小説
2007.11/ 6




Last Summer


 高校3年 夏休み

 朝8時。道場には他に誰もいない。私が来てから誰も来る気配がない。
 一年の頃は一緒に入部した友達と待ち合わせてから来たりしたけど、その年の冬休みからは
みんな自分の都合のいい時間に来るようになっていた。もう慣れたことだし、この時間は誰
にも邪魔されたくないと言うのが本音かもしれない。
 弓道というのは向き合う相手は他人ではなく自分だと言う。だから弓道部では1日のおお
まかな個人ノルマは決まっているけど、練習時間は決められていない。
 休みになるとこの時間は私一人の道場になることが多い。
 部室で道着に着替えて、部室においてある小道具を持ってきた。練習で道着を着るの
は、気を引き締めるため。朝練なんかやるときは制服のままでやることもある。的を自分の
分だけ用意して道場に戻り、弓を張り、少し気持ちを落ち着ける。

 的と自分がまっすぐになるように立ち、的と足の位置を確認する。
 胸元に弓を構え、
「かちっ」
 矢をつがえる。
 ゆっくりと弓をあげ、ある程度あてがってから弓手を返す。
「ぎぃぃぃぃぃぃっ」
 矢が水平に降りてくるように引き絞る。
 数拍の間、両の目で無心に的を見つめていると、
 「しゅっ」
 矢が放たれてゆく。

 45分ほどで四十射を終え、記録用紙を確認する。
 何度見たところで変わるはずがなく、十八中と五割をも割る結果が現実として残るだけだ
った。平均すれば、四射中二本も当たらないことになる。
 命中率を上げるための練習じゃない。技術的なことは一年の頃にしっかりと教わった。でも
集中力、精神の乱れは結果として出てしまう。心が乱れていない時なら七割八割はきっと出
るだろう。

 理由はわかっていた。

 でも、それを認めたくない自分がいるのも事実だった。

 みーんみんみんみーん
  みーんみんみんみーん

 午前中早い時間に練習を終えて駅前を歩いてる。
 さすがにお昼近くなると、蝉の鳴き声がすごい。大通りの歩道を歩いているというのに、
並木から聞こえてくるその音はまるで山の中にいるという錯覚さえさせる。
 駅前を海岸の方に向かって少し歩いたところに唯や友美とよく行く喫茶店がある。
 駅から近いと言うこともあって、八十八学園の生徒はよくここを使うらしい。

からんからんからん

 カウベルがきれいな音色で鳴り響く。
 暑さと蝉の声に夏を感じながらも、我慢の限界に達していたのか涼むことが理由の半分
を占めていたような気がした。気がつくと店の扉を押していた。
『いらっしゃいませ。』
 マスターと、ウエイトレスさんの声がハモる。
 通りに面した窓側の席に座ると、ウエイトレスさんが水とメニューを持ってくる。
「クリームソーダをください。」
そう言うと、
「はい、クリームソーダですね。」
と、返事が返ってきた。
 ストロベリーパフェが大好きだけど、学校から近くてよく来るこの喫茶店の場合はけっこう
食べ飽きてた。他にももっとおいしいお店を知っていたらわざわざ注文しようとは思わないよな。
 友美や唯とここら辺の喫茶店はよく行ったから八十八町と如月町で私が行ってないところ
は竜之介の家ぐらいかな。あそこは唯のお母さんが一人でやっていて、顔も知られてるから
何となく行きにくいんだよな。

『……ピッチャーの交代をお知らせいたします。………』
 カウンターの裏にある14インチのテレビはマスターがみているのか、高校野球をやってる。
あれ、うるさかった蝉の音はまったく聞こえなくなってる。室内なんだからあたりまえって
いえばあたりまえだけど、ぼーっとしてたのかな。いつから気にならなくなったんだろう。
「お待たせしました。」
 ウエイトレスさんがセットしてくれる。
 ロングスプーンでアイスをつついて少し溶かす。炭酸の粒が下からあがってきてとてもき
れいだ。
 ここのクリームソーダは、ソーダのベースがブルーハワイで、何となく夏って感じがする。
メロンシロップベースのクリームソーダも好きだけど、ブルーハワイの方が何となくこの季節
には合う。青い空と白い雲の色、そんな感じだからかな。

からんからんからん



『いらっしゃいませ』
 他のお客さんが来たみたい。私と同じぐらいの年の男女、カップルかな?
 あれ?男の方はどう見てもあいつ、だよなぁ。なんて確認するまでもないけど自問してみ
る。
 あ、こっちの席に来る。…何で私の後ろの席なんだよ。
これじゃ会話が筒抜けだよ…。

「ねぇ、そう言えばまだ名前も聞いてなかったね。」
 竜之介のやつ、またナンパしてきたな。
 そう思いながら聞き耳を立ててる自分が情けなかった。
「俺?俺は竜之介。」
 はぁ…、このあとの展開が目に見える。
「り、竜之介って、あの、八十八学園の、竜之介君?」
「あのって言われてもどのかは知らないけど八十八学園には竜之介って俺しかいないと思
ったけど。」
「き、」
「き?」
「きゃーーーーー。」

からんからんからん

 あ、女の子が走って出てっちゃった。
「何なんだよ、あの反応は…。」
「ばーか。」
「なんだと。ってなんだ、いずみか。」
「自業自得だろ、いまの娘の反応。
って、何で私の向かいに座ってるんだ?」



「気にしない気にしない、そんな細かいこと。
あ、お姉さんアイスコーヒー1つね。で?どういうことだよ。」
竜之介のやつ、いつの間にか私の正面に座ってウエイトレスさんに注文してる。
「どうせその辺でナンパしたんだろ、いまの子。竜之介はルックス悪くないし、話し上手だか
らけっこう簡単につかまるんじゃないか?自分の名前を言うまでは。」
「うっ。」
「で、名前を言うとなぜか逃げられると。
竜之介、自分の噂がろくでもないのばっかりだっての知らない訳じゃないだろ。」
「まあ、な。それがどうしたっていうんだ?」
 なんか説教くさくなりそうだなぁ。
「あのなぁ。最近は学校の中でだって下級生の間なんかだとすごい噂が流れてるぞ。目が
合うと犯されるとか、さわられただけで妊娠するとか。
 女子の間だと、やくざやさんが街で道を譲るなんてのよりそっちの噂の方がすごいようだ
けど、どっちにしろおおよそ人間扱いされてないんだぞ。」
「何だよ、それ…。」
「私が知るかよ。どう考えたってありえないような噂ばっかりだから聞き流してるけど、部の
後輩に『先輩、同じクラスなのに大丈夫なんですか?』って言われたときはどう反応していい
かわからなかったんだからな。
 学校の中でさえそうなんだから、校外なんて噂にどう尾ひれが付いてるかまでなんてわ
かったもんじゃないだろ。」
「だ、だからってどうしろって言うんだよ。」
「少し自重したらってこと、無駄だと思うけど。まあ、夏休み中おとなしくしてたぐらいでどれ
ぐらい噂が消えるか疑問ではあるかな…。」
「先のために貴重な夏を捨てるか、あきらめて今までどおり遊ぶか、か。」
「あきらめて、って…。」
「まぁ、しょうがない少しの間は普通の生活をするかな。」
「おいっ。」
「なんだよ。」
「竜之介、私は自重しろって言ったんだよ。竜之介の言う普通の生活って言うのは今までど
おりって事じゃないのか。」
「なんでわかった?」
「わからないわけないだろ、まったく。」
「ま、冗談はさておいて。いずみ、忠告ありがとな。でも、まぁ。俺はこんなだから俺なわけだ
しさ。それともいずみは、俺がまじめで目立たない普通の高校生になった方がいいとでも言
うのか。」
「竜之介、それはまじめで普通の高校生に失礼だぞ。まぁ、私もらしくしてた方がいいとは思
うよ。ただし度が過ぎなきゃね。」
「はいはい。さてと、じゃぁな。」
そう言うと竜之介は伝票を持って立ち上がった。
「あ、いいよ。」
「いいって、いいって。
あ、そうだ。今度の土曜、如月神社の夏祭りに一緒に行かないか。
あきら誘ったんだけどさ、木曜から学校で柔道部の合宿なんだと。天道相手じゃ土曜日でも
夕方外出はさせてもらえそうにないんだと。」
「で、私なわけ?いいよ。今度の土曜日だね。
でも、唯とか友美とか誘う人が他にもいそなもんだけど。」
「何で、あきらと行こうと思ってた夏祭りを、女誘っていくんだよ。」
「竜之介、それはどういう意味だっ。」
「じょうだん、冗談。唯はいつも家で顔合わせてるだろ。何となくこういうの誘いにくいんだよ
な。友美は模試が近いとかで勉強忙しそうだったしな。
まぁ、タイミングの問題もあるかな。さっきあきら誘ったとこだからさ。」
「そういうことか。」
「じゃあ、夕方迎えに行くよ。」
「駅前で待ち合わせにしないか。」
「わかった。えーっと、5時に駅前でいいか。」
「わかった。」
私がそう頷くと、竜之介は私の分も払って出ていってしまった。



「なに着てこうかなぁ。浴衣じゃ意識しすぎかなぁ。竜之介、私のこと女だって思ってない節
があるしな。だからこうして誘ってくれたのかもしれないし。ふつうの服にしようかな。」
 土曜日。
 お昼前に買い物に出かけて3時過ぎにそんなことを考えながら帰ってきた。
 昨日からあまりいいことを言っていなかった天気予報どおり、少し灰色がかった雲がでて
いた空は、家の近くまでつく頃には、ぽつぽつ、と雨が降り出してきた。
 家について、シャワーを浴びて、部屋に戻ると電話が鳴っていた。
 窓の外を見ると雨の勢いはさっきとは比べものにならないほど激しくなっていた。
「はい、篠原です」
「あ、いずみ、竜之介だけど。今日のことなんだけどさ、
こんな天気じゃしょうがないよな。毎年さ、如月神社の夏祭り降られたことなかったから雨の
心配までしてなかったんだよ。」
「そうだね。これだけ降ってちゃ、無理だよね。」
「じゃあ、またな。」
がちゃ。

「しょうがない、か。楽しみにしてたけど、しょうがない……かな。」
窓の外にはたたきつけるように雨が降っている。
そして、窓には沈んだ顔の私がまるで泣いているように映っていた…。



 1年後の夏。

「……地方の天気、明日は……、明後日は……、
週間天気予報……土曜日晴れ、日曜日晴れ…」
 ピッ。
 携帯を耳から話して通話を切る。駅前で竜之介との待ち合わせ。
 駅に着いてからずっと天気予報聞いてるなぁ。
「はぁ…。」
「よ、おまたせ」
声をかけられて振り返るといつの間にか竜之介が後ろに立っていた。
「あ、竜之介。」
「早かったな。どうしたんだ、溜息なんてついて。」
「ううん、なんでもない」
「そっか、これからどうする?」
「うーん、映画が始まるまでにはまだ1時間ぐらいあるし、
喫茶店よってこうよ。」
「そうだな。」
「ねぇ、竜之介、今週の土曜日何か用事入ってる?」
「特にないけど。」
「夏祭り行こうよ。」
「いいな。
去年は俺が誘って雨で中止になったからな。」
 覚えててくれたんだ…。
「そうだっけ?
ねぇ、今年、浴衣新しくしたんだ。楽しみにしててね。」


去年の夏も、そして今年の夏も…
    いつかきっといい思い出になる…


きっと…

Fin


(1998. 8/23 sinto)

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