…おごる身にもなってくれよ」
情けない声の彼。とほほ、なんて肩を落としている姿が目に浮かびます。
いずみちゃんは四つんばいに近い格好になって、机の上の写真立てを手にします。
そのままベッドの上にごろんとすると、仰向けになって左手を天井にかざしました。
「へへっ。けどさ、私が言ったのはそういう意味だけじゃないんだ」
写真の中のりゅうのすけ君は笑顔。いずみちゃんの好きな、いたずらな瞳が輝いています。
そして、彼の唇がいずみちゃんの頬に触れています。決定的瞬間の写真なんです。
「久しぶりだろ? 学校の外でデートするのって。だからさ…今夜も眠れないよ」
指先が、彼の顔を撫でます。優しく、熱い瞳で、動かぬ彼を見つめ続けているんです。
不思議と満たされる心に、りゅうのすけ君の一言が激しく横からつつきました。
「眠れないからって、俺様の写真を使って変な事するなよな」
「そ、それはこっちの台詞だよっ!だっ、誰がそんな事するんだよ…まったく」
あまりのタイミングのよさに、あわてるのも無理はありません。いずみちゃんは真っ赤になって、身体を起こしました。
写真を見ながら電話をするくせの事なんて、誰にも言ってない秘密なんですけどねぇ。
「いずみぃ、そんな事ってどういう事だぁ?」
「ど、どういう事だっていいだろっ」
「そのわりには、どもってるな」
にやけているのがわかります。こうやって、いずみちゃんの事を時々からかうんです。
いや…もちろん、りゅうのすけ君が考えているような事はしてないんですよ、本当に。
だから、恥ずかしいような怒ったような、難しい口調で電話を切ろうとします。
「…もお、いいよっ! おやすみ、りゅうのすけっ!」
「おやすみ、いずみ。また、明日な。俺も楽しみにしてるよ」
へらへらと笑いながら、でも、最後の一言が名残惜しそうだったから、いずみちゃんはなんとなく気をよくしました。
少し小声で、静かに想いをのせながらささやきます。
「…遅刻、するなよな。それじゃ…おやすみなさい、りゅうのすけ」

 時計を見ます。もう一時半です。待ち合わせは一時でしたよねぇ、いずみちゃん。
焦り気味にエレベーターから出てきました。そして、わずかな距離でも走ります。
…まずいっ! 完全に遅刻だよ。
自動扉の前に立ちます。がー、っと開いたかと思うと、好スタートを決めました。
そして、そのままスピードにのって走っていきます。とにかく急ぐしかないんです。
…あいつ、まだ帰ってないよな。
信じるよりも、祈る気持ちが強いんです。全力疾走で、八十八駅に向かいます。
遅刻するなよな、なんて言っておいて…こりゃまいっちゃいましたね。
おじいさまに急に用事を頼まれて、引き受けたのはよかったんですけど…
こんな時間になるなんて、まったくもって予想外。駅に近い場所とはいえ、もう遅刻なんですもん。
とにかく、駅へ駅へ。小さい身体を弾ませて、いずみちゃんは走りました。

 時計を見ます。もう一時半です。待ち合わせは一時でしたよねぇ、りゅうのすけ君。
駅の屋根を支える太い柱。その一番北側が、ふたりの待ち合わせ場所なんです。
実のところ、いずみちゃんが遅刻なんて珍しいんです。それだから、不安になります。
そわそわと、右を見たり左を見たり、いかにも落ち着かないりゅうのすけ君です。
「もしかして…誰かと待ち合わせ?」
「う、うん」
「相手は…恋人、なの?」
隣にいた女の子が連続して質問します。でも、一言一言、なぜかためらいがちでした。
りゅうのすけ君の答え方もどこかためらいがあります。ようやくこくりとうなづきます。
真っ白い肌をした、線の細い女の子。ベレー帽を両手に持って、口元を隠すのは感情を隠すためなのでしょうか。
瞳は潤んでいるのは、寒いからだけではなさそうです。
「りゅうのすけ君、前に恋人はいないって言ったのに…」
「え…あ、あの後に付き合いはじめたんだ。あ、その目は疑ってるでしょう」
上目つかいにじっと見つめられて、うそはついていないのに、どぎまぎしてしまいます。
「ほ、本当だよ、桜子ちゃん。いずみが来たら聞いてみなよ」
「いずみちゃんって言うんだ、りゅうのすけ君の恋人の名前。やっぱり…可愛いの?」
小さく、さみしくつぶやいた桜子ちゃんの、微妙な気持ちに気がつかないのが彼。
可愛い、と言う単語がりゅうのすけ君にはなんともおかしく聞こえてしまいます。
「ははっ。確かに見た目は可愛いけど、性格とか言葉使いとかは、男みたいなんだ」
「ふーん。りゅうのすけ君って、そういう女の子が好みだったんだ…」
桜子ちゃんは柱に寄りかかると、左肩から垂れている栗毛を撫でました。
そんな仕種をかわいいなぁ、なんて見つめながら、りゅうのすけ君は時計を見ます。
「にしても…何やってるんだか、あいつは」

 両手をひざにやって、ようやく休憩です。はぁはぁ、とはく息が白く染まるんです。
全力疾走はきつくてきつくて…考えてみれば、持久力にはまったく自信がないんです。
でも、この信号が青になって横断歩道を渡り切れば、八十八駅に着いちゃいます。
一月にしては温かいんです。走るのをやめて出てきた汗は、なんだか気持ち悪く感じます。
…まだ、いるかなぁ…
グリーンシグナルが点灯しました。少し出遅れる感じで、駆け足を始めるんです。
正面に注意しながら駅の方に顔を向けます。りゅうのすけ君をきょろきょろと探します。
八十八駅で待ち合わせの時、たいていはじっこの柱が指定席。ほら、やっぱりそうです。
柱の方を向いて笑っているのでちょっと変に思いましたが、それでも彼は彼ですもん。
安堵のため息です。強ばっていた表情が、自然と緩むのが自分でもわかりました。
これだけ遅れても、いずみちゃんを待っていてくれたんです。
もちろん、怒っているかもしれませんけど…だから、ちゃんと謝りましょう。
そんな事を考えながら、少しづつ柱に近寄っていきます。
そして、名前を呼べば振り返るくらいの距離に近づきました。はにかんで、笑顔を見せて、名前を口にします。
「りゅうのす…け…」
手を上げて、自分を見てもらおうとポーズをとりはじめた時…見ちゃったんです。
りゅうのすけ君の隣、柱の陰に、口元に手を当てて楽しそうに笑う女の子がいたんです。
編んだ栗毛を左肩から垂らしていて、雪みたいに白い肌で…かわいい女の子なんです。
その娘は見上げて、見つめて、また何か言ったようです。りゅうのすけ君も笑います。
女の子の瞳は…明らかに、いずみちゃんと同じ輝きをしているんです。
立ち止まります。どうしたらいいのかわかりません。頭が一瞬にしてパニックします。
どきどきと、脈が早くなるのがわかります。不安と緊張に、全身が支配されます。
じっとふたりを見つめたまま、いずみちゃんは立ち尽くしてしまいました。

 背中におかしな気を感じて、りゅうのすけ君が振り返りました。
すると、いずみちゃんが立っていました。下を向いて、反省しているのでしょうか。
「いずみぃ、遅れてくるなんて何かあったのか? それともだたの寝坊とか…」
腰を曲げて、いずみちゃんと視線の高さをあわせます。と、その瞬間です。
ぱちぃぃぃぃん!
あまりの音のよさに、後ろにいる女の子やまわりの人達が注目してしまいます。
不意打ちの平手打ちでした。条件反射みたいに、りゅうのすけ君は左頬を押さえます。
ようやく顔を上げたいずみちゃん。
唇をかみしめて、いかにも悔しそうな表情で、りゅうのすけ君をにらんでいます。
今、涙が頬を伝い、地面で跳ねました。
「ちょっ…まてよ、いずみっ!」
急に背中を向けて走り出したいずみちゃん。さっきの横断歩道の方向です。
雰囲気でわかっていたから、りゅうのすけ君は慌てて手を伸ばしたんです。
ですが、あとちょっと、というところで右腕はするりと逃げちゃいました。
だから、追いかけようとしたんですけど…歩行者用の信号が赤なんです。大通り、ひとりで渡れば…危険です。
「いずみっ、ちょっと待てってば」
車がふたりの間に壁を作ります。
いずみちゃんの背中も、りゅうのすけ君の声も、行き交う波に飲まれてしまいました。
むなしく見送るりゅうのすけ君を感じなくなっても、いずみちゃんは足を止めません。
…りゅうのすけのばかっ!
唇をかみしめて、人に涙を見られないように下を向いて、またもや全力疾走です。
でも、今度は目的がないんです。自分でもどこに行くのかなんてわかりませんでした。

 気がついたら、というよりも、やっぱり、だったんですよね。
今日は部活は全休日。自主活動もないんです。だから、ひとりぼっちにはもってこい。
弓道場。昨日、りゅうのすけ君が丸まっていた場所で、同じように丸まります。
鼻まで膝の中に埋めて、真っ赤な目は的を見続けます。昨日狙った真ん中の的です。
そう。りゅうのすけ君に告白された日も、練習で真ん中の的に討ち込んでいたんです。
三学期の始業式の日。いずみちゃんに、この場所でりゅうのすけ君は言いました。
「俺はいずみを彼女にしたいんだよ」
断る理由なんて存在しませんでした。
友達の事を考えて、多少後ろめたくなっても、やっぱり嬉しかったんです。
言葉がつまるほど、その夜眠れないほど、嬉しかったんです。
だって、想いを寄せていた人からの告白なんです。一生、忘れられない事なんです。
なのに…今日のあれはなんなんでしょうか。彼女にしたい、なんて言っておきながら…
もう飽きられたのかな。それとも、もっと女の子らしい女の子の方が好きなのでしょうか。
それとも、友達の時と同じような付き合いに嫌気がさしたとか…
考えては寂しくなります。
いつもそうでした。たくさんの幸せの中にあるちょっとした不安。でも、大きいんです。
りゅうのすけ君は気が多いし、女の子のお友達もたくさんいるし…
そんな中で選んでくれたとは言え、もともと友達同士みたいな関係だったふたりだったんですもん。
そのうち、いつか、自分よりも好きな女の子ができるんじゃないか…って。
「いずみぃ、いるか?」
入り口は引き戸なんです。がらがらがらと、突然開いたものだから、いずみちゃんはびっくりです。
考えるのをやめて、思わず顔を上げてみれば…そうです、やっぱり来てくれたんです。りゅうのすけ君です。
走ってきたのでしょうか。肩を大きく上下させて、呼吸もまだ整っていません。
「やっぱりここにいたか。探したぞ」
嬉しくて、頬が緩みます。でも、なんだか顔を合わせにくくて、膝の中に埋めます。
りゅうのすけ君は苦笑いひとつして、いずみちゃんの目の前であぐらを組みました。
腕と膝のすき間から、こっそり覗きます。彼も同じすき間から覗いていました。
だから目をつぶって、見ないようにしたんです。けど、見ていたものが違ったようで…
「今日は水玉か?」
「えっ!」
思わずりゅうのすけ君を正面に捕らえます。
きょとんとして、視線を追って、ようやく言っている意味を理解したんです。
「な…なに見てるんだよっ!」
「なにって、いいもの」
体育座りは一転して、正座を崩したような形になりました。
おしりをぺたっとつけたような、いかにも男の子の好きそうな座り方です。
当然、両手がスカートの裾を伸ばすように押さえつけるんです。
「りゅ、りゅうのすけのすけべっ!」
恥ずかしさと悔しさで、顔を真っ赤にします。本格的に涙が近くなってきました。
こんな事で泣きたくないんです。だから、唇をかんで必死になってこらえます。
いやらしく瞳を輝かせていたりゅうのすけ君。急に真面目な顔をして、本題を口にしました。
にしても…顔の割に甘えた声なんですよね。
「なぁ、俺…いずみに叩かれたり、いずみを泣かしたりするような事、したっけか?」
「今したじゃないか。それに…さっきはナンパしてた」
「へ?」
「隣にいた女の子、りゅうのすけがナンパしたんだろ!」
りゅうのすけ君と言えば鈍くて有名でしたが、やっぱり変わっていないんですねぇ。
いずみちゃんの大声で、ようやく理解したんです。涙にほほ笑んでしまいます。
「だって、遅刻したのは私が悪いけど…だからって…」
いずみちゃんはとうとう泣き出してしまいました。
両手で目をこするようにして、あふれる涙を拭おうとします。
けど、おどおどもせず、りゅうのすけ君は落ち着いたもの。
「本当にやきもちやきだな、いずみは。だけどさ、いきなり平手打ちされたら俺だってまいっちゃうぞ」
「う、うるさいっ!」
「彼女はただの友達だぜ。久しぶりに会ったから、話し込んでいただけだよ」
いつの間にかりゅうのすけ君が接近してました。右手がいずみちゃんの頬に重なりました。
そして、親指で涙の線を撫でるようにしてなぞっていきます。
優しい指と温かい手の平です。自然と、いずみちゃんは顔を上げます。
「そりゃ彼女はかわいいいけどさ、今のいずみの方がもっとかわいく見えるぜ」
「そ…そうやって、はぐらかそうとしたって駄目だよ」
口ではそう言ってみたものの、りゅうのすけ君のそういう一言って…特にこういう時だと、ものすごくきいちゃうんですよね。
心の中で嬉しい、って思っちゃうんです。
だから、照れ隠しみたいにぷいっとそっぽを向くんです。
伸ばしていた手が急に手持ち無沙太になってしまい、苦笑いするりゅうのすけ君です。
「だいたい、俺だってばかじゃないんだからさ、いずみと待ち合わせしてる時にナンパなんてすると思うか?」
「じゃあ…他の時にはしてるんだな」
「してないよ。いずみっていう彼女がいるのに、なんでナンパする必要があるんだよ」
いつの間にか涙は止まってました。そして、少しづつ恥ずかしくなってきました。
自分の誤解なんだ、って確信しはじめたものだから、どうしようもないんです。
それに…目の前の彼の言葉が優しくて、瞳がなんとも心地好くて、困ってしまいます。
「…私の目を見て言えるのか?」
「ああ。俺は、ナンパなんてしていない」
きっぱりと言い切ります。本当はもう疑ってなんていないんです。素直に甘えたいんです。謝りたいんです。
でも…どうしていいものかわかりません。
友達として喧嘩をした事はあっても、恋人としてはないんですから。
戸惑いを隠せず、かと言ってりゅうのすけ君は何も言ってはくれません。だから。
「じゃ、じゃあさ。りゅうのすけは、私の事…どう思ってるんだ」
「好きだよ。少しやきもちやきの、可愛い彼女としてさ」
ぺたんと座っているいずみちゃん。全身の力が抜けたようにへなへなです。
真面目な瞳がたまりません。いずみちゃんの心がきゅんとなります。どきどきします。
なんだかんだ言っても、やっぱり…好きなんです。たまらないほど好きなんです。
「やきもちやくのはかまわないけどさ、平手打ちは、事情を聞いてからにしてくれよ」
「…うん。ごめんね、りゅうのすけ」
「わかればよろしい」
にやっと笑うりゅうのすけ君です。いたずらそうな瞳が戻っています。
見つめあいます。同じ想いを持つふたりです。考えているのは…同じ事でしょう。
いずみちゃんは自然と両手を伸ばしていました。彼の頬を包み込み込もうとしました。
「いてて…ちょ、ちょっと待てっ!」
いずみちゃんの手の平から逃れるように、りゅうのすけ君は上半身を引きました。
そして、あの平手打ちをくらった左の頬を軽くさすります。自分の手で、またいてて…
「ご、ごめん…そんなに痛むの?」
彼の頬をよく見たら、紅葉のような跡が見えかくれしているんです。
あんなにいい音したんですもん。かなりのダメージを与えてしまったようなんです。
「ああ、まだひりひりするぞ。けど、いずみがキスしてくれたらすぐに治りそうだ」
「な、なんでそうなるんだよっ!」
口ではそう言っても、彼がそう望んでいるんです。ごくっと生唾を飲み込みます。
「頼むから…目は閉じててよ」
りゅうのすけ君にキスするなんて、初めての事なんです。恥ずかしさと緊張感で、頬がほんのりと染まります。
でも実は…寝る前にまくらで練習していたなんて内緒ですよ。
弓道場の入り口を見て、誰もいない事を、彼が目を閉じている事も確認しました。
ゆっくりと唇を近づけます。彼の体温を感じる距離になると、そっと目を閉じました。
ちゅっ
左の頬に軽く触れた唇は、すぐに離れていきました。はにかんで、彼をじっと見つめます。
目を開けたりゅうのすけ君は、やっぱり不満そうな顔をしています。
「…そこは違うんでないかい?」
「い、いいんだよっ! 私は…あれだって恥ずかしいんだから…」
怒ったような声を出すと、りゅうのすけ君が笑いました。そして、つむじに右手をぽんとのせます。
いかにも子供扱いなんですけど、まぁ…いずみちゃんは何も言えません。
「いずみのキスのおかげで傷も癒えたし…さて、ピアキャロにでも行きますか?」
りゅうのすけ君が先に立ち上がります。そして、いずみちゃんを引っ張り上げました。
さっきから、何度も何度も唇をなぞっているいずみちゃん。
りゅうのすけ君の顔色を盗み見るようにちらりです。そして、彼の右腕に飛びつきました。
真っ赤になって、しばらく黙った後、いずみちゃんはゆっくりと口を開きました。
「…うん。でも、今のでお腹いっぱいだよ。あのさ…少し、散歩しようよ」
「ああ。裏の公園でも行くか」
りゅうのすけ君が歩き出します。その横にぴったりと寄り添って歩き出しました。
思い出したように弓道場に吹き込んた北風も、ふたりを祝福しているようでした。

(了)



お・ま・け


 後頭部を見上げて、少し考えました。それから背中をぽん、と押します。
「お待たせ、りゅうのすけ」
ものすごく驚いたのは押された方です。身体が怯えているように、びくっとしました。
間があってから、ゆらりと振り返ります。押したのが誰かわかっているからですよね。
「お、遅かったなぁ、いずみ」
八十八駅で待ち合わせです。一昨日のピアキャロの約束に、またも遅れたいずみちゃんです。
原因は寝坊なんです。照れ笑いを浮かべながら、後頭部をぽりぽりです。
「ごめん。二日連続で遅刻しちゃってさ…あれ、また友達?」
りゅうのすけ君の横に、茶色い髪のセーラー服の女の子がいてるんです。
大きな造花を頭につけて、こんな時期なのに焼けた肌。
昨日の白い肌の娘とは大違いなんです。
本当に趣味の広い殿方な事で、といずみちゃんのこめかみがぴくぴくしちゃいます。
「え…っ、と。う、うん、まあ、そんな感じかな」
おどおどしているのは、昨日のあれが効いているのかな、とのどを鳴らします。
この調子で独り占めしちゃおうかな。友達にだってやきもちやいちゃうんだもん。
自分を変えるよりも、りゅうのすけ君を変えちゃった方がいいですしね。
「まったく…りゅうのすけは女の子の友達が多すぎるんだよなぁ」
嫌味混じりにそう言います。さっそく開始です。
こういうタイプの娘が嫌いだという事もあるんですけど…にしても、いずみちゃんも変わりましたねぇ。
と、女の子はしかめっ面でいずみちゃんと向かいあいました。口を開きます。
「えー、友達なんかじゃないよぉ。ついさっき声かけられたんだからさぁ」
やたらと語尾の伸びた言葉です。
最初は意味がわかりませんでしたが、
さぁいてー、なんて言いながら去っていく女の子の後ろ姿に、いずみちゃんは肩を震わせます。
「…あれも友達っていうのか、りゅうのすけ」
「い、いや、その、まぁ…将来的にお友達になるかなってさ」
右腕がいつの間にかりゅうのすけ君の頬をロックしていました。振り上がってます。
気がついた時には遅いんです。しなりながら、狙った場所へ命中しました。
ぺっしぃぃぃーん!
「りゅうのすけのばかっ! もう、本当にしらないんだからな」
昨日よりもはっきりくっきり綺麗な紅葉が、りゅうのすけ君の頬に見頃なんです。
ふん、と背を向けるといずみちゃんはつかつかと歩き出します。昨日と同じ方向です。
「い、いずみぃ。ちょっと待ってくれよぉ」
「しらないったらしらないよっ!」
肩を大きく震わせて、呆れてぷんすか、いずみちゃんです。
その背中を情けない顔をして追いかけるのが、りゅうのすけ君です。
今日は…どこに行くのでしょうかねぇ。

(…お粗末でした)



(1997. 8/15 ホクトフィル)

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